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悪魔の苗床  作者: 葛西渚
第一章 白川誠
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7

これが僕と詩葉さんの出会いだが、その部分については殆ど小夜には語らず、現在の関係に焦点を置いて話した。なぜなら、もし僕がピアノを弾けることを小夜が知ったりしたら、弾いてみろ弾いてみろと煩いだろうと思ったからだ。


しかし、小夜は僕が思った以上に真剣に耳を傾けた。途中で、笑ったりからかったりすることはなく、真剣に話を聞いてたのだ。話し終えても、何もコメントはなく、仕方なく僕はこう言ったのだった。


「そう言うわけで、僕は別の女性と関係を持つ気にはなれないんだ」


「一途なんだね」


「うん。そうだよ。詩葉さんは、それだけ魅力的な人なんだよ」


「へぇー、はっきり言うね。でも、届くことない気持ちだったら、どうするの?」


「それでも、良いんだよ」


「ふーん」と小夜はベッドの上で寝返りを打った。


背中を向けたので、僕の話にはもう興味がなくなったのかと思ったが、そうではなかった。


「一途に、ただ思い続けるのって、辛いよねぇ。だからさー、どこかで気を抜かないと、まこちゃん、いつか疲れてしまうと思うよ。気持ちも想いも、ぼろぼろになって、まこちゃんが今のまこちゃんではいられなくなるかもしれない。まぁ、要は擦れた人間になっちゃうかもしれないわけだよ。私としては、まこちゃんはいつまでも、可愛いまこちゃんのままでいて欲しいな」


「僕の想いが一生届かないことを前提に言っているよね?」


「あはははっ、そうだったね」と小夜はこちらに向き直った。


確かに手応えのない現状を鑑みると、その通りかもしれないが。小夜は僕をからかうように、いたずらな笑みを浮かべて続けた。


「でもさ、まこちゃん。一途な片思いって美談のようだけれど、叶わなかったら、それはただ呪いを生むだけなんだよ。私はまこちゃんに、そんな風にはなって欲しくないの。だからさ、恋愛なんてもっと不真面目に考えた方が良いんだよ。二兎を追う者は一兎をも得ず、じゃなくてさ、一兎も得られないのならもう二兎同時、くらいの気持ちでね。そうしないと、自分の心を守れなくなってしまう。ただ、痛みに耐えて、そのうち擦り切れて、気付けば廃人になって、他人どころか自分自身すら嫌いになってしまうかもしれないじゃん」


いつもはのんびり話す小夜だが、目が妖しく爛々と輝いているように見えた。こんな風に、小夜は本当に本物の悪魔のような表情を見せることがある。僕はそんな小夜の表情を見て、恐ろしい悪魔に地獄へと引っ張り込まれているような気さえした。さらに言えば、その言葉は僕が既に片足を突っ込み、これから進んでいく、泥沼のような未来を語っていた。不安に青くなる僕に、小夜は言う。


「まぁ、でもね、まこちゃんの想いは届くと思うよ。きっと、いつかね」


「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、全く信憑性がないと言うか……」


「なんでよー。それにね、もしフラれちゃったとしてもさ」


と言いながら小夜はベッドから降りて、僕に詰め寄る。狭い部屋なので一瞬で壁際まで追い詰められた僕は、蛇に巻き付かれるように、小夜の両腕に拘束された。


「もし、まこちゃんの心が傷付いたとしても、絶対に私が守ってあげるからね。まこちゃんは、私が助けてあげるから」


このとき、小夜に触れられても嫌な感じはしなかった。それどころか、僕は気持ちが落ち着き、安らぎを感じてさえいた。僕は自分が気付いていないだけで、常に極度の緊張状態なのかもしれない。


「……どうして、そこまで言ってくれるのか、僕には理解できないよ」


小夜は生きるためとはいえ、肉体関係を前提に、男女の絆を築いてきたに違いないだろう。そんな中、僕みたいな青臭く子供らしい……良い言葉で表現するならピュアな考えの人間は、面白く感じるのかもしれない。


また、魅了と言う悪魔としての能力が通じないと言うのも、物珍しいのだろう。だから、ちょっとした好感のようなものを抱いてくれているみたいだが、それにしては少し献身が過ぎるような気がした。


そんな疑問を抱く僕に対し、彼女は「ふふっ」といつものように笑った。


「だってさー、フラれちゃえば、私はまこちゃんのこと食べ放題なわけでしょー? まこちゃんが私のものになれば、いつもお腹いっぱいに違いないよ。今からでも楽しみだなー」


