同窓会で、かつてオタクに優しかったギャルに会った
スマホの通知音が鳴る。
二十一の冬だった。
唯一今でも交流のあった友人に、小学校の同窓会に誘われた。
これまで極稀に誘われることはあっても全て断ってきたのに、今回は顔を出そうと思えたのは何故だろう。
自分は変わったはずだと他人の目から評価して欲しかったのか、それとも単に過去を懐かしんでいたのか。
懐かしむほど素敵な小学校時代を過ごしていた訳じゃないだろうに。
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「ナ、ナンダッテェェ、哀川が、参加するだってェエエ!?」
「うっせ」
親友にして悪友である友永裕也は、俺の返信に大仰に驚いていて見せた。
自分でも柄にもないことをしている自覚はあったが、それにしても誘ってきた癖に失礼な奴だ。
奴はクラスの同窓会前日の夜に、まず何人かで会おうと言ってきた。
「ま、プチ同窓会って訳だ」
「……誰呼ぶんだ?」
「そこはこれから。俺と、お前と、あと二人位でさ」
あらかじめ数人でも会っておけば、当日俺が会場の隅っこで孤独を感じることになる可能性も幾らか減るだろうという、友永のそのありがたすぎる気遣いに涙を流した。
かつてはきっと素晴らしくキラキラした人達が使うのだろうと考えていた駅前のホテルの一階にあるレストランに、学生の身分で入場する。
そこには悪友と、元クラスメイトらしき二人が既に集まっていた。
「やほー、久しぶり」
「え、あれ哀川!? 麻耶よく分かったね?」
二人とも女だった。
俺は悪友の肩に一発入れようとした。
躱された。
あとの二人に不思議そうな顔をされてそれ以上は踏みとどまった。
トップカーストの中でも、賑やかな部類に属していた二人だった。
取り分け、小松麻耶の方は俺と対極の存在だったと言っていい。
輝くような金髪、丈の短いスカート、ブランド物のバッグ。そのうち一つでも、ともすれば下品に見えかねないのに不思議とそう感じさせないのは彼女のスタイルの良さとセンスの賜物だろうか。
小学校の頃から今に至るまで、きっと人の中心に居続けたのだろうと容易に想像がついた。
もう一人の方、木村陽子も似たような系統のファッションをしていた。
何故この二人か、とも思うが友永裕也ならそれほど違和感はない。
俺の親友はさらっとクラスの中心に居て、誰にでも分け隔てなく話しかけて、仲良くなってしまうような人間だった。
元から集団に馴染めない俺が、どうしようもなく捻くれ拗らせず済んだのは、多分幾らかはこいつのお陰だと思う。
「小松もよく来たな」
「ほんと、麻耶久しぶり! 裕也は毎回来るけどね!」
「大学東京だしねー。同窓会はだいたい地元じゃん」
三人で歩く彼らの後ろについて席まで歩く。
かつてクラスの中心に居た彼らと窓際の席で一人本を読んでいた俺は話す機会なんてあるはずもなく、俺は前を歩く悪友を睨んだ。
一瞬こちらを見た奴は素知らぬ顔で一行を先導する。俺はこの集まりの先行きを怪しんだ。
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意外にも食事は和やかに進んだ。
それは俺以外の三人のコミュニケーションスキルがカンストしているような人間だったからでもあるだろうし、また二人が俺を馬鹿にすることがなかったからかもしれない。
思い返せば小学校の頃から浮いていた俺に対し、この二人は邪険にした態度を取ることはなかった。その辺の人選は、流石の人間関係最終兵器こと友永の仕業である。
かつての同級生とまめに連絡を取るような性格ではない俺は、彼らの近況について初めて聞く話も多かった。
生真面目な委員長が県庁に入ったこと。
かつてクラスに居た不良達三人組の内、二人は就職し、一人は大学に行っているらしいこと。
クラスのアイドルだった花盛咲が今は地元の大学で彼氏を作ったが、余り上手くいっていないらしいこと。
「哀川、咲とたまに話してたよね?」
「あぁ、まぁ」
花盛は明るく、またクラスの輪に入れない者にこそ話しかけに来るような人間だったから、隅っこに居た俺さえ、時折話をした覚えがあった。
学校を違えた中学に入っても連絡先まで交換して、連絡を取り合っていた時期すらあった。幾らまるで聖女のように振る舞っていたとは言え、そこまでするのかと感心したものだが。
