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わんこにチョコをあげてはいけません!

作者: ぽち

「犬上先輩! これ、受け取ってください!」


 二月十四日。

 放課後の屋上で俺に差し出されたのは、ピンクでラッピングされた小箱だった。


 ……何かなんて考える必要もない。


 だとしても、俺は問わずにはいられなかった。


「……もしかして、チョコレート?」

「は、はい。お口に合えばいいんですけど……」


 目の前の少女は少し震えながら。


 様子から見ても、誠心誠意作ってくれたのは間違いないだろう。

 だとしても、俺の返事は決まり切っていた。


「悪いな、俺は受け取れないんだ。……持って帰って欲しい」

「っ……! 酷いです、先輩!」


 突き返せば、少女は涙目になって走り去る。


 俺はそれをただ見送ると、唇を噛みしめ、宙を向いた。


 ……悪いことをしたと思う。

 深く傷つけたとも。


 でも、こちらにも事情というものがあった。


 それは、俺が生来抱えているトラウマについて。


 あまりにオカルトすぎて、信じられないような話だが――。


 俺は前世、人ではなく、ガルというシベリアンハスキーの子犬だったのだ。






 それは、奇しくもバレンタインデーのこと。

 

「おう、ガルは今日も元気いっぱいだな! でも悪いな、散歩は昼寝してからだ!」

「わふっ、わふっ!」


 いつもの様に帰ってきたご主人様にガシガシと撫でてもらった後、ご飯を食べる部屋に向かうと、テーブルの上に置かれた小箱が目についた。


 ……もしかしたら、おもちゃ箱かもしれない。


 そんな期待を込め、俺は椅子を経由して、ぴょんと机に飛び乗った。

 そして、紐を口で引っ張って――。


 ごとん。


 床に落とせば、衝撃で偶然箱が開いて、中に入っていた沢山の粒がばらまかれる。


 それは、どれも茶色くて、丸々として。

 なんだか、とっても美味しそうに思えたのだ。


 ……大きな音を立てたけど、誰も気づいた様子はない。


 欲望のまま、ガブリ。


 まずは一個。


 続けて二個目。


 俺は調子に乗ってパクパクと食べていく。


 ……我に返ると、小箱に入っていたそれは、ひとつ残らず俺のお腹に収まっていた。


「わ、わふっ……!」


 美味しいけど、マズい。

 全部食べてしまったら、流石に怒られる気がする。


 俺は前足で器用に小箱を隠し、何食わぬ顔で寝たふりをして――。


 そして、数時間後。

 ご主人との散歩の途中で泡を吹いて、驚くほどあっさりとその生涯を終えたのだった。





 次に目覚めたとき、俺は人間の赤ん坊になっていて。

 字が読めるようになったら真っ先に文献を漁って、あれがチョコレートという、犬が食べてはならないものなのだと知った。


 以来、俺はあの匂いを嗅ぐと、えづきそうになってしまう。

 それどころか、存在を認識するだけでアウトなぐらいだ。


 ……だって、自業自得とはいえ、俺の命を奪った食べ物なのだ。


 どんなに周囲が美味しそうにしていても、正気の沙汰とは思えない。


 正直、さっきの女の子に差し出されたときですら、吐き気を堪えるので精いっぱい。

 だから、自然とそっけない態度になってしまったわけだった。


「……うう、だからこの季節は嫌なんだよ」


 罪悪感からぼそっと呟いて、寒々しい屋上から離れようとする。


 すると、入口のあたりに、さっきとは別の相手が仁王立ちしていた。


 身長は140センチぐらい。

 真ん丸とした大きな目が特徴的な、ショートカットの女の子だ。


 ……新手だろうか。


 その子の手には、似たような箱が握られているし。

 自惚れ交じりに言わせてもらうと、人間になった俺の容姿はそれなりのようで。

 好感を持ってくれる女の子も少なくないのだ。


「ごめん、俺はチョコレートは受け取らないから」


 でも、ただでさえきついのに、連続では無理。


 先手を打って通り過ぎようとする。

 だというのに、無情にも俺の手はむんずと掴まれてしまう。


「は、離してくれよ……」


 きつい。

 吐きそう。


 前世と違って、粗相をしても面倒を見てくれるご主人はいないんだ。

 リバースしたそれの処理って、すごい惨めなんだぞ。


 そんな想いを込め、振り払おうとするのだけど。


「何を勘違いしているんだ? これ、チョコレートじゃないぞ?」

「へ?」


 顔に小箱を近づけられ、つい嗅いでしまう。


 ……確かに、カカオの匂いは全くしなかった。


 箱から漏れ出るのは、生臭い魚介特有の香り。

 これは──


「……まさか、煮干し?」

「そうだ。だって、お前、昔から好きだっただろ? ちょっとあげたらガジガジ噛みついて」 

「な、なんでそれを……?」


 いや、確かに俺は前世から継続して――母さんに頼んでお弁当に入れてもらうぐらい――煮干しが好きだけど。

