第六話 貫け、芸風
生きている人間の方が霊より強い。
それは絶対の真実だ。
霊とは死を迎え、霧散すべき魂が、なにかの要因で留まってしまった存在である。
逆に言えば、人間から肉体や精神の大半を差っ引いた残骸なのだ。
無論、足されるものはなにもない。
つまり、生きている時よりも強い道理がないのだ。
真昼間に暴れまわる悪霊を見たことがあるだろうか?
間違いなく、ないだろう。
光はそれ自体がエネルギーである。
物理的には極めてもろい悪霊は太陽やライトに照らされただけで霊体が崩れ、存在が希薄化してしまう。
結局、霊とは弱々しく、力なき存在なのである。
現世にいてはならないと言うよりも、いても仕方がない、いる意味を持てない連中なのだ。
先ほどのように、ごく狭い閉鎖空間ではポルターガイストを発生させ、物を飛び回らせることはできる。
ポルターガイストの対象は生命のない物品に対してだけで、人間や動物を浮かせることはできないらしい。検証はあくまで俺の体験のみだが、その限りでは例外はなかった。
霊は人間に憑いて、生命力を奪うことができる。
ただ、基本的に疲労が増す程度で、大抵の場合、数日で自然解消する。
憑依を維持し続けるのは、悪霊にとってもそう簡単な話ではないようだ。
俺の場合は長年に渡って複数の悪霊が憑いているから、また別なのだが。
ただし、霊はまったくの無力ではない。
幻影を操って恐怖をあおり、認識の錯誤を引き起こせる。
人間は感覚器からの入力を脳で処理して認識を『生み出す』から、脳が疲労したり心が不安定になると、たやすく誤作動を起こすのだ。
つまり影響範囲はあくまで脳内のみ。
だが、人間は認識をもとに判断、行動するため、場合によっては致命的となる。
例えば急カーブの山道を真っ直ぐと思わせ、崖から車を転落させる。
幻影による恐怖でパニック状態へ陥らせる。
車道に飛び出させたり、しつこい過重ストレスで心を押し潰し、発狂や自殺に導く……など様々だ。
忘れてはいけないのは、破壊の実行者は霊ではなく、本人である点だ。
繰り返しになるが、霊自体は力なき存在だ。
恐れなければ、連中はなにもできない。
ちょうど、今の俺に対してそうであるように。
重く、低いうなり声が迫ってくる。
黄色くにごった獣の目が三対、深い闇の中から俺をにらんでいた。
「なんだよ、もうネタ切れか? また犬……いや、もしかして狼か、これ」
とたとたと足音を立てながら、三匹の狼達が姿を現す。
お、ちょうど月明かりが戻ってきたな。お陰で姿もよく見えるようになった。
この部屋は狭いはずなのに、俺との距離は五メートルほどもあるように感じられる。どうも距離感を狂わされているようだ。こんな時は動き回ってはいけない。壁に激突したりするからな。
狼達は威嚇しつつ、じりじりと距離を詰めてくる。
俺は座ったまま、落ち着きはらって奴らを眺めていた。
もし来美がここにいたら、俺と同じように振る舞うのは難しかっただろう。
恐怖は結果として悪霊達を利してしまう。
だから俺は彼女を帰したのだ。
「ふーん、ゆっくり迫った方が怖いとか、そんな理由か? てか、三匹だけだったのかよ」
これなら影の状態の時の方が、怖かったぜ。
何匹いるかもわからなかったし、もっとでかいかと思っていた。鼻にしわを寄せ、牙を剥き出す姿は確かに恐ろしいが、サイズ的には動物園にいる奴とほぼ変わらない。
「ん?」
唸りながら、三匹のうち両脇の二匹が中央の狼に近寄っていく……と、しゅるりと吸い込まれるように合体した。
「うおおおっ!? なんだ、それ!?」
一匹だけになった狼はむくむくと成長していく。
顔にぽこりと幾つもの目が浮き出た。
ぎょろりとあちこちを睥睨しつつ、目は顔の上を移動していく。
ほどなく、ずらりと三対の目が並ぶ、虎よりも大きな狼が出現していた。
ヤバい、ちょっとかっこいいと思ってしまったぜ。
やはり合体は男のロマンだな。コンゴトモ ヨロシクとかそんな感じの。
こいつはしょせん霊体だから、なんでもありと言えばありなのだが。
よし、なかなかいい感じだったので、お前を魔狼と呼んでやろう。
かっこいいぜ、魔狼!
「しかし、邪魔だな。でかい図体でそんなところにいるから、暗くて――」
言いかけて、俺は違和感を覚えた。
魔狼は恐ろしくでかい上に、俺と窓との間にいるから、月明かりをさえぎってしまう。
さえぎってしまう? 霊体が、明かりを?
月に照らされ、悪霊の姿がくっきり見える……なんてことは普通あり得ない。直接の日光よりは微弱だが、月光は太陽の光が月に反射したものだから、エネルギーには違いない。照らされるとむしろ霊は薄く、見えにくくなるはずだ。
だが、床には魔狼の影も落ちていた。
霊が影を作るなんて、あるのか?