「そういうことか、この悪魔!」


一瞬とは言え、この女に安らぎのようなものを感じていた自分が馬鹿だった。


それから、小夜は約束したとおり、僕から栄養を摂取することはなかった。その代り「お腹空いたー」と、しつこく言われることが増え、肌から栄養を摂取しているらしく、べたべたとくっ付くことが多くなった。ただ、やはり空腹が満たされることはなく、次第に弱って行くようで、その姿は確かに同情を誘うものがあった。


「あのさ、小夜。そんな我慢するくらいなら、他の男を見つければいいじゃないか。小夜なら簡単に新しい保護者、というか餌を見つけるくらい、簡単なことじゃないのか」


「簡単だよー。私、可愛いからね」


「自分で言うなよ」


「えー、それならまこちゃん的には、私って可愛くないの?」


「え、あっ……えーと」


「あはははっ、無理しなくて良いよ。まこちゃんは可愛いねー」


笑顔を見せる小夜だが、ベッドに横たわり気怠そうにしている。


「まこちゃんが言うことは、尤もなんだけどさー。それって、そんな簡単なことじゃないんだよ。相性もあるしさ、私にも好みってものもあるし、人ってすぐ死んじゃったりするわけだし。それに……」


小夜は言葉を切って、僕の顔を見る。小夜が僕の顔を見て、何を窺っているのかは分からない。だが、その後見せた表情は、沈んだもので、諦観に近いものだということは分かった。


「まぁ、いいや。それはもう少しで理解してもらえるだろうし」


さらに、小夜は「まこちゃんほど体力有り余っている人も、その辺にいるわけじゃなしねー」と付け加えた。


そうは言っても同棲生活解消の約束をしてから、もう三日は経過していた。僕がある程度は融通を利かすと言ったものの、あとどれだけ小夜は期間を延期するつもりなのか。そろそろその辺りを指摘しなくては、と僕は考え始めていた。そんな中、ついに小夜が言っていた、僕たちが離れられない理由とやらの、片鱗らしき症状が現れたのだった。


ある日の朝、少し体がだるかった。額に手を置くと、やや熱を感じる。いつの間にか小夜に体力を奪われたのだろうか。しかし、小夜は相変わらず空腹を耐え続けているらしく、ぐったりとしているので違うらしい。それに、小夜から体力を奪われたときは、熱を持つと言うより、眩暈や貧血に似た症状があるため、やはり異なる何かだと判断するしかなかった。


普通に風邪を引いたのだろうか、と自分で解釈し、小夜を残して学校に行こうとすると、珍しく小夜が身を起こして、僕を引き止めた。


「ねぇ、まこちゃーん。連絡先、教えておいてよ。何かあったら、困っちゃうしさ」


「何かって? どこか出掛ける予定でもあるの?」


「私じゃなくて、まこちゃんが、だよ。まこちゃんが出掛け先で具合悪くなったりして、動けなくなったりしたらさ、私が助けに行こうと思っても、どこにいるのか分からなかったら困っちゃうじゃない」


「そうなったとしても、小夜みたいな常識知らずに助けを求めたりしないよ」


面倒くさそうに溜め息を吐いてみせたが、僕は念のため、とか言いながら自分の電話番号をメモし、公衆電話から連絡ができるように、小銭も置いてから家を出たのだった。


大学へ向かう。あの長い坂道を登る途中、体が変に熱かった。休んだ方が良かったのかもしれなし、これはただの体調不良ではない、と思わずにはいられなかった。


「あれ、白川くん」


しかし、僕が家に引き返す理由がなくなった。詩葉さんと偶然に出会ったのだ。


「なんか、顔赤くない? お酒でも飲んだ?」


「たぶん、ちょっと日に焼けただけですよ」


「冬なのに?」


「えーっと、はい」


「変なの」と微笑む詩葉さんに僕は癒される。


そして、彼女が機嫌が良いことに気付いた。表情を見れば、僕には分かる。滅多に見ることはできないが、いつもより浮かれているようなのだ。


「白川くんは、今日何時まで?」


「えーっと、最後の授業は四時に終わりますよ」


「あ、じゃあさー、そのあと時間空いてる? 私、その後、ちょっと用事があってさ。時間を持て余しちゃうんだよね。ちょっと、相手してくれると助かるな、って」


「もちろん。詩葉さんのためなら、何時間でも」


「いやいや、一時間くらいで良いんだよ。じゃあ、四時に連絡するね」


立ち去る詩葉さんの背中を見送りながら、彼女の用事について考えを巡らせた。しかし、そんなことを考えたところで、意味はない。それよりも、詩葉さんと時間を共にできることを喜ぼう、と無理に思考を捻じ曲げた。


