【56話】アネッサの想い
「それじゃ、そろそろわたしは次の準備をしてくるわね」
アネッサはおもむろに立ち上がると、ティアたちの頭を撫でてまわった。
昨夜、戦準備をしていたアネッサは後ろ髪を引かれる思いでカーテの倉庫を出た時の話しだ。
(今回の戦い、絶対に負けられない… 王都の人間がどうなろうとどうでもいいけど、それで月女族が心を痛めるなんて許せない…)
アネッサはこの先何が起こるのか分かっていた。
王都の人間は避難なんてしない。
むしろ王都より安全な場所なんてないと考えているでしょう。
それで月女族が火を放てば、たくさんの人間が焼け死ぬ事になるのは目に見えてる。
(優し過ぎるくらい優しい月女族が、それに耐えられるばすがない…)
アネッサは王都の人間を殺さずに王都を焼き払い、この戦いに勝利しなければならない… と、考えていたのだ。
(まずは墓地ね…)
アネッサの作戦は、王都の墓地から死体を集め大量のアンデットを召喚し王都の人間を救う… だった。
「墓地、墓地… んー、墓地はどこだろ?」
墓地は王都のメイン通りから外れ、少し寂れた場所にあるだろうと考えたアネッサは、暗くあまり人が立ち寄らない場所を目指して歩いていた。
「ん? アレは?」
少し寂れた路地に入ると、怪しげな店を発見した。
明らかに真っ当な商売はしていないだろうその店は、薄暗い入口に普通ならあまり関わりたくない人種が2人、まるで門番でもしているように立っていた。
「ふーん…」
アネッサは興味なさそうに店を見ていた。
が、ふと何かを閃いたように笑顔になる。
アネッサが何の躊躇いもなく店に近寄って行くと、門番のひとりが睨みながら声をかけてきた。
「おい、ガキ。 お前みたいなガキが来るような場所じゃねぇんだ。 消えな」
男は凄みながらアネッサを威嚇した。
「はぁ? 虫ケラにガキなんて言われる筋合いないんだげど? それより、店主を出しなさい」
「なんだと!?」
アネッサの態度にキレた男が、肩で風を切りながら近寄ってきた。
「もういっぺん言ってみろ?」
男はアネッサの顔に自分の顔を近づけて威嚇する。
「くさっ! 近寄らないで!」
アネッサは自分の鼻を摘んで顔を背けた。
ブチブチっ
男の血管が切れる音がしたような気がした。
「死にてぇらしいな!」
男は大声で叫ぶとアネッサに向かって、その屈強な拳を叩きつけようとした… が、その拳は振り抜かれる事なく止まってしまう。
アネッサの青い目が、妖しく赤く染まっていた。
それと同時に辺りの気温は下がり、路地裏だったその場所は古い墓地のような死の気配に満たされていた。
「ねぇ、店主を出しなさい?」
アネッサから放たれる『死』に怯えた男達は腰を抜かし、震える体を必死で押さえながら何度も何度も頷いてアネッサに従う意思を示していた。
「はやく!」
アネッサの言葉に弾かれるように男達は怪しい店に入り、小太りで小柄な男を1人連れてきた。
「な!なんだお前らは!放せ! 一体どれだけの金を払っていると思っているんだ! この役立たずが!」
小太りの男は叫びながら暴れるが、屈強な男2人に敵うはずもなくアネッサの前に連れて来られた。
「あなたがこの店の店主?」
「なんだ!貴様は!」
小太りの男は不機嫌に叫びながらアネッサを見た瞬間、息を飲んで固まってしまった。
「ねぇ、店主さん。このお店、何を売っているのかしら?」
アネッサは自然に話しているようだったが、その目には『感情』というものが全く無かった。
全てに興味を示さない…
目の前の『店主』の命さえどうでもいい。
アネッサはそんな目で店主を見ていた。
「ひっ! あの… その…」
店主は引き攣った顔でガタガタと震えながら答えようとするが、あまりの恐怖に言葉が出ない。
「早く答えなさい!」
