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悪魔の苗床  作者: 葛西渚
第一章 白川誠
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10

「小夜。明日は付き合ってもらうから」


僕は家に戻るなり、小夜にそう宣言した。


「え、何? デート? 付き合うよ! 例え地獄の底だろうが、まこちゃんのお誘いは断らないよぉ」


「そうじゃない」


とはしゃぐ彼女を制止するように手の平を見せて、僕は否定した。


「えー、一緒にお出かけするなら、デートで良いじゃない」


「それどころじゃないんだ。この現状、僕はやはり正しいとは思えない。僕たちは性的な関係を持たなくてはお互い生きられない。でも、そういう関係を結ぶのは、相手のことを想っている人間のみに許されることだよ。だから、僕たちは間違っている」


「えー、私はまこちゃんのことを愛しているし、人間じゃないから、間違っているとは思ってないよー」


「とにかく、お互いのためにも、この状況を何とかするべきなんだよ」と僕は小夜の屁理屈を遮った。


「ふーん。つまり?」


「つまり…僕は小夜を人間に戻したいと思う」


僕の宣言に、小夜は黙った。僕としては使命感と正義感に燃えた宣言ではあったのだが、小夜は辟易するように深い溜め息を吐いた。


「はいはい。まこちゃんの意気込みはよく分かったよ。あらかた詩葉さんとの関係に良い兆しがあったから、体よく私との縁を切ろうって言うんでしょう? でもね、そんな簡単なものじゃないよ。まこちゃんがどうしても試したいって言うなら、別に反対はしないけどね。で、何をしたいの?」


「悪魔祓いだよ。陰陽師って知ってる?」


「ふーん…」


小夜は心底興味がなさそうに返事をした。


「だから、明日は朝一で陰陽師に会いに行こう。意外にリーズナブルな値段でお祓いはやってもらえるみたいだよ。もしかしたら、上手く行って、小夜も人間に戻れるんだから」


「えー、面倒くさいなぁ。どうせ無理だよ。大体さ、そんなリーズナブルなお値段とやらで祓えるなら、私は百年も二百年も悪魔やってないよぉ」


「そんなの、試してみないと分からないだろ? 小夜だって、人間に戻りたいと思わない?」


「うーん。今更、どうでも良いけどねぇ」


僕にとっては良いアイディアだと思ったのだが、どうも小夜はその気ではないようだった。だから、僕は力説を始めようとした。どれだけ陰陽師が素晴らしいサービスを提供してくれるのか、ということを。


しかし、携帯電話が鳴っていることに気付く。メールを一通受信したようだった。何気なくメールを開封したのだが、僕はその内容に絶句することになる。思考が、一瞬だけ、停止してしまったのだ。


「どうしたの?」


小夜に声をかけられても、僕は何も言えずにいた。


「ねぇ、まこちゃん。どうしたの?」


「え、あ…うん。ごめん」


「どうしたのさ」


「うん。父親から、メールがあったんだ」


「お父さんから?」


「そう。だから、陰陽師は朝からじゃなくて、午後からでも良い?」


「別に私はいつでもいいけど……まこちゃん、お父さんのこと、苦手なの?」


僕はそれに対しては、何も答えなかった。父が苦手かどうか。それは難しいことだった。ただ、尊敬はしていることは確かである。でも、苦手ではない、と言い切れるかと言えば、それもまた違うのであった。



次の日、僕は都内某所にあるスタジオへ向かった。父がそこで待っている。僕が音大へ行かなかったことで、父とは数年疎遠になっていた。だから、連絡があったのは、とても驚いたのだった。

その久しぶりの連絡は、メールで短く「日本に戻った。一時間余裕があるからピアノを弾いてみなさい」と書かれていた。父の前でピアノを弾くのは、いつぶりだろうか。

何度聴かせても「価値がない」と言う割には、見限ることなく何度も僕のピアノの成長を確かめるのだから、ちょっと不思議だった。


「待っていた。早速、弾いてみなさい」


顔を合わせると、父はそんな風に言った。息子の健康状態や、普段の生活は特に気にならないらしい。それは、ずっと昔から同じことだけれど。


「はい、父さん」


僕はピアノの前に座り、父は後方にあったパイプ椅子に腰を下ろした。本当にこの感じは久しぶりだった。ただ、久しぶりに聴かせるからには、それなりに父を驚かせてみせよう、と僕が思ったのは、自分自身でも意外だった。