詩葉さんと約束ができてしまったら、多少の具合悪さで、家に帰るわけにはいかないのだが、授業を受けている最中も、やはり自分の中に籠る熱を感じずにはいられなかった。


僕は時間が経つにつれて、熱が上がっていく。一つ授業を終えて医務室で熱を測ると、体温は三十八度を超えていた。これは家で休んだ方が良いだろう。しかし、そういうわけにもいかず、どうしたものか、と考えていると、僕の携帯電話に公衆電話から連絡があった。


小夜に違いない。これは、もう直感ってほどのことでもなく、これまでの経緯を考えれば、当然思い当たることだった。


「まこちゃーん、そろそろ私は限界だよー。まこちゃんも、そろそろ限界なんじゃないかなー?」


「やっぱり、この熱は…小夜の仕業ってことか」


「私の仕業って言われるのは心外だけどさ、私が原因ってことは間違いないよ」


「いつ、何をしたのさ、これ。熱がどんどん上がっているみたいだけど」


「いつ何をしたのか、って言うと、初めてキスしたときに、色々とだね。まこちゃんのことだから、もう少し粘るのだろうけどさ、変に意地を張ってしまうと、命に関わるから気を付けてね」


「どういうこと?」


「早く帰ってきた方が身のためだよ、ってこと」


「そうは言っても、帰れないよ。僕にだって都合があるんだから」


「あ、そんなに頑なになるってことは…詩葉さんかな?」


「だ、だったら何なのさ」


「べっつにー。取り敢えず、まこちゃんの帰りが遅いと感じたら、また連絡するねー。早く帰るんだよ。あいらぶゆー」


電話が切れた。何のための電話だったのか、と言えば、警告だったのだろう。命に関わる、ということは、この熱はもっと上がる、ということなのだろうか。確かにこれはきついけど、別に動けないわけではないし、頭が働かないというわけでもない。だったら、詩葉さんとの時間を大切にしようではないか。そんなことを考える僕は、悪魔に憑り付かれているということが、どれだけ恐ろしいものなのか、まだまだ理解していなかったのである。


四時を過ぎ、詩葉さんと合流する。僕を見つけて、笑顔で手を振ってくる彼女を見たら、熱も大したことではないように感じられた。


「あのさ、白川くん。急で悪いけど、一緒に夕飯食べに行かない?」


「あれ、このあと用事があるって言ってませんでした?」


「うーん、そうだったんだけどねー」


詩葉さんは口元には笑みを浮かべえていたが、目はそうではなかった。誰かと約束があって、急にキャンセルされたのだろうか。


「僕は暇だから、全然いいですよ」


笑顔で答えたが、内心、自分は誰かの代わりか、と勘ぐってしまった。僕は何のためにこんなことをしているのだろう。何の得にもならないのに。熱が高いせいなのか、僕はそんな疑心暗鬼にかられ、気分が悪かった。


しかし、いざいつも通り詩葉さんと話していると、楽しくて、色々な考えは消え去ってしまった。一時間ほど大学内で談笑し、駅まで一緒に歩いて電車で移動した。傍から見れば、仲の良いカップルに見えるのではないか、なんてことを考えて浮かれてしまったが、そうしている間にも、僕の熱は上がり続けていた。


「そう言えばさ、白川くんこの前、悪魔について調べてたよね」


飲食店に入って、食事が運ばれてくる間に詩葉さんはそんなことを言った。


「はい。おかげさまでレポートは無事に提出しました」


と言いながら、詩葉さんに嘘を吐いたことに自己嫌悪を抱く。


「調べているときさ、何か運命を操るとか、人間の縁を悪い方に導く悪魔とか、そういうの、いなかった?」


「どうだったかな。うーん……」


思い出してみるが、心当たりはなかった。僕はあのとき、サキュバスの情報で頭がいっぱいだったし、他の性質を持った悪魔の情報については、自動的に排除していたのである。


「心当たりがないなら、良いんだけどさ」


「すみません、役に立たなくて。でも、どうして?」


「ううん。まぁ、なんか妄想なんだけどさ、何か上手く行かないことがあると、これは本来の自分じゃない、って現実逃避したくなることがあるじゃない? 自分の運命はもっと輝かしいはず、とまでは行かないにしても、もうちょっとマシなんじゃないか、って。そんなものは、情けなくて傲慢な考えでしかないのだけど、誰かが自分の運命を無理やり捻じ曲げているんじゃないかな、とか思って、少しだけ責任をどこかに押し付けようとするわけ」