アネッサの強い言葉に店主はビクッと反応し答えた。
「ど… 奴隷です。 獣人やエルフ、ドワーフなどを捕まえてきて売ってます!」
「ねぇ、店主さん。わたしにその奴隷を見せてくれない?」
「え? 奴隷をですか?」
店主はアネッサが奴隷を買いに来たお客様だったと理解した。
「も!もちろんでございます! ぜひ、ご覧ください!」
店主は手のひらを返すと、揉み手をしながら低い腰をさらに低くしてアネッサを店の中に案内した。
「さあ、どうぞどうぞ」
店の中にはたくさんの檻があり、大人から子供まで男女問わず獣人やエルフ、ドワーフが閉じ込められていた。
「ふーん。 店主さん、他にはこんな店はあるのかしら?」
相変わらず感情の無い目でアネッサは尋ねる。
「そうですねぇ。この王都にはあと3件奴隷商の店があったはずです」
「ふーん。店主さんはその店を知っているのかしら?」
「え? ええ、まあ。同業者ですから…」
「ねぇ、表の門番さん連れてきて」
「え? あ、はい。少々お待ちください」
店主はアネッサの意図が分からず、尋ねられるまま答え続けていた。
「お客様、お待たせしました」
店主は先ほどの門番の男2人を連れてくると、自分の少し後ろに並べて立たせた。
男たちは先ほどのアネッサの恐怖を思い出し、強張った表情で微動だにせず立っている。
「ありがと」
アネッサはそう言うと、門番の男たちに魔法を唱えた。
「デス」
その瞬間、門番の男たちは膝から崩れるように倒れ動かなくなってしまう。
「え?」
店主は倒れた男たちを見て、震える手で触れてみた。
「…死んでる? え? 死んでる!? えぇぇぇ!!?」
店主は腰を抜かし、アネッサから少しでも距離を取ろうと後退りしていた。
「ねぇ、店主さん。この子達いただいていくわ。あと、他の奴隷商の店にも案内しなさい」
アネッサから発する『死』の気配が店を充満し、店主だけでなく奴隷たちも青褪めた顔で震える体を自分で抱きしめていた。
「は… はい。 お願いですから命だけは…」
店主は震えながら土下座し、必死に命乞いをしていた。
「いいわよ」
アネッサは冷たく笑うと、檻の中の奴隷たちに向かって話し始めた。
「明日の夕方、この王都で大規模な火災が起こるわ。 あなたたちはそこで火災に巻き込まれた人々を助けるのよ。決して誰一人死なせてはいけない」
アネッサはそういうと檻の中の奴隷たちをくるりと見た。
「もし一人でも死者が出たら、あなたたちはこの男のようになるのよ」
アネッサは死亡した門番の男2人をゾンビに変えてしまった。
「ひぃぃ」
奴隷たちはゾンビとなった男たちを見て腰を抜かし、失禁してしまう。
「わかった?」
アネッサの言葉に、奴隷たちは必死にうなずき応えていた。
「店主さん、この子達を檻から出しなさい」
「は! はひ!」
店主は震える手で奴隷たちの檻のカギを開けた。
「それじゃ、次の奴隷商に行くわよ」
「わ… わたしもですか?」
店主が震える声で尋ねると、アネッサはまた感情のない目で店主を見下ろし
「当たり前じゃない。 早くしなさい。時間がないのよ」
と、店主を連れて店を出て行ってしまった。
残された奴隷たちはお互いに顔見合わせながら、悩んでいた。
「ど… どこで火災が起こるのだろう?」
奴隷たちは檻から這い出てきて、お互いの顔を見ながらこれからどう動くのか牽制しあっていた。
その時、ひとりのドワーフが宣言するように大声を出した。
「オレは逃げるぞ!ヒトを助ける?冗談じゃない! どうしてオレがヒトなんぞ助けにゃならんのだ!」
ドワーフの声に反応するように、獣人の男たちも
「そ… そうだ! オレも逃げる!」
と、叫び始める。
すると、その声に反応するように大男のゾンビがユラリと動いた。
「え?」
それは一瞬だった。
