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悪魔の苗床  作者: 葛西渚
第二章 児玉拓也
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11

拓也は卒業が決まったものの、就職は決まらなかった。


卒業制作の音源をいくつかのレコード会社に送ってみたが、声がかかることはなかったし、音楽関連の会社にいくつか面接に行ってみたが、採用されることはなかった。もちろん、時間は待ってくれることはないので、就職先が決まる前に学校は卒業となった。学校で出会った友人の殆どは、音楽と殆ど関係のない企業に就職した。もしくは地元に戻って家業を継ぐことを選択したものもいる。彼らは口を揃えて言うのだった。


「努力しても、成功するとは限らない世界だ。好きってだけじゃ食べていけない。無難な生き方をした方が、賢いってものだ」


さらに、何人かの友人はこうも言った。


「お前は、諦めるなよ」


もちろん、そうはならない、と拓也は思った。平凡な職に就くつもりもないし、田舎でのんびりするつもりもない。自分には特別な才能があって、音楽で成功するのだ。そう言い聞かせたのである。そんなことを言い残した友人たちが、どれだけ無責任に言い放ったのかも考えずに。だから、拓也は教員に勧められる一般的な企業への就職を拒否した。


結果、今までの延長となり、先輩の手伝いをしながら、少しアルバイトの時間を増やすことになったのだ。それでも、路上に立つことはやめなかった。そのせいか、ギターの腕前はやや上達する。


「最近、ギター上達したんだって?」


先輩が拓也の音楽について、初めて声をかけてきたのであった。


「よければ、次のライブにサポートで出てみろよ。業界の人も見に来るから、パフォーマンス次第では、声がかかるってこともあるかもしれない」


拓也としては、断る理由のない提案である。二つ返事で参加を希望し、そこからは死に物狂いで練習をした。そのため、詩葉を構う時間も圧倒的に減ってしまった。二人が交際するようになってからも、詩葉は唐突に今から会いたいと言い出すことがあったのだが、それを断ることが増えてしまったのである。最初は不満を言うこともあった詩葉だったが、事情を話すと納得したらしく、特に何も言わなくなってしまった。


詩葉が突発的に夜を恐れる日があることは、気付いている。それは、ただ突発的な寂しさに襲われるものなのだろう、と拓也は解釈していた。そのため、一人にしてしまうことは、申し訳なかったが、何とか過ごしているようなので、相手をしてくれる友人でも見つけたのだろうか、と気楽に考えた。


しかし、詩葉は突然、引っ越した。しかも、防音完備の、深夜も演奏できるような、音大生が住むような部屋に。


「私の部屋でも、練習できるよ」


詩葉はそう言うが、拓也はその言葉が、なぜか信じられなかった。この女は、本当に自分の才能を認めているのだろうか。そんな風に疑ってしまう。何となく、詩葉は自分を囲いたいだけのような気がした。


詩葉に対する疑念が、強まるような出来事があった。天命を賭けたライブまで、残すところ数日、という日に詩葉と出かけた日のことだ。ライブの衣装を選ぶために、街に出た。


「今後を託す、大チャンスかもしれないから、良い衣装を選ばないとね」


詩葉も張り切り、拓也のためにいくつもの店を渡り歩いた。その店の一つに、拓也は大変興味を引かれるものを目にする。サングラスだった。顔の殆どを覆い隠すのではないか、というほどにレンズが大きい。そのせいか、迫力があると思えた。拓也は、これをかければ自分に箔が付くような気さえしたのだ。一目惚れで購入し、買い物を終えた。帰って、二人で戦利品を見直すことにした。


「どうだ、これ」と拓也は一目惚れをしたサングラスを詩葉に見せた。


「え? このサングラス?」


詩葉は首を傾げた。気のせいか、苦笑いを浮かべているようにも見える。


「どうだろう。ちょっと大き過ぎる気がするし、今の時代に合わないと言うか、野暮ったいかなぁ」


拓也はかなり気を落としたが、ただ「そうか」とだけ言って、サングラスを机の奥にしまい込んだ。


ライブは成功した。拓也も目立ったミスなく、役目を終える。しかし、彼のパフォーマンスに何らかの反響があったかと言えば、決してそうではなかった。先輩は「よくやった」と声をかけてくれたが、拓也にとっては何の価値もない言葉でしかない。流石の拓也もこれには意気消沈し、自分の未来について不安を抱くことになってしまった。


