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悪魔の苗床  作者: 葛西渚
第二章 児玉拓也
20/61

4

次の日、珍しく小夜が朝から教室にいた。


何人かの女子が、彼女を取り囲んでいる。小夜のこの人気は、何度目の当たりにしても、不思議に思えた。平凡な女が、なぜこれほど人気があるのだろうか、と。


そんな小夜は、拓也が教室に入ってくると、まるで高性能なレーダーでも搭載しているのではないか、というくらい瞬時に察知し、笑顔を見せた。


「あ、拓也! おはよー」


周りに友人がいるにも関わらず、小夜は席を立って、拓也の方へ寄ってきた。今まで彼女を囲んでいた友人は、そんな小夜を特に不快に思っているわけでなく、むしろそんな彼女を微笑ましい存在だと認識しているらしかった。


しかし、拓也はと言えば、小夜が親し気に近寄ってくることに少し抵抗があった。無意識に、詩葉がそんな自分を見ているのでは、と気になったからだ。詩葉は本を読んでいるのか、こちらに背を向けて、どんな表情をしているのかは分からない。しかし、小夜が拓也の名を呼んだことは、きっと聞こえているはずだ。


「拓也、昨日のやつ、報告するよー」


「後にしろよ」


昨日、小夜は詩葉の件を調べるにあたり「誰にも拓也の名前を出さない」と言っていたが、これでは彼が小夜を使って色々と嗅ぎ回っている、とバレバレではないか。この女は本当に馬鹿だ、と頭の中だけで罵るが、小夜はあっけらかんとした表情で首を傾げる。


「えー、なんで?」


「良いから、後だって」


「変なの」


小夜は仲間たちのもとに戻る。


「二人って仲良いよねー」とか「朝から熱々だねー」とか、余計な言葉が聞こえたが、拓也はできるだけそれは耳に入れないようにした。


小夜からの報告は、放課後に聞くことになった。


「犯人は日向だね」と小夜は言った。


小夜が語る事情は、こうだった。日向由佳には憧れの先輩という一つ上の男子生徒がいた。日向由佳は、その先輩へ積極的にアピールし、それなりには相手にされていたようだったが、交際に至ることはなかったらしい。日向由佳の臆病さが、交際を申し込むまでに至らなかったこともあるが、その先輩は誰かと交際する意思はないらしかった。


しかし、日向にとって思わぬ事件が起こる。その先輩が楠木詩葉に一目惚れしてしまったのだ。可愛い転校生がいる。その噂に誘われ、彼女を一目見て、恋に落ちてしまったそうだ(拓也はこの話を聞いて冷静に「なるほどな」と思った。詩葉は目立つタイプではないが、確かに男が好む何かを持っていて、彼女が持つ特別性を理解する人間は少なくはないのだ、と理解した)。


そして、その先輩は初恋という病にかかり、鈍った思考力でそのまま詩葉に交際を申し込んでしまったのである。結果はもちろんお断りで(これは拓也からしてみると当然である。特別な女である詩葉が、普通の男を好むわけがないのだ)、かなり落ち込んでしまったそうだ。


この事実を耳にして、怒り狂った人間がいた。もちろん、日向由佳である。憧れの先輩の心を奪い、また彼の心を酷く傷付けた相手として、彼女は詩葉を敵視したのである。まずは日向は自分の仲間たちに「あの子、気持ち悪くない?」とだけ言った。しかし、これは日向の仲間たちにとっては「始まりの合図」だった。つまりは、詩葉を「外そう」ということなのだ。


詩葉はこの時点では、日向たちのグループに近い存在ではあったが、瞬く間に外されてしまうことになる。それを見た殆どの女子は、日向たちのグループがどういう方針を取ったのか、すぐに理解したが、事を荒立てないためにも様子を見るのだった。詩葉との接触に対し、慎重になったのである。


詩葉が本を読んでいる姿が多くなり、日向たちグループとの決別は明らかになった。それを見かねた中島沙知は、詩葉に声をかけてみることにしたそうだ。彼女からすれば、行き場を失った詩葉を救済するつもりであり、大きな派閥を持つ自分にとって使命の一つだと考えたのである。


「詩葉ちゃん。今日、一緒に帰らない?」


そう誘った中島沙知に対し、詩葉は言うべきではない言葉を返した。


「ごめん。ちょっと本を読みたくて」


この一言は、豪胆に見られたいが実際はナイーブな心の持ち主である、中島沙知を傷付けてしまった。


「そっか、ごめんごめん」


中島沙知はそう言って、事を荒立てることはなかったが、後に仲間たちにこう言ったのだった。


「詩葉ちゃんって、話しかけにくいよね」


中島沙知のグループは、どちらかと言えば意志薄弱な人物が多く、リーダーと言うべき彼女から発言を聞いてしまったら、楠木詩葉は話しかけにくい人間だ、という印象が固定されてしまうのだった。

ちなみに、拓也がなぜ中島沙知からの誘いを断ったのか、後に詩葉に聞いたところ、彼女は首を傾げて「そんなこと言ったっけ?」と言うのだった。これは完全に詩葉が悪く、本に没頭し過ぎるあまり、中島沙知からの誘いを蔑ろにしてしまったのである。


こうして、詩葉は教室で孤立することになった。しかし、当の本人はそれほどこの状況を気にしてはなかったのかもしれない。




小夜から話を聞いた後は、いつものように音楽室で練習をして、仲間と学校を後にした。今日は小夜も一緒である。日が暮れるまで練習を振り返ったり、本番で見せる理想的なパフォーマンスについて話したりと、拓也は充実した時間を過ごしていた。しかし、何かを忘れているような、妙な不安を覚える。


