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悪魔の苗床  作者: 葛西渚
第一章 白川誠
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13

詩葉さんと僕の距離が少し縮まったように思えてからも、僕と小夜の関係は続いている。


小夜を人間に戻す、もしくは僕の体を治す方法は、未だに探し続けた。あれから、何人かの陰陽師と呼ばれる人たちに除霊のようなことをお願いしたが、小夜は悪魔のままだし、僕も苗床のままだった。


この関係が続く限り、僕はいつか大きな壁にぶち当たることは、間違いない。どんなに詩葉さんとの関係が上手く行ったとしても、絶対にこの問題は付き纏うものなのだ。それにも関わらず、なぜか詩葉さんと僕の距離がさらに縮まるような出来事が起こる。


夏休みに入る直前のことだ。いつものように、ピアノを弾くために詩葉さんの家に呼び出された日のことだ。


「白川くん、夏休みは実家に帰るの?」と彼女に聞かれた。


「あ、えーっと、今のバイト先に休みをもらえなくて…だから、この夏は帰れないですね」


「ふーん。じゃあ、ずっとこっちなんだ」


「そうですね」


夏と言えば、燃えるような恋愛イベントこそが、青春の象徴だと主張するような人間もいるが、僕は決してそうは思わない。汗水流して、毎日労働することも、青春の一つではないか。決して、恋愛だけが、若き頃の輝かしい想い出というわけではない。そうだ。絶対にそうだ。そんな歪な思いを言い聞かせる僕に、詩葉さんが言うのだった。


「じゃあさ、デートしようか」


「え?」


「デート、しようか」


「……は、はい。はい!」


「よかった」


詩葉さんは、あらかじめ予定を決めていたのか、デートの日付と場所を指定した。僕はこの約束が、ただのデートと言えるものではないと気付いていた。なぜなら、詩葉さんが言った約束の日は、彼女の誕生日だったからだ。八月の終盤。彼女の星座は彼女らしく乙女座だ。


家に帰ってからも、これはどういうことだろうか、と考える。あの日、キスをしてから今までと変わらぬ関係に戻ってしまったとばかり思っていたが、まさか詩葉さんの口からデートなんて言葉が出てくるとは。つまりこれは、そういうことだと考えていいのだろうか。お付き合いしている関係と、考えても良いのだろうか。


「そんなわけないじゃん」と小夜が少し離れたところから言った。


「僕は何も言ってない」


「言ってなくても、そのだらしない口元を見れば何となく分かるんだけど」


目を細める小夜に僕は身を退きつつ口元を隠した。


「なーんか、気に食わない感じ」と小夜は言う。


「な、なにさ。別に僕は疚しいことなんて何一つない」


「私には疚しいことはないかもしれないけど、詩葉さんにはあるんじゃないの」


「そんなことは……」


「だって、詩葉さんには尻尾を振ってる割りには、その裏で他の女に腰を振っているんだから、疚しいことがないわけ、ないよねぇ」


「なっ……なんてことを」


「否定できるの? 否定するの? 否定しようとしてるの?」


確かに、それは否定できない。詩葉さんに小夜の存在を知られたりしたら、きっと二度と口も利いてくれなくなるだろう。もし、もしの話だが…僕と詩葉さんが上手く行ってお付き合いすることになり、恐れ多い話だけど結婚なんてことになったら、そのとき小夜という存在はどうするのだろうか。


だって、小夜がいる限り、僕は彼女に精力を供給しなければならない。それを辞める、ということは僕の死に直結するのだ。だとしたら、この僕と小夜の関係は、やはり早急に何とかしなければならないのだ。


「ねぇねぇ、まこちゃん。何を考えているかは知らないけど、まこちゃんの悩みを解決する方法が一つだけあるよ」


「え、あるの?」


「うん。私と一生一緒にいることだよ」


「本当は僕が何を考えているか分かってなかっただろ…」


「分かるよ、詩葉さんのことでしょ」


「そうだけど…」


「だから、私を選べば解決するって言っているのに」


「小夜が思う解決と僕の思う解決には、かなりの差異がある、ということはよく分かった」


そんな会話のあとも、詩葉さんとの約束について、しつこく聞いてくるものだから、仕方なく僕は説明をした。


「デート? 誕生日に? …ふーん」


小夜はあからさまに不快感を見せる。そう言えば、小夜に誕生日はあるのだろうか。僕はその疑問をそのまま口にしてみた。すると、小夜は興味がないと言わんばかりに鼻を鳴らした。


