【5話】ニームの本音
「どうする?」
ティアは森の中でひとり悩んでいた。
この数日、ティアは月女族の能力である『聴力』を活かしギルエを監視していた。
月女族の聴力を使えば、森の中にいてもギルエ達の会話や生活音がはっきりと聞こえるのだ。
この力のおかげでティアは誰もに姿を見せずに偵察することが可能だった。
「この数日で分かったことは…」
ティアは自分の頭の中を整理するように声に出し、指を折りながら考えていた。
「ギルエの仲間は3人。たぶんまだ少女のニーム。 ギルエと同じ年くらいの男、ハルマー。 話し方から推測すると、たぶんニームが一番偉い。次にギルエで最後にハルマー」
ティアは折られた3つの指を見ながら考える。
(一番幼い少女が一番偉いってことは…)
「ギルエは定期的に近くの町に行っている。 たぶん食料や生活用品を買いに行ってるだろう。町に行くと半日くらいは帰ってこない」
「そして、ギルエ達はあの教会に隠れ住んでいる」
ティアが聞き耳を立てると、教会の中からニームの不満の声が聞こえてきた。
今日も、王都に帰らないのか? お気に入りのドレスを王宮に置いてきたなどと文句を言い、ハルマーが一生懸命なだめていた。
(あのハルマーって男も大変ね…)
ティアは思わず同情してしまう。
「どうすればいい?」
ティアは自問自答を始めた。
これはティアが偵察任務を始めてから身についた自分の頭の中を整理するため技のようなものだった。
あの少女はおそらく王家のヒト、もしくは血縁者であることはティアも確信していた。
≪ギルエはあの少女を連れて、何をするつもり?≫
「王家のヒトを連れて逃げるのよ? アクロチェア王国復興が目的でしょうね」
≪アクロチェア王国が復興したらどうなるの?≫
「あの頃に戻る… かも」
あの頃、ティアたち月女族はヒトに虐げられていた。
いつもお腹をキューキューいわせ、目の前の食べ物にも手を出せず…
いつ殺されるかと怯えながら、ヒトの目から逃げるように生きていた。
「『生きていた』って言えるのかな?」
ティアはキュッと目をつぶる。
「もう、あの子たちにあんな思いはさせたくない」
ティアのまぶたの裏にはパルやチカム、月女族の子供たちの笑顔が浮かんでいた。
「あの子たちだけじゃない。 誰もあんな思いはしてはいけないの…」
ティアはキッと空中を睨んだ。
≪じゃあ、どうするの?≫
「やるしかない」
≪あなたにできるの?≫
「できる、できないじゃない。 『やる』の」
一度目をつぶり、ゆっくりを目を開ける。
ティアは『覚悟を決めた目』で教会がある方向を睨んでいた。
(ギルエが町に行くのは明日。 ハルマーはどれだけ強いのか分からない。 だったら、ニームがひとりになる時間を狙うしかない)
ニームは毎日、ひとり教会で祈りを捧げていた。
その間、ハルマーは教会の外で警備をしているが、ひとりでの警備などいくらでもスキができる。
ティアはギルエが町へ出かけ、ニームがひとりで祈りを捧げる時間を狙うことに決めた。
(これしかない… これしかないのよ)
◇◇◇◇
【翌朝】
「それでは行ってまります」
ギルエはいつものようにバックパックを背負い町へ向かうため、教会のドアを開いた。
朝早いからか外はまだ靄がかかり、草木の朝露が朝日を反射していた。
「はい。道中お気をつけて」
ハルマーがギルエを見送る。
「ギルエ、お土産お願いね」
ニームは眠い目をこすりながらお土産を催促していた。
「承知しました」
ギルエはニコっと笑い答えると、教会を出て行った。
「それではニームさま、朝食の準備をしてまいります」
ハルマーはいつものようにニームの朝食を準備するため外へ出ていく。
ニームは「うん」とだけ答えると、またベッドの中に潜り込みふとんを頭まで被って二度寝しようとしていた。
しばらくすると卵が焼けるいいニオイがニームの鼻をくすぐる。
「…んん」
ニームはふとんの中でモゾモゾし、ニオイにつられるようにふとんから出てきた。
「ニームさま、起きましたか?」
ハルマーがいつものように声をかける。
「…おきてる」
ニームもいつものように答えていた。
ニームが着替えテーブルに着くと、質素だがおいしそうな朝食が並べられた。
ハルマーはニームの少しうしろで執事のように立っていた。
「美味しいわね」
「ありがとうございます」
ニームの言葉にハルマーは静かに答え、頭を下げていた。
ニームは食事が終わると、ゆっくりと立ち上がり祭壇の方へ歩き出した。
「それではニームさま、私は外にいますので何かあればお呼びください」
「わかった」
ニームの答えを聞き、ハルマーは静かに教会から出て行った。
「こんなだれも居ない場所で、『何か』って何があるっていうのよ」
ニームは小さな声でボヤく。
祭壇の前まで進むと、ニームは両膝をつき手を合わせて祈り始めた。
これがニームの日常。
誰も居ない村にひっそりと隠れ住み、何の楽しみもなくただ祈り、ただ生きている。
ただそれだけ。
『ただそれだけ』が、もう1年も続いていた。
「ロアさま。 今日も生きていられることを感謝します…」
ニームは目を閉じ祈る。
「…ですが、ロアさま。 わたしも少し疲れてきました」
