第二十三話 誰かを待ちながら
裂け目は狭かったが、幸いにも下方向への奥行があった。
俺はハナを抱え、壁に背中をこするようにして裂け目を降りていった。
上から掘り返されているせいで、どんどん石や土塊が降ってくる。
四、五メートルも降りると裂け目は終わり、空洞が広がっていた。
ほとんど真っ暗でよく見えないが、先は行き止まりのようだ。
怪物達はまだ諦めていない。
数体がかりで着実に固い地面を掘り進んでいる。
この調子だと、あと数分で極めてまずいことになるはずだ。
ハナは俺から離れると、おぼつかない足取りで空洞の端までいき、壁をひっかきはじめた。
「一人分の穴を掘ります。タケル様はそこに隠れてやり過ごしてください」
「――なんだって?」
「大丈夫ですよ。連中、バカっぽいから、わたくしを捕まえれば、タケル様のことはたぶん忘れてしまいますよ」
そんなことはわからないし、それじゃ、お前はどうなるんだ。
反論を阻止するかのように、ハナは叫ぶ。
「なんとか、します! 間に合わせます! だから、お願いですから、ハナの言う通りにしてください!!」
岩盤ではないとは言え、こんな土壁を素手で掘るのはさすがに無茶だ。
だが、ハナは掘るのを止めない。
猛烈な勢いで手を壁に突き立て、少しずつ掘り崩していく。
だめだ、ハナを止めないと……いや、止めたって意味はないんだ。
必要なのは、打開策だ。
どうにかして俺が打開策を見つけなければ、ハナの気持ちを踏みにじるだけになってしまう。
だが、どうすればいいんだ?
ここにはなにもない。誰もいない。
なにも、誰も――
「――ハナ、待て!!」
俺はハナを羽交い絞めにして、壁から引き離した。
とたん、勢いよく振り払われて俺は転倒してしまった。
一ミリも余裕のない表情でハナは怒鳴った。
「邪魔しないでくださいっ!! もう時間がないんですからっ!」
「痛ててて……だから、待てってば。見ろ、あれ」
俺は奥側の壁を指した。
最初は暗くて見落としていたのだが、なにか大きな物体があった。
なかば壁に埋もれているが、滑らかな金属で覆われた鎧のようなモノだ。
放棄されたオーガスレイブだろうか。
いや、違うな。形状からして、こいつは別物のように思える。
近くに寄って見ると、全体的に暗い色で塗られており、表面はざらついていた。
ところどころ、鮮やかな白とオレンジ色のラインが入っているようだ。
武骨な工業製品然としていたオーガスレイブに比べると、芸術品のような手作り感があった。間違いなく、人工物だ。どうしてこんなところにあるんだろう?
「こんなガラクタ、あっても仕方ないです! ハナは仕事に戻ります!」
「待てってば。わからないけど、まるでこれは新品みたいだぞ」
「例え新品でも、動かせなきゃ、意味が――」
急に息を飲むと、ハナは言葉を途切れさせた。
同時にTシャツの裾がくいくいと引かれる。
――子供?
