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黎明伝承記 ~豊葦原中国物語~  作者: 泰 智雅
第一章
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第二話

零話と一話を少々変更しました。

「全く、貴方ときたら…。」

「め、面目ない……。」


 寝具の上で上体だけ起こし、その手に産まれたばかりの赤子を抱いた女性が半眼で、イザナの横に座る大王を見て呆れた声で言った。

 あの後、イザナ達が急いで屋敷に帰りつくと、出産用に宛がわれた部屋では応援に駆けつけたお社の女性達が慌ただしく動き、本格的に出産が始まった処だった。アカネはすぐ様着替えてテキパキと手伝い始め、男であるイザナは部屋に入ることが出来ないが、少しでも手伝おうと水の替えや布の補充など手伝えることは何でも手伝った。だが、二人に助けを求めた当の大王はあの後すぐに慌てた拍子で部屋の(はり)で頭を打ち、気絶して先程まで別室に寝かされていたのである。


「イザナの時も言ったけれど、慌てすぎよ。あの時も散々出産がどういうものか説明したのに貴方ときたら破水を見ただけで真っ青になって倒れちゃうし。皆が私よりも貴方の世話に四苦八苦する羽目になったのを忘れていないんですからね。しかも今回はあろうことか能力(ちから)まで使って。何時も言ってるけど、その力はそうほいほい使って良いものじゃないって言ってるでしょ。貴方はもっと自分の立場というものを……」

「お、お母さん。落ち着いて。赤ちゃんが起きちゃうよ。」


 だんだんと険が籠ってきた母の言葉に、その手に抱く赤子がぐずりそうな気配を察知し、イザナが慌てて止めに入る。すると母と呼ばれた女性もすぐに「あら、いけない」とあやし始め、落ち着いたのを見計らい「もう……」と言いながら夫を一瞥すると、今度はイザナに笑顔を向けて話しかけた。


「イザナ。聞いたわよ?貴方、皆と一緒に手伝ってくれたんでしょう?お陰で無事に産めたわ。ありがとうね。」

「う、うん。あんまり大したことは出来なかったんだけど…。でも、お母さんも赤ちゃんも無事に生まれてくれて本当に良かった。」

「ふふ、イザナももう立派なお兄ちゃんね。流石は私の息子!こんなに良い子に育ってくれて、お母さん嬉しいわ。でも、貴方は歳の割りに落ち着いていて大人しいから、たまには思いっきり甘えても良いのよ?最近は特に構ってあげられなかったし。ほら、そんな所にいないで此方にいらっしゃい。」


 おいでおいでと手を振られて、イザナは恐る恐る母に近づくとぐいっと引っ張られて母の側に引き寄せられ優しく抱きしめられた。久しぶりに大好きな母の春の日差しを思わせる温かく優しい香りに包まれ、同じようにすぐ側にある赤子の顔を見つめ、イザナは言葉にできない幸せを感じ思わずほにゃりと顔が緩む。何より母が言った"お兄ちゃん"という言葉にじわじわと実感が押し寄せ、感動したのである。

 そんな母子の姿を先程まで隣で落ち込んでいた大王は優しげな表情で見つめながら、改めて自分の妻である女性に向けてぺこりと頭を下げ言った。


「イザナの時も思いましたが、改めて出産とは奇跡なのだと実感しましたよ。本当に人とは凄いものだ。ヒナタもお疲れさま。頑張ってくれてありがとうございました。」

「…まぁ、貴方にもお礼を言っておくわ。これも手伝ってくれた子達から聞いたんだけれどね、今回予定よりも出産が早まったせいで色々危ない所もあったけれど、貴方が作ってくれたお薬のお陰で助かったって。この子が無事に生まれてこられたのは貴方がいてくれたからよ。……ありがとうカムイ。側にいてくれて。」

「ヒナタ…。」

「ああもう。ほら、良い年した大人が泣かないの。子供達の前でみっともない。貴方は大王なんだからいい加減シャキッとなさい!これから収穫祭の準備もあるでしょう。貴方がしっかりしないと皆困るんだから。私もこんな状態だし、手伝いだって少ししか……」