「ないよ、そんなの」


「最初から?」


「人間だった頃はあっただろうけど、忘れちゃったよ。自分が何歳かも忘れたし、どうでも良い」


「……そっか」


小夜の口調から、あまり触れるべきことではないような気がした。自分の誕生日すら忘れてしまう。それだけの時間の流れが、どういうことで、どれだけの悲嘆があったのか、とても理解できるものではない。僕がどうこう言えることではないだろう。


僕は家を出てバイト先に向かった。バイトは細々と長く続けている。少しではあるが、貯金もあるほどだ。だから、この機会に詩葉さんに誕生日プレゼントを買うしかない、と僕は考えていた。僕はまだ口座から降ろしていない現金をその手にイメージし、拳を握りしめてバイト先に向かった。


人間は未来に希望があると思うと、何事も楽しく感じるらしい。僕は楽しく軽やかにバイトを終わらせ、街に出掛けた。プレゼント選びのために、一時間以上うろうろとしたが、何を選べば詩葉さんが喜ぶのか分からなくて、収穫はないまま帰ったのであった。


「あのさ、小夜。お願いがあるんだけど」と小夜に声をかけたのは翌日だ。


「なーに?」


「一緒に、プレゼント選びを手伝ってくれないかな?」


女性が喜ぶものは僕のような人間には分からず、女性からのアドバイスが欲しかった。しかし、僕のような人間には女性の知り合いはいないし、頼れるのは小夜しかいないのだ。


「えー、外出て良いの?」


「そりゃ、外に出なければ買いに行けないし」


「行く行く! やったー、外で遊ぶなんて、どれくらいぶりだろう!」


小夜が喜ぶのを見て、僕は気付いた。そう言えば、小夜と出会ってから彼女は、一度も出掛けたことがなかった。もちろん、ちょっとスーパーまで、コンビニまで、駅前まで、ということはあったけど、遊びに行くとか、そういうことで出掛けたことはないのだ。小夜は悪魔ではあるが、普通の女の子だったことは確かだ。外で買い物を楽しみたい、という気持ちがあってもおかしくないではないか。