「咲、同窓会来るらしいよ」
じっと、小松に見つめられているのに気付き。何かしらの反応を見られているのかもしれないと思う。
「はぁ。そうなんすか」
例え花盛が彼氏と上手くいっていようとなかろうと、俺が何かを期待なんてするはずがない。
たしか花盛と仲の良かった小松は、俺が彼女にちょっかいを出すことを警戒しているのかもしれないが、安心して欲しい。その辺はわきまえている。
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「…………はぁ」
洗面台まで行き、鏡を見た。
いつも通りのしみったれた面が在った。
「おう、どうだ調子は」
友永は隣の鏡でちょいちょいと髪をいじっている。
楽しくないわけでは無いが。単純に疲れる。
「今日のメンバーさ、俺じゃなくて小松が呼んだんだよ」
え。
見ると、友永はよし、と鏡に言った。
先に出て行った背中を見つめる。
化粧室を出ると、傍の壁に小松が寄り掛かってスマホを見ていた。
その大きな眼が、俺を捉える。
「哀川。久しぶりだね。……随分変わった。背、伸びたね」
俺は彼女の隣の壁に、背中を預けた。
彼女と二人で話したのは、もう十年前になるのか。
「……お互いな」
「ん? 私は、あんまり伸びなかったけど」
「背、だけじゃなくてさ。色々」
近づいた、首を傾げた彼女の胸元の開いた服から覗く、主張の強い肌色から無理矢理目を逸らす。
「色々って?」
すっかり目線が下になった彼女が、上目遣いでこちらを見る。そこにかつてはなかった色香を見て、ぞくりとして慌てて視線を正面に向けた。
「っ! ...皆、変わってんだよなって。俺は、何となく大学に行ったけど、その間に皆色々してたんだなぁ、と思って」
連絡を取り合うことも無かったし、ただ俺は学生の身でだらだらと怠惰を貪っているのに、かつての知り合いが順調に人生を歩んでいるのを聞いて、取り残されたような気分になった。
化粧室前の廊下に俺達以外に人が通る気配は無く、辺りは人工的な静けさに満ちていた。
「.........私も。受験の時は周りが遊んでるのを見て私の方が頑張ってんだぞ、って密かに馬鹿にしてたのに……今となっては、果たして遊んでるのはどっちなのか」
ため息をついた小松の華奢な肩が下がる。彼女も大学に進学したとはいえ、俺と同じ感傷を抱いているとは限らなかったが。
「戻ろっか。二人待ってるし」
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「てかさ、こいつ変わっただろ?」
「あ、ね! 全然分かんなかった、最初レストランの前で待ってるの見て、不安になっちゃったもん」
話題は、俺のことに移っていた。
たしかに小学校じゃ真ん中ぐらいだった背丈も随分伸びた。あとついでに髪も伸びた。
「ひょろっとしてて髪も目隠れるくらいで、あの人みたい。ほらあの、紅白に出てた」
木村が有名ミュージシャンの名前を挙げた。
「大学じゃ有名なんだぜ。バンド組んで学祭出たり」
「あはは、ほんとにあの人みたいだ」
余りに恐れ多い例えはともかく。俺がバンドをしているのは、バンド以外では社会に適合できなかったからで、本質的には何も変わっていない。
「明日は人気者になれるかもね」
「まさか」
到底考えられない。男の友達さえ友永以外にいないからこんな状況になっているというのに。
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料理を喰らい、酒を飲み干し、宴もたけなわと言ったところ。
「そう言えば小松、お前昔、好きな男が居るとか一時期噂になったよな」
「えー、そうだっけ。もう全然覚えてないや」
俺は酒が回ってきていた。
特別弱い訳では無いと自分では思っていたが、普段から飲む習慣のない俺では、恐らく日常的に飲み歩いているだろう彼らのペースについていけるはずもなかった。
隣の友永と小松の話し声を聞きながら、意識が遠のいていく。気の置けない間柄だからこそ出来る不躾なやり取りを行う二人は、傍目から見てもお似合いに見えた。
「私そろそろ帰るねー! 麻耶もまた明日!」
「……、……じゃあ二人共お疲れ」
「…………、……」
「……」
「」
「……起きないよね。じゃ、ほら、肩貸して」
