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悪魔の苗床  作者: 葛西渚
第五章 白川誠 Ⅱ
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3

茉文ちゃんのお父さんを探して、二人で街中を徘徊する。僕たちは何度か幽霊人間に遭遇し、そこから逃げ出すということを繰り返した。なぜなら、僕たちは積極的に幽霊人間を探していたからだ。


茉文ちゃんが言うには、お父さんが車輪男の仕業で行方知れずになっているとしたら、憑り付かれていると考えられるらしい。つまり、車輪男がいるところに、彼女のお父さんがいるはずなのだ。車輪男の見た目は、幽霊人間によく似ているらしい。だから、幽霊人間を探して近付いて調べなければならないのだ。しかし、なかなか当たりに遭遇することはない。


かなり時間が経ってしまった。そろそろ夕方と言われる時間に迫りつつある。僕と茉文ちゃんは、少し心が折れて、途方に暮れてしまった。またも公園のベンチに座り、二人で休んでいると、茉文ちゃんが溜め息を吐いた。


「お父さん、どこに行っちゃったのかな」


「なかなか見付からないね」


茉文ちゃんは流石に疲労を感じているのか、遠い目で何もない空間を見つめているようだった。


「ちなみに、お母さんは? お父さんがいなくて、心配しているんじゃないかな」


「……離婚したの、二人は」


茉文ちゃんは僕から顔を背け、表情を見せなかったが、彼女の気持ちは少なからず理解できた。


「そうだったんだ。なら、父子家庭なのかな」


茉文ちゃんは首を横に振る。


「私はお母さんに引き取られたから。お父さんだけ、昔三人で暮らしていた家に、一人で住んでいるんだ」


「訪ねてきたら、お父さんがいなかったの?」


「そう」


だとしたら、どうして茉文ちゃんはお父さんが車輪男によって、行方が知れなくなった、と考えているのだろうか。


「ねぇ、白川くん」と彼女はこちらを見た。


表情には笑顔を浮かべているが、無理をしているのは明白だ。


「どうして、愛した合った人たちが、別れてしまうのかな」


そう言われると、難しい問題だった。僕は適当に答えることもできたのかもしれないが、それはそれで失礼だし、自分でも疑問に感じて、それらしい答えを考えてみる。そんな僕に、茉文ちゃんは疑問を重ねた。


「出会ったときは、運命を確信したように、相手のことを凄く好きになるんでしょう? だったら、どうして別れるほど、嫌いになってしまうのかな。他人のこと、凄い好きになったっていう気持ちが、嘘になってしまうのは、別に構わないのかしら。私は恋なんてしたことないから、良く知らないけど」


「うーん。僕もそういう経験がたくさんあるわけではないから、これだということは何も言えないけど」


「確かなことじゃなくて良いよ。白川くんの考えを教えてよ」


「恋をする相手と、生活を共にするために適切なパートナーというのは、必ずしもイコールではないのかもしれないね」


「どういうこと?」


「一緒に生活する…というよりも、誰かと長く一緒にいると言うことは、多くの価値観を共有したり、共感したりしないといけない。お互いを理解して、尊重して、許容しなければならない」


「相手のことが好きなら、それができるんじゃないの?」


「言葉にすると簡単なようだけれど、実際は簡単なことじゃないんだよ。人には許せる部分と、許せない部分があってさ、それを調節しながら他人と付き合わなくてはならないけど、僕たちは機械じゃない。その調節だって不安定だし、かなりムラがある。つまらないところで傷付いてしまったり、思わぬことで相手を傷付けてしまったりするんだ」


「我慢できないの?」


「できるよ、最初のうちはね。でも、積み重なるとかなり負担になる。だから、できるだけ、お互いに理解し合えて、尊重し合えて、許容し合える相手じゃないと駄目なわけだよね」


「それは分かるけど…事前にそれを見極めるって難しそう」


「そうなんだ。たぶんだけれど、恋っていうのは、人の慎重さなんて無視して、突然現れるものなんだと思う。だから、失敗することがある。人を好きになるって言うのは、他人と理解し合うための神経とは、全く別の場所にある神経なんだろうね」


「ふーん。それって、相手のことを理解していないのに、好きになっているってことだよね?どうして、よく分からない人に対して恋ができるの?」


「それにも、いくつかのパターンがあるとは思うけど…タイミングとか思い込みとか、そういうのもあるんじゃないかな」


「じゃあ、恋なんて幻みたいなものなのね」


「そうでもないよ。それは恐ろしいくらいに存在する」


僕は色々なことを思い出し、饒舌に喋っていた口が止まってしまった。黙り込んでしまった僕のことを茉文ちゃんはどう思ったのか、彼女の方から話題を変えた。


「お母さんはね、恋をしたからお父さんと別れたんだって。私は理解できなかった。普通なら家族を壊してしまうなんて、考えられないじゃない。学校の先生も、テレビでも、家族は大事だって話している。それなのに、そういう常識を簡単に壊してしまうんだよ。大人のくせに。私は一生それを理解できない、と思っていたけど、白川くんの話を聞いたら、少しだけ理解できたかも」


「恋って言葉は、とても素晴らしい響きであるようだけれど、本当は違うよね。凄く破滅的な現象だと、僕は思う」


「色々犠牲にしてしまうことなのね」


「そうだね」


茉文ちゃんが言った、犠牲という言葉を耳にして、僕はやはり父の言葉を思い出してしまう。もしかしたら、父もピアノのために恋を犠牲にしたのだろうか。




そんな会話をした後、また二人で街の徘徊を再開する。しかし、どれだけ歩き回っても、茉文ちゃんのお父さんは見つからなかった。見付からないかもしれない。そんなことを考えてしまった瞬間、茉文ちゃんが足を止めた。


