第零話
初投稿です。よろしくお願いします。
ーその日の事はきっと、忘れることはないだろう。
秋の収穫が終わり、大地の恵みに感謝を捧げ行われる収穫祭当日。村の広場の御神木を背に焚かれた篝火の中、楽の音に合わせ舞踊る者、詩を唄う者、家々から持ち寄った御馳走に舌鼓をうつ者、皆が一同に集い笑い合う一年で一番楽しい日。
に、なる筈だった。
嘲笑うような三日月が雲の隙間から此方を窺うようになけなしの光で木々の間を照らす様は、ともすれば舞台に照明を当てるような、何処か物語の一幕を見ているようで、これが現実の事なのだと頭が理解することを拒絶している。
パチパチと、火の粉の爆ぜる音が耳を打つ。
それは篝火の闇夜を照す輝きではなく、突如として現れた雷鳴がもたらした業火が、全てを呑み込み焼き尽くす音、あらゆるものを絶望という名の灰塵に変えていく、音。
生まれ育った家も。
みんなで大切に育てた作物も。
村の中心で、いつも悠然と佇んでいた大きな御神木も。
そして、大好きな村のみんなも。
全て、瞬く間に焼き尽くされていく。
「逃げなさい」
広場から少し離れた廃屋と化した家の影で、余りの光景に呆然と立ち尽くしていた僕を庇う様に、一人、目の前の父がそう僕に告げる。
「お父さん……」
「彼等の目的は私です。此処は黄泉の一族の力が強い場所ですし、今ならまだ子供一人、闇に乗じて逃げられる。猟の時に気配の消し方は習ったでしょう?君は優秀だから、きっと出来る。ここから無事に逃げたら、岩戸の村の叔父上の元へ行きなさい。きっと助けてくださいます。」
「どうして……」
普段の優しい声とは違う焦りを含んだ父の声。僕はまともに返事を返すことも出来ず、ポツリと零れたその言葉に父はこちらを見つめ今にも泣きそうな、悲痛な顔をして続ける。
「すみません。本当ならもっと沢山の事を君に教えてあげたかった。色んなものを見て、色んな事を経験して、いつか君が大人になって愛する人や友達と幸せに暮らせるように。でも、他でもない私がその未来を奪ってしまった。だからせめて、君だけでもここから無事に逃がしてみせます。」
「お父さんは……?お父さんは一緒に行かないの?いやだよ、ひとりぼっちはいやだ。どうして、こんなことになっちゃったの?僕が我が儘言ったから?駄目って言われたのに、力を使ったから?だから、お母さんもいなくなっちゃったの?僕が悪い子だったから……村も……みんなも……っ!!」
「違うっ!!決して君のせいなどではない!!」
その時、一際大きな音と共にかつて御神木と呼ばれていた大木がまるで悲鳴のような音をたてて崩れ去った。ハッと父が振り向いたその向こうから、おおよそこの場に似つかわしくない、射干玉の髪を緩くまとめて背に流し、紅の袴に雪のように白い打掛を纏ったこの世のものとは思えない美貌の麗人がゆっくりとこちらに向かって歩いてくる姿が見える。その手には、黒く輝く刀身に雷を纏った一振りの剣が握られており、その人が剣を一薙ぎすると雷鳴が轟き、辺り一面を炎で焼き尽くしていく。その姿はまるで昔話で聞いた荒神の様に見えた。
「大王!若様!!良かった!此方にいらっしゃったのですね!」
ゆらり、と焼けた廃屋の影から、一人の女性が陽炎のように現れ、此方を確認するなり、安堵の声を上げ、駆け寄ってきた。
「アカネ!!無事だったのですか!」
「御館様から命を受け、生き残った者達を探し村の外へ避難させておりました。後は御二人のみです!私が殿を務めます故、早くお逃げください!!」
「……それはできない。この子と貴女ならまだしも、私を見逃すことはありません。見つかってしまった今、目的が私である以上逃げ続ける限り被害は酷くなる一方でしょう。何より彼女をあの場に遺しては行けない。それよりも、私があの者の相手をしているあいだに、皆とこの子を連れて少しでも遠くへ避難してください。」
「そんな……!!御身にもしものことがあれば、姫様に顔向けできません!!」
アカネと呼ばれた女性はなんとか説得しようと必死にいい募るが、父は頑として譲らず、静かな、しかし決意の籠った眼差しで僕を見て、優しく抱きしめて言った。
「よく聞きなさい。ここから出たら君にとって沢山の初めてに出逢うでしょう。辛いこと、苦しいこと、悲しいこと。沢山の理不尽が君を襲うかもしれない。でも、どうか忘れないで。それに勝る程の喜びや感動がこの世には沢山在ることを。君には私の血のせいで、人とは違う力があるけれど、そんな事は些細なことです。それよりも君にはこの村で培った丈夫な身体と、何より、彼女……君のお母さん譲りの他人を思い遣る優しい心があります。どうか、君は君らしくあってください。そして、これから出逢うだろう人達と助け合って強く生きてください。……イザナ、君に沢山の幸せがありますように。」
時間がない。さぁ、行って。
父はその一言を最後にアカネに僕を預け、こちらに向かって来る人物に向かい歩き始めた。アカネは瞳に溢れんばかりの涙を溜めながら歯を食い縛り、それでもその背に一礼すると踵を返し、僕を抱えたまま走り出す。どんどん遠ざかる父の背中に、僕はただ、声の限りに父の名を呼び続けた。
これは始まり。
この"中つ国"を巻き込んだ、天孫と黄泉の一族、僕自身に纏わる数奇な運命の、そして沢山の人々との出会いの始まり。
いつか来る、旅の終わりまで続く、僕が僕になった物語。