【47話】ヴァナラ
安土城を出たギルエはメルギドの大通りを町の外へ向かって歩いていた。
当然、町に住むヒトや獣人、亜人、魔族たちはギルエを遠巻きに見るだけで近寄る事はない。
(とりあえず、隣町で旅支度をするしかないか…)
ギルエはメルギドで携行食や水などの購入を諦め、隣町まで歩いて行く事にした。
(しかし、隣町… たしかチトナプまで数日はかかる。 途中は草原だし… 困ったものだ…)
ギルエは仕方ないとは思う反面、飲まず食わずでチトナプまで行けるとは思えず頭を悩ましていた。
「ギルエたま…?」
その時、背後からか細い女性の声が聞こえた。
「ん?」
ギルエが振り向くと、そこにはネコ耳の少女が少し離れて立っていた。
「ギルエたま、町を出られるのでつか?」
ネコ耳の少女は少し俯き加減で話しかけてきた。
「君は?」
「わ… わたちはユナ…でつ…」
「ユナ殿。 私は王都へ帰らねばならないのだ…」
ギルエはユナを警戒させないように、穏やかに、そして距離を開けて答えた。
「あ… あの… コレを…」
ユナは皮袋を1つギルエに差し出した。
「コレは?」
ギルエはゆっくりと近づき皮袋を受け取ると、少し首を傾けて不思議そうにユナに尋ねた。
「あ… あの、イルージュたまがギルエたまにお渡ちちろと…」
ユナは皮袋をギルエに手渡すと、また距離を開けて答える。
「イルージュ…さま?」
「はい。 月女族の族長たまです。イルージュたまはギルエたまが町を出て行くなら、きっとお困りでしょう… って…」
ユナはか細い声で答えると、自分の服の裾をギュっと握って俯いていた。
ギルエが皮袋の中を確認すると保存食や水が詰め込まれていた。
「おお… これはありがたい。 しかし、イルージュさまとはお会いした事もないのだが…? それに私はこの町の者から見れば襲撃者でもあると言うのに… なぜ?」
「あの… イルージュたまは町の中で起きた事は、全てお分かりになるのでつ。 あと、イルージュたまは『ギルエたまがお帰りになるのをノブナガたまが認めたのなら、無事に王都へ帰って頂かなければならない』とも仰っておられまちた」
ユナの言葉にギルエは驚いていた。
(わたしはイルージュ殿を見たこともない。なのに、ノブナガ殿との会話まで知っているようだ… あの場の者が伝えた…としても、あまりにも早すぎる…)
ギルエはイルージュにある種の恐怖さえ感じていた。
だが…
「ユナ殿、ありがとう。 チトナプまでどうやって行こうかと困っていたところなのだ。 ありがたく戴くとしよう。イルージュさまへ感謝の意をお伝え下さい」
ギルエは優しい笑みを浮かべながらユナに頭を下げた。
「あ、いえ、あの、あと… コレも」
ユナは小さな丸い小袋を差し出した。
「コレは?」
ギルエはユナを見ていた。
「あ… あの、わたちの一族では、仲間が旅に出るときにコレを渡つのでつ。 無事に帰ってくるように…って」
ユナは小袋をギルエに押し付けるように手渡すと、またギルエとの距離を開けて話し出した。
「あ… あの。 次はお友達とちて、この町に来てくだたい」
ユナはそう言うとギルエの返事を聞くこともせず、逃げるようにその場を走り去ってしまった。
ギルエはユナの背中を見送ると、貰った小袋を握りしめ
「ありがとう… わたしも次は友としてこの町に来たいと思うよ…」
と、少し寂しそうに呟いてメルギドを出て行った。
メルギドを出発して約2ヶ月後、ギルエは無事、王都に到着し… 投獄されていた。
そこはかつてラーヴワスが投獄された地下牢だった。
ラーヴワスの時と違う点は、地下牢にはギルエしかおらず、たまに食事を持ってくる牢兵がやってくるだけ…
それだけだった。
(私は… いったいどこから間違ってしまったのだろう…)
ギルエは涙も枯れ、叫ぶ気力も無くし、ただぼんやりと何もない牢獄の壁を見つめているだけだった。
「ユナ殿… 私も友としてメルギドに行ってみたかったけど… どうやら無理みたいです」
ギルエはユナの小さな背中を思い出し、ひとり呟いていた。
ギルエが投獄される2ヶ月前。
メルギドを出たギルエはユナから受け取った皮袋を大切に担いで街道を歩き、先日、ノブナガ軍と戦った場所に差し掛かった。
(先日、ここでたくさんの人が死んだ… ヒトも獣人も… そして、メルギドで言う『魔族』も…)
ギルエは足を止め、しばらく戦いの跡をぼんやりと見ていた。
悲惨な場所にも関わらず、ギルエの頬を撫でる風は爽やかで心地いいものだった。
だから、余計にいろんな事を考えてしまった。
(私たちはメルギドの人々を助ける為にノブナガと戦った。 でも、あの町の人々はソレを望んでいたのだろうか? 獣人も亜人も、魔族でさえ楽しそうに笑っていた…)
あんなに忌み嫌っていた魔物なのに、人々と笑い合っている姿を見ると魔物すら同じ人間に見えてくるのが不思議なものだった。
ギルエは青く高い空を見上げた。
空は雲ひとつなく、遠くを鳥が飛んでいるのが見えるだけだった。
「私は… 王国は… 正しかったのだろうか…?」
ギルエの呟きは風にのって消えていった。
数日後、ギルエは無事にチトナプに到着していた。