「最後に遊びに行ったのは、いつなの?」


「うーん……今まで私を生かしてくれた人の多くは、外に出ない方が良いって言うタイプだったから」


小夜は人間ではない。あまり人目につかない方が、良かったのかもしれない。しかし、そうだったとしても、ずっと家の中にいては、気分が滅入るのは仕方のないことだ。


「あのさ、小夜。僕は別に外に出てはダメなんて言ってないよ。好きな時に、好きなところへ出かけても良いんだから」


「えー、良いの? みんな私が逃げ出すかもしれないって、外に出してくれなかったよ。もし、そうなったら、まこちゃんは死ぬんだよ」


「小夜は、そんなことしないよ」


「……ふーん」


小夜はなぜか冷たい目で僕を見た。しかし、すぐに笑顔で言うのだった。


「じゃあ、今から出掛けよう! デート、デート! すぐに用意するからねー」


「で、デートじゃない。一緒に出掛けるだけだって」


小夜は僕が買い与えた僅かな服の一つを上機嫌に着て、すぐに準備を終えた。家を出て、駅前まで向かう途中、小夜はべたべたとくっ付いて離れようとしなかった。


「デートだ、デート!」


「デートじゃないってば」


「詩葉さんより先に、女の子とデートしちゃったね、まこちゃん」


「だから、違うって」


「そうだ、デートや性的行為に限らず、まこちゃんの初めては私が全部もらうことにしよう」


僕が否定しにくいポイントを突いてきやがる。それでも僕は負けるわけにはいかなかった。


「デートについては、僕が認めなければデートじゃない。それより、別にお腹空いているわけじゃないんだから、くっ付かないでもらえる?」


「えー、これはお腹が空いているんじゃなくって、まこちゃんのことが好きだからくっ付いているだけだよ」


「万が一、誰かに会ってあらぬ誤解を招きたくないから、ちょっと離れてください」


「酷いよ、私たちの関係を誤解で済まそうとするなんて」


そんな不満を漏らすものの、小夜はちゃんと距離を取ってくれた。何だか昔ながらの、女は半歩下がって、と言った距離感だった。電車に乗り、テレビで女子に人気があると聞くような駅へ移動する。小夜は終始機嫌がよく、笑顔で時に鼻歌混じりだったので、僕はとても良いことをした気分になった。小夜は悪魔ではあるけど、根は良いやつなのだ。普通の女の子として、この時代に生まれて、普通に出会っていたら、もしかしたら友達になれたのかもしれない。


「いやいや、まこちゃんと私はカップルに見えるよね」と小夜は言う。


「小夜って人の心を読む能力があるわけ?」


「ないけど、まこちゃんは分かりやすいから」


でもきっと、僕と小夜は恋人同士には見えないだろう。小夜が悪いのではない。小夜のような美人が相手では、僕の方が釣り合わないのだ。


小夜はあっちに行きたいこっちに行きたいと、次々と店の中に入った。流石は女子ということだけあって、僕だったら素通りしてしまうようなお店も確かなセンサーで発見し、隅々まで探索するのであった。


夏の日差しの中、色々と歩き回るものだから、正直僕はバテ始めていた。しかし、小夜があまりに楽しそうにはしゃぐものだから、僕も根性を出して後を追うしかない。その甲斐もあったのか、小夜は本来の目的を忘れていないか、と気になるくらい楽しんでくれた。


「ねぇ、まこちゃん。あれ…」


僕の不安に反し、小夜はある店に並ぶアクセサリーの中から、一つを選んだ。


「おお、これは……」


控えめだが、美しく輝くネックレスだ。それは確かに、詩葉さんに似合いそうだし、値段的な問題についても、僕にとっては適度な背伸びと言えるようなものだった。


「いいね、これ。詩葉さんに似合う気がする」


僕は素直な感想を口にしたのだが、なぜか小夜の顔は曇った。


「どうしたの?」


「あのね、まこちゃん。怒らないでね?」


「うん。こんな良いもの見つけてくれたんだから、怒らないよ」


「これ、私が欲しかったりして」


「えー?」


「ダメ?」


「ダメだよ」


「……お願い、何でも言うこと聞くから」


「ダメダメ。これだけ色々見て、せっかくいい感じの見つけたんだからさ。小夜には他のやつ買ってあげるから。僕の財布が許す限りだけど」


「お願い! もう本当、何しても良いんだよ? 私はまこちゃんの召使で奴隷です。どんなコスプレでもハードなプレイでもこなしてみせるから」


「変なことを大きい声で言うな、本当に」


僕はそのネックレスを購入した。小夜には「他に気に入ったものがあれば買うから」と何度も言って納得してもらったが、かなりショックだったらしく、口数が減ってしまった。その後は他の店を見る気も失せてしまったらしく、小夜はどこにでもある衣料店で安い服を数枚購入するだけ。夜になっても小夜は口数が少なく、夕食も摂取しなかった。今まで見たことがない落ち込み様に、僕も何と声をかければ良いのか分からなかった。


「ごめん、まこちゃん。私も何でこんなに気分が落ち込んでいるのか、分からないんだ。明日になれば、たぶん元に戻るから、今日は放っておいて大丈夫だよ」


「小夜、ごめん。あのネックレス…そんなに気に入ったなら、小夜にあげるよ」


「いいよ。まこちゃんは他にプレゼント買うお金ないだろうし、ここでそれを私にあげちゃったら、後悔するよ、きっと。私の方こそ嫌な態度取って、ごめんね。本当、明日には戻るから」


そう言って、その日はそのまま眠った。小夜は確かに翌日はいつもの彼女だった。明るく、何かに執着することなく、屈託のない、いつもの彼女だった。


しかし、僕と詩葉さんの約束の日、その前日に小夜は言った。


「ねぇ、まこちゃん。そのネックレス…やっぱり、あげちゃうの?」


「うん。次の給料が入ったら、小夜には同じのを買ってあげるから。今回は我慢してよ」


「……いいよ。同じのあっても、たぶん私は好きになれないと思うから」


「拗ねるなよ」


「そういうのじゃない」


「……どうして、このネックレスにそこまでこだわる?」


小夜は答えず、僕は小さく溜め息を吐いた。だが、すぐにそんな自分の態度に、罪悪感を覚えた。小夜は何年も悪魔として生きる道を強制されているのに、ちょっとした我が儘すら聞いてもらえない。彼女がそれを許容してくれているのだ。僕が嫌味っぽい溜め息を吐くなんて、間違ったことではないか。