さきほどから部屋の中に漂っている獣臭が錯覚でないとしたら、俺は至近距離で巨大な猛獣と対峙しているってことになる。
じんわりと背に汗がわく。
もしこいつに実体があるのなら、牙の一噛み、爪の一振りで俺は絶命するだろう。後はたいして食いでのない餌として貪られるだけ。都会のアパートの一室に、獣に食い散らかされた死骸が一つ残されるわけだ。警察もさぞかし首をひねるだろう。
来美の泣き顔がちらりと脳裏をよぎる。
あいつが明日ここへ来て、俺のそんな姿をみてしまったとしたら――
い、いやいや。待て待て。
落ち着け、恐怖すれば向こうの思うつぼだ!
魔狼が軽く身じろぎをして、みしりと床が鳴った。
俺は思わず腰を浮かしそうになったが、どうにかこらえた。
こちらの様子が変わったことを察知したのか、魔狼は一歩前足を踏み出し――
転がっていたペットボトルを踏み潰した。
ぽしゅっ、と間抜けな音がして、勢いよく炭酸がふき出した。
興味を引かれたように足元へ鼻先を向け、魔狼は床を濡らす炭酸飲料をなめる。
気に入ったのか、ぴちゃぴちゃと舌を鳴らす音が続いた。
俺は完全に硬直していた。
こいつは、実体化している。本当にそこにいるのだ!
俺の恐怖と混乱が呼び水になったのだろう。
突然、魔狼は遠吠えをはじめた。
ウォォォォーン、と狭い部屋に咆哮がこだまし、窓ガラスがびりびりと振動した。
そして、なにもない空間にぽこりと穴が開いた。
マンホールほどのサイズの真っ黒な穴が。
呆然と見守るうちに、穴から汚泥のようなものがひり出されてきた。
腐臭が鼻をつく。
がちゃん、と床が鳴る。
泥の中になにか――鎖のようなものが混じっていたようだ。
いや、鎖だけではない。
よく見れば、他にも骨らしきものや内臓、黒い髪の房が浮き沈みしている。
ばらばらにされた人体のパーツのようだった。
汚泥はぼこぼこと泡立ち、より集まって形をなしていく。
骨などのパーツもぶつかり合いながら、あるべき場所へ収まっていった。
現われたのはやはり人――若い女の身体だった。
許しを乞うようにひざまづき、頭を床につくまで伏せている。顔は隠れて見えない。
異様なのは、前に投げ出された両手。
左右の手首は鉄の輪でがっちり拘束されており、太い鎖が連なっていた。
女はガサついた布地をくすんだ青で染めた和服を着ている。
汚れもひどいが、そもそもかなり粗悪な代物らしい。
こいつも実体なのか、違うのか。
当然の疑問さえ心に浮かばない。俺は完全に恐慌をきたしていた。
魔狼の横で完全な人間の姿と化した女は、ゆっくり上半身を持ち上げ、蓬髪の間から怨念を宿した目が――
「う……うわああああああっ!!」
瞬間、俺は悪霊の前で絶対にやってはいけないこと――パニック状態で逃走をはかる――をしてしまった。心の片隅で警報が鳴り響く。
まずい。連中はもう俺の現実認識を歪めているのだ。
本当はペットボトルは潰れていないのかも知れない。
だから、落ち着け! 足を止めろ!
お前は自分がどこに向かって走っているのかさえ、わからなくなっているんだぞ!
悪霊と関わり続けた経験がよみがえった。
俺は歯を食いしばって逃走を中断しようとしたが、すでに手遅れだった。
床が、消えていたのだ。
「えっ!? ちょ、まっ……!!」
踏み締めるべき場所はどこにも見当たらない。
当然の帰結として俺は落ちた。
あっと言う間に速度が上がる。
先はぼんやりと光っているだけで、一体どれだけの深さがあるのか、見当もつかない。
「くそっ、いくらなんでもこんなのありかよ! 派手過ぎるだろ、今夜は!!」
叫ぶとわずかに心が静まった。
そうだ。
こんなスペクタクルは初めてではあるが、ある意味いつもと同じだ。
いつもと同じ心霊現象、いつもと同じ幻影に過ぎない。そのはずだ。
「芸風変えろって言ったの、失敗だったかな……」
俺はどうにか苦笑いを浮かべるだけの余裕を取り戻していた。
慌てて無闇に暴れてしまうと、本当の危険を招く。
俺は今、現実認識がおかしいだけなのだ。本当は自分の部屋にいるのだろう。
そして幻影はいつまでもは続かない。
だから、落ち着けばなにも問題は――
「――、――っ!?」
「キャウーーン!?」
俺の斜め後ろで、狼狽した(狼だけに)魔狼と女が手足をばたつかせていた。
「って、お前らもかーいっ!」
ツッコミはただ虚空に消え、俺達は仲良く奈落へと吸い込まれていった。
合体は男のロマン! 異論は認めます。
そしてようやく異世界へ旅立ちました……オーラ〇ードが開かれたのだ!
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そして――予告ッ!!
次回『コミュ障は召喚くらいじゃ直らない』 年明けもタケルと地獄につき合ってもらう!
新年、1/1 21~22時頃の更新予定でございます。
よいお年を~♪