【6話】溢れる感情
町からの帰り道。
ギルエはバックパックに日用品を詰め込み、手には小さな紙袋を持っていた。
「ニームさま、お喜びになってくれるでしょうか?」
ギルエは目尻を下げながら小さな紙袋を大切そうに持っていた。
紙袋の中には星の形をした小さなお菓子が入っていた。
「最近はなかなか手に入らないですからねぇ。 最後のひとつを買えたのは幸運でした」
星の形をしたお菓子「メルギドの星」は見た目の可愛さと、口に入れた時の華やかさ、そしてふわっと甘さが口いっぱいに広がる、今、大人気のお菓子なのだ。
ノブナガが推し進めた楽市楽座によりだれでもどこでも商売ができるようになり、人々は「メルギドのカケラ」を思い思いにアレンジして「メルギドの星」として売り出したのだ。
それにより「メルギドの星」は、いつも品切れになるほどの大人気なお菓子となっていたのだった。
早くニームの喜ぶ顔が見たいギルエの足は自然と早くなり、いつもよりも早めに教会へ帰ってきた。
「…?」
ギルエはなんとなくいつもと雰囲気が違う教会に違和感を覚えた。
それと同時に胸の奥底を締め付けるような不安感を感じる。
「ハルマー? ただいま戻りましたよ」
ギルエは不安感を紛らわすように声を出しながら教会に近づくが、なんの反応もなかった。
「ハルマー? ニームさま?」
ギルエはゆっくりと教会の扉を開いた。
「っ!!!」
扉の向こうには、いつもニームが祈りを捧げるロアの像と、その前に小さなテーブルがあった。
いつもならテーブルには燭台があり、数本のロウソクの火が揺らめいている。
だが、今日は違った。
「遅かったわね」
テーブルには燭台の代わりに黒いフードを目深に被った女が座っていた。
女が座っているテーブルの前には白い布が2つあった。
ひとつは大人くらい、もうひとつは子供くらいの大きさの『何か』の上に掛けられている。
「…誰だ」
ギルエは静かに低い声で、女を威嚇するように尋ねた。
「あたし?」
女はニヤリと笑うとフードを外した。フードの下から長いうさぎの耳と美しい金色の髪が現れた。
「お前は!!」
「あたしのことは知ってるよね?」
「…ティア。 ティア・ウル・ステラリア」
「そう。正解よ」
ティアはまるで悪女を演じているかのように笑い、拍手でギルエに答えた。
「なぜここにいる? ニームさまは? ハルマーはどうした? まさか…」
ギルエはティアの前にある白い布を睨みギリっと歯を食いしばると、手に持っていた小さな紙袋を落とし、代わりに腰に携えた2本のショートソードに手をかけた。
あの時、ギルエは神から授かったと言われる双剣を自宅に置き、王の謁見に向かったのだ。
そして、そのまま投獄されあの日を迎えていたのだった。
「ねぇ、ギルエ。 ひとつ聞いてもいいかしら?」
「なんだ?」
ギルエはティアの言葉に警戒しながら、辺りの状況を確認していた。
「あなたは、姫さまを連れてどうしたいの?」
「ニームさまは王族の最後のお方だ。 アクロチェア王国復興のためにニームさまは必要なお方なのだ」
「アクロチェア王国の復興?」
「あぁ、そうだ! ここはアクロチェア王国。そしてこの土地に住むのはアクロチェア王国民だ」
「そう。そして、また貴方達は、あたし達、獣人を虐げるのね」
ティアは鋭く、怒りに満ちた目でギルエを睨む。
「違う! 以前のアクロチェア王国は間違っていた。この土地に住むヒトも獣人も亜人も、みながアクロチェア王国民だ! ニームさまが治めるアクロチェア王国では、種族に関係なくすべての人間が幸せに暮らせるだろう」
ギルエは語気を強めてティアに反論する。
「ふーん… ねぇ、それって大和の国と何が違うの? ノブナガが治めている大和の国じゃ、ヒトや獣人、亜人… それに魔物だって一緒に楽しく暮らしているわ」
「そ… それは…」
ギルエは言葉に詰まってしまった。
