6話「英雄ふたり」
「オダぁっ!!」
南砦に到着と同時に、リサは飛びつくように信長に抱きついた。いきなりのことに反応することができずに、避けることができずに受け止めるが、
たゆん
同時に、柔らかい何かが彼の顔を優しく包み込んだ。それが、リサの胸であるとわかると同時に思考が完全に真っ白になる。顔に熱が集まっていく。だが、彼女はそのことに気づいていない。
「すごいよオダ、本当に砦を落とすなんて!」
顔を包んでいた温もりは、すぐに離れた。それを、少しだけ名残惜しそうに見つめるも、リサの言葉で平常心を取り戻す。
「当たり前だ。俺を誰だと思ってる」
と、格好付けて言ってみるも、顔が赤いせいで色々と台無しである。気恥ずかしくて、リサから視線をはずしてそっぽを向いた。
コボルト領東砦が落ちてから数時間。朝日は昇り、すでに昼近くなっている。未だに城内にはモードレッド、呂布の両名によって切り捨てられた死屍が残っている。
「一人だけできたのか?」
「ううん、みんなも後からくるよ。私だけ、先に着ちゃった」
目を爛々と輝かせながら彼女は答える。信長たちがこの砦を落としたことに高揚しているようだ。キラキラした彼女の瞳をどうもまっすぐに受け止めることができずに、顔を逸らしてしまう。
信長は城を落とすと同時にタケルを使い村へと砦を落としたことを伝えた。同時に、働き盛りの男性を寄越すようにも。
「オダ、これからどうするの?」
リサの言葉には期待が込められている。次はどんな奇跡を見せてくれるのかと。その強い重みを感じながら、努めて冷静に彼は答える。
「次は兵の確保だ。とにかく時間がない、使える人間は全員使っていくぞ」
すでに彼の頭の中には次の戦略が練ってあった。しかし、それを行う為には兵士が必要となってくる。昨夜の砦攻略は奇襲と個々の強さを利用した力ずくの作戦であった。だが、戦争でものをいうのはやはり兵力である。これがなければろくな戦いはできない。
「後は、情報だ。それがなければ戦いにならない」
呟くように言うと、足を居館へと向ける。目指す先はリーヌスの部屋だ。
呂布、モードレッドも伴いこの砦の主だったリーヌスの部屋へと入る。未だに捨て置かれている死体と、部屋中に散らばった血の臭いが充満し、思わず顔をしかめる。対して、二人の武将はまるで気にせずに部屋に入っていった。
リーヌスの部屋は司令室も兼ねているのかほかの部屋に比べると大きく作られており、彼の机の前には十人ぐらいで利用できそうな大きなテーブルが置かれている。その上にはここらへん一帯のものと思われる地図が広げられていた。
「これはコボルト領の地図だね」
信長の問いかけにリサはそう答えた。地図にはここ南砦を含む城とコボルトたちの集落が描かれている。ほかにも文字で地名などが書かれているのだが、信長には読むことができない。みたこともないような文字列で、おそらくはこの土地独自の文字なんだろう。
「リサ、これはなんと読むんだ?」
「わかんない」
地図に書かれた川とおそらくその名前であろう文字列を指して訪ねると、帰ってきたのは意外な言葉だった。
「わからない?」
信長の言葉に、リサはうなずく。
「私たちコボルトは、人間やエルフみたいに文字を持ってないの。数えるための記号があるだけだよ」
それに、と彼女は伝える。
「これは人間の作った文字でしょ? 人間が作った文字は人間にしか読めない。コボルトだけじゃなくて、ほかの種族みんな無理」
話を聞いてみれば、コボルトの中で文字が読めたのはマオぐらいなもので、彼女の村でも文字を読める人間は他にはいないらしい。その話をきいて、信長はある疑問が浮かんだ。
「待て、じゃあ君と帝国の人間はどうして喋ることができるんだ?」