「姫様。無茶も大概になされませ。どうしてこんなことになったか、もうお忘れですか。」

「げっ、アカネ……。」


 二人が話している最中、手に粥と白湯を載せた盆を携えてアカネが部屋へと入ってきた。すると、それまで元気にわあわあ話していたヒナタは蛙が潰れたような声をあげ、ふいっと目を明後日の方へ向け心なしか汗もかいている。そんな主人をアカネは半眼で睨み、溜め息をつきながら手に持った盆を置くと彼女の側で静かに告げた。


「げっ、とはなんですか。げっ、とは。私、再三申し上げていた筈ですよね?臨月になったらいつ産まれてもおかしくないから絶対に無理はなさらないでくださいと。物を持つなどもっての他だとも。だというのに、どうして貴女様は目を離すとやれ掃除だ、洗濯だ、と動き回るのですか。挙げ句の果てには畑の収穫まで。その様な事は全て私達使用人がすることです。貴女様はこの村の長の奥方であり、次代の巫女であり、妊婦だったのですよ。今回は何とかなったから良かったものの、少しは御身のお立場を考えて頂かなくては。仕える私共の魂が幾つあっても足りません。侍女頭のトミさんが真っ青な顔で泣きながら倒れたと知らせに来たときは私も肝を冷やしました。」

「ご、ごめんなさい……。」

「大王もですよ。いくら火急であったとはいえ、御身のお力は私達下々と違い、神の御技なのです。奇蹟と呼ぶに相応しいその技をあのように使うものではありません。御館様からも重々気を付けるように言われていたではありませんか。この村の者は御身の事情を知っている者ばかりですから良いですが、収穫祭には余所からも人が集まるのです。気を付けていただかねば困ります。」

「す、すみません……。」


 訥々(とつとつ)とアカネに説教され、二人はしゅんと項垂れた。その光景を母の腕の中で窺いつつ、内心イザナはまた始まったと苦笑していた。

 母であるヒナタは今年で二十六歳になる黒曜石を想わせる黒く煌めく瞳と、普段長く艶やかな黒髪を頭の上の部分で一つに結い、結婚する際にカムイから貰ったというお気に入りの櫛を差すだけの女性としては少々飾り気の少ない動きやすい格好を好む活発で自由奔放な人だ。その昔、巫女としての能力が高く次の巫女としてお社での修行を積んでいたのだが、本人曰く「もっと広く世界を知るために、旅に出る」と書き残し、実際は堅苦しいしきたりを嫌い一族を出奔。その後中つ国中を旅していたところ父のカムイと出逢い、苦楽はあったが大恋愛の末結婚し、この村へ戻ってきたと言う。その時にも一悶着はあったらしいが、巫女として期待されていたこともあり、現在の巫女様からの助けもあって、次の巫女を継ぐことを条件に村に屋敷を構えて度々お社で御勤めをしつつ現在に至る。村の年寄りは"姫様"と呼ぶものも多いが、今では彼女の事を"巫女様"と呼ぶものも多く、村では現在の巫女様の事は"大巫女"や"御館様"と読んで区別している。

 また、父である大王ことカムイは、見た目は母よりは二つ三つ上くらいで、同じ年代の村の男衆に比べるとひょろりとして色も白く、顔も厳つさとは無縁の、見方によっては女性に見えなくもない美しく整った顔立ちをしている。夜明けの空を想わせるような黒に近い濃い藍色の瞳と髪を持ち、その姿は老若男女の村人全てが見惚れるほどである。しかし彼の特異な部分は彼の出自で、その実態は天孫の一族が祀る父神自らが産み出した三神の一人、歴とした神である。なぜそんな人物が天空にある神々の国"高天原"ではなく"中つ国"にいるのかは、イザナは詳しく教えられていないが、その事実は黄泉の一族にあっても一部のもの達しか知らない秘匿されるべき秘密であった。

 そんな二人だが、年の離れたアカネに説教をされ落ち込んでいる姿は実は珍しくない。

 というのも、アカネがこの二人に助けられた時、彼らは旅の最中であったのだが、ヒナタの自由奔放な性格とカムイの何処か抜けている天然さの成せる業で、行き当たりばったりの行く先々で面倒に巻き込まれ、彼女生来の気質が災いしてかその後始末を全て引き受ける羽目になった過去があり、それがきっかけで未だに二人はアカネに叱られると頭が上がらないのである。

