1-35 スクールカーストの悲劇
旧校舎の端っこの階段を昇りきった。あとは左折すれば暖簾が見えるというところで、俺は止まった。
いつもと違う雰囲気を感じた。
暖簾の前に人の気配がする。一人じゃなく複数人。
風紀委員の先輩達だろうか。丹波さん? 泉さん? それか北林さん?
だが違う。雰囲気が剣呑だ。暖簾の来訪者はゾロアスターの愉快な歓待を受けて、なぞなぞを楽しんでいるというわけではない。
俺は曲がり角から顔を出して様子を伺った。
「頼むって宮奈ー、サインしろやー」
どこかで聞いた声だと思ったら、同じクラスの守本だった。
守本の周りにはいつものメンバー、島村と安藤と福原がいる。今日俺と一緒に飯を食おうとして、堤と対決したグループだ。
「サインはしない。お引き取りください」
暖簾からは宮奈の声。ゾロアスター調ではなく、今日の昼休みに堤達と話していた声と同じ。自称硬骨漢の冷たい調子。
「サインしろ。するまで帰らん」
「定期監査までは存続する約束。サインはしない」
「今サインせんかったら確実に監査通らんぞ」
「生徒会執行部の意見に意味はない。サインはしない。お引き取りください」
「もー、宮奈頼むってー、友達やろーサインしろやー。今日もなぞなぞ解いたやろー」
「そうだな。友達だな。今日もカウントはしたよ」
守本が押し、宮奈が拒否している構図。
けど具体的に何をしているかは解らない。
宮奈は暖簾から出てくる様子はなさそうだが、守本もまだあきらめる気はなさそう。サインシローと呪文のように唱え続けている。
すると守本グループの取り巻きの一人、福原はそろそろ我慢ならないと言った感じで、守本に向かって言う。
「ねー、優子もういいって、もういこー」
「粘れって言われてんの。だから今日は遊べん」
「いいやん。向こうが無理って言ってるやん」
「それでも粘る」
「丹波さんの命令?」
守本がこっくりと頷いた。福原は引き下がる。丹波、という名前が出たからにはそれ以上は迫れないらしい。
守本と丹波さんは義妹関係。さっき後藤が言っていたことに現実味が帯びる。
守本の意思が変わらないと解ると、福原の標的は物言わぬ暖簾へと変わる。
「おら宮奈出てこいよ、お前だけそん中いるのは卑怯やろ」
口の悪い福原。答えぬ暖簾。
ボスの守本は見てるだけ。次に強そうな島村も無関心で、壁にもたれてスマホしてる。
するとこの状況で意外な奴が福原に乗っかる。
「ねー、私らとお話しよーよー、正体不明の謎仮面さーん」
安藤だった。グループで一番華奢な奴。赤い唇に姫カット。今日もゆるゆるのカーディガン着てる。今朝は堤グループから酷い悪口を言われていたが、確かに地下アイドルっぽい見た目ではある。
安藤が乗ったからか、福原が更にちゃちゃを入れる。
「むふ、聞いて皆。ここも陰キャラゾーン」
……福原、お前は本当にうぜえな。
俺の思いと共鳴するように、守本がぴしゃっと言い放つ。
「福原、お前それハマり過ぎ。教室で言った時ビビったから」
島村も守本に同調する。
「ほんまにソレ。あんとき空気凍ったし、やめてマジで。私もう悪目立ちしたくねえのよ」
……守本は知ってたけど、島村も意外と大人な奴なんだな。一年の頃結構ヤンチャだったから、ガラ悪そうってイメージしかなかったけど、こういう落ち着き方をしてるなら話してみたいかも。
しかし大人な二人組に咎められても、福原の調子乗りは止まらない。
「だってさ、時舛あの見た目で陰キャと飯食うなよって思わん? 上田と田口おらんだけであれなん?」
島村が答える。
「まあー。気持ちは解るけど、男子やからええんちゃう別に? そんな気にしてないやろ」
うんうん。島村ナイス。島村いい奴だな。よく見れば身長高いし、これは時舛スカウター作動。ピピピピピピ。身長基準クリア。顔基準ギリギリクリア。年上と付き合っているという噂アリ。
判定結果、ストラーイク。今の彼氏と別れたって聞いたらちょっかい出しまくろーっと、付き合わないけど。
はい時舛スカウター終了。現場は冷静な島村のおかげで福原を宥める流れになっている。これで収まるかなと思ったが。
「アタシ男子より、女子の陰キャの方がキラーイ」
