第五話 バ〇サンで除霊はできない
最初に起きたのは、停電だった。
部屋はふたたび闇に落ちた。
冷蔵庫の音も止まり、街灯が消える。
いつの間にか月もかげった。
俺のアパート周辺は暗闇に閉ざされてしまう。
空気が、ピンと張り詰めた。
ざわっ、ざわりと異様な気配が撒き散らされた。
視界の端を影がかすめていく。
ひぃひぃぃぃ……と、切れ切れに鳴る異音。
まるで女性の悲鳴のようだ。
そこへ今や聞き慣れた荒々しい呼吸音が混ざり出す。
伝わってくるのは、どろりとよどむ澱のような恨み。
身を焼き尽くすほどの憤り。
深く際限のない復讐心。
すなわち、怨念。
これらの感触には、いずれもなじみがあった。
間違いなく、俺に憑いている悪霊どもの気配だ。
ポルターガイストだけでは飽き足らないらしい。
連中は総出で現れることにしたようだ。ご苦労なこった。
「た、たけるん! またなんか来たよ!?」
「ああ、そうみたいだな。ちくしょう、こりゃダメだわ」
俺は床に散乱していた衣類の中からTシャツと短パンを拾い上げた。
手早く身につけ、スマホもポケットに突っ込む。
これは大事なものなのだ。
あまりの状況におびえ、理解が追いつかない様子の来美に苦笑いしてみせる。
「悪い、来美。なんか今夜はやばい奴らが張り切ってるみたいだ。やっぱり、帰ってくれよ。送ってはやれないから、表通りに出てタクシーでも拾ってくれ」
なけなしの生活費が入った財布をぽんと手渡す。
頼むから、全部は使わないでくれよ。
我に返ったのか、来美は俺の腕をつかんだ。
「な、なに言ってるのっ!? こんなとこにいたらダメじゃん! 一緒に逃げないと!」
「こいつらは俺に憑いてるって、教えただろ。俺と一緒に逃げちゃ、意味ないんだよ」
俺はどこに行っても悪霊から逃げられない。
聖地も除霊の儀式もまったくの無駄だ。
そのことは散々思い知らされてきたし、諦めてもいるのだ。
来美にリュックを押しつけ、強引に玄関へ追い立てる。
そうしている間にも、奴らはいよいよその存在を顕在化させつつあった。
「俺は大丈夫だ。慣れてるからさ」
「嘘! こ、こんなことがそんなにしょっちゅうあるわけないじゃん!」
見えるだけあって、さすがに鋭いな。
確かにここまでヤバそうなのは、初めてだった。
しかし、心霊現象というのは基本的に同じものなのだ。
「大丈夫だってば。いいか、来美。生きている人間の方が絶対に強いんだよ。どんな悪霊よりもな」
「え……?」
不気味な気配が充満してきた。
のんびり説明している暇はなさそうだ。
「とにかく、まかせろって。実は来美がここにいると、逆にまずいんだ。正直、帰ってくれないと俺が困る」
「……ほ、本当に?」
「ああ」
「本当に、まじにそうなの? たけるん、嘘ついてない……!?」
俺は呆れたように返した。
「まじだってば。今度説明してやるから」
来美は俺の背後と俺に交互に視線を泳がせている。
後ろの気配はだいぶ濃い。
明滅する霊体でも見えているのかも知れない。
俺は彼女をドアの方に軽く押し、一歩下がった。
来美は足を靴に突っ込んだものの、ドアを開けずに固まっている。
踏ん切りがつかないようだ。
その時、天井からなにか――人の頭らしきもの――が落下してきた。
それは俺たちの中間で廊下に激突し、ぐしゃりと潰れた。
ひっ、と来美は喉奥を鳴らす。頭は闇に溶けるようにかき消えてしまう。
俺は思わず微笑んでしまった。
「本当に見えているんだな。こんな時になんだけど、すげぇ嬉しいよ」
「たけるん……」
「来美に話したいことがいっぱいあるよ。つまらない愚痴ばっかりだけどさ」
「い、いいよ。聞かせてよ。たけるんのこと、うちも知りたいから!」
俺は彼女の方を向いたまま、さらに数歩、部屋の方に戻った。
軽く両手を広げ、おどけてみせる。
「俺はこいつらとつきあわなくちゃならない。俺に憑いている奴らだからな。まあ、しょうがないよな」