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随分、みっともない姿を見せたと思う。ただ喉をせり上がって来るものをぶちまけることだけは堪えて、俺はホテルの一室に倒れ込んだ。
照明のオレンジ色に照らされたビジネスホテルよりもやや広い室内に入ると、中央に大きなベッドが一つあった。シングルベッドにしては随分大きい、とそんな微妙な違和感はアルコールによってすぐに頭の中から消え去った。
「大丈夫?」
「……あー、」
小松に廊下の自販機で買っていたミネラルウォーターを渡され、ベッドに倒れたまま俺は口元に含んだ。
「……わりぃ。たすかった」
水を得たことによって僅かに回復した気力で、付き合わせてしまった小松に礼を言う。
彼女は、レストランの上層にあるホテルの一室を借りてくれた。
謝罪は俺が酔い潰れてしまったことに対してでもあり、あれだけ飲ませておいてさっさと帰ってしまった友永の薄情さに対してでもあった。
「まぁ、そういうとこあるじゃん、友永」
どうでも良さそうに一言で済ませ、小松は俺の着ていたボアのジャケットを脱がし、ハンガーに掛けた。俺はされるがままだった。
「しかし、はは、飲み過ぎたねー」
「あ、てか、時間……」
終電というか、電車もろくにないこの辺だとタクシーになんのか。財布を探そうと身体を起こす。
「あー、大丈夫。私も今日このホテルに泊まるから。もとからその予定だったの」
だから、友永にここのレストランにしてもらったの。と言われて、僅かに胸の奥がひりついた。別に二人がどれだけ親しくしていようとどうでもいい。
俺には関係のない話だ。
「それにしても、すまん」
「いいって。介抱には慣れてるし」
あはは、と笑う小松にほっとすると同時、やはり気にしてしまう。
男と深夜にホテルの一室で二人きりになることなんて、彼女にとって特別珍しいことでもないのかもしれない。
「いやー、今日は楽しかった」
彼女はベッドの傍らにあった机の前の椅子に座り、机に取り付けられた捻るタイプのスイッチをいじっている。
彼女の手の動きに伴って、空間はぼんやりと明滅を繰り返した。
「そもそも、会うのはいつ振りだったっけ」
「卒業式の後の、打ち上げじゃないか」
「あーそっか。懐かしいねぇ、パーティールーム貸切って、お菓子食べてゲームして」
俺たちのほとんどがそれしか遊びを知らなかった頃を振り返る。自分たちで会場の準備なんかを分担して行ったそれは、俺の記憶にも残っていた。
ね、と部屋が暗くなったタイミングで、ぽしょりと小松の声がした。
「あの時のゲーム、手抜いてたでしょ」
「……どうだったかな」
「私たち、ペアになったじゃん。絶対勝てると思ったのに、負けて最悪だった」
「それは、すまん」
くすくす、と少女のように口元で笑った彼女は、
「これ、覚えてる」
メロディが聞こえた。
彼女の白色のスマホから流れるのは、俺のよく知っている曲だった。
僅かに目を上げて、俺の目の前に差し出されたスマホの画面に表示されたのは、卒業式の打ち上げで、音楽担当にされた俺があの時掛けたプレイリストと、全く同じものだった。
全部覚えてるのか、何で。
「あの頃、好きな人とかいた?」
「……さぁ、どうだったかな」
「私は、いたよ」
眠気が強くなってきた。まぶたが重い。
ベッドにうつ伏せに転がった俺のそば、立てられた照明の横に彼女が居た。
灯りに照らされた横顔は、目の錯覚か、紅潮しているようにも見えた。
小松は俺の求めることを理解しているように、そっと肩を寄せた。
ふわりと、甘い匂いがして。
心臓が期待と緊張で高鳴っていた。
そして俺たちは、どちらからともなく、手を繋いだ。
それは指の間に指を入れ、絡ませるものだった。
彼女の指は当たり前に人の指だったが、自分のものより柔らかく、ひんやりとした心地良い感触がした。
「ここで私を選んで、皆に電話しろ」
耳元で声がした。
囁くような声音だった。
至近距離で初めて聞いた、耳から全身が痺れだすような彼女の声。
その意味。
俺が返答を発せないでいるうちに。
「なんて、出来ないよね。気持ちはわかるよ」
白魚のような手が離れようとして。
掴む。
「…………っ」
どちらからともなく伸ばされた手。
それはつまり、俺の方からも手を伸ばしたということであり。
俺は何も求めなかった、求めることを怖がっていたこの十年近い日々が終わったことを知った。