まだ騎士の白い鎧を纏っていたギルエに、町の人々はどう声を掛けていいのかも分からず少し遠くから見ているだけだった。
(仕方ないか… 私は敗者… 今までと同じとはいかないよな…)
ギルエは寂しそうに自笑すると、チトナプにある騎士用の寄宿舎にやってきた。
王国騎士は各町を周り魔物退治や、盗賊の討伐などを行うため要所要所にこのような寄宿舎があるのだ。
以前、ヤールガとノブナガが共に王都へ移動する際に利用していたのもコレだ。
「ギルエさま、すぐに馬車の準備をしますので、しばらくお寛ぎください」
と、寄宿舎を管理する老齢の騎士(騎士を退役し、寄宿舎などて騎士達の世話をしている)が声をかけた。
だが、ギルエの家で語り継がれていた『物語』をただの『おとぎ話』と考えていたあの頃とは違うギルエは、王都までの道のりで自身を見直し、本来の王国の姿を… そして、将来の王国の姿を真剣に考えたいと思っていた。
「ありがとう。だが、私は自分の足で歩いて王都へ帰還するつもりだ。 すまないが、馬車の代わりに軽鎧を準備してくれないだろうか」
と、ギルエは断った。
この選択がギルエの人生を狂わせる結果となる。
もし、ギルエがこれまで通り『盲目的』に王国に従っていれば…
もし、ギルエがラーヴワスの言葉を信じなければ…
もし、ギルエがメルギドに行かなければ…
ギルエにとっては、今までの『何も知らない』という状況の方が幸せだったのかもしれない。
『知ってしまった』ことにより、ギルエは考え、見えなかったモノが見えるようになり、そして、感じるようになってしまった。
これが『不幸』とは言わないが、ギルエを苦しませる原因となったのは間違いないだろう。
ギルエはいつもの白い鎧を脱ぎ、革製の軽鎧に着替えていた。
普段、ギルエは戦争や大規模な魔物討伐作戦などでしか出撃しないため、王国民のほとんどはギルエの名前は知っていても顔は知らないのだ。
ギルエがいつもの白い鎧と双剣を装備していれば、誰もがロイヤルナイツのギルエだと分かるだろうが、革製の軽鎧を装備したギルエを『ギルエ』と認識できるのは一部の王国民と、王国騎士だけだった。
チトナプの寄宿舎を出たギルエは、人々から旅人か冒険者と認識されるようになり比較的自由に行動できるようになった。
(こんなに心が軽いのは久しぶりだ)
ギルエはロイヤルナイツとしての重圧から解放され、足取りも軽く旅を続けていた。
街道では、たくさんの荷物を載せた馬車を引くキャラバンとよくすれ違っていた。
商人達はたいてい4〜5人で行動し、中には冒険者の護衛をつけている者もいた。
町から町へと移動する商人だけでなく、旅人や冒険者は通常このようなグループを作って行動するのが普通だった。
なぜなら人数が少ないと盗賊や魔物に襲われるリスクが高く、夜営中の見張り役を多くする事で個々の負担を軽くできるからだ。
だからギルエのように1人で街道を歩いているような人物はよほどの自信家か、ただのバカとしか見られず目立ってしまうのだ。
そんなギルエに声をかけてくる商人がいた。
「にぃさん、1人で旅をしてるのか?」
ギルエが声がする方を見ると、身長は180cmほどあり、冒険者ほどではないが逞しい体付きをした男が馬車の御者台から話しかけてきていた。
男は商人らしく爽やかな短髪に浅黒い肌で髪は青く、目も青かった。
「オレはドナール。 仲間と旅をしている行商人だ。にぃさんは1人なのかい?」
ドナールと名乗る商人の後ろには、ドナールと同じく屈強な男が3人、馬車の御者台からギルエを見ていた。
「ええ、私は1人で旅をしています」
ギルエは丁寧に頭を下げて答えていた。
「そうかい。なら、よほど腕に自信があるんだな。 どこまで行くんだい?」
「私は王都まで行きます」
「王都か! オレたちも王都に帰るところなんだ。 よかったらオレたちと一緒に行かないか? にぃさんみたいに腕に自信があるやつと旅が出来ればオレたちも安心だしな」
ドナールは仲間達たち目配せしながらギルエを誘っていた。
「私は構いませんが… いいのですか? 私みたいな身元の分からない者がご一緒させて頂いても?」
ギルエは不思議そうにドナールに尋ねながら、ドナールの仲間たちの表情を見ていた。
「ああ、構わないさ。なぁ!お前たち!」
ドナールが仲間たちに声をかけると、仲間の男たちも笑顔で
「ああ、もちろんだ。 ただで護衛が付くなんて最高じゃねぇか!」
と、冗談っぽく答えながら笑っていた。
「おいおい、まだそこまでの交渉はしてないだろ? まぁ、そんなわけだ。 オレたちはタダで護衛が付く。にぃさんは旅の仲間が増えて楽しくなる。 な? お互いwin-winだろ?」
ドナールの爽やかな笑顔につられ、ギルエにも笑顔が溢れていた。
「わかった。 護衛は任せてくれ」
ギルエが手を出し、ドナールがその手を取り交渉は成立した。
「オレはドナール。 にぃさんは?」
「私は…… ヴァナラ。 よろしく頼む」
『ギルエ』と名乗るのを躊躇したギルエは、『ギルエ』の名を受け継ぐまで名乗っていた『本名:ヴァナラ』を名乗ることにした。
ギルエ改め『ヴァナラ』は、本当に、それは本当に楽しそうに笑っていた。