いつの間に現れたのか。
俺とハナの間にちんまりとした女の子が立っていた。
背丈からすると、せいぜい小学校の四年生くらいだろうか。
普通ならまだ保護者が必要な年齢だ。
「――、――?」
「え? ああ、困っているんだけど」
「……タケル様、その子がなにを言ってるのか、わかるんですか?」
ハナにしてはおずおずした調子で聞いてきた。
どういう意味だろうか。ちゃんと『知っている』言葉だぞ。
かなり小声だけど、ハナにも聞き取れるはずなんだが。
またくいくいと裾が引かれる。
「――。――、――?」
「力をあげる? 契約したら、あの怪物を倒せる力を俺にくれるって?」
女の子はこっくりとうなずく。
青白い肌、薄い青の瞳。
ウェーブがかった髪はくしゃくしゃに乱れ、地に届きそうなほど長い。
簡素な服は汚れ放題で、あちこちがほつれ、破れている。
茫漠とした表情からは、感情を読み取ることができない。
この子からは、ほとんどなにも伝わってこなかった。
小波一つない、凪のような心だ。
虚無や無感動ではない。
むしろ情緒の欠片とでも言うべきものが、心の裡にたっぷりと蓄積されているのを感じる。驚くほどに、たっぷりと。
ただ、なにかが足りていないのだ。
だからせっかく持っているものをきちんと組み上げ、感情として表現することができていない――そんな風に思えた。
いや、だけど、ほんの少しだけ動きがある。
ゆったりとしてるが、明確な方向性のある、とてつもなく大きなうねり。
渇望だ。
この子は、強く誰かを求めている。
海のように大きくうねる渇望だけを抱えて、ここで待っていた。
ずっと、待ち続けていたのだ。
誰かを。
「――?」
どうする? って聞かれても、こちらに選択の余地なんてない。
このまま怪物に喰われるのだけは勘弁だ。
「タ、タケル様……この子、おかしいですよ。やばいと思います」
「なに言ってるんだ、今さら。こんな所にこんな状況で、突然現れたんだぞ。おかしいに決まってるだろ」
「――えっ? いや、はい、そうですけど」
ハナは目をぱちくりした。
うわ、まじでたぬきそっくりだな、その表情。
これは言わない方がいいかな。きっと憤慨するに違いない。
「まじでたぬきそっくりだな、その表情」
「たぬーっ!? ま、また言いましたね……! どうしよう、やっぱり殺すしか……?」
いかん、つい誘惑に負けてしまった。
ハナは面白いなぁ。緊迫した状況のはずなのに、思わず笑ってしまう。
「――、――?」
「あ、ああ、悪い。わかったよ、契約ね」
「ちょっ、ダメですよ、タケル様! やばいですって」
ハナが慌てた様子で止めに入ってきた。
いや、やばいのはわかっているぞ。全然、情報が増えてないじゃないか。
「――、――。――、――!」
「えっ? 今だけ? 俺だけにご案内する、特別なご契約?」
「――! ――、――!! ――!?」
「そ、そうか。お得だな、それは。申し込んでもいないのに、当選していたなんて知らなかったぜ。そんなに倍率が高かったのかー。なら、せっかくだし、契約を……」
「だ、騙されてるぅぅぅーっ! 絶対、騙されてますよ、タケル様ぁっ!!」
物凄い勢いで突っ込むハナ。
まったく落ち着きのない奴だ。俺は苦笑してたしなめた。
「大丈夫だって。ネズミ講じゃないって、パンフにも書いてあるそうだし」
「いや、めっちゃネズミでしょ、それ! チューチューじゃないですか、明らかにっ!!」
「でも、特典として魂のステージが二階級特進するんだぞ?」
「アセンションプリーズ! だーかーらっ、詐欺られてますよ、タケル様っ!!」
後ろで大きな音がして、俺達が降りてきた裂け目が崩れてしまった。
土煙の向こうに、怪物の青白い手が見える。
『イイイイ、イヒ、イヒヒッ!』
連中は興奮した叫びを上げ、あと一息とばかりにどんどん土を掘り返している。
さすがにもう猶予はない。
俺は女の子に向かって右手を差し出した。
「わかった、契約するよ。条件は俺達を助けてくれること、でどうかな」
こっくりと女の子はうなずく。
ばしんっ、と空気が鳴った。
俺の右手に幾筋もの細い裂傷が生じ、血が滴る。
ぞろり、と青黒く長い舌が伸び、己の頬に飛んだ血しぶきを女の子は舐め取った。
急に息が詰まった。
心臓に沢山の棘が刺さったような、身動きの取れない痛み。
黒い血が、俺の肉体に流れ込んでくる。
唐突に発生した激痛に、俺は膝を折ってしまう。
「タケル様っ!? ――お前、なにをしたぁっ!!」
胸倉をつかみ上げられ、初めてハナに気づいたように視線を合わせ、その子は笑った。
『イイイ――キ、ヒヒヒヒッ!!』
女の子の声が怪物そっくり――いや、そのものだったことに、俺はやっと気づいた。
ご愛読ありがとうございました!
よろしければ、ブクマ、評価など、ぜひぜひお願い致します~。
そして――予告ッ!!
次回『パワー、それは力』 解き明かされる、水素水の秘密!(嘘)
明日、1/18の更新予定でございます。
お楽しみに!!