確かに、ギルエはメルギドの町を見て、ノブナガと話をしたから以前のアクロチェア王国が間違っていると気が付いたのだ。
つまり、ギルエの思い描く理想は、すでにノブナガが築き上げていたのだ。
「ねぇ?ギルエ。 あなた、姫さまの本当の気持ち、知ってたの?」
ティアの思いがけない質問にギルエは驚いた顔でティアを見つめるしかできなかった。
「あたしね、姫さまを殺しに来たの。 その時、姫さまと少しおしゃべりしたわ。姫さまは本当はあの時、家族と一緒に死にたかったそうよ。だから、あたしの姿を見た時、姫さまはホッとした顔をしていた。そして、あたしに『辛い役目をさせてごめんなさい』って言ってくれた」
ティアの言葉にギルエは何も言えず、ショートソードにかけていた手の力が抜けていった。
「ねぇ、ギルエ。どうしてあんな少女をあそこまで追い詰めたの? あなたにはアクロチェア王国を復興させるプランがあったの? 本当にそれができると思っていたの?」
ティアには許せなかったのだろう。
たまたま『姫』として生まれてきただけの少女を、ギルエの『理想』と言う名の『エゴ』に巻き込んでいることを。
もう無くなってしまった王国の『王族』という呪縛から逃れられない少女の運命を。
怒りが込み上げてきたティアは、静かだが強い口調でギルエを問い詰めていた。
「い… 今はまだ… だが!必ずアクロチェア王国を復興できるチャンスが来るはず! それまでニームさまにはご苦労をおかけすることにはなるが…」
ギルエの言葉にティアが叫んだ。
「ふざけないで! それはあなたの『正しい』でしょ? 姫さまにとっての『正しい』ではないわ! どうしてみんな自分の『正しい』を押し付けるの? ノブナガもそう! あなたもそう! 自分の『正しい』と相手の『正しい』を話し合って、『みんなの正しい』を探そうとは思わないの? どうして… どうして、みんな自分の『正しい』ばかりを押し付けるのよ…」
ティアは大粒の涙を流しながら叫んでいた。
それは、あの戦いからティアの中で押し殺していた感情だったのだろう。
あの日のティアは『これが正しい』と信じて戦いに挑んでいた。
だが、結果はティアの思い描く『正しい』ではなかった。
多くのヒトが逃げ惑い、泣き、怒りに満ちた目で睨まれた。
(なぜ、こんなことに…)
あの時、ティアは何度も何度も後悔することしかできなかった。
その後、ノブナガに自分たちの『正しい』を守るために戦う必要があると聞いた。
ティアはその言葉を無理やり信じることで、何とか自我を取り戻すことができた。
それでも、夜眠るときはあの光景が瞼に浮かぶ。
あの時の泣き叫ぶ声が耳から離れない。
あの怒りに満ちた目が忘れられない。
(『正しい』を守るために戦うしかない… でも、本当に戦うしかないの?)
ティアはいつまでも自分に問い続けていたのだった。
そして、また目の前に自分の『正しい』を押し付けるギルエがいる。
ティアは自分の感情を抑え込めなくなってしまったのだった。
「姫さまの『正しい』は、『王国と共に王族は滅びる』だったわ。 だから、あたしは姫さまの『正しい』を尊重した」
ティアはそう言いながら、足元の白い布に視線を移した。
「っ! き… きさま…」
「ギルエ、あなたには三つの選択肢があるわ。一つはノブナガの家臣になること。二つ目はこのままひとり逃げる。でも、これはあまりお勧めできないわ。あなたは死ぬまで追われ続けることになるのだから。そして最後は、ここで死ぬこと。 ノブナガはあなたを気に入ってるみたいだから、あたしのお勧めはノブナガの家臣になることだけど… どうする?」
ティアはそう言うとテーブルから降り、腰の短刀に手をかけた。
「わたしの選択は、そのどれでもない。 お前を殺し姫の仇を… ノブナガを討つ!」
ギルエはショートソードを両手に持ち、ティアを睨みつけて叫んだ。