ニームは少しため息をついて、祭壇を見上げた。
「わたしは分かっているのです。 アクロチェア王国は滅びました。わたしが帰る王都も王宮がもうない事も分かっています。わたしは『王族』。王国と共に死ぬべきだったのです…」
ニームの目から涙がひとつ零れた。
「ギルエもハルマーもわたしを守り、一緒に逃げてくれています。でも、それもいつかは限界がくるでしょう。あのふたりがわたしを見捨てるように『バカでわがままな姫』を演じているのに、なかなか見捨ててくれません。 かといって、わたしには自害する勇気もないのです…」
「…わたしが居なくなれば、あのふたりは自由に生きることもできるというのに」
ニームは、決して外には聞こえないよう小さな声でロアに話しかけていた。
「あなた、死にたかったの?」
突然、ニームに話しかける女の声がした。
「だれ!?」
驚いたニームが立ち上がり振り向くと、そこには黒いフードを目深に被った女が立っていた。
女は目にも止まらない速さでニームとの距離を詰め、ニームの口を塞いだ。
「声を出さないで。 もう一度聞くわ。あなた、死にたいの?」
「そうね、わたしは死にたいのかもしれない… ううん。少し違うかな? わたしは『生きていてはいけない』が正解かな?」
ニームの体は硬直し、少し震えていた。
「どうして?」
「わたしは王族。王国が滅んだのに、王族が生きているっておかしいでしょ?」
「そう。 わたしはティア。あなたを殺すためにきたわ」
ティアは静かに、そして冷酷に伝えた。
「わたしはニーム。たぶん、アクロチェア王国で最後の王族よ。…きっとね」
ニームはそう言うと、涙が溢れて止まらなくなってしまった。
「ごめんなさい。 涙が勝手に…」
「ううん。あたしこそごめんなさい。 ニームさんは悪くない。きっと王国では『正しい』だったんだと思う。でも、あたし達の『正しい』を守るために貴方達と戦わなければならなかったの」
「そうね。みんな自分が信じる『正しい』のために戦っているわ。そして、わたし達は負けた」
「ニームさん。本当は貴方を殺したくはない… でも、あたし達の『正しい』のためには、貴方に生きていてもらっては困るの…」
ティアはそう言いながら、腰に装備した短刀を抜いた。
「えぇ、分かっています。 これでやっと、お姉さまやお兄さまの元に行けるのですね…」
ニームは静かに首を上げ目を閉じ、涙を流しながら微笑んでいた。
「ごめんなさい」
ティアが短刀をニームの首に当てると、ニームの首から一筋の血が流れた。
しかし、ティアの手が震えて、それ以上動かなかった。
「ごめんね。ひと思いにしなきゃ、貴方を苦しめるだけなのに。 手が…」
ティアは手に力を入れるが、どうしてもニームの首を斬ることができずにいた。
「ティアさん、貴方はどうしてわたしを殺そうと思ったの?」
ニームが声をかけた。
「あたし達はずっと虐げられてきたの」
ティアは頭を振ってフードは外した。
「貴方… 獣人だったのね」
「あたし達は、いつもお腹をキューキューいわせていた。 目の前にある食べ物を食べることも許されず、いつヒトに殺されるかと怯えながら隠れて生きてきたの」
「…そうだったのね」
「あたし達は、やっとお腹いっぱいごはんを食べて、心の底から笑うことができるようになったの。でも、アクロチェア王国が復活したらあたし達はまたあの頃に戻ってしまう。だから、ニームさん。あなたを殺すと決めたの」
ティアの目から涙が溢れていた。
「ティアさん。わたしの方こそごめんなさい。貴方達にそんな思いをさせていたなんて…。 それに今も、貴方に辛い役をさせてしまっている」
ニームは優しい目でティアを見つめていた。
その時、教会の扉が開いた。
「ニームさま、そろそろお勉強の時間…」
ハルマーは持っていたいくつかの本を落として固まってしまった。
ティアはニームの背後に回り、ハルマーと対峙する。
「だれだ!! ニームさまから離れろ!!」
ハルマーが叫ぶ。
「くっ」
ティアはニームを人質にし、ハルマーから距離を取っていた。
「ハルマー!! 待ちなさい!」
その時、ニームが叫びハルマーを止めた。
「ニームさま!」
「ハルマー、止まりなさい。 わたしはこれ以上、生きていてはいけないのです。それはずっと分かっていたことなのです。 だから、ハルマー。 貴方はもう自由にしなさい」
「ニームさま! 何をおっしゃっているのですか! 貴方は最後の王族! アクロチェア王国に必要なお方なのですよ!」
「だからです!!」
ハルマーの言葉にニームがさらに大きな声で叫んだ。
ニームの叫び声にハルマーが固まった。
「わたしは最後の王族。 だから、生きていてはいけないのです。アクロチェア王国はもう滅びたのです。王国が滅んだのに王族が生きているっておかしいでしょ?」
ニームは悲しそうに微笑んでいた。
「そ… それは…」
ハルマーが言葉を詰まらせていると、ニームが話しかけた。
「だから… ハルマー、いままでありがとう。ギルエにも直接言いたかったけど… 仕方ないわね」
「ニームさま…」
「さぁ、ティアさん。お願い」
ニームは目をつぶり、首を上げた。
「…っ」
ティアは短刀を引き抜いた。