魔法が解ける瞬間。
地下アイドルの桃華は、プロデューサーからある日こう宣告された。
「次のライブでお客さんを100人集められなかったら、グループ解散だから。」
その時、桃華の頭の中は真っ白になった。
確かに、最近同じようなアイドルが増えてきて、集客に苦労しているところはあった。桃華の所属しているグループも、特別かわいい子がいるわけでも、特別歌のうまい子がいるわけでもない、どこにでもあるような地下アイドルだった。でも小さい頃からあこがれていたアイドルになれた充実感が、彼女たちを突き動かしていた。
そして、運命のライブの日。
ライブ自体は盛り上がったが、彼女たちは残酷な現実を目の当たりにする。
観客87人…それが彼女たちに用意された答えだった。
以前から予告されていた通り、桃華のいたグループは解散することになった。
今後について、桃華は1週間悩み続けた。でもこれから一人で芸能人をやっていく気力も自信もなかった。
「田舎に帰ろう…」
それが桃華の出した答えだった。
そうと決まると、桃華は自分の部屋の掃除を始めた。部屋の中には、売れ残ったグッズや自主制作のCD、数少ないながらもらったファンレターや、ファンやメンバーと撮った写真などがたくさん出てきた。それを見ては思い出にふけりながら、鍵のついた箱にしまっていった。
休憩中にスマホを見ていたら、あるニュースが表示された。
それは一時代を築いた力士が引退し、断髪式をするというものであった。
「これだ!」
そして彼女は友人の恵梨香に連絡を取った。
「うちらのグループが解散することになった。」
「うそー!桃華とかすごい頑張ってたのに。なんで?」
「ライブにお客さんを呼ぶことができなくて、プロデューサーに解散っていわれた。」
「お疲れさま。それでこれからどうするの?」
「田舎に帰ろうと思っている。それで部屋の掃除をしていたら、うちのグループのグッズとか、みんなと撮った写真とかが出てきて、懐かしかったなぁ・・・。それで、恵梨香にお願いがあるんだけど。」
「何?」
「髪を切って…」
恵梨香は美容師だった。桃華はアイドル時代、腰まであるロングヘアのツインテールがトレードマークだった。それは桃華が恵梨香と一緒に作り上げたものだった。だからそれが終わる時も、恵梨香に切ってもらおうと思っていた。
「じゃぁ今度店に来る?」
「悪いんだけど、店にはいきたくない。私がアイドルでなくなる瞬間を、もしファンの人に見られたら嫌だから。うちに来て。」
「なるほど。でも、店にあるはさみとかは、店の外に持ち出せないけど、それでもいい?」
「うん。はさみならうちにもあるし。」
恵梨香の仕事が休みの日に、彼女は適当な仕事道具を持って、桃華の家に行った。桃華は引っ越しの作業中のためジャージ姿で、髪は一つにまとめていた。
「どれぐらい切るの?」
「ショートにして。耳を出す勢いの。」
「思い切ったね。またなんで?」
「中途半端にツインテールのできる髪型にすると、なんかアイドルを引きずっているようで嫌だから。この際バッサリと。」
「じゃぁ最後のツインテールをやろうか。」
といって、恵梨香は桃華の最後のツインテールを作り始めた。髪を結び終わって、自撮りで写真を撮った。すっぴんだし、もうきらびやかな衣装は着ていないけど、髪型だけはアイドル時代のままだった。
撮影が終わると、恵梨香はツインテールを結んだゴムを外そうとした。
「ちょっと待って!」
「どうしたの?やっぱり切りたくなくなった?」
「そうじゃなくて、ツインテールを根元から切って、この袋に入れてほしいの。思い出の箱に入れるから。」
「でもここから切ると、上の方がすごく短くなってしまうから、ゴムを襟足のところまで下ろすね。」
そういって、恵梨香はゴムを襟足のところまで下ろし、少し根元から離した。
「じゃあ切るよ。」
そう言って、恵梨香はそのゴムの上から、桃華の長い髪を切り落した。
片方が終わると、次は反対側。太い束だったので時間はかかったが、丁寧に切り落とした。
「もうこれでツインテールはできないね。」
切った髪はチャック付きのビニール袋に入れられ、思い出の箱の中に大切にしまわれた。
ざんばらになった髪を整えると、桃華は襟足ぎりぎりのショートボブになっていた。
髪を切り終わると、桃華は最後にカバンからあるものを取り出した。
それは、アイドル時代、人前では外したことのなかったカラコンだった。もともと視力が悪く、本当はメガネが必要だったが、今までそれをコンタクトでごまかしていた。しかしアイドル引退を機に、カラコンを外し、メガネ姿になった。
ちなみに「桃華」というのも芸名で、本名は「芳子」という。
ショートカットにメガネ。すっぴんにジャージ。いくら売れなかったとはいえ、ちょっと前までこんな彼女がアイドルだったとはとても思えない、地味な印象の女性になっていた。でも芳子はどことなく清々しい気持ちになって、愛する故郷に帰っていった。