安藤。おい地下アイドル安藤。お前はそっち側なんかい。
もやめとけ、宮奈に当たってもしょうがないだろう。
しかし俺の思いは伝わらず、カーディガンにすっこめた細指が、ぼすぼすと暖簾をパンチし始める。
「男の子の陰キャ君は空気読んでくれるけど、この陰キャちゃんは皆に迷惑かけるしさー。授業止めたりー、今も優子を困らせてるしー」
安藤が乗ってしまったので、福原がにやーっと嫌な笑みを浮かべる。さらなる調子乗りが始まってしまう。
「どうする宮奈。安藤さん怒り始めたぞ」
安藤は小学生を諭すかのような口調で言う。
「宮奈ちゃん。あんまり時舛君と喋っちゃダメだよ。陰キャの人は、同じ陰キャの人と仲良くしようね。これは学校のお約束だよ」
……ここまで煽られても、宮奈は無反応を貫いていた。
廊下では物言わぬ暖簾が揺れるのみ。
さすが風紀覇道流。下賤な煽りには乗らない。
しかし、こうなってくると更に標的が変わる。今度は宮奈から、もう一人へと。この場にはいないと思われているアイツへと。
悪口のリレーは女子ならお手の物。
福原と安藤の放送不可能なやり取りが聞こえてくる。
「時舛も陰キャみたいなとこあるけどな。ビビりやし、いつもヘラってるし、堤のチンコやっとるし」
「解るー。アタシもあのグループきらーい。時舛君があそこにおること自体無理」
「声でかいし、下ネタきしょいしな」
「ほんまに。時舛君巻き込むのやめて欲しい」
「待って安藤。時舛も結構ヤバいんやで。アタシ一回、あのグループで時舛にドン引きしたことがあって」
福原が安藤を遮って場の注目を集める。福原による『時舛にドン引きした話』の始まりです。合いの手役は安藤が務めます。
「なんやっけ、アイツらなんか、フットボール? サッカー同好会みたいなのやってるやん」
「フットサルちゃう?」
「それ。フットサル同好会。それで去年、アタシ土曜日に用事あって学校きたことがあって。ふと体育館見たらアイツらが活動してたんよ。なんかみんなでパス回しみたいなのしてたの」
「うん」
「でも、何故か堤一人だけ体育館のステージの上で寝ころんでて、マッサージされてんの。結構ガチのやつで、馬乗りになって指圧とかするやつ」
「解る。マッサージ師がやる奴やろ」
「うん。それをやってたのが時舛なの」
「えっ」
「時舛が堤の上に乗ってんの。学校の体育館で。その時点でおかしいし、明らかに二人はイチャついてて、時舛デレデレでキモいし。しかも、見てたら途中で堤が身体反転させたんよ。つまり、堤が仰向けになって、その上に時舛が乗ってるわけ。その状態で時舛がマッサージしようとするわけ」
そこで今まで黙って聞いていた島村が一言。
「それはヤバイわ」
島村に共感されたので一気に勢いづいて話す福原。
「な! ヤバイやろ! 更にヤバいのは、それを他のフットサル同好会のメンバーが全員見て見ぬフリしてんのよ! 私もうその空気感にドン引きして! それ以来、時舛無理になった! あれはホンマにキモイ!」
以上、福原による『時舛にドン引きした話』終了。
ひゅー、ポン。ドン引きエンジェルがやってきて、ドン引きスタンプを貰いました。
……まあ。確かに俺、キモかったよな。去年の冬とかだっけ、そういうことは実際にあった。体育館のステージの上で堤にマッサージしてた。楽しすぎて仰向けになったりもしてた。頭イテー。
堤との恋愛ごたごたは色々と反省したつもりだが、改めて他人の口から聞かされると自分のやってることの幼稚さにビビる。
みんな、いくら女子とイチャイチャして楽しいからって、公共の場で馬乗りマッサージはダメだぜ。恋人同士であったとしても適切な距離感を保とうな。第三者から見た時にキモすぎるから。
福原め。痛い所をついてくる。
ただし、これは確かに俺に対する悪口エピソードではあるが、俺にとってはきっちり聞き届けるべき第三者的視点でもある。胸は痛いがイライラはしないし、反撃してやろうとかも思わない。福原のエピソードトークも意外と上手かったし、聞けて満足。
時舛、この悪口はきっちり受け止めて飲み込む所存です。
さて、現場では何やら福原がゲスい笑みを浮かべながら、アフタートークを展開しようとしております。