考えてみればおかしな話だった。そもそもヨーロッパ地方のモードレッドに中国の呂布、日本人である信長が困ることなく意志疎通できることも、異世界人である自分たちがリサと話せることも、冷静に考えてみればおかしい。全員が違う文化圏の人間だ。ならば、使っている言語もまったく別々のはずだが。
「それは大地の女神様のおかげだよ」
彼女は微笑みながら答えた。
「大地の神様はね、種族の違う私たちでも仲良くなれるように、他の種族の言葉もわかるようにしてくれてるの。それを、私たちは女神様の祝福と呼んでるのよ」
リサの言葉に納得できたわけではないが、こうやって彼女やモードレッドたちと話せると言うことは、それが事実なのだろう。考えてみれば自分がこの世界にやってきたのも魔法などというオカルトな方法なのだ。今更その手の超常現象に驚いてもしょうがない。そういうものだと受け入れよう。
「しかし、それだと弱ったな……」
地図を読む程度ならば、文字がわからなくても困ることはないだろう。だが、この砦にも置かれている資料や記録を読むことができない。
「モードレッド、呂布、この文字が読めるか?」
ダメもとで同じように地図を眺めていた二人に聞いてみるも、結果は両名とも首を横に振っただけ。やはり、このメンバーでは文字を読むことができないようだ。少しは情報を得れるかもと期待したが、頭を抱える結果になってしまった。
「……待て、一人いる」
だが、呂布が静かに言った。信長の視線が向かう。
「一人? 誰だ、そいつは」
怪訝そうな顔と言葉に、呂布は無言で入り口に向かってから、一言
「ついて、来い」
南砦北城門前。
アダムベルトは、そこで一人、打ちひしがれていた。昨晩の戦いでかろうじて命をつなぎ止めた彼は、数時間前に解放されてこの城を去っていった他の兵士たちとともに中央砦へと向かうはずだった。
だが、
「やめておけ、アダムベルト」
彼にそう言ったのは同期でもあり友人でもあるクレメンスだ。意味をよく理解できない彼に、気まずそうに告げる。
「今回の戦いでギルベルト様もカスルテン様もリーヌス様も亡くなった。つまり、この砦の責任者は一人もいなくなったんだ」
だが、この砦が落ちた責任は誰かしら取らねばならない。そうなったときに、最初に白羽の矢が立つのは一人しかいない。
「アダムベルト、このままお前が中央砦に戻れば間違いなく砦陥落の責任をお前が取らされる、その意味がどういうことかわかるだろう?」
そもそも、砦に敵が侵入される原因を作ったのは他ならぬアダムベルトである。名だたる貴族が死んだ今、その責任をとらされるのは明確だ。そもそも、貴族たちが生きていても、責任をとらされるのは変わらないかもしれないが。
「じゃ、じゃあ、俺はどうすればいいんだよ!?」
帰れば待っているのは戦犯として罰せられる未来。それを逃れる方法は一つしかない。
「身を隠して生きていくしかない。俺の口からお前は死んだことにしておく。だから、帝国に見つからない場所で、生きろ」
アダムベルトの足下が真っ暗になった。帝国から隠れて生きていく。それは、言い換えれば世捨て人となって生きていくことだ。盗賊や追い剥ぎをするか、乞食同然になるかの選択だ。とてもじゃないが、ろくな人生は待っていない。
クレメンスたちが解放されて去ってから何時間が経っただろうか。だが彼にはそんなことどうでもよかった。これからの人生を考えると、このまま野垂れ死んだほうがましじゃないかとさえ思える。
「お前はアダムベルト、か?」
不意に声をかけられてうなだれていた顔を上げる。そこには、呂布につれてこられた信長が、驚きの顔を見せている。
「オダ……ノブナガ……」
絶望を前に止まっていた心が急速に動き始める。それは、怒り。こいつのせいで人生が狂わされた、というある意味、正当な憎悪だ。
「お前っ!」