 彼女自身、敬愛する主人達に対し最初は気が引けていたりしたものだが、次々舞い込んでくる面倒事に辟易し始め、イザナが産まれた事を転機に、次第に「自分がしっかりしなければ」と二人のやることに対し締めるところは締める方針に変更したのだ。

 何より彼女がお小言を言うのは、(ひとえ)に彼らを大切に思うからこそであることを皆理解しているので、叱られた二人も素直にならざるを得なくなり、アカネに向かい素直に頭を下げた。


「ごめんなさいアカネ。悪かったわ。この通り。私も流石に今回の事はまずいと思ってるし、実際危なかったしね。この子達のためにも、今度からちゃんと気を付けるから。だから怒りを納めてくれないかしら。」

「私もです。すみません。いくら慌てていたとはいえもっと他に方法はあったのに安易に力を使ってしまった。いつも君や村の人達が助けてくれるから私もつい甘えてしまう。私の悪い癖です、赦してください。」

「……分かってくだされば良いのです。以後、気を付けていただければ。私も言い過ぎました。出すぎた真似をいたしましたこと、御許しください。」


 二人が反省したことでアカネもとりあえずは納得して自身の従者らしからなぬ言動に謝罪し、この件については納めてくれた。そしてそれを見計らったかのように赤子が目覚め、イザナ達を見てにこぉっと微笑んだ顔を見せたので、その場の全員が相貌を崩した。


「ねえ、この子の名前は?名前は決まったの?」


 一人蚊帳の外にいたイザナは、気になっていた事をヒナタに尋ねた。


「ええ。ね、カムイ。」

「はい。前から二人で決めていたんですよ。子供が産まれたら男の子なら"イザナ"。そして……」


 女の子なら"ミコト"です。

 カムイはそう言って名を告げ、赤子の頭を優しく撫でた。


「ミコト…。」

「そうよ。意味は沢山あるんだけど"(とうと)い、大切な"という意味も持つ言葉でね。貴方達が産まれるとき、本当に沢山の人が誕生を祝ってくれたし、何より貴方達二人は私達の宝。だからその事を忘れないで、人を愛して人から愛される様な、そんな子になって欲しと思って。イザナ、貴方の名にも沢山の意味があるけれど、その中に"導く"という意味があるのは前に教えたわね。これからこの子を助けてあげてね、お兄ちゃん。」

「……うん。わかった。ミコトは僕が守るよ。宜しくね、ミコト」


 イザナは小さな手を握り締め、胸の前に持ってきて自分の心に誓いを刻むよう、ゆっくりと名を呼んで産まれたばかりのミコトを見つめた。


「さあ、若様。姫様もまだ少しお休みさせて差し上げなくては。姫さ……奥方様も食べれそうならこちらを。若様が獲ってこられた野鳥で出汁を取った粥です。少しでも良いですから召し上がってください。それからこのお薬を。血を増やす効果がありますから、飲んで安静になさってくださいませ。」

「ありがとう、頂くわ。」

「大王と若様の分は別室にご準備しておりますので、そちらで。大王は一刻程後に収穫祭当日の来賓の確認、供物の準備と合わせて儀式での舞手との打ち合わせもございます。今年の来賓には先日書簡にて御連絡の有りました岩戸の大王様から、急遽お連れ様を同席させると先程使いが参りましたので、ご確認をお願い致します。……それから、先程お社からも使いの者が参りまして、その…、御館様から一度顔を出すように……と。」

「うわぁ……。やっぱりですか…。」

「仕方がないわよ。潔く怒られていらっしゃい。お(ばば)様に隠し事は無理だもの。」

「他人事だと思って。……仕方ない。お腹が減っては出来ることも出来ませんし…。アカネ、悪いのですが、こちらの事は後は私がやりますからイザナと先に行って準備をお願いできますか?私はあと少しだけヒナタと話がありますので。貴方達もお腹が空いたでしょう?先に食べていても良いですよ。」

