第四話 異世界 湯けむり旅情
「――って、言われてもなぁ……」
俺は熱いお湯に肩までつかった。
ため息をついて、ぐたっと岩に背を預ける。
温度は高めだが、肌への刺激はすくなく、心地よい。
ありがたいことに、避難所の一角には温泉がわいている。
神尊達もここで身体を癒すらしい。
食事は不要とは言え、疲労はするし、癒しも必要なのだろう。
ただ商業施設ではないから、特に整えられているわけではない。
単純に岩場のくぼみにお湯がたまっているだけである。
脱衣場もなければ、男女別にも分かれていない。
突き出た岩が目隠しになっているが、それもたまたまだろう。
そもそも神尊達には肌をさらすことの禁忌はないそうだ。
彼らは生来、服を着る習慣がなかったのだから、当然ではあるが。
裸を見れば年中発情してしまう人間の方が、珍しい生物なのだ。
濡れた天井から雫が滴る音がしている。
周囲はかなり暗く、湯気さえもよく見えない。
景色を楽しむとはいかないが、貸し切り温泉と思えば悪くない。
ヒャクソ婆との話が終った後、俺達はひとまず眠ることにした。
ところが、俺だけが寝つけなかったのだ。
疲労困憊しているはずなのだが、緊張が解けていないのかも知れない。
少しうとうとはしたが、すぐに目が覚めてしまった。
ハナとアカツキはぐっすりと寝入っていた。
神尊はともかく、悪霊も寝るとは思わなかった。偽体のせいだろうか。
いずれにしても、二人とも神経が太くてうらやましいぜ。
――短い間に、色々なことがありすぎたよな。
本当に信じがたいような一日だった。
洞窟の中だから時間はよくわからないが、もう深夜に近いだろう。
――来美の奴、心配しているだろうな……。
あれだけ格好つけた後で、俺は忽然と消えてしまったのだ。
アパートに来た来美は大きなショックを受けたはずだ。
だが、もう連絡する術はない。
スマホはもちろん、圏外だ。
こちらへ来た直後、来美からのメッセージは確かに届いた。
俺が撮った写真もたぶん来美に届いているはずだ。
あの時はまだ二つの世界が繋がっていたので、ギリギリセーフだったらしい。
接続が完全に断たれた今では、もうやり取りは不可能である。
あちらへ連絡したければ、再度世界を接続するしかないだろう。
ただ、それもすぐにはできない。
召喚術には様々な触媒が必要だし、禁域の祈祷場――俺が最初に見た石柱のあるところ――で、数日間に渡る儀式が必要らしい。
そして禁域は連邦の手に落ちている。
ハナのせいで混乱に陥り、大きな損害を出したはずだが、
すでに別部隊が禁域内に進出しているらしい。
禁域を奪還しないことには、儀式どころではない。
祈祷場が破壊されている可能性だってある。
俺がもとの世界に帰りたいなら、神尊と共同戦線を張るしかないのだ。
「しかし……どうしたもんかなぁ……」
ふたたび、はぁぁぁっ、とため息をつく。
お湯が気持ちいいのではない。
いや、気持ちいいけど、それだけではなかった。
――俺は、どちらの世界を居場所にすべきなのか。
こちらへ来てから何度死にかけただろうか。
わずかなタイミングの違い、ちょっとしたボタンの掛け違い。
それだけで俺は死んでいたはずだ。
もとの世界より、こちらの方が格段にやばい世界だ。それは間違いない。
だから――だけど。
俺はもとの世界で生きていたと言えるのだろうか。
確かに差し迫った死の危険はなかった。
だけど、俺はただ生活するだけで半ば窒息していた。
生を謳歌していたとはとても言えないだろう。
そもそも絶対安全なんてあり得ないのだ。
交通事故に遭うかも知れない。
強盗に殺されるかも知れない。
不治の病にかかるかも知れない。
世の中、先のことはわからないのだから。
極論だが、間違いでもないはずだ。
まあ、いずれにしても現時点では帰れない。
だから結論は先延ばしにすることもできる。
しかし、はっきり指針を決めないと、どこかで迷いが出るだろう。
俺がおかれた状況では一瞬の躊躇が命取りになる。
この機会にしっかりと考えておくべきだった。
――まず、もとの世界にはアカツキは連れて行けないよな。
俺の記憶経由だが、アカツキはもとの世界についてある程度は把握している。
だからそれほど戸惑いはしないだろう。
あの娘が好きそうなものも、色々ある気がする。
そういう意味ではハードルは高くなさそうだ。
しかし向こうにはアカツキと似た者は、誰もいない。
俺がアカツキと共に居られるのはわずかな年月だけだ。
もとの世界では誰と縁を結ぼうと同じこと。
人と神尊では命のタイムスケールが違いすぎる。
連れ帰れば、やがてこれまで以上の孤独へ追いやることになるだろう。
アカツキはこの世界で神尊達に受け入れてもらう必要があるのだ。
――ハナを連れて戻るのも、気が進まない。
もとの世界にはろくに霊気がないのだ。
ハナが偽体化した理由もわからない。
もし戻ることで偽体化が解けてしまったら……顛末は明らかだった。
俺からの生命力供給は大幅に減少するだろう。
食事による補填もできず、ハナは悪霊へ戻ってしまう。
自力で生命力を得られると聞いて、涙を浮かべたハナ。
それがぬか喜びに終わってしまったら、どれだけ落ち込むことか。
ハナは普段明るく前向きだけど、落ちる時は奈落の底まで落ちる気がする。
普段の態度がアレだから忘れがちだが、彼女は悪霊なのである。
抱えている心の闇はきっと恐ろしく深いだろう。
彼女をそんな場所へ追いやりたくはない。
てか、そもそも――
「俺、帰りたいのかな……?」
戻れば、また慢性疲労の日々となる。これも確実だ。
うーむ……慣れていたはずだが、さすがに嬉しくはないよな。
ん? ちょっと待てよ。
ハナは実体化しているのだ。以前とは状況が違う。
つまり俺とハナは不可分の状態ではないはずだ。
もし彼女をこの世界へ置いて行くことができたら。
――それが可能なら俺は普通の日常へ戻れるのか。
例えそうしても俺の霊感は強いままだろう。
だが生命力を吸われなくなるから、慢性疲労はなくなる。
並みの悪霊に憑かれる程度であれば、そうひどいことにはならないはずだ。
普通ならそんなに長々と憑かれることはないのだから。
そしてあちらには来美もいる。
アカツキやハナと別れることができるのならば、俺は普通の人生を送れるのかも……?
「――なーんてな。却下だ、却下」
俺はざぶん、とお湯にもぐった。
つまらない思いつきは、綺麗さっぱり洗い流したかった。
思考実験にしても、馬鹿馬鹿しい。
俺はどうしたいのか?
もちろん、ハナとアカツキの傍に居たいのである。
自分から永別をはかるなんて意味不明だろう。
ならば、結論は自明だった。
俺はここに残る。
この世界に――俺達の居場所を作るのだ。本当の居場所を。
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次回更新は3/4(月)の夕方~夜頃になる予定です。
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