気づけば立ち上がり、勢いのままに拳を降りあげていた。驚きで染まっているその顔に、思いの丈をぶつければ、少しは気が晴れるかもしれない。
だが、その拳が届く前に、呂布が彼を守るように間に割ってはいると、顔面に拳を叩きつけた。カエルがつぶれるような声を出して、アダムベルトは後方に吹っ飛ぶ。地面を転がり、顔面に酷い痛みを感じながらも、なんとか意識は持っていた。
「くそ、くそ! お前がいなければ……お前がいなければな!」
地面を叩きながら、恨み嘆きの声を上げる。彼らからしてみれば、信長は平和だった日々を乱した悪党にしか映らないのだろう。
「どうしてお前がここに? 帝国の兵士は全員解放したはずだが」
「俺は戻れないんだよ! もどればこの砦が落ちた責任を取らされる、つまりは処刑だ! 貴族が三人も死んだんだ、下手をすれば家族にだって害が及ぶ!」
これで貴族が死んでなければ、まだどうにかなったかもしれない。だが、三人も死んでしまった。貴族の命は平民よりもはるかに重い。
「だから戻れない……俺はここで死んだことにするしかない。畜生、なんで俺がこんな目にあわなきゃいけないんだ!」
別にアダムベルトがとくわけ悪かったわけではない。彼がここまで生き残れたのはある種の幸運であるし、反対にこのような立場に追い込まれたのは不運であったからだ。彼には何の非もない。
「どうして、お前がこんな目にあわなければならないか、知りたいか?」
信長の言葉に、顔を上げる。浮かんでいるのは怒りと憎しみの表情で、どの口でそんなことを、とでも言いたげである。だが、信長は怯まずに続ける。
「それはな、帝国のせいだよアダムベルト」
まるで悪魔が囁くように、まるで彼の心を惑わすように、信長は続ける。
「考えてみろ、この戦いで三人の貴族が死んだのはすべて本人たちの責任ではないか。支配者という地位に胡座をかき、亜人に圧制を敷きながらも自分たちが寝首をかかれることを想像にもしてなかった。自分たちの手で亜人の反逆心を育てておきながら、だ。あいつ等の死は自業自得だ、そうだろう?」
アダムベルトの心に、小さな萌芽が起こる。小さな小さな芽。そうかもしれない、という感情。
「なのにどうしてお前が責任を取らねばならない。お前は貴族たちの命令に従っただけだ、命令違反を起こしたわけでも逃げ出したわけでもない。なのに、どうしてお前がすべての責任を持たねばならない?」
理不尽な目にあっているのは自分のせいではない、と思いこみたい感情が信長の言葉を肯定していく。それは逆恨みにも近い感情でもあるのだが、今の彼には関係ない。”自分が許される”理由が欲しいのだ。
「アダムベルト、自分たちが愚かなせいでしんだ貴族の責任を、何の罪もない一般兵に強いる。それが今の帝国の姿だ、そしてお前は今まさにその帝国の犠牲に選ばれてしまったんだよ」
徐々にアダムベルトの中に怒りが沸いてくる。そもそも、今回のきっかけを生み出したのはギルベルトの愚かな行為であり、彼はただ巻き込まれただけの被害者ではないのか。だが、生まれ始めた怒りも持続はしなかった。
「だったら、何だって言うんだ。どうせ俺は帝国には帰れない、行く当てがないのは一緒じゃないか」
だから何だというのか。確かに自分に罪はないかもしれないが、どのみち帝国に戻れないのは一緒。燃え上がってきた感情があっと言う間に消沈していくのがわかる。少しだけ心が軽くなった程度だ。何も、変わりはしない。
「ならば、アダムベルト、俺と共に来い」
信長の言葉に彼は一瞬、思考が停止した。
意味を理解するよりも早く、うなだれていた顔を上げる。そこには、自らへと差し出された手と、まるでこちらを試すように見つめている信長の姿があった。
「何を言っている。俺は人間だ、コボルトじゃない」
「だからどうした。俺が求めているのはコボルトではない、帝国に怒りを持ち戦う意志