「それでさ、私思ったことがあって、時舛ってご奉仕マネージャーなんかなって」
安藤が首を傾げるので、福原がゲスい笑いをこらえながらコソコソと話す。
「いやだからさ、ほら、部室でさ、みんなの性欲を処理してあげる的な」
それで何かが繋がった安藤は騒がしくリアクションする。
「それってAVやん! めっちゃキモイ奴やん!」
「そう! タイトルだけでキモいやつ! 陰キャイケメンを性処理マネージャーにしてみた、みたいな!」
「あははははは! キモイキモイキモイ! そんなん想像させんといて!」
「はははは! でも絶対時舛は全員とヤってる! 運動してる奴って性欲強いから!」
ケタケタケタと甲高い二人の笑い声。さすがの俺もここまで言われると胸に刺さる。
福原。そして安藤。
俺がキモいのは解った。俺はもう十分反省した。だから、見逃してくれ。人間って恋愛すると頭がチンパンジーになるんだよ。公然とイチャイチャしてしまうこともあるんだよ。恋愛ってそういうもんなんだよ。
あー、この状況どうしようかな。福原と安藤の内弁慶的な感じを見ていると、俺が出て行って「こらー」と言うだけでおさまるような気がする。
しかし、本当にコレは俺が出ていくべき状況なのか。
俺が体育館のステージで堤をマッサージしてたっていうキモエピソードは事実である。性処理マネージャーの方は事実無根の侮辱罪だけど、クラスメイトがやってることをアダルトビデオに喩えるのも、それはそれで一つの笑いなのかなと思ったりもする。後藤も下ネタでちんこちんこ言ってるし。
大人たるに大事なコト。それは無駄な争いには関わらないこと。
時舛さん、福原と安藤には心の中で遺憾の意を表明するだけにとどめ、静観することに決定。
ま、ボスの守本がなんとかするっしょ、と思って廊下の陰に隠れていると
「私の前で時舛のことを悪く言うな」
あの冷たい声が一段と大きくなって聞こえた。
ヤバい。宮奈が暖簾から出たんだ。これはよくない展開。
「お前なんて時舛の相手にされてねーよ」
まず安藤が罵倒した。胸がキュッとなるほど容赦がなかった。
「私の前で他人の悪口を言うな。帰ってから言え、不快だぞ」
宮奈は間髪を入れずに言い返す。強い。でも、学校って道徳を叫んでも意味ない場所。
「陰キャの君はいるだけで不快でーす。偽名使って皆に迷惑かけないでくたさーい」
福原みたいな奴がいるから。
……よくないなコレは。うん、よくない。
はー、ホント、さっきの教室での堤といい、今日は嫌な気分になってばっかり。
これはもう俺が出て注意するしかない。口論するのは嫌だし、ヒーローみたいに現れてスカッとさせる展開も好きじゃない。
大体、一回ぽっきりのお助けヒーローって結局根本的解決にならないし、何より、こういうシリアスなスクールカーストの場面って『笑い』に繋がらないんだよねー。俺、大道芸人だからさー、笑いのない舞台には立ちたくないんだよねー。
そう考えながら、俺は渋々と足を一歩踏み出そうとする。
すると、その前に。
「福原、安藤、もうやめとけ」
守本がスクールカーストのお助けマンになってくれていた。
うぇーい。さすがカリスマJK守本。頼もしい。守本が止めてくれるなら俺が出る必要ないわ。守本よ、後は任せた。
俺は遺憾の意を表明するだけにしとこっと。
「優子なんで? 悪いのコイツやろ? コイツが偽名で書類通してるから、私らが迷惑こうむってるんやん。大体ナゾナ・ゾロアスターってなんなん? 書類にその偽名使ってなんか意味あるわけ?」
収まらない福原は苛烈に宮奈を責める。言い方には棘があるが、言い分そのものは正当だから、守本も福原を咎められない。
対する、宮奈は無回答。
静かに流れる時間の中で、ボソッと安藤が、言ってはならない答えを出してしまう。
「多分、陰キャ脱出に失敗してこじらせてるパターン」
福原が手を叩いて笑った。
「それ! 絶対それ!」
アハハハハハと二人分の下品な笑い声が響く。
守本頼む。二人をしばいてくれ。
もう俺はヤダ。かえりてー。スクールカーストはんたーい。時舛国は遺憾の意を表明しまーす。
そう心の中で平和の旗を振っていると、ちょうど俺の横を、誰かが通り過ぎた。