肩を落とす拓也の背中に手を置いて、詩葉はこう言った。


「大丈夫だよ、拓也。一回の失敗でそこまで落ち込むことはないよ。今まで通り頑張れば良いし、別に音楽の道に進むことだけが、拓也にとっての正解とは限らないんだから。他の道を考えてみても良いんじゃない?」


俺は音楽以外の道に進むつもりはない。そう怒鳴りそうになったが、ぐっと堪えた。詩葉に出会ってから、徐々に拓也は自信を失いつつある。この女に出会ってから、お前には才能がない、という誰かの声が、少しずつ大きくなっている気がしたのだ。その声は、詩葉に会う度に、詩葉と過ごす時間が長くなればなるほど、大きくなっていった。


彼の自尊心に亀裂が入る。今にも壊れてしまいそうな、そんな恐ろしさが、常に拓也に付き纏った。



小夜から連絡があったのは、そんな拓也の不安が絶頂にあった頃である。もう会うことはあるまいと覚悟を決めていたつもりだったが、今の拓也の弱った心からしてみると、小夜の優しさは妙に懐かしく感じてしまった。それだけではない。きっかけもきっかけであった。それは小夜からの一本の電話だったが、いつだかの夜と同じように、彼女ではない誰かの声がした。その瞬間、拓也は小夜の身に何かがあったのだと予想した。


「あの…貴方が児玉拓也さんですか?」


「……小夜に何かありましたか?」


拓也の予想は的中した。小夜はまた倒れてしまったそうだ。彼女も就職が上手く行かず、正社員になるために、バイトを掛け持ちしていたそうだ。その疲労が祟ってしまって倒れたそうだが、彼女は床に臥せながら、魘されるように何度も拓也の名を口にしたそうだ。それを見て不憫に思った友人が、勝手に小夜のスマホを拝借し、拓也に電話をかけた、という経緯だった。


ダメな女だ、と拓也は思った。何もできないくせに、変に人の手を借りようとせず、意地を張るから、きっと倒れるまで追い詰められてしまうのだ。だから、助けてやれるのは、自分しかない。


小夜の友人に病院の場所を聞いて、見舞いに訪れた。小夜はあのときと違って、既に目を覚ましていたが、やはり青白い顔をしていた。


「拓也…ごめんね、迷惑かけて」


「別に、迷惑なんて思ってない」


「でも、詩葉ちゃんは嫌がるでしょ」


それに対し、拓也は何も反応を見せなかったので、小夜の遠慮がちな笑顔は、不自然に消えてしまった。


「またやっちゃった。二度と同じ失敗はしないつもりだったんだけど」


「自分のキャパを考えろよ」


「本当、その通りだよね」


またも沈黙が流れる。前回はこのようなタイミングで小夜が涙を流したが、今回は少し違うようだった。深く溜め息を吐いた小夜は語る。


「私さ、お洋服のデザイナーさんになりたかったんだよね。最初は拓也を追いかけて東京に出たつもりだったんだけど、学校で色々勉強してたら、楽しくなっちゃって。頭悪いくせに夢なんか見ちゃったんだよね」


「夢を見ることは、悪いことじゃないだろ」


拓也はそう言ったが、それは小夜に対してかけた言葉であるつもりが、妙に自分の胸に響いた。そうだ、夢を見ることは悪くないはず。追いかけることだって、諦めないことだって、悪くないはずだ。


しかし、小夜は首を振ってそれを否定した。


「ダメなんだよ。拓也みたいに才能がある人には、分からないかもしれないけど、普通の人には、努力しても乗り越えられない壁があるんだよ。どんなに好きでも、どんなに打ち込んでも、越えられない壁。何もできない自分に…がっかりしちゃうの」


拓也は何も言葉にできなかった。ただ、その言葉を容易に受け入れられない自分が、意外に感じてしまった。


「でも、いいや。拓也の顔見たら、もうどうでも良くなっちゃった。だって、私の夢は叶わないけど、いつか拓也が自分の夢を叶える。それを見られたら、ちょっと誇らしい気持ちになる気がするから。私が一番好きな人は、凄いミュージシャンなんだぞって、少し胸を張れると思うんだよね。それだけでも、私には十分過ぎるよ。だから…」


小夜は真っ直ぐと拓也を見据える。


「だから、拓也は夢を叶えてね」


その言葉は、才能のない人間には、とても残酷なものだった。しかし、拓也はそうは思わない。ただ、己の未来を、宿命を、再確認するだけのことだった。

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