なんでぼろ泣きしてんだよ、お前。
美人が台無しだぞ。
「だから、来美はもう行ってくれ。さっきも話したけど、生きている人間の方が強い。だから心配するなって」
俺の台詞にはけっこう説得力があったはずだ。
なにしろ、真実しか言ってない。
ただ、語っていないことがあるだけだ。
「――わかった。まじ大丈夫なんだよね? うち、信じていいんだよね!?」
「おお、まかせろってば。ほら、もう行けよ」
来美は後ろ手にノブを回したようだ。
かちゃりと音がして、ドアが開く。
まだ月は出ていないが、さすがに部屋よりは外の方が明るい。
来美は危うい足取りながら、表に出てくれた。
「そうだ。お願いがあるんだけど、いいか?」
目じり一杯に涙をため、来美がうなずく。
「奴ら、やけに元気だからきっと一晩中大騒ぎになる。終わったら俺、爆睡しちゃうと思うから、朝になったら起こしに来てくれよ」
まあ、相当疲れそうだから、結局は起きれないかも知れないが。
しかしこの場合は来美に役割を持たせ、ここから離れやすくしてやればいいのだ。
「来美にしか頼めないんだ。ぼっちだからさ」
俺は口の端をゆがめて、にやりと笑った。
つられてくれたのか、来美もかすかに口角を上げた。
「わ、わかった……。わかったよ、たけるん。ぜ、絶対来るから! うち、朝になったら絶対……来てあげるから、待ってて!!」
「ああ、頼むぜ」
「うん……待ってて……待っていてよ、絶対!」
嗚咽をこらえるためか、掌で口元を押さえ、来美は身を翻して駆け出した。
ドアがゆっくりと閉じ、部屋は一層深い闇に閉ざされる。
彼女の気配が遠ざかり、完全に消えた。
なんとか間に合ったようだ。
やれやれ、まるで不吉なフラグが立ったみたいだな。
このあとは確かに大変なことになるはずだが、命に支障はないのだが。
振り返ると、巨大な鮫の顎が目前にあった。
猛然と食いついてくるそれを、かわさず足を進めた。
ぞわりと悪寒が走る。
ちょっと意表を突かれたせいで、生命力を吸われたようだ。
でも、本当は鮫なんてどこにもいない。
当然だろ? ここは部屋の中なんだから。
ふと見れば、床の上はびっしりとおぞましい蟲達であふれかえっていた。
俺は無造作に部屋の真ん中までいく。
ぶちぶちと柔らかいものを踏み潰す感触や首筋を蟲が這い回る感触がする。
もちろん気のせいだ。
先日、燻蒸式の殺虫剤を使ったばかりなのだから。
あれで除霊もできればいいのだが、さすがにそうはいかないよな。
どっかり腰をおろすと、蟲の群れは消え去った。
「今日はなかなかリアルだな。けど、芸風が変わり映えしねぇんだよ。もっと努力しろ」
言ったとたん、生暖かいものがどざっと頭上から降り注いだ。
湯気を放ち、血まみれのなにかの臓物。
強烈な臭気を覚えた気がするが、もちろん勘違いだ。
コントじゃないんだから、天井からそんなものが降ってくるわけがない。
「やべえ、そういえばもう晩飯の時間だった。焼肉食いてーな」
ぎゅるるる、と腹の音が鳴ると臓物らしきものはどろどろと溶けてしまった。
今度は薄気味悪い、泣き声が聞こえてきた。
真っ白でぶくぶくに膨れた赤ん坊が不意に現われた。
怖気を催すようなすばやさでハイハイし、近寄って来る。
冷たくしめった小さな手が俺の身体をつかみ、這い上がって来た。
――ように思えたが、言うまでもなく錯覚だ。
童貞に水子っぽい霊とか、なめてんのか。
瞬きをすると、赤ん坊は消滅した。
「つーか、趣味の悪いもん見せるなよ、バカ野郎!」
いささか頭にきて、吐き捨ててやった。
俺はけっこう子供好きなんだぞ。
とは言え、まだ俺はほとんどなんの実害も受けていない。
――いや、できないのだ、連中には。
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