第二十一話 しかばねは、返事がないのがお約束
「うわあああああっ!?」
通路は俺達を乗せたまま、恐ろしい速度で急斜面を滑り落ちていく。
俺はハナをかかえ、必死に地面にしがみついた。
「あー、ジェットコースターみたいですねぇ。いや、サーフィン? スケボーでしょうか」
「んなこと、言ってる場合かーっ!!」
どこか力のぬけた笑いを浮かべるハナに言い返す。
たまたま上手いことバランスが取れているから、振り落とされずに済んでいるが、こんなことがいつまでも続くわけがない。
ここは異世界だが、神話の中ではない。
早い話、奇跡は起きないのだ。
ということで、必然的にそれは起きた。
斜面の途中にあった隆起に激突。
亀裂だらけの通路はばらばらになり、俺達は勢いよく放り出されてしまった。
「――!!」
声にならない声を上げ、糸の切れたタコのようにくるくると回転しながら飛ばされる。
まずい、ハナはどこにいるんだ?
あいつはまだ、身体が――――でも、霊体だし、この場合――いや、とにかく、落下の勢いを止めないと――どこかに手を――どこかって、どこだっ!?
思考の断片がめまぐるしく駆けめぐる。
なにかいい手はないかと、脳がクロックを最大に引き上げ、打開策を探しているのだ。
そして、結論。打つ手なし。
物理法則はいつだって冷徹で公平であり、誰も特別扱いはしてくれない。
俺は落下速度を保ったまま、谷底へと墜落してしまった。
□
ああ、これはダメだ。
あらがいようのない実感が心を麻痺させ、ぎゅっと瞼を閉じてしまう。
俺は吸い込まれるように地面に激突し――
本当に、深々と吸いこまれてしまった。
「――えっ?」
背中側が柔らかいもので包まれ、急減速がかかる。
目を開くと俺は白い壁に覆われていた。
上の方に黒い穴が小さく見える。
なにか――柔らかいものにめりこんでいる?
ちゃんと状況を理解する間もなく、今度は加速がかかる。
止める術はやはりなく、俺は上空へ打ち上げられてしまった。
数メートルも上がってから、また落下。
さらに二度弾んで、動きは止まった。
よくわからない。
わからないが、助かったようだ。
周囲は一面青白く、ぶよぶよしたゼリーのようなものに覆われていた。
どうやら谷底の最深部はこれで満たされているらしい。
見上げてみたが、通路があった辺りは視界に入らなかった。
相当深いところまで落ちてきてしまったようだ。
さすがにこの場所から直接這い上がるのは現実的ではないだろう。
まずいな、ここからどうやって合流場所まで行けばいいのか、見当がつかないぞ。
そもそも合流場所へつながる道があるかどうかすら、わからないのだ。
「――うげ、なんだこの臭い……?」
どうやら臭いのもとはこのゼリーのようだ。妙に生臭く、粘ついている。
お陰で無事だったのだが、こいつはひどく厭わしい感じがする。
ここに長居したくない。ここからなるべく早く離れるべきだ。
見れば、谷間の斜面に大きな穴がぽっかり口を開けている。
ハナを見つけたら、あそこへ上がれることにしよう。
そのあとは……まあ、あとのことは、あとだよな。
俺は問題を華麗に先送りにした。やれることから片付けるしかない。
まずはハナを探すことだ。
「ハナ? おーい、無事かーっ?」
何度か叫んでみたが、返事はなかった。
あちこちを見回しながら、歩き出す。
俺達は一緒に落ちたんだから、そんなに離れた所にはいないと思うのだが……。
お、向こうにメイド服らしきものが――
「って、めりこんでるじゃねぇか!」
俺は駆け寄ろうとしたが、足をとられて転がり寄るような形になってしまった。
くそ、ぶよぶよして歩きにくすぎるぞ、ここ。
仰向けに倒れたハナは気絶しているようだ。
見れば、下半身はゼリーの中へ飲みこまれようとしていた。
すでに顔の近くにもじわじわとゼリーが迫っている。
俺はぞっとした。
これは、単にハナの自重で沈んでいるんじゃない。
ゼリー共が動いてハナを捕食しようとしているのだ。
もう間もなく口が覆われ、呼吸すらままならなくなるだろう。
かろうじて上に出ていた手を引っ張る。
しかし、ハナの身体はがっちりと捕らえられたまま。
俺の力では少しも引き離すことができなかった。
「なんだ、このぶよぶよ野郎……っ!」
ハナの意識は戻らないが、苦しそうなうめきを上げた。
すると、鎌首を上げたゼリーがその口元を塞ぐように被さろうとするではないか。
おいおい、冗談じゃないぞ!
