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悪魔の苗床  作者: 葛西渚
第二章 児玉拓也
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10

それから、二人の交際は順調に進み、拓也は本当に詩葉のことばかり考えた。すると、不思議なことに曲作りも順調に進み、自分が言った通り、今一番好きなものを考えながらギターを手にすれば、自然と曲が作られていく。ただ、詩葉に聴かせてみると、彼女は決まってこう言うのだった。


「私、あまり音楽を聴かないから、よく分からない。だけど、きっと良い曲だと思う」


拓也はその答えに満足できなかった。小夜なら、どんな平凡でつまらない曲でも、目を輝かせて絶賛し、拓也がどれだけ才能に満ちているか、ということを言葉にしてくれた。


「拓也。一つお願いがあるの」


珍しく詩葉がそんなことを言った。


「例の卒業制作で作る曲の歌詞なんだけど…私が書いても良い?」


「書けるのか?」


拓也は彼女を軽視する気持ちがあったわけではないが、鼻で笑ってしまった。詩葉が読書を好きだと言うことは知っているが、歌詞は作文とは違う。遊び半分で、できることではないのだ。しかし、詩葉の顔が真剣であることに気付く。


「書けるかどうか、分からないけど…やってみたい」


「分かった。曲に乗せられるよう、手直しをする必要があるかもしれないけど、詩葉に任せるよ」


「ありがとう」


拓也は子供にチャレンジの機会を与える大人のように、得意げな顔を見せたが、内心では非常に助かると思っていた。彼の作曲は非常に難航していたし、歌詞のことを考える精神的な余裕などなかった。制作発表の時間は迫っている。歌詞のベースになるものだけでもあれば、一気に完成へ近づくことだろう。それに、詩葉が躓いたときは、少しくらい良い顔ができるかもしれない、と自らの優越感が満たされるだろうという想像もあった。


しかし、実際のところ、詩葉はその状況を理解して申し出ていた。さらに、詩葉は歌詞を一週間足らずで完成させてしまった。手直しが必要かもしれない、と拓也は言ったが、実際のところは語尾を少し変える程度で、殆どは詩葉の作品と言えるものだった。


「初めてにしては、凄いよ。これなら、きっと上手く行く」と、プライドの高い拓也から、素直な言葉が出てしまうほどだった。


「本当?」


実際に、曲は殆ど完成した。後は製作発表までに、微調整をしながら練習をするだけである。詩葉も歌えば歌うほど、声の調子が上がっていく。


卒業製作のために、詩葉を学校に連れ、収録を終わらせた日のことだった。例の先輩がなぜか学校へ訪れ、偶然にも詩葉と一緒にいるときに遭遇した。


「あれ? 児玉の彼女?」


先輩は詩葉を下から上へとスキャニングでもするように視線を移動させる。


「はい。卒業制作を手伝ってもらっていて」


「へぇ、そうなんだ。丁度良いや。児玉、ちょっと来いよ」


拓也の卒業制作について、何かアドバイスをもらえるのだろうか、と思ったが、そうではなかった。先輩はミュージシャンとして、アルバムを一枚出すことが決まっていて、作成中の曲について意見を聞かせて欲しい、とのことだった。もちろん、先輩は拓也の意見を真剣に聞くつもりなんてない。拓也であれば、自分の自尊心を傷付けるような意見を言わない、と分かっているだけのことだった。


拓也は拓也で、先輩の曲を聞いたところで、何かを感じることがなかった。どれも同じように聞こえてしまったし、流行りの曲に寄せている気がして、嫌悪感すら覚えていた。


「児玉、どれが良かった?」


先輩に尋ねられ、どう答えるべきかと、拓也は口籠る。最終的には中でも万人受けしそうな曲を選び「これはプロの仕事だと思います」と言った。


「だろ?」


先輩が納得したらしかったので、拓也はほっとする。


「ちなみに、詩葉ちゃんはどれが良いと思う?」


先輩は馴れ馴れしく、詩葉に声をかけた。詩葉は笑顔を見せながらも、たじろいでいるのは明らかだった。


「あの、私…素人なんで、意見を言うなんて…」


謙遜する詩葉に「良いんだよ」と先輩は言う。


「下手に知識がある人間より、一般の人にどれだけ届くか、ってことの方が大事なんだから。だとしたら、詩葉ちゃんみたいな子の感想が一番欲しいんだよね」


「詩葉、素直にどれが一番良かったか言えば良いだけだから」


拓也が後押しすると、詩葉は思ったよりも早く、悩むこともなく、一つの曲を選んだ。先輩が少し眉を寄せた瞬間を拓也は見逃さなかった。気に入らないものを選ばれ、機嫌を損ねてしまっただろうか、と不安が過る。


なぜなら、詩葉が選んだ曲は、拓也からすると最低で、何も良いところなんてない、いわゆる捨て曲と言っても仕方のないものだったからだ。詩葉も先輩が見せた不穏な表情を読み取ったらしく、不安げに拓也の方を見た。拓也は意味もなく、頷くことしかできない。


「どうして?」と先輩は言った。


「あの、すみません…どう表現すれば良いのか、分からないのですけれど、凄く曲と歌詞が融合している気がして。私は、音楽よりもまず歌詞の内容が入ってきたのですけれど、誰もが持っている、言葉にできないような不安や恐怖が、誰もが知っている言葉で、とても繊細に表現されていると思ったんです。そんな歌詞と同様に、曲の方も曖昧なものを繊細な表現で、聴くものに訴えるような作りになっていると感じました」


朗々と自分の感想を述べる詩葉に、先輩は黙って耳を傾けていた。詩葉が言い終えると、先輩の硬かった表情が、溶けるように柔和になった。


「いや、嬉しいよ。実はこの曲が一番力を入れたものでね。上の人からは、一般受けしないだろうから絶対にアルバムには入れるな、って言われていたけれど、どうしてもって頼んで入れたものなんだ。俺としても、分かる人に分かれば良いや、って気持ちだったけど…良かったよ、本当」


拓也には全くと言って良いほど、その曲の価値が分からなかった。でも、詩葉には分かるのだ。いや、きっと偶然だ。たまたま、詩葉が引き当てた、というだけであって、自分にそれを嗅ぎ分けるセンスがなかった、といわけではないはずだ。


実際に、この数か月後に発売された先輩のアルバムは、若干は売れたものの、人気の曲は拓也が選んだものだった。ただ、業界の人間の中で話題になったのは、詩葉が選んだ曲だったが、それを拓也は知ることもなかった。




拓也の卒業発表は大成功だった。拓也がギターを弾き、詩葉が歌う。詩葉の声は、審査員の教員たちを魅了した。拓也の評価に合格が出た後、教員たちは口を揃えるように、拓也をこう褒めるのであった。


「児玉、卒業制作はなかなか良かったよ。曲は正直、粗削りも良いところで、とてもプロとしてはやっていけないかもしれないが、歌詞は抜群だったよ。もしかしたら、君はあれだけで食べていけるかもしれないね。あと、あの女の子をボーカルとして採用したのも、なかなか良いと思うよ。もしかしたら、君は前に出るよりも、裏方に専念した方が成功するかもしれないね」


そんなことを言われても、もちろん何一つ嬉しくはない。すべて、自分の力ではない、と言われているようなものではないか。


たまたまだ。そう言い聞かせる。今回は時間がなかっただけで、もし自分に時間があって、歌詞も作る時間があれば、あれ以上のものを完成できたはずだ。詩葉は「合格おめでとう」と無邪気に祝ってくれたが、拓也には腹の中にずっしりと重たい何かがあった。

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