そうとは言え、このネックレスを小夜に渡すわけにもいかないし、小夜自身がそれを拒否している。来月、きっと小夜にプレゼント買おう。そしたら、その日が彼女の誕生日、ということにすれば良い。そんなことを考えつつ、僕はプレゼントをバッグに入れた。


そのときだった。その様子を見ていた、小夜が僕に飛びかかってきた。最初、いつものように、出かける前にキスをしろ、とせがんできたのかと思った。


だが、いつもの彼女と違う、とすぐに分かった。瞳は赤く染まり、獲物を捕らえようとする猛獣の如く開かれた口から覗く犬歯は、普通の人間よりも長く鋭い。それこそ、悪魔のように。僕は反射的に腕で自分の顔面を庇った。腕に激痛が走る。噛みつかれたのだ。さらに、彼女は僕の腕を掴んだ。僕が握るプレゼントの箱を取り上げようとしているらしい。


「小夜!」


腕にかかった圧力が弱まる。腕に食い込んだ歯も引き抜かれたようだった。


「まこちゃん、ごめん……」と小夜は僕から離れる。


「小夜こそ、大丈夫?」


「怖かったよね。化物に襲われたんだから…」


「ちょっと痛かったけど、大丈夫だよ。それに、僕は小夜のこと、化物なんて思ったことはない」


「……本当、ごめん。明日は人生初のデートなのに」


「……初デートは、この前、小夜に奪われたから」


「……そっか、ごめんね」


小夜はそう言って、ソファで丸まるように横になった。


「ごめん、今日は私、ここで寝るね」


「そんなところ、寝にくいから、やめなよ」


「大丈夫。いつも一緒に寝てくれて、ありがとう。明日はデートなんだから、早く寝た方が良いよ」


なぜ、小夜がこれだけ感情的になったのか、やはり僕に理解できなかった。僕の知っている彼女は、空腹を恐れるだけで、それ以外は本当に明るくて、実は凄く他人の心の機微を読み取れる人間だ。それに、どれだけの年月なのかは分からないが、彼女は長く生きて、多くのものを見てきたに違いない。それなのに、どうしてネックレス一つに執着するのか、やはり理解ができなかった。


それから、僕は何度が小夜に声をかけたが、全く反応がなかった。明日は遅くまで眠っていられるわけではないので、仕方なく僕はベッドに入る。電気を消して数分後、小夜はやはりソファでは眠れなかったのか、ベッドに潜り込んできた。


次の日の朝、準備中の僕を小夜は大人しく見ていた。昨日のように、口を利かないのかと思ったが、僕が家を出る直前に小夜は言った。


「ねぇ、まこちゃん。遅くなるだろうからさぁー、ちょっとだけ食べさせてよ」


「あ、そっか……うん。わかった」


昨日のことがあってか、断りにくかった。小夜が僕に口付けをする。口付け、という表現では足りないような、少しディープなものではあったが、特に眩暈などの症状はなかったので、どうやら小夜は手加減してくれたようだ。


「想い人とのデートの前に、他の女とこんなキスするなんて、本当にまこちゃんって悪い男だよねー」


「それは言わないでください、本当に」


「取り敢えず、まこちゃん。頑張ってね」


「……ありがとう」


僕は小夜に背中を押されるようにして家を出た。心は温かく、勇気が出たような気がした。しかし、もし僕がこのまま詩葉さんを好きでいるとしたら、こんな生活を続けて良いわけがなかった。


どうすれば良いのか分からない。好きと言う気持ちを簡単に捨て去ることができたら、どんなに楽だろうか。好きと言う気持ちに振り回されず、自分の生きるべき道を選び、運命を受け入れられることができるのなら、きっとこんなに悩むこともなかっただろう。

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