詩葉さんが現状に対して不安を抱いていることは分かっていても、これだけはっきりと口に出すのは初めてで、少し新鮮に感じてしまった。


「分からなくもないですけど、何か上手く行ってないことでもあるんですか?」


僕は分かっていながら、そんなことを聞いた。


「そういうわけじゃないよ。いや、えっと…就活も勉強も上手く行っている、ってわけじゃないけど、そこまで思いつめているわけじゃない、と言うか」


詩葉さんは想像以上の動揺を見せた。それは珍しいことだったが、さらに暗い表情を見せて言った。


「ただ、運命って言葉が…怖くて」


これもかなり珍しいことである。この会話の向こうには、彼女にとってそれだけ大事な存在がいる、ということなのかもしれない。詩葉さんはこの話題を遠ざけるようにして、別の話を始めた。詩葉さんは喋り続けた。自分が楽しいと思ったこと、面白いと思ったこと、綺麗だと思ったこと。すぐ近くまで迫る、暗い何かから逃げるように、現実を否定するように、自分に優しい世界に関するだけのことを喋り続けるのだ。


もしかしたら、聞いた方が良いのだろうか、と一瞬思う。それで、闇の中へ落ちて行く彼女に、手を差し伸べることができるのかもしれない。そしたら、彼女は僕に…少しは興味を持ってくれるかもしれない。


「詩葉さん、あの」


そう言い掛けたとき、ちょうど食事が運ばれてきた。詩葉さんは笑顔で「美味しそう! 食べようよー」なんて言うものだから、僕は結局それを聞きそびれてしまった。


食事を終えた頃、僕は自分の汗が止まらないことに気付いた。何度、汗を拭っても、止めどなく溢れてくる。今、僕の体温は何度なのだろうか。インフルエンザで寝込んだときも、こんな体験があったので、もしかしたら熱は四十度を超えているのかもしれない。少しでも涼しいところに移動したかった。店の外であれば、この熱を少し下げられるかもしれない。詩葉さんは食べ終わっただろうか、と彼女の様子を盗み見た。


すると、彼女は僕の方ではなく、窓の外を見ていた。外の景色は別段変わったものはなく、ただ車や通行人が行き交うだけである。詩葉さんは、そんな景色をただ見つめていた。


「ピアノ…聴きたいな」と彼女は視線を窓の外へ向けたまま呟く。


どこか、ずっと遠くを見つめているようだった詩葉さんは、この世界に戻ってきたかのように、目の焦点が合うと、僕の方を見た。


「ねぇ、ダメかな? 私、白川くんのピアノを聴くと…心が落ち着くんだ」


「詩葉さんのためなら、いつだって弾きますよ」


そういって僕は笑顔を見せたが、正直なところ、ここから駅まで移動して、何駅か電車に乗って、さらに徒歩で詩葉さんの家まで移動…という道のりを考えると、今すぐにでも白旗を上げたい気分だった。でも、詩葉さんが望むのなら、根性を絞り出すしかない。


飲食店を出て、駅の方へと向かった。外が暗かったので、僕のこの異常な汗が詩葉さんに見られることはないだろう、と少しだけ安心する。しかし、駅までまだ距離があるというのに、さらなる異変があった。熱は上がる一方だったが、汗が全く出てこなくなったのだ。もしかしたら、体内の水分がすべて放出されてしまったのではないか、と思うほど少しも汗が出てこない。それに気付くと、視界が少し歪み始め、足も上手く動かないし、意識も朦朧としてきた。


もう駄目だ。一歩も動けない。僕は足を止めてしまった。嗚呼、何歩か先を歩くだろう詩葉さんに、何と言えばいいのだろうか。急に具合が悪くなったので、ピアノを弾けません。これ以上でも、これ以下でもないのだが、彼女ががっかりする顔を見たくなかった。


しかし、なぜか彼女もすぐ隣で停止していることに気付いた。彼女は携帯電話を見つめ、何やら黙り込んでいるのだ。


「あの……詩葉さん?」


「……ごめん、白川くん」


「え?」


「ちょっと用事ができたの。ごめんね。また今度、埋め合わせするから!」


詩葉さんは駅の方へと走り出してしまった。二人の時間は、まるで嘘だったように、僕は暗い道で一人になってしまった。そして、僕はその場に座り込む。


これで良かったような気もするし、最悪な気分のようでもあった。詩葉さんに情けない姿を見せずに済んだのは、良かったのだろう。しかし、詩葉さんにとって僕はそれだけの存在なのか、と考えると、やはり気持ちは最悪だ。


