第二十九話 死が互いを分かつとも
『ア――ツキ?』
「そう、暁。暗闇に光がさしてくる――もうすぐ朝になる、って意味だよ」
『アカ、ツキ』
いや、それだと長年風呂に入ってないみたいだぞ。
実際そうなのかも知れないが。
女の子は瞼を閉じると、何度も繰り返し発音する。
『アカツキ。アカツキ、アカツキ』
「そう、アカツキ。別の名前がよければ、またなにか考えるけど……」
『いい。これにするよ。私は、アカツキ――』
静かに言って、アカツキは目を開く。
その時、俺の中からなにか根源的なものが彼女へ注がれていくのを感じた。
『あなたはタケル、ね。たぬきがそう呼んでた。アカツキはあなたから名前と知識をもらった。代わりにあなたに従い、あなたを助ける』
どうやら、本当の契約はたった今行われたらしい。
『よろしくね、タケル。これから私達は一緒よ』
「ああ、よろしくな」
俺はうなずいた。
突然、どろどろした怨嗟の念が俺を捕らえた。
うお、なんだ、これっ!?
まるで悪霊そのもののような――
『なんで、そこでうなずくんですかぁ……?』
視界の右下にハナの顔が表示されていた。
いつの間にか復活したらしい。
「おお。なんだ、やっぱり悪霊じゃないか」
『なんだ悪霊じゃないか、じゃないですよ! いや、悪霊ですけどね!?』
どっちなんだよ。
『復活した途端に噛みついてくるなんて、これだからたぬきは嫌ね』
『だからっ! ハナはたぬきじゃ……あ、あれ? この子、しゃべってますよ!?』
「なに言ってんだ、最初からしゃべっていたぞ」
『それはタケル様にだけです。わたくしには、妙な軋り声しか聞こえていませんでしたよ』
『アカツキよ、馬鹿たぬき。私はアカツキ』
『――へ?』
ぽかんとするハナ。
アカツキが名乗ったのが、そんなに不思議だったのか。
「いや、俺が名前をつけたんだよ。そうして欲しいって言われたから」
『……ばっ』
絶句した後、ハナは大声で叫んだ。
『ばかぁーっ!! なんでそう、うかつなんですか! 御身を大事にしろって言ったばかりなのにぃ! もう、なんてことを……なんたる、なーんたるっ!』
北欧あたりの谷に住んでいるカバ的な妖精のお兄様みたいな台詞だな、それ。
「うっかりにもほどがありますよ! 八兵衛か! 食いしん坊キャラになりたいのか!」
いや知らねぇよ、八兵衛とか。
「なんだよ、そんなに大事なのか?」
『大事に決まっているでしょう! 親子になったんですよ!? もう、これで誰も介入できないんです! タ、タケル様とその子の間には不可分の絆が――』
『アカツキだって言ってるでしょ。頭の悪いたぬきね』
『ああっ、たぬき呼ばわりと名づけ親のどっちに突っ込めばいいのか、わからないぃぃぃっ!!』
ハナは頭をかきむしらんばかりの勢いで煩悶している。
親子か。うーむ、確かにそこまでは考えてなかったな。
「ええと、そういうことなのか? アカツキ」
『そうよ、タケル。あなたがつけて、私が受けた以上、この関係は解消できない。死が互いを分かつとも――例え私とタケルが殺しあうことになったとしても、ね」
アカツキはずいぶんと流暢に話している。
さっきまでは片言って感じだったし、それも俺にしか認識できなかったらしい。
表情からも凍りついたような硬さが失せている。
冷淡で皮肉っぽい感じではあるが、それが幼い顔立ちを大人びさせてもいた。
なにより印象的なのは、その瞳だった。
深い知性と豊かな感情に彩られ、今やきらきらときらめくようだ。(ちょっと目つきは悪いとは思うが)
ハナとのやり取りを聞いても、アカツキが内に秘めてた知識や思考の断片を、自らのものとして発露できるようになったことは、間違いないだろう。
名づけによってこの変化がもたらされたわけだ。
であれば、結果オーライなのではないか。
『それだけじゃないです! 将来、タケル様が婚姻したら、お嫁さんはその子の母親ってことになるんですよ! ハナはこんな生意気な娘を持った覚えはないのにぃっ!!』
そりゃそうだろ。
まず、お前は俺の嫁じゃない。
冷静にツッコミを入れようとした時―――重い地響きを伴って、洪水が押し寄せてきた。
□
『タケル、馬鹿たぬきの相手は後回しよ。ちょっとまずいことになりそう』
『はあっ!? なに言ってやがりますか、この小娘ぇっ!! まだ、わたくしはタケル様に大事な……』
眉を吊り上げ、さらにエキサイトしかけたハナだが、ふいに真顔になった。
『あ――やばいです、タケル様』
どこからか、急速に近づいてくる轟き。
