伏線と布石
機織る仕組みと申しますが、縦の糸と横の糸、機織の絵柄は出来上がるまでわからないものです。
もちろん、製作者は理解していますが、人生、ドラマ、歴史を織り成す登場人物には、最後の絵柄は見えていないことの方が多いのではないでしょうか。
私、瀬田孔明は、詐欺師ではない。
世の中には「便利屋」という職業が流行っているが、犯罪に関わるもの以外なら、たいていの依頼は受けることにしている。
そこら辺が、一般的な「便利屋」とは違うのかもしれない。
しかし、昨晩の夢は恐れ入った。
まさか、この年になって、夢精をするとは。
隣の部屋のガールフレンドがいて、その気にならなくても、お互いの意思の疎通で、ベッドを共にすれば良い。
一週間ほど前の休日に、彼女の勧めもあって、能舞台を観た。
演目は「竹生島」と「翁」だった。
静の極致とも言える芸術を初めて体験し、パンフの解説に心惹かれ、実際の竹生島を見ようと、琵琶湖の観光も合わせて、ガールフレンドを誘った。
スケジュールに余裕もあったので、地元の宿も予約した。
特に妖しい気配があるわけもなく、酒を飲みすぎたわけでもないが、能の舞台の幽玄の世界観に共鳴してしまったのか、不思議な夢を見た。
高校生になって、一度、夜尿をしてしまったこともあるが、同じような驚きであった。
なにか、精神的なものに起因するのだろうか。
大きな試練というわけでもない。
しかし、気になる。
そんな不思議な後押しを背中から尾骶骨辺りまで感じて、私は能楽の由来や演目の背景について調べてみることにした。
たまに仕事で協力を頼む新聞社の友人から始まり、紹介や伝手を辿るうちに、ある神社の禰宜さんと知り合う。
その方は、聖徳太子の未来記に秘められた世界平和の願いについて、静かに話してくれた。
特に「翁」の能は、別格のもので、暗黙の了解で、演じ手にも、なにがしかの資格のようなものが必要だとか、巷の都市伝説の類いとは明確な違いで、未来への予言が秘められているのだとか。
まあ、とりあえず、仕事には関係なかったが、それはそれ。
今までの人生だって、無駄と思われる経験が大きな伏線となって、後々(あとあと)役に立つなんてことは、数えるときりがない。
それにしてもだが、私の名前は祖母の提案でつけられたそうだが、すこし恐れ多い。
弘明とか、平凡で、差し障りのない選択はたくさんあったはずなのに。