確かなことと言えば、詩葉さんと僕が向き合うとき、彼女の背後には常に誰かがいる、ということだ。そして、そいつは自分の気分次第で、詩葉さんを引っ張ったり突き放したりしている。そいつの意思一つで、詩葉さんの幸せも、僕の幸せも、簡単に壊されてしまう。だとしたら、小夜よりもよっぽど悪魔みたいな存在ではないか。


僕の体調とメンタルが、最悪の状態に陥ったとき…タイミングを見計らったかのように、僕の携帯電話に公衆電話から連絡が入った。公衆電話から連絡を寄こすのは、一人だけだ。あの、悪魔…千里眼でも持っているのだろうか、と思いながら、僕は電話に出た。


「もしもーし、まこちゃん。大丈夫? 普通の人なら死んでる頃だと思ったけど、生きているみたいだね。ほんと、まこちゃんって不思議だよねー」


「こ、これは……」


「まぁ、説明は後でするからさ、今どこにいるか教えてよ。助けに行くからさ」


「どうにか、できるわけ?」


「むしろ、私にしかどうにかできません」


「……」


「もしかして、まだデート中なのかなぁ」


僕の沈黙を小夜はそのように解釈したらしい。さらに、彼女は続ける。


「でも、命には代えられないからね。詩葉さんと一緒にいても、迎えに行っちゃうからね」


「……もう、詩葉さんは帰ったよ」


「え、そうなの? 今一人ってこと?」


「そうだよ」


「……今すぐ行くよ。場所、教えて」


小夜の声はいつになく真剣だった。彼女らしからぬ態度に気圧されるように、僕は素直に自分の居場所を伝えた。


僕が細かく道を説明するが、小夜は当然のように「それどこ?」と言う。家から徒歩で来れる距離だし、特に複雑でもない道のりなのに、だ。しかし、僕はもうまともに喋ることもできず、電話を耳に当てることもできなくなってしまった。


ただ、意識はあった。何とか深呼吸をしながら、この不調の波が過ぎ去るのを待とうとした。しかし、波が過ぎ去るような気配は一向にない。このまま、死ぬのかもしれない、と僕は思い始めるのだった。


「あらー、まこちゃん。本当に死にそうだね」


小夜が僕を見つけたのは、電話を切ってから、たぶん十分程度のことだった。具合が悪かったから、そう感じただけで、もしかしたらさらに早かったかもしれない。とにかく小夜は、僕の期待よりも早く、僕を見つけてくれたのだ。


「まこちゃん。意地張るからこうなるんだよ」


僕は説明を求めようとしたが、息が荒く、喋ることすらできない。


「それにしても、詩葉さんって人は酷い人だねー。こんな状態のまこちゃんを一人置いて帰っちゃうなんてさぁ。それとも、目の前にいる、まこちゃんが見えていないくらい、別の何かを見ているのかもしれないねぇ」


小夜は楽しそうに、そんなことを言う。僕は反論しようとするが、全くと言って良いほど、それは敵わなかった。僕の僅かな動きから、小夜は何かを察したらしく、大きく二回頷いた。


「大丈夫大丈夫。全部、私に任せてね」


朦朧とする意識の中、僕は小夜の肩を借りて歩くことになった。家の方へと向かっていることは理解できる。


意識は途切れ途切れだったが、次に僕が自分の状況を把握したとき、既に家のベッドで横になっていた。電気は消えているらしく、真っ暗ではあったが、僕に跨る小夜の姿が僅かに見えた。そして、彼女が服を脱ぎ、裸体を露わにすると、瞳が赤く輝いていることに気付いた。


嗚呼、悪魔が僕を食べようとしている。微かに、そんなことを考えた。


彼女がゆっくりと僕に接近し、密着した。気付けば僕も服を一枚も着ておらず、全身で小夜の冷えた体を感じた。燃えるように熱い僕の体には、彼女の低い体温がとても気持ちが良かった。


「いただきまーす」


小夜が僕の耳元でそう言った。それから、少しずつ意識は回復する。小夜が僕に触れれば触れるほど、熱は下がり、体が楽になった。でも、理性は完全に失われ、僕は妙な興奮状態に陥ってしまった。僕は一晩中、悪魔の餌として、貪られ続けたのであった。

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