呼応して地面が振動する。
なんか知らないけど、これは確かにやばそうだ。
と思った瞬間、脇道の幅一杯に濁流がふきだしてきた。
「うおおおっ!? なんじゃ、こりゃあっ!?」
霊獄機は転倒し、ごろごろと転がった。
これほどの激流の中では成す術がない。
あちこちにぶつかった挙句、機体は川が流れ込んでいた穴へ落ちてしまった。
真っ暗な中でめちゃくちゃに振り回される。
洗濯機に放り込まれた服の気持ちはこんな感じなのだろう。
できれば一生知りたくなかったが。
身体がしっかり固定されているからどうにか耐えていられる。
とは言え、暗さもあいまってなにを見ることもできない。
なのに、彼女たちの声だけははっきりと聞き取れた。
『だから言ったじゃない、まずいって』
『ほらー。やばいじゃないですか、ほらー』
『もうしょうがないわ。機内の霊圧、上げておく』
『お、ナイスです。意外と気が利くじゃないですか、アカツキ』
「なに急に息合わせているんだ、お前らーっ!?」
俺にできるのは、精々大声で叫ぶことくらい。
霊獄機は強烈な勢いで漆黒の穴を転がり落ちていく。
悪夢のような数十秒が経過した後、轟音がとぎれ、唐突な浮遊感がやってきた。
明るくなったところを見ると、穴から出たのだろうか。
よく通る声でハナが注意を喚起した。
『タケル様、姿勢制御っ! もうすぐ着水します!』
方向感覚はすっかりおかしくなっていたが、霊獄機――いや、アカツキは別だ。
どちらが下なのか、しっかりと伝えてきてくれた。
俺は必死で手足を振り回し、足から降りるように機体を操った。
『姿勢よし! アカツキ、減速!!』
『うるさいわね、馬鹿たぬき! わかっているわよ!』
あとから聞いた話では、アカツキは一時的に機体への霊力供給を停止。
境界炉の緊急排出口を開き、根源霊素を直接下方へ向けて噴射したらしい。
噴射音と共に機体は減速。
高く水飛沫を立てて、霊獄機は着水した。
といっても腰下程度の水深しかなく、膝を使って勢いを殺す必要があった。
噴射と衝撃で舞い上がった水が雨のように降り注ぐ。
「ううう、ちょっと気持ち悪いな……」
『大丈夫? タケル』
停止したせいか、今ごろ目が回ってきた。
アカツキやハナは全然平気みたいだ。
『タケル様、タケル様。ちょっと周りを見てくださいな』
ハナにうながされ、外部視覚に注意を向ける。
辺りは大きな空洞になっていた。
一面に澄み切った水をたたえた湖が広がっている。
禁域と比べるとせまいが、それでもかなり大きな洞窟だ。
上方の岩壁にたくさんの横穴が開いてる。
いくつか、そこから水が流れ落ちて滝になっているものがあった。
霊獄機もあの穴のどれかから、飛び出てきたのだろう。
湖の端に学校のグラウンドくらいの陸地がある。
そこに大勢の人らしき影がいた。
こちらを指差し、何事か騒いでいるようだ。
霊獄機のダイナミックな出現に驚いたのだろうか。
「――ん? おい、ハナ。あれって、ヒャクソ婆達じゃないか?」
『はい、そのようです。偶然、合流場所まできちゃいました。手間は省けましたね』
ヒャクソ婆らしき者を中心に、大勢の神尊達がいた。
総勢は二、三百人ほどだろうか。
カガシの姿も見えるが、神尊達はひどくこちらを警戒しているようだ。
まあ、そりゃそうか。
逆説的な言い回しだが、霊獄機はオーガスレイブに似ているのだ。
連邦がここまで追ってきたと思っているのだろう。
下手に刺激して彼らと戦闘になってしまったら、目も当てられないぞ。
どうしたものか。
「アカツキ、ハナを解放してくれないか? あそこにいる連中は知り合いなんだ。ハナを先にやって、説明させるから」
『それは賛成できないわ』
『そーですねぇ、ハナもおすすめしません』
だから、なんでお前ら息ぴったりなんだよ。
疎外感を覚えるんですけど。
『あ、そうか。タケルはまだ気づいてないのね?』
『タケル様、手間は省けましたが、面倒はまだ片づいてないのですよ』
「は? だから、なにを」
言ってるんだ、と続けようとした時――
湖の水面が見上げるような高さに持ち上がった。
大量の水が流れ落ち、霊獄機は頭から波をかぶってしまった。
「な、なん……っ?」
『ヒルコよ』
『ヒルコです』
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そして――予告ッ!!
次回『すーぱーぶよぶよ』 ばよえーん、ばよえーん、ふぁいやー。
明日、1/24の更新予定でございます。
お楽しみに!!





