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悪魔の苗床  作者: 葛西渚
第一章 白川誠
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詩葉さんとのデートは、良い雰囲気で進んだ。


待ち合わせから詩葉さんは笑顔だったし、色々と見て回る最中もはしゃいでいるようだった。デートの場所は、詩葉さんが前々から行きたいと言っていた水族館で、彼女はすべての水槽に対して子供のように新鮮な反応を見せるのであった。水族館のお土産コーナーでは、詩葉さんはぬいぐるみを熱心に見つめていたが、なぜかポピュラーな海の生き物よりも、チンアナゴというよく分からない生物のぬいぐるみを見つめていた。


「これ、欲しいんですか?」


「え、いや……ぬいぐるみって年じゃないし。そういうことじゃないよ」


詩葉さんは否定したが、どう見てもそれが気になるようだったので、僕は黙ってそれを購入した。


「買っちゃいました」と言ってぬいぐるみを渡すと最初は遠慮していたけど、最終的には嬉しそうに両腕で抱えた。


しかし、僕は彼女が時折、暗い表情を見せていることに気付いていた。ここにはない、何かを見ている。もしかしたら、ここにはいない誰かを見ているのではないか、と思った。


日が暮れだした頃、ビルの間に沈んで行く太陽を見て、やはり詩葉さんはそんな顔をしていた。


「私はさ」と詩葉さんは唐突に言った。


僕は黙って彼女の言葉に耳を傾ける。


「私はさ、嫌な人間だよ。きっといつか、白川くんも私のことが嫌いになるんだろうね。嫌われても仕方ない人間だって、ちゃんと分かっているつもりなのに…嫌われたくないって思っている。本当に、ダメな人間だよ」


「……詩葉さんは自分を低く評価し過ぎですよ。それに、僕は詩葉さんを嫌いになったり、しませんよ」


そうじゃない。本当に言いたい言葉は、こんなことじゃない。本当は僕に嫌われたくないのではなく、特定の誰かから愛されたいだけではないのか。それだけ不安にさせるような男なのなら、絶対に僕の方が詩葉さんを幸せにできるはずだ。


僕はそう言いたかったのではないか。でも、そんなことを言ったところで、彼女は僕に振り向いてくれるわけではない。そうだ、僕も詩葉さんに嫌われたくなくて仕方がない。


きっと、好きと言う気持ちに振り回されて、僕たちは噛み合わない。きっと、詩葉さんが見ている誰かも、そんな不出来な歯車に対して、もどかしく感じているのではないか。だとしたら、本当に救いようのない世界だし、絶望的だ。いつまで、こんな負の感情によってできた螺旋の中でもがかなくてはならないのだろう。妙に小夜がいるところに帰りたくなった。


そう思った瞬間、僕の手に柔らかい感触があった。詩葉さんの手だった。彼女の手が、僕の手を握っていた。


「白川くんって、私のこと、好きなんだね」


「……はい」


この人は、僕の心を掴んで離さない。彼女の一言が、もしくは彼女が触れるだけで、僕の思考は一瞬前のことすら消え失せてしまう。それだけ、僕は彼女に囚われていた。それなのに、少しも僕に掴ませてくれることがない。近いようで遠い。蜃気楼でも見せられている気分だ。そう思った次の瞬間、彼女の手は僕の手から離れた。


「ご飯、食べに行こう」


彼女の表情は明るかった。その変化に僕は安心する。彼女は僕のものではないけれど、まだ近しい存在なのだ、と思える気がしたからだ。


レストランは僕が予約した。気取らないけど、少し高級感があるような、そんなお店だ。味も良かったし、雰囲気も良くて、個室だから他の客を気にする必要もない。この場所を選んだ自分にご褒美を与えたいくらいだ。


詩葉さんも喜んでくれたのか、満足気に食事を取ったていた。そして、サプライズのケーキが運ばれてきて、彼女は大喜びしてくれているようだった。


「誕生日ってこと、あえて黙ってたけど…ちゃんと覚えていてくれたんだね」


「当然です。あとこれ」


僕が取り出したプレゼントに、彼女は目を丸くした。


「なにこれ?」


「誕生日プレゼントです」


「えー、凄い! ありがとう。開けても良い?」


頷く僕に彼女はもう一度「ありがとう」と言って、箱を開けた。中にはあのネックレスが入っていて、彼女は鎖を指で摘まみ、頭上まで持ち上げた。照明がネックレスを照らし、プリズムのように光り輝く。


