【7話】脱兎の如し
ノブナガとミツヒデは、ウサギ耳の女がばら撒いていった薪を持ち街道を歩いていた。
「ノブナカさま、川が見えてきました」
ミツヒデは街道の先にある橋を指差す。
「とりあえず川へ降りて、腹を満たすとしよう」
ノブナガとミツヒデが橋の横から川へ降りると、先程のウサギ耳の女が川に口をつけて、んくっんくっと夢中で水を飲んでいた。
「んはーー!! うんめぇ! やはりヒトの町で飲む川の水は最高だな!」
川から顔を上げたウサギ耳の女は幸せそうな顔で、川の水の味に浸っていた。
「それにしても、あのヒト種族はなんだったんだろ? 耳が見えているあたしに、ヒトが声を掛けてくるなんて… しかも薪を拾ってくれるなんて…」
ウサギ耳の女は「うーむ…」と悩みながら、また川の水を飲む。
「んはぁ、やっぱうめぇ! 村の川の水より甘い気がするぅ」
ウサギ耳の女は両手を頬を抑えながら、クネクネしていた。
「うーむ、そんなに美味いか? ワシにはただの川の水に感じるんじゃが…」
ウサギ耳の女の隣でノブナガとミツヒデは川の水を飲んでいた。
「左様ですな。わたしにもそこまで美味いとは思えませんが…」
ミツヒデも感想を言うと
「分かってないなぁ。 ヒトの町で、しかも橋の下で隠れて飲む。この背徳感が川の水の味を甘くしてるんじゃないかぁ」
ウサギ耳の女はそう言いながら、また夢中で水を飲み出した。
「そんなものかのぉ?」
ノブナガとミツヒデも水を飲み始める。
「そういや、あのヒト種族の子供… 腰に剣みたいのを下げていた… そうか!あの子供は新しい剣を買って貰ったから、あたしを試し斬りしようとしていたのね! ひぃぃ! 恐ろしい! とにかくあのヒト種族に会わないように注意しなきゃ!」
「ん? ワシはそんな事はせんぞ?」
「いやいや、あの残忍な目を見た? アレは何人も獣人達を殺してきた目だ………わ?」
ウサギ耳の女はノブナガの方を見て、自分が誰かと会話している事にようやく気が付いた。
「確かにワシは何人も殺したが… そんなに残忍な目はしてないと思うのじゃが… のう? ミツヒデ?」
「左様でございますね。 ノブナガさまはどちらかと言うと、死んだ魚の目をしていると思います」
「そうそう、どちらかと言うと…… おい、ミツヒデ…」
ノブナガから殺気が溢れ出てくると
「にぎゃーーー!! ヒ… ヒト様!!」
ウサギ耳の女は腰を抜かしながらも、ズザザザザと後ろへ下がりノブナガ達との距離をとった。ウサギ耳の女は自分の頭を触り布を被っているか確認するが、被っているはずの布はノブナガの足元に落ちていた。
「も!! 申し訳ありません!! また、ヒト様のお目を汚してしまいました!! ど、どうかお赦しを!」
と叫ぶやいなや、また走って逃げ出した。
「あ、まて!」
ノブナガが叫ぶが、ウサギ耳の女はものすごい勢いで逃げていく。
「ちっ、ミツヒデ。捕らえよ」
「はっ」
ミツヒデはぐっと腰を落とすと大地を蹴り飛び出し、風のような速さであっという間にウサギ耳の女に追いつき捕らえてしまった。
「…?」
ミツヒデは自分の速さに理解が出来ずにいたが、ノブナガの命が優先と考え、ウサギ耳の女をノブナガの下に連れて行った。
「ひぃ! お願いです!命だけは! あたしで試し斬りはやめて下さい! お願いします!!」
ウサギ耳の女は鼻水も垂らしながら号泣して、命乞いをしていた。
「だから、ワシはお主を殺さんと言っておろうが…」
ノブナガが宥めるように話しかけるが
「ひぃぃ! 命だけは! お願いします!命だけは!」
ウサギ耳の女は必死に命乞いをしている。
「ええい!うるさい!! 殺さぬと申しておろうが! 殺すぞ!」
「ノブナガさま… 言ってる事が無茶苦茶です…」
ミツヒデは、ボソッとツッコミを入れていた。
「ひぃぃ! こ… 殺さないで… え? 殺さない?」
ウサギ耳の女がようやくノブナガの顔を見る。
「はぁ、ワシは初めから殺さぬと申しておる」
ノブナガが溜め息をつきながら、ようやく大人しくなったウサギ耳の女と目線を合わせると
「ホントに、お主は逃げ足が速い。『脱兎の如し』とは正にお主の事じゃな」
ノブナガは、ははははと笑いながらウサギ耳の女の頭をポンポンと叩く。
「ワシらはこの世界… いや、この国に着いたばかりなのじゃ。だから、この国の事がわからん。 お主、ワシらに教えてくれんか?」
ノブナガが微笑むと、安心したのかウサギ耳の女は腰を抜かし泣き出してしまった。
しばらく泣いたウサギ耳の女は、ヒック、ヒックとひきつりながらも落ち着きを取り戻してきた。
ノブナガはウサギ耳の女の横に座り、穏やかな声で話しかけた。
「お主、名はなんという?」
「あ… あたしはティア。月女族のティア・ウル・ステラリアです」
「ティアか、良い名じゃ。ワシはノブナガ、そこのはミツヒデじゃ。 ティアよ、まずはコレをお主に返さねばならぬ」
ノブナガが持って来た薪をティアに渡すと
「え? どうしてコレを?」
ティアはキョトンとしてノブナガを見ていた。
「む? コレはお主が売っている物であろう? 商品が無くなれば困るじゃろう?」
ノブナガは『何を当たり前な事を?』という顔でティアを見返す。
「あ、いえ。 なぜヒト様がこの様な事を…」
「商売人は商売してこそじゃ。 商売人が集まれば、それを買う者も集まる。 民が集まれば町は賑やかになる。 町が賑やかになれば自ずと民は元気になるものじゃ。 ワシはそんな民を見るのが好きなのじゃ。 お主もその民のひとり。なれば、民が困っているなら助けるものじゃろ」
「……そ、そんな… ヒト様… あたしは初めて見ました…」
ティアはまるで幻でも見ているかのようにノブナガを見ている。
「ティア殿。ノブナガさまはそういうお方なのですよ。 心から民を思い、民の為に動き、民の為に怒る。 だから、わたしは… いえ、秀吉殿も勝家殿、利家殿も、みながノブナガさまを慕い、ノブナガさまの為であれば命をも投げ出すのです」
ミツヒデは友の顔を思い出しながら、優しく微笑んでいた。
ティアがそんなミツヒデを呆けた顔で見ていると
『ぐぅぅぅぅぅ…』
ノブナガの腹が鳴いた。
「う… 腹が…減った…」
ノブナガは苦笑いを浮かべて、恥ずかしそうにミツヒデとティアを見ながらお腹を抑えていた。