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悪魔の苗床  作者: 葛西渚
第四章 小夜
43/61

3-1

「石上先生、山菜…取ってきましたよー」


小夜は得意気に笑顔を見せると、縁側の上に背負った籠を下ろす。石上は中身がどれだけか確認した。大した量ではないが、今夜の二人分の食事に使うには十分と言える。


「ありがとうございます」と石上は微笑んだ。


小夜は頷いて、縁側に座る石上の横に腰を下ろした。ここからは深い森と山、そして夕日が落ちる様子が見える。二人でそれを眺めるのは、とても静かな時間だ。空の色が赤から紫に変わるまで、二人は黙って空の色だけを見つめていた。小夜はいつものように、服の下に隠れた首飾りがある辺りを、確かめるように手で触れている。そろそろ部屋に戻ろうと、石上が腰を上げようとしたとき、小夜が「先生」と口を開いた。


「どうしましたか?」


「私…先生のおかけげで、やっと心が安らいだ気がします」


「……長い旅だったのですね」


「はい。自分が生きるために精一杯で…たくさんの人を傷付け、殺しました。特に幕末は数えきれないほど。その逆に、痛めつけられて人を恨むこともありました」


石上は普通の人間であれば、驚き慄くような告白に対しても、平然とただ穏やかに、小夜の顔を見つめる。ただ、少し驚いたのは、今が大正と言われる時代であるにも関わらず、小夜が幕末と言われる時代から、ずっと若い女性の姿を保っていることだった。


小夜は着物の上から首飾りに触れつつ続けた。


「先生と出会って、初めて落ち着いた日々を過ごせています。時間もゆっくりで、不安も少ない。こんな日が、訪れるとは思わなかった。本当に先生のおかげです」


「いえ…私は、貴方に対して何もしてあげられていない。その体を……治してあげたいのですが」


「……治りますか?」


「私は、専門家ですよ。信じてください」


「……はい。信じます」と小夜は微笑んだ。


石上はこの笑顔に応えたい、と思った。彼女のためにも、自らの使命のためにも、呪われた体を癒す。その決意は強く、必ず実現してみせる、と誓った。しかし、既に彼は自身の限界を感じつつある。行先の見えない不安を隠すように、石上は小夜に笑顔を返した。



石上が行き倒れ寸前の小夜を拾ったのは、もう三カ月も前のことだった。彼女を拾ったとき、瀕死と言っても良いほどの怪我を負っていて、助けることは難しいと思われた。石上は自らの無力を呪った。自分は多くの人間を助けなければならない。石上の家に生まれた以上、多くの人を救わなくてはならないのだ。


それなのに、目の前にいる、たった一人の女すら救うこともできない。石上は絶望に膝を付き、今にもこと切れそうな小夜の手を取った。すると、女が目を開き、身を起こす。石上が驚きを顔に出すよりも先に、小夜は彼を引き寄せ、唇に自らの唇を押し付けてきた。


唐突の出来事に驚きが追いついた石上は、抵抗を見せようとした。しかし、力が入らない。いや、力が入らないのではなく、抜けて行く。まるで背中に穴が空いてしまい、精力を抜かれてしまったかのようだ。そのまま気を失い、目が覚めたのは次の日の朝だった。土の上で目を覚まさずにいられたのは、小夜がすぐ近くにある石上の家まで運んでくれたからである。小夜は一晩中、石上の傍から離れなかったらしい。小夜は、目を覚ました石上に「良かった、生きてた…」と呟いた。


まだ手足に力が入らなかったが、小夜の怪我のことを思い出し、すぐに傷を見てやらなければ、と思い当たった。遠慮する小夜を押し切り、傷を確認したが、昨日の大怪我を思わせるようなものは、何一つない。


「……お前、怪異か?」と石上は聞いた。


小夜がその意味を理解したのかは分からないが、彼女は曖昧な笑顔を見せて首を横に傾げた。


「無理に隠さなくて良い」


石上は彼女の警戒を解くために笑顔を浮かべたが、小夜は逆に顔を背けてしまう。


「私の家は、代々怪異と関わる仕事をしている。人間に悪戯をすれば退治するが、ただ人里に迷い込んだようなものなら、無事に帰れるよう、手伝うこともしてきた。だから、お前が困っているなら…助けたい」


石上の家は、古くから陰陽師と言われる職を続けていた。怪異、妖怪、あやかし等、呼び名は様々だが、そういった存在に関する事件を解決するのが、彼らの役目だった。しかし、時代が変わるにつれ、怪異は存在を薄めて行った。石上が親から仕事を継いだ時には、殆どそのような事件は起こらなかったのだ。


石上は自分が何のために生きているのか、分からなくなりつつあった。怪異と相対する家に生まれながら、その使命を一度も果たすことはなかったから。そのように、自分の価値に迷いが生まれたとき、彼は小夜と出会ったのである。だから、石上は小夜を救いたかった。


そんな石上の気持ちを信用してもらうために、一ヵ月を必要とした。役立ったのは、石上の両親や先祖が残した怪異に関する知識である。


「お前は夢魔という西洋の怪異だな」

「嫌かもしれないが、私から栄養を取りなさい」

「興奮すると目が赤くなるようだから人前では気を付けなさい」


彼女に理解を示し、便宜を図るように心がけると、次第に石上を信用するようになった。


「先生、私は…もともと人間だったんです」


それを告白した小夜は崩れるように膝を折り、石上にしがみついて泣き出した。


「殺したくもないのに、何人もの人を殺して。好きでもない人と…。もう、嫌なんです。人間に、戻りたい。戻りたいんです!」


それから、石上は怪異に変化してしまった人間を戻す研究を一心不乱に続けた。似たような事例がないか、石上家の先祖代々が残した記録を見直す。近い例は端から試した。祝詞を読んだり、秘薬を作ったり、と試行錯誤が繰り返されたが、小夜の体が戻ることはない。そのため、三カ月も経つと二人はただ同棲する、ただの男女に近かった。


彼は石上の家に生まれた使命を果たす機会を得たにも関わらず、何もできないことに失望しつつあったが…それはそれで良いのかもしれない、と考え始めていた。ただ、小夜を生かし、共に生きることができたなら…と考えるようになったのだ。


しかし、自分が死んだ後、小夜はどうするのだろうか。そう考えると、やはりどうにかしなければ、とは思うのだが…万策尽きた、というのが正直なところだった。

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