【8話】ティアの気持ち
話しは少し戻る。
ハルマーと対峙したティアはニームの首に当てた刀を引き抜いた。
「ニームさま!!!」
ハルマーの叫びが教会内に響いた。
が、ニームの首からは血が噴き出ることはなかった。
「え?」
ニームはキョトンとしてティアを見上げた。
「ふぅ。 ごめんね。あたし、やっぱりできない」
ティアは苦笑いを浮かべていた。
「どうして?」
ニームは小さな声で尋ねた。
「あたしね、本当はだれも殺したくない。 みんな、ヒトも獣人も亜人も… みんなで楽しく暮らしたい」
ティアは刀を鞘に戻し、優しく笑っていた。
ニームもハルマーも黙ってティアの言葉を待っていた。
「あたしね、小さい頃、どうして獣人なんかに生まれてしまったんだ…って、いつも泣いていたの」
ティアはニームをハルマーの元へ押し出すと、床にペタンと座った。
「あたし達は最近までヒトに怯えて生きていたの。 あたしはそれがどうしても納得できなかった。どうしてヒトはわたし達を見ただけでイヤな顔をするんだろう? どうしてあたし達は魚も食べちゃダメなんだろう? どうして何もしていないのにあたし達は殺されるのだろう? それでも生きようとするあたし自身にも嫌気がさしていたの」
ティアは寂しそうに話し始めた。
「ねぇ、姫さま。あたし達って、そんなに憎い?」
ティアの質問にニームは少し驚き、少し戸惑い… 首を横に振った。
「そう。ありがとう。 あたしね、小さい頃、この耳を切ろうとしたことがあるの」
ティアの告白にニームは驚き、言葉が出なかった。
「もしかしたら、この耳がなければあたしもヒトとして生きられるかも?ってね」
ティアは恥ずかしそうに笑い、言葉を続ける。
「でも、無理だった。あたしにそんな勇気はなかった…」
「あたしは獣人として生まれた自分の運命を憎んだ。神さまを呪った。 でも、ノブナガが現れてからわたし達の生活は… ううん、生きていく世界が変わった。ヒトも獣人もみんなが楽しそうに笑える世界になった」
ティアは嬉しそうに目を輝かせていた。が、すぐに曇ってしまった。
「でも、そのためにたくさんのヒトが犠牲になった。あたしは悩んだ。あたし達は『正しい』のか?って。答えは分からないけど… でも、これから生まれてくる子達が笑って暮らせる世界は、いまここにあるのだから、この世界を守らなきゃ…って思うようにしたの」
ティアは少しため息をついてニームを見つめた。
ニームは黙ってティアを見つめ返していた。
「あたしね、姫さまと話て思ったの。 あぁ、このヒトはあたしと同じだ。 あたしと同じように運命に縛られ、だれかに『正しい』を押し付けられているんだ…って」
ティアはそう言うとハルマーを睨むように見る。
「どうしてみんな自分の『正しい』を他人に押し付けるの? あなたも。ギルエも。ノブナガも…」
ハルマーは言葉が出なかった。
きっと今まで、それが『正しい』と信じてきたのだろう。
アクロチェア王国のためにできることは、ニーム姫を生かすことだと信じていたのだろう。
信じ過ぎて、それ以上は考えることができなかったのだろう。
ただ、ハルマーはティアをニームを交互に見るしかできなかった。
そんなハルマーを見て、ティアは小さくため息をついてから「さぁ」と言って立ち上がった。
「姫さま、ハルマーさん。貴方達には選択肢があるわ。 ひとつはノブナガの下へくだる。あたしも貴方達の命を助けるようノブナガにお願いするけど… 保障は無いわ。 ふたつめに、とにかく逃げる。でも、いつかは見つかり殺されるかもしれない。 みっつめはここで死ぬ。とは言っても、『姫』として死んで、これからは『普通の女の子』としてどこかで暮らす」
ティアは指をひとつ、ふたつ、みっつと立てながら説明した。
「普通の女の子として? そんな事できるの?」
ニームが疑問を投げかけると、ティアは腰にぶら下げた小さな袋から赤い実を取り出した。
「それは?」
「ソテの実よ」
ティアの回答にニームとハルマーは驚きを隠せなかった。
いくら王族で庶民の生活… 特に獣人の生活に縁がないとはいえ、『ソテの実』が猛毒であることは常識として知っている。
そんな猛毒の『ソテ実』を見せられたということは、自分たちは毒殺されるのか?
と警戒するのはあたりまえだろう。
「そんなに警戒しなくても大丈夫よ。ソテの実は猛毒の木の実だけど、1つだけなら仮死状態になるだけでしばらくすると目が覚めるわ。試しにあたしが少しだけ齧って見せるね」
そう言うとティアはソテの実を前歯で少しだけ削るように齧った。
しばらくするとティアは眠るように倒れ、呼吸も止まってしまった。
「え? ティアさん?大丈夫?」
ニームは心配になりティアを揺するが全く反応はなく、本当に死んでしまったように見えた。
ニームは青褪め、ハルマーと目を合わせながら、しばらくティアの様子を見ていた。
するとティアが小さく呼吸をしはじめた。それと同時にティアの頬に赤みがさしゆっくりと目を開け、
まるでいつもの朝の目覚めのように起き上がった。
「ね? 大丈夫でしょ?」
「…そうね。でも、本当に心配したわ」
ニームは少し怒ったように答える。
「あら。ごめんなさい。ニームさんに信じて欲しかっただけなのよ」
ティアは苦笑いを浮かべながら謝った。
「ううん。わかってます… それで、わたし達がそれを食べて死んだふりをすればいいってことね」
「そう。でも、ギルエだけはダメ。ノブナガはなぜかギルエを気に入ってるの。だから、ギルエが生きるにはノブナガに従うしかないわ。ソテの実で仮死状態になって見せても、ノブナガはギルエの首を取るかもしれない…」
ティアの説明にニームが青褪める。
「ノブナガは死者の首でも斬るのですか?」
ハルマーが少し震える声で尋ねた。
「んー。 あの子の故郷では、とても強い人を供養するために首を斬る風習があるそうよ。だから、仮死状態のギルエをノブナガに見せると、供養すると言って首を斬るかもしれないの…」
「そうなんですか… 少し変わっているというか、なんというか…」
ハルマーは『野蛮』と言いたかったのだろうが、ティアがノブナガの家臣であるため言葉困ってしまっていた。
「まぁ、とりあえず試しにソテの実を少し齧ってみてくれる? ソテの実の効果を確認できたらノブナガに二人が死んだを思わせる作戦を考えましょう」
ティアは優しく微笑むと、小袋からソテの実をふたつ取り出しニームとハルマーに手渡した。
「そうね。ギルエは夕方ころに帰ってくると思う」
ニームの言葉にハルマーも頷き同意していた。
「そう。わかったわ。もし、ギルエが早く帰ってきたら、あたしから説明しておくね」
「はい。お願いします」
そう言うと、ニームとハルマーはソテの実を前歯で少しだけ削り飲み込んだ。
しばらくするとふたりは眠るように呼吸が止まる。
「少しだけ、おやすみなさい…」
ティアは仮死状態となったふたりに白いシーツを掛けて隠すと、祭壇に座りフードを目深に被った。
「ふぅ。 やっとあたしも終われるかな…」
目深に被ったフードの奥で、ティアは寂しそうに微笑んでいた。
ティアの耳には町から帰ってくるギルエの足音と、森の中を歩く複数の足音が聞こえていたのだった。