 なんで面識もない彼女が知ってるっていうんだろう。


 っていうか、わざわざプレゼントに煮干しをチョイスする女の子ってどうよ。


 混乱する俺に、少女はニカリと微笑んで言うのだ。


「そりゃあ、オレはお前のご主人様だからな。……探したぞ、ガル!」


 と。





 常識で考えるなら到底、あり得ない話。

 でも、前世の名前を知っていて、それどころか好みまでも把握している。


 あてずっぽうな妄想というには正確過ぎて、自然と納得してしまっていた。


「……でも、俺の知ってるご主人は高校生だったけど、そんな見た目じゃあないんだけど。確か、人間のオスだったはずだし」


 もっとも、疑問がないかといえば話は別で、それを問いかければ、少女はちんまい(・・・・)見た目に似合わず、がははと豪快に笑う。


「お前なあ。あのバレンタインデーが何年前だと思ってる? 生まれ変わったガルが高校生になるぐらいだぞ?  生きていたら(・・・・・・)未だに高校生なわけがなかろうが」

「た、確かに……。って、もしかして……!?」


 続けて、俺の視線に鷹揚にこくり。


「大体お前の考えている通りだ。あの後、オレも死んでしまってな。同じように生まれ変わったというわけだ。まあ、同時期に死んでも、一年ぐらいの誤差はあったみたいだがな」


 な、なるほど。


 何せ、犬だった俺が人間になっているのだ。

 オスだったご主人が、メスになるぐらい、何の不思議もない気がする。


 でも。


「食中毒で死んだ俺はまだしも、なんでご主人が……? ま、まさか、後追い――!?」

「阿呆。そんなわけないだろう。いや、ガルが死んだのは、まさしく死ぬほど悲しかったがな……。とはいえ、それで弔いもせず命を絶つほど、オレは弱い人間ではない」

「じゃあ、なんで?」


 度々質問すると、ご主人は頬をぽりぽりとして、一拍の間を開けてから言う。


「……恥ずかしながら、ガルが泡を吹いたのに動転してしまってな。動物病院に向かっている途中、事故に遭ってしまったというわけだ」

「ご、ご主人……」

「ま、まあ、それは兎も角だな。この高校の入学式のとき、一目見てわかったぞ。図体はデカくなってたが、辛いときツンと上を向く仕草とかガルの頃にそっくりだったしな」


 ……そんなに前から、ご主人は俺のことに気づいてくれていたんだ。


 嬉しいような、恥ずかしいような、こそばゆい気持ちが込み上げてきて。

 ちょっと泣いてしまいそうだった。


「で、だ。それ以来、ずっとお前に煮干しをあげたかったんだよ。お前が嬉しそうに食べるを見るの、好きだったからな」

「……それなら、わざわざこんな日に渡さなくても良かったんじゃあ。それに、四月に気づいてたとしたら、もう二月ですよ?」

「馬鹿もん。見知らぬ相手にいきなり食べ物渡されても、怖いだけだろうが。オレは子犬だったお前に、拾い食いをするなと厳しく躾けたぞ」


 疑問を口にする俺に対し、大きく腕組みして返事をするご主人。

 だけど、すぐに破顔して、


「おすわり」


 と。


「う、うわっ」


 条件反射的にしゃがみ込めば、そのままぎゅっと抱きしめられ、俺の口からは情けない悲鳴が漏れた。


「それに、昔みたいにこうやって(・・・・・)してやりたかったんだ。オレは気にしないが、周りがうるさいからな。出来るだけ人目につかないところがいい」


 そんな反応を無視して、ご主人はガシガシと俺の頭を撫でつける。


 い、いや。

 確かに懐かしくて気持ちいいけど!


 それ以上に、顔にはふんにゃりとした柔らかな感触が!


 ……今のご主人は、背丈に反して随分とご立派な胸をお持ちなのだ。

 その上、前世よりも効かなくなった鼻でもわかるほど、女の子のシャンプーの甘ったるい香りもして。


 もう俺はされるがまま。

 ただただ、硬直することしかできなかった。





 ……結局、解放されたのは、ご主人が心行くまで堪能してから。


 一方、俺は……。


 うん。

 なんというか、刺激が強すぎて、ぺたんとコンクリの床にへたり込んでしまっていた。


 もっとも、嫌だったわけではない。

 久々にご主人と触れ合えたのだ。

 もし、今の俺に尻尾があったとしたら、多分、ぶんぶんと左右に揺れていたと思う。


「……煮干しを渡して、ワシャワシャして。ご満足いただけましたか?」


 それでもちょっとだけ恨み言を呟けば、何故だがご主人は眉をへの字にする。

 雰囲気でわかる様に、あくまで冗談でしかないのに。


「いや、まだオレにはやらなければいけないことがあるんだ」

「……ご主人?」


 次に口を開いたとき。

 ご主人は、さっきまでの自信に満ち溢れた表情とは違い、今にも泣き崩れてしまいそうだった。


「実はな。オレはずっと、お前に謝りたかったんだ。だって、不注意でガルを殺してしまったようなものだから……。まだ子犬だったのに苦しかっただろう……? 本当に、すまなかった」