「お父さん…もうこの街には、いないのかもしれない」


「どうして? もしかしたら、何事もなく、先に家に帰っているかもしれないよ?」


茉文ちゃんは赤く染まり始める空を見つめた。そこに、どういう感情があるのか分からないが、彼女は遠くにいる敵を睨み付けているようだった。


「本当はね」と彼女は言う。


彼女は強い意思がある目をしながら、何かを言い淀んでいた。だが、決意したのか、小さく息を吐いてから続ける。


「本当は、お父さんの家、もう誰もいなかった。誰も住んでいなかったの。たぶん、どこかに引っ越してしまったのよ。私と、お母さんのこと、忘れるために」


「そんなことは…」


そんなことはない、とは言えなかった。生活にこびりついた想い出を忘れるため、大きく環境を変えるのは、一つの手段だ。彼女の父親が、そうしないとも言い切れない。


「私、お父さんに謝るために来たんだ」


「何か悪いことをしてしまったの?」


「お父さんとお母さんが離婚する直前、私は自分のことを見てくれないお父さんが嫌いだった。仕事ばかりで帰ってこないし、帰ってきたらお母さんの機嫌が悪くなる。いない方が良いって、思ってしまったの」


女の子なら誰もが抱く、父親への感情なのかもしれない。それは一時的なものだったり、大人になっても続くものだったり、それはその親子関係によるのだろう。


「だから、私はお母さんの味方ばかりしてしまった。お父さんは、たぶん全部知っていたと思う。それなのに、私たちの生活を守るために、一生懸命に働いてくれた。そんなこと、全然分からなかったけど」


「大人になっても気付けない人だって、少なくないよ。僕だって、親に対して、ちゃんと感謝や尊敬しているのか、怪しいものだよ。……傍にいてくれた人にも、感謝を伝えられなかったくらいだし」


僕の言葉は途中で呟きになり、茉文ちゃんが聞き取れなかったらしく、首を傾げた。僕はそんな彼女に、気を取り直すような笑顔を見せる。


「でもさ、もしお父さんが引っ越してしまったのだとしても、見つけることはできるよ」


「……そうかな?」


「うん。人を探す手段って、たくさんあるよ。時間かけて正式な手順を踏めば、きっと見つかる。君にその気があれば、必ず見つけられるよ。だから、そのときにちゃんと謝って、仲直りすれば良い」


「私にできるかな?」


「お父さんが見つかるまで、僕が手伝うよ。そういう約束だったはずだよ」


それが嘘にならないことを僕は祈る。彼女の気持ちを楽にするための言葉ではなく、彼女の抱える問題が根本から解決するための言葉でありたかった。そのためにも、僕はこれからも生きなくてはならない。


「そっか…あのとき、白川くんを助けておいて良かった!」


そう言って彼女が見せた笑顔は本当に素敵なものだった。


そのとき、僕たちは確かに何らかの感情を共有していた。この時間がもう少し長かったら、僕たちの関係性は少し違ったのかもしれない。でも、そんなことは実現しない、もしもでしかない。そんな時間はすぐに失われてしまったのだから。


「白川くん。ゆっくり立って、こっちに」


茉文ちゃんは、突然顔を強張らせると、囁くように言った。僕の背後に何かが迫っている。それは視界に入らなくても、理解できた。悪意のある、複数の視線が集中していると、僕は確かに感じ取ったのである。


僕は彼女に言われた通り、なるべくゆっくり立ち上がる。音を立てないよう、茉文ちゃんの方に移動した。彼女は僕の背後に目を見張りつつ、後ろへ下がっていたが、青ざめた表情が危険を察知した。


「駄目、走って!」


茉文ちゃんはこちらに背を向け、走り出した。僕も全速力でそれを追う。恐怖のあまり、僕の足はもつれそうになる。大きな唸り声を聞いたとか、地鳴りのような足音が迫るのを聞いたわけでもない。ただ、圧倒的なプレッシャーがすぐ真後ろにあり、大きな危険が近付いてくるということが、本能的に理解できた。


「こっち!」


茉文ちゃんが急に方向転換して、角を曲がった。すると、集合住宅がいくつか並んだ場所に出た。茉文ちゃんが躊躇することなく、そのうちの一つに入り込み、僕もそれに倣った。二人で二階まで駆け上がり、息を凝らした。茉文ちゃんは二階から地上を見下ろし、様子を窺う。僕も相手がどんなやつなのか気になって、彼女の横から顔を出してみた。


そこにいたのは、数十人はいるだろう、幽霊人間だった。彼らは辺りを見回すと、僕たちが消えたと判断したのか、どこかへと去って行った。それを確認した茉文ちゃんは大きく息を吐いた。


「幽霊人間は、何物にもなれなかった人たちの残骸が形になったものらしいの。私と白川くんが楽しそうにしていたから、妬ましくて追いかけてきたのかもね」


僕が返事をせずにいると、異変を感じたのか、茉文ちゃんがこちらへ振り向いた。


「白川くん、聞いている? って、どうしたの?」


僕は階段に座り込み、体を壁に預けながら、荒い呼吸を繰り返していた。必死に走ったせいか、僕の体力が著しく低下したらしく、体中の毒が回ってしまったのかもしれない。意識が薄れて行く。僕は目を開けていられなかった。僕はそのまま、引きずり込まれるように、微睡に落ちて行った。

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