「凄い、綺麗……」


「気に入って、もらえましたか?」


「うん! とても嬉しい。本当にありがとう」


彼女はネックレスをしまうと、大事そうにバッグにしまった。


「次のデートで着けてくるね」


「気に入ってもらえたなら、良かった」


こうして、僕たちの初デートは大成功に終わろうとしていた。二人で駅の方へ向かう。楽しい時間は、終わろうとしてた。


「このまま、二人で遠くに行ってしまいたいね」と詩葉さんは言った。


「遠くへ?」


「四国とか九州とか、東北もいいかもね」と彼女は笑う。


どれだけ本気なのかは分からない。でも、そんな風に一緒に遠くへ行けたら楽しいかもしれない。だけど、そうしたら小夜はどうなるだろうか。いや、小夜どころか僕だって死んでしまうではないか。


「ウソウソ。冗談だよ」


僕が迷っていると思ったのかもしれない。彼女はそう言って打ち消す。


「私、遠くに行きたいと思いながら、どうせ遠くには行けないってことも分かっているんだ。お金とか仕事とか、どこだろうが生活の基盤を用意するから、好きな場所に行って良いって言われたとしてもさ、私は行かないんだよ。どうせ」


笑顔だった彼女の表情が曇り「行かないんだよ」と繰り返した。


僕は黙って歩く彼女の表情を見て、不安でたまらなかった。彼女とこのまま、会えなくなってしまうような、遠い場所へ行ってしまうような気がしたのだ。彼女はお前のものではない。そう、誰かに言われた気がした。


「あの、詩葉さん」


足を止めて振り返った彼女は、笑顔を浮かべていた。でも、その笑顔は本当に笑っているわけではないように、僕には見えた。


「どうして、誕生日に…僕と過ごしてくれたんですか?」


彼女は、やはり笑顔を消して、僕に背を向けてしまった。


「僕は詩葉さんが好きです。初めて会ったときから好きで。会う度に、話す度に、詩葉さんのことが好きになっています。詩葉さんが何かに悩んでいて、納得できないことは、たぶんだけど、分かっています。でも、僕が詩葉さんのことを好きだってことは、忘れないでください」


「……うん、分かっているよ」


彼女はそう言って、また歩き出してしまう。告白、したつもりだったけど、伝わらなかったのだろうか。いや、曖昧にして、なかったことにされたのかもしれない。電車に乗り込み、別れの時間になった。


「ねぇ、白川くん」


詩葉さんが降りる駅で、電車が止まる寸前、彼女は唐突に言った。


「ちゃんとするから、少し待っててね」


それだけ言って、彼女は電車を降りてしまう。扉が閉まると同時に振り返り、控えめに手を振った。僕は彼女が言った言葉を理解しようとして、でも上手く飲み込めず、茫然とした顔でその手を振り返した。


「ねぇ、どういう意味だと思う?」


「……」


「何か、凄い意味があると思うんだよね。近いうちに、何か答えが出ると思うんだよね」


「鼻の下、伸びちゃって気持ち悪いよ、まこちゃん」


帰るなり、詩葉さんの言葉の真意を小夜に相談してみたが、彼女は目を細め、不快感を示した。


「まこちゃんさー、浮かれる気持ちは分からなくないけど、私のことはどうするの? ただ出ていけって言われるなら、出て行っても良いけど…そんなことしたら、まこちゃん死んじゃうんだよ?」


「……わ、分かっているよ」


いや、分かっているつもりで、分かっていない。僕は詩葉さんが僕にって喜ばしい答えを返してくれると期待して、浮かれているだけだ。浮かれている暇があるなら、すぐにでも小夜との生活を終える方法を見つけるべきなのに。


小夜は普通の人間ではないから、身分証もないし、自分で家を借りることもできなければ、仕事だって始められない。そんな彼女を放り出すことができるだろうか。


もし、それが僕にできたとして、彼女が次の寄生先となる男性を見つけたとしても、僕の体内にある毒を吐き出す植物がなくなるわけではない。小夜と離れて生活して困るのは、僕の方なのである。


「それにさ、詩葉さんがまこちゃんに言った言葉の意味って、要は他の男との関係を清算するから待ってろ、ってことでしょ? 詩葉さんは諦めきれないと思うよ、その男のことを」


「……そんな分からないこと言わないでよ」


「言いたくないよ。でも、まこちゃんが傷付くのは嫌だし、私だってまこちゃんの傍にずっといたいよ」


「……」


「出て行けって言うなら出て行くし、黙れって言うなら黙るよ。私はまこちゃんに逆らう権利なんて何一つとしてないわけだからさ」


「……ごめん」


「まこちゃんは悪くないよ。全部、私のせいなんだから」


僕は自分の目の前に幸福が訪れるかもしれない、と思っていたけれど、それは自分が考えているほど単純なことではなかった。誰かが幸福になることは、誰かの不幸が生まれることなのだ。


だとしたら、僕たちはどうすれば幸福になれるだろう。考えても考えても、何も答えはでなかった。

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