 それだけ言って、勢いよく頭を下げるご主人。

 その手は震えていて、なんとなく俺は理解する。


 ご主人はさっき、都合がいいからバレンタインにしたって言ったけど。

 もしかしたら、それは理由の一つでしかなく、八カ月も間が空いたのは――。


「大丈夫ですよ、ご主人。俺は気にしてません。変な言い方ですけど、人間に生まれ変わってまた会えましたし……。元はといえば、子犬だった俺が悪戯してチョコを食べたせいですしね」


 だから、今度は俺が抱き寄せる番だった。

 出来る限り優しく。

 そして、体温が――俺が生きているって伝わる様に。


「……そうか」

「そうです」


 顔を袖でごしごしと拭うご主人に、俺は笑いかける。

 ありがたいことに彼女も笑い返してくれて、すでに頬を伝う涙は止まっていた。


 ……ご主人と別れて、空白の十数年間。


 積もる話はまだまだあるのだけど。

 生憎と、俺にはそんな時間は与えられなかった。


「……おーい、キッコ! もう話は終わったか? 帰るぞ!」


 グラウンドから屋上(こちら)に聞こえてくるのは、野太い男性の声。

 視線をやれば、精悍な顔つきの、大柄な学生が一人立っていた。


 ……多分、キッコというのは今のご主人のことだろう。

 今更ながら、お互いに名乗ってすらいなかったことに気が付いた。


 一方、ご主人はその男性に


「わかったー! すぐ行く!」


 と同じぐらいの大声で返す。

 その横顔は、とても嬉しそうで、親しみに溢れていた。


 ……まさか、彼氏なんだろうか。


 いや、ご主人はあくまで俺に煮干しをあげて謝りたかっただけで、何もおかしな話じゃないんだろうけど。


 何故だか酷く、ちくんと胸が痛んだ。


「……じゃあな、ガル。話せて嬉しかったぞ!」


 それだけ言って、屋上から立ち去ろうとするご主人。


 ……その手を、さっきとは反対に、俺が取る。


 殆ど無意識に引き留めてしまっていた。


「あ、あ、あの! ご主人!」

「ん? どうした?」


 振り返ったご主人は、不敵であり、親愛に満ちた笑顔を浮かべていた。


 前世と同じだけど違う、人間の女の子のそれ。

 見た途端、叶わないとはわかっていても、想いを口にしてしまっていた。


「に、煮干しだけじゃ嫌です! 彼氏さんがいる以上、馬鹿な考えだってわかってるけど……。お、俺のためにチョコレートを作ってください!」


 ご主人は絶句した様子で俺を見る。


 断られるのはわかりきっていたけど……。

 この沈黙は、痛い。


 だけど、次の瞬間大爆笑。


「馬鹿だな、ガルは。あれはな、今の俺の兄貴だ。彼氏なわけないだろう!」

「……へ?」

「そうだな。そんなにチョコが食べたいなら、明日にでも用意してやる。……食わず嫌いを克服させるのもかつての飼い主の務めだしな!」





 それから一週間後。

 一年生の教室にて。


「とは言ったがなあ……。何故毎日毎日、オレのところにチョコレートを貰いに来るんだ?」


 満面の笑みでチョコレートを頬張る俺を見て、ご主人は大きく息をつく。

 そんな彼女に、俺はしれっとした顔で。


「……だって、俺、ご主人のチョコじゃないと食べられませんから。それ以外、怖いんですよ」

「それは……そうかもしれないがな」


 ……ご主人には悪いんだけど、思いっきり嘘だ。


 トラウマを払拭して食べてみたチョコレートは、とっても甘くて、苦くはあるんだけど、それこそ蕩けてしまいそうなほどだった。


 いや、忘れていたというべきか。

 だからこそ前世の俺は、文字通り、死ぬほど食べてしまったわけなのだから。


 でも、一部は嘘じゃない。


 ご主人から貰うチョコは、それ以上に甘くて、格別で――。


 これを知ってしまえば、もう他のは食べられない。

 ちょっとしたズルをしてでも、おねだりをしてしまうのも仕方のないことなのだ。


「ふぅ。こんなことになるなら、食わず嫌いを克服させるなんて、変な約束をするんじゃなかったな」


 呆れたように言う彼女に、俺は笑う。


「……だから、言うじゃないですか。『わんこにチョコをあげてはいけません』――って」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 設定が愉快で短編じゃあもったいない気もするけど 短編だからこそ世界が自分の中で広がるのです [一言] 作者は猫に恨みでもあるのですか?(猫好きより 犬が好きなだけで猫に恨みはないでしょ…
2017/02/23 01:18 退会済み
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