最初に叫んだドワーフの頭が吹き飛んだのだ。
ゾンビはいつの間にか鉄パイプのようなモノを持っており、その鉄パイプから血が滴り落ちていた。
「ひ! ひぃぃぃ!」
奴隷たちは腰を抜かし、必死でゾンビから距離を取ろうと後退りする。
が、すぐ後ろには壁があり距離が取れない。
「ま! まて! オレ達は逃げない! ヒトを助けに行く! だから、殺さないでくれ!」
逃げると叫んでいた獣人達が必死で命乞いすると、ゾンビ達は鉄パイプを降ろし店の入口に向かってゆっくりと歩き出した。
「…付いてこいって事か?」
奴隷たちは震える足を叩いて力を入れると、立ち上がりゾンビに付いて店を出て行った。
その後、王都にあった全ての奴隷商がアネッサに強襲され、全滅したのは夜明け前の事だった。
「獣人達はこれでよしっ。あとは死体ね」
「あ… あの、わたしはこれでお暇しても…?」
あまりの恐怖により、たった一晩で老け込んでしまった店主は涙目で訴えていた。
「は? まだよ。次は墓地に案内しなさい」
「ぼ… 墓地? ですか?」
「なに? まさか墓地がどこにあるか知らないとか言わないでよ?」
「いえ! もちろん知っております! ただ、なぜ墓地なのかな? って…」
「なに?」
「いえ! な! なにもごさいません!」
アネッサが不機嫌そうに答えると、店主は慌てて質問を取り消し墓地へ案内した。
店主に案内され王都の北部へ進むと、そこには大きな霊園があった。
「こちらでございます」
「ここかぁ。 ちょっと遠かったわねぇ」
アネッサが体を伸ばし軽くストレッチをしていると、店主が憐れみを乞うような目でアネッサを見ていた。
「なに?」
「あ、あの。 そろそろわたしは帰らせて頂いても?」
「ん? あー、そうね。 あなたにはもう用事はないわ」
アネッサの答えに店主がパァと顔を輝かせた時、アネッサが言葉を続けた。
「あとはゾンビになって役に立ちなさい」
「え?」
店主はしばらく呆気に取られていたが、すぐに言葉の意味を理解した。
「うぁ! うぁぁぁぁ!!」
店主は必死で逃げようと走り出したが、すぐに転んでしまい四つん這いで逃げ出した。
「デス」
アネッサが呪文を唱えると、店主はそのまま地面に伏せるように倒れてしまう。
「さぁ、あなたもヒトを助けるのよ」
アネッサが声をかけると、店主のゾンビはモソモソと立ち上がりティア達がいる方向へ向かって歩き始める。
「よし、さぁ! あなた達もわたしの役に立ちなさい!」
アネッサが霊園に向かって呪文を唱えると、すべての墓標の地面からゾンビやスケルトンが這い出てきた。
「これだけ居れば足りるかな?」
アネッサはご機嫌になると、オオカミゾンビを呼び出して背中にまたがる。
ゾンビたちはモソモソと動きだし、店主のゾンビと同様にティア達がいる方向へ向かって歩き出した。
「んー、こいつら遅いわね…」
アネッサはゾンビたちの背後に周り、追い立てるように早く進むよう促すがなかなかスピードは上がらない。
「イライラするわねぇ」
アネッサはとりあえず足が速そうなスケルトンだけを移動させる事にした。
ゾンビに比べるとスケルトンは足が速く、一般的なヒトが走る程度のスピードがあった。
アネッサが太陽の位置を見ると、すでに昼をまわっていた。奴隷商から獣人たちを確保したり、墓地が王都の北側にあったなどしたためかなり時間をくってしまっていたのだ。
「時間がないというのに…」
アネッサはイライラしながらも火災からヒトを救出するには人手がたくさんいると考えていたため、少しでも早くティア達の下に到着できるようスケルトン達を追い立て続けるしかできなかった。
(ティアさん、パルさん、チカムちゃん… 貴方達の炎では絶対に誰も死なせないからね…)
アネッサの目は元通り青く、慈愛に満ちた目になっていた。