俺はとっさに先端をつかむ。
驚いたことに、ゼリーは身をくねらせ、俺の手から離れてしまった。
「――逃げた?」
もしかして、俺に触れるのを嫌がっているのか?
ハナの顔に掌をあてがい、そのまま首元の方へ指先を滑らせていく。
ゼリーはやはり、身をくねらせ、ざわざわと後退した。
「やった! よくわかんないけど、いけるぞ! ハナ、待ってろ!」
引き剥がすそばから、ゼリーは再度彼女を捉えようとにじり寄ってくる。
まるで陣取りゲームだ。
しかし、ここでかかっているのは得点ではなく、ハナの身柄そのものだった。
俺はハナに密着し、両手両足を駆使して作業を続けた。
はたから見れば、抱きついて全身を撫で回しているようにしか見えないだろうが、俺は真剣だった。俺にはこいつの所有権を主張する動機がたっぷりあるのだ。
ハナの顔色は蒼白で、紫色になった唇が細かく震えている。
くそっ、一刻も早く引き剥がさないとまずいぞ。
疑う余地のない確信に急かされ、俺は作業に没頭した。
数分後、ようやくハナを取り返すことができた。
油断すると死角からゼリーが伸びてきて、ハナを捕まえようとしてくる。
こいつらに構っているときりがない。
「性質悪いな、まじで。そんなんじゃモテないぞ、お前ら!」
自分のことは棚に上げて吐き捨てると、俺はハナを背負って歩き出す。
小柄で軽いとは言え、一人分の体重が加算されているせいで、足の沈み込みが激しい。まるで深い泥の中を歩いているかのようだ。
「タ、ケ――」
「お、気がついたか。なんとか無事だったみたいだぜ、俺達」
異議があるのか、弱々しく首を振るハナ。
彼女が指す方向を見ると、ゼリーの柱が生えつつあった。もりもりと隆起して見上げるような高さに成長すると、枝のように手が伸び出す。
『イ――イヒ、キキ……キィ』
『ヒ……ヒ! ヒア――ン、キキ』
軋むような奇怪な声を上げながら、いくつもの柱が立ち上がっていく。
伝わってくるのは、強烈な飢え……いや、渇望か。
こいつらは求めている。取り込みたがっている。
あまねく生命を、己へ取り込み、一体化させてしまいたい。
奴らが求めるものは、ただそれだけのようだった。
特にハナへの執着は空恐ろしいほどだ。
では、俺は? 俺に向けられているのは――恐れ。
恐怖と嫌悪、そこから生じた殺意。
存在を否定し、排除しようとする強い意志だ。
ちょっと待て。さすがにハナとの差が大きすぎないか、これ。
餌として捕食するなら、俺と彼女にさほどの違いがあるとは思えない。
ゼリー共がなんでそんなに俺を嫌うのか、さっぱりだった。
あんな奴に好かれたくないし、無論喰われたくもない。
そのはずだが、俺はなんとなく不満を覚えた。
まあ、いいさ。
そっちがその気なら、もっと嫌われるようなことをしてやるぞ!
と、俺は固く決意した。
もどかしく足を動かしながら、ゼリー柱の間を縫って進む。
そうする間にも、柱は目ができ、足が生え――ほどなく一人前の怪物と化すと、ゆっくりと動き始めた。やばいやばい。急がないと、まじでやばい。
「――っしゃ、やっとたどりついた! ざまあみろっ!!」
俺はゼリーから足を引き抜き、谷間の斜面へと這い上がった。
だが、ほっと一息つく暇はないようだ。
振り向けばゼリーの怪物はどんどん増えている。
こいつがそんなに欲しいのか。
でも、ダメだ。こいつは渡さないぜ。
俺はハナをしっかりと背負い直すと、斜面を登って駆け出した。
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そして――予告ッ!!
次回『好きな子でするタイプ』 で、ビアンカとフローラのどっちを選んだんだ? ん?
明日、1/16の更新予定でございます。
お楽しみに!!