鍵盤に指を置く。いつもの感覚があり、ピアノを弾き始めると、あの日、詩葉さんに聴かせたときと同じように、ピアノの宇宙から浮かび上がる意思を感じることができた。


そして、他人の意思に触れる。ここにいる他人は、父だけだ。今なら、父を感動させるピアノを、弾けるのかもしれない。僕は父の意識に干渉しようとした。


彼の意思は、まるで熱を持った鉛球のようだった。硬くて、触れれば火傷してしまいそうな、強い熱を持っている。しかし、それに触れようとすると、意外に柔軟に変化し、こちらの干渉を包み込んだ。僕が彼の意思に干渉しているつもりが、それを彼に傍観されているような気持だった。そうか、と僕は思う。僕の演奏と父の演奏は、それだけ実力差があるのだ。


これでは、父を驚かせることなんて、できないだろう。


僕は手を止めた。ピアノの宇宙から浮上し、僕は椅子を立ってから振り返って、父の表情を確認した。いつも通り彼は無表情だったが、椅子から立ち上がると意外なことを言った。


「上達したな」


「え?」


「上達した、と言った」


「……はい」


「何を犠牲にしたかは分からないが、上達は見て取れる。そのまま精進しろ。そして、私より良いピアニストになりなさい」


父には、分かったのだ。僕の演奏の変化を。いや、進化を。理解できる人間が聴けば、やはり僕の変化は期待できるものらしい。


そう思うと、心臓が早く動いた。別にピアノなんて、評価されたところで嬉しくない。そう思っていたはずが、父の言葉は、思っていた以上に僕を興奮させた。


「父さんを超えるなんて、無理です」


「それは、これからのお前次第だ。努力しなさい。一分一秒でも長く、ピアノを弾く時間を作ると良い。私は時間がないから、お前はもう行きなさい」


「……はい。ありがとうございました」


僕は初めて、そんなことを言ったかもしれない。父が僅かに微笑んだような気がした。


僕がスタジオを出ると、小夜が少し離れた場所で待っていた。


「何か良いことあったの?」


「……なんで?」


「まこちゃん、嬉しそうな顔をしているよ」


「そうかな」


「うん。少しだけね」


「…そうかもしれない」


そんな会話をしながら、僕たちは陰陽師のところへ向かった。詩葉さんが言うには彼女の実家の近くらしい。彼女が小さい頃、どんな環境で育ったのか。片鱗だとしても知れたことはとても興味深かった。


ただ、本来の目的である陰陽師の方は、正直言って期待外れも良いところだった。陰陽師の人は、五十代くらいの男性で、格好もテレビで見るようないかにも、という格好だったので、最初はもしかして、と期待してしまった。


しかし、最初に僕が自分たちが置かれている状況を説明したところで不穏な空気が流れた。なぜなら、陰陽師は小夜が悪魔であることを明らかに信じていなかったからだ。僕たちの話を聞いても「何だか怪しいやつらが来てしまったぞ」という気配を見せていたのである。


「では、悪魔を祓いましょう。大丈夫です。うちは三百年もこの辺りを守ってきた陰陽師の家ですから」


胸を張る陰陽師だったが、小夜は「百年前もこの辺りを来たと思うけど、そんな名の売れた陰陽師はいなかったけどなぁ」と呟いていた。


儀式と言うべきなのか、陰陽師が祝詞のようなものを唱え、長々と僕たちの前であれこれとしてくれた。これで大丈夫です、と言って帰されたが、小夜に変化は全くと言って良いほど見られず、ただ一万円を寄付して終わったようなもの、と言えなくもなかったのだ。


「ねぇ、まこちゃん。どうだった?」


「……ごめん」


「まこちゃんが謝るようなことではないと思うけど…まぁ、仕方ないよ。まこちゃんが諦めるまで、別の方法を考えようね」


世の中には、不思議な出来事があるかもしれない。しかし、それに遭遇することは滅多にないだろう。殆どの人が偶然や勘違いで、不思議な体験をした、と認識することはあるかもしれないが、本当の意味で常軌を逸した出来事は、多くの人が体験することなく、一生を終えるに違いない。僕は悪魔と言う存在に出会った。


これだけで、普通の人間なら一生に一度の不思議な体験のはずだ。それにも関わらず、陰陽師という一風変わった職業の人間と、悪魔との決戦まで見られる、ということは、僕の人生はかなり特殊なものになってしまう。だから、それを目の当たりにすることなんて、きっと天文学的な確率なのだ。僕はそんなことを考えながら、無駄に終わった悪魔祓いについて、落ち込まないようにしていた。


しかし、不思議な出来事は起こった。僕が悪魔と言う存在に出会いながら、第二の不思議を、体験してしまうことになったのだ。

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