昨日から今日にかけての出来事を猛スピードで頭の中で振り返ったところ、まず提出するはずの課題を出せず、教師に怒られた事を思い出した。そして、なぜそんなことになったのかを思い出し、昨日の出来事も思い出した。


「明日…また一緒に帰れないか?」


自分はそう言ったのではなかったか。やめた方が良い、と詩葉は言ったが、断られたわけではなかった。もしかしたら、と拓也は踵を返す。


「どうしたのー?」と小夜に声をかけられる。


しかし、そのとき、拓也は既に走り出していた。


「忘れ物!」


そう言う彼の背中に、小夜が何かを言ったようだったが、聞き取ることはできなかった。


息を切らして、教室に戻る。誰もいないかもしれない。むしろ、その方が罪悪感に苛まれず済むのではないか、とも思った。


しかし、暗くて寂しい教室で、彼女は一人座っていた。その背中からは、期待というものは感じられなかった。ただ倦怠感がそこにあるだけだ。


息を整え拓也は詩葉の背に声をかけた。彼女はゆっくりと振り返るが、その目はやはり少し冷たい。


「ごめん、待たせたよな」


「……別に。拓也のこと、待ってたわけじゃないから」


そう言いながらも、彼女は文庫を閉じて立ち上がり、教室を出て行く。拓也は怒られた子供のように、彼女の後を歩いた。


しかし、すぐに彼女は振り向き「どうせ、方向一緒なんだから、隣歩けば良いじゃん」と言う。並んで歩き出すと、詩葉は拓也が遅かったことなんて気にもしてない、と言わんばかりに他愛のないことを話し出した。


だが、その中で突然、小夜の名前が出てくる。


「小夜ちゃんって…何であまりに教室にいないの?」


「あいつは…馬鹿で落ち着きないんだよ。勉強なんて分からないし、同じ場所にずっと座ってもいられない。だから、授業なんて受けてられないんだ」


「ふーん。仲良いんだ」


詩葉は表情こそ笑顔ではあるが、どこか声色が低いような印象があった。やはり、今日の朝、小夜とのやり取りを詩葉は見ていたのかもしれない。


「そんなことない。あいつ、なぜか音楽室に出入りしているんだよ。だから知っているだけ」


「じゃあ、たくさんお話しするんだ」


「だから、違うって」


「小夜ちゃんってさ、あまり教室にいないのに、みんなから人気だよね。明るいからかな」


「それだけが取り柄みたいな女だから」


「よくご存じですね」


「もう良いだろ、小夜の話は…」


拓也はどうにか話を変えようと思い、頭を回転させる。詩葉が喜ぶ話と言えば本のことだろうが、それでは拓也に知識がないため、駄目に決まっている。


「そう言えば」と拓也は無理矢理に舵を切った。


詩葉は一瞬だけ不服そうな顔をしたが、拓也は勢いに任せるしかなかった。


「そう言えば、昨日も今日も遅く帰って平気なの? 別に部活やっているわけじゃないし、親に何か言われないの?」


「ああ…うん」


詩葉は笑顔を浮かべたが、そこにポジティブなニュアンスがあるようには思えなかった。


「家、ちょっと居づらくて」


「家族と喧嘩?」


「……うーん、そんな感じ」


踏み込んで、もっと聞きたい気持ちはあったが、詩葉の表情はそれを良しとしていなかった。


「まぁ、色々あるよな」


そんなことを言う拓也だったが、彼の家族は円満だったし、むしろ両親は彼に対して甘いくらいだ。彼に「色々」はない。


「そういうこと。だから、ちょっと家にいたくないんだ。あ、だからと言って、学校にいたいってわけじゃないけどね」


詩葉は彼女の暗い事情を隠すように、笑顔を見せたが、口に出した言葉は、明るさとは遠いものであった。


「やっぱり…学校も居心地が悪いよな」


「んー? まぁ、良いとは言えないけどね。でも、別に気にすることじゃないよ。関わらなければ良いことだし。大したことではないよ」


本当にどうでも良いことなんだ、と詩葉は付け加えて笑った。彼女が笑顔だからこそ余計に、それは痛々しく感じられた。だから、それは拓也にとって、どうでも良いことではなかった。この女を守れるのは、特別な人間である自分だけだ。拓也は、そんな熱意を拳で握りしめた。


そんな日の夜、拓也はいつものように家族と夕食を食べていた。


母は、家族全員が食卓に付いているのに、あれがない、これがないと忙しなく動いている。しかし、テレビから拓也も聴いたことがある、人気ヴィジュアル系バンドの歌が流れると、母は「始まっちゃった」と言いながら、大人しく座った。どうやら、ドラマ番組らしい。こんな番組を楽しみにしている母を、本当に平凡だと心の中で呆れた。


「なにこれ?」と拓也は大して興味はないが母に聞く。


「やだ、知らないの? 今人気のドラマなの。皆見ているのよ。これ逃しちゃうと、話に付いて行けないんだから」


どうやら、人気のアイドルと若手俳優を売り出すための、安っぽいドラマのようだった。そう言えば、先週も母がこの番組を見ていた気がした。そのせいもあって、拓也は興味がなくとも、そのドラマの内容が何となく理解できてしまい、ほんの少しだけ続きも気になって、最後まで見てしまった。そのドラマの中で、明るい髪をした美少年が、ヒロインの女の子に言っている。


「俺がお前の居場所を作ってやる! 今だけじゃない。お前が寂しいと感じたときは、必ず俺がいて…お前の居場所を作ってやるよ」と。


馬鹿馬鹿しい、と拓也は自分の部屋に引っ込んだ。


部屋で一人ギターを弾きながら、一緒に帰った詩葉の気配を思い出した。すると、勝手に口が動くのだった。


「居場所を作ってやる、か」

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