「かしこまりました。」

「わかった。お父さんも早く来てね。お母さん、ミコト、またね。」

「ええ。イザナもご飯しっかり食べて、ゆっくり休んでね。」


 ぱたぱたとイザナがアカネと共に部屋から出ていく。その様子を笑顔で見送る二人だが、足音が遠退くとヒナタが声をかけてきた。


「で?二人を部屋から追い出して私に話したいことがあったんでしょ。何?」


 と、実に彼女らしく歯に衣着せぬ言い方で、ヒナタは核心を聞いてきた。


「追い出すとは人聞きの悪い。まぁ、間違ってはいませんが……。君の体調もありますし、手短にだけ。……子供達の能力(ちから)についてです。」


 苦笑いの表情を引き締め、カムイが告げる。


「アカネからの報告にもありましたが、貴女の叔父上の岩戸の大王が今度の収穫祭にいらっしゃるのは知っていますよね。その時に連れを連れてくるとも。その連れなのですが、どうも私の一族の者の様なのです。私がこの地に居ることを何処からか聞き付けたようで、今回かなり強引な方法でこの祭りに介入しようとした所を叔父上が条件を出して了承した、と先程直接私に御詫びが来ました。」

「天孫の一族が……。なんで今頃……。」

「わかりません。十年を経て、今はもう姉や兄は実質この中つ国ではなく父のいる"高天原"にいますから、あの一族は現在統治者不在の状況で、いくつかの派閥の様なものに別れて統治を行っているようです。しかし、ここ数年は私達兄弟がいた頃に比べ余り良い噂を聞きません。現状、一族で唯一の"現人神(あきつかみ)"である私を御飾りでも長に据えようと考えたのか、はたまた別の理由か…。どちらにせよ私はもう一族のものではないし、今更何を言われても歓迎できないのは確かです。」

「そうね。本当、昔からあの一族って録なことしないわよね…。お陰で何度馬鹿な理由で戦をする羽目になったか…。でも、そうか。だから…。」

「そうです。あの頃、私達に近かった者程我ら兄弟の"能力"に狂信的だった。我ら兄弟の力は父神より授かった"創造の力"。その様な奇跡を人の身が目の当たりにすれば致し方ない事なのは分かりますが、些か度が過ぎている。先日のお社での祝詞(のりと)で発現したイザナの能力は間違いなく私と同じものでした。本人に自覚は無いでしょうが、強さも同等かそれ以上。ミコトも同じ可能性がある以上楽観はできません。今一族を纏めている者達は当時私達兄弟の側近や侍女だった者達です。何の用で来るかわからない上、子供達への危険だけは何としても防がなければ。」

「具体的にはどうするの?」

「本当はもう少し後から行う予定だったんですけどね。今はまだこの力の本質を知らせないで猟の中で徐々に使い方を学ばせていたのですが、本格的にイザナに能力の使い方を訓練させようと思います。そして力の制御をある程度出来るようになれば、村の他の子供達の中に紛れる事が出来るでしょう。ミコトはまだ生まれて間もないから今度の祭に顔を会わせることはありませんし、目玉は御館様の"託宣の儀"ですから、祭の間だけならそれで何とかなるかと。」

「そう巧く運ぶかしら…。でも、考えすぎてもしかたないか。何事もなく杞憂に終わればそれで良いしね。打てる手を打たずに後悔だけするのは嫌だもの。お婆様には……」

「後程、私が伺った際にでも伝えておきます。御館様のお力とお社の守りの中で事を起こすのは私でも難しい。守護の力においてあの方の右に出るものはこの中つ国にはいませんから。……まぁ、先に怒られるんですけど。」


 暗い話はここで終りとばかりにカムイは話の最後おどけたように笑った。


「お婆様位よね、貴方を叱るなんて事が出来るのは。」

「ええ。親に叱られるって、きっとあんな感じなんでしょうね。未だに頭が上がりません。」


 ヒナタも続けておどけるように肩を竦めて笑ったが、カムイは苦笑いしつつも「ですが。」と続けた。


「あの方や村の皆が居てくださったから、今の私があるんです。何時も思います。ここは良いところだと。一族でも無い私を受け入れ私達家族のことも自分達の事みたいに一緒になって考えてくれる。だからこそ、私に出来る精一杯で皆さんに恩を返したい。十年前のあの日以来前程の能力は使えなくなってしまいましたが、それでも未だ神の領域のこの力。あらゆる災禍を祓い、この地の安寧を守ってみせます。」


 そうぽつりとこぼした彼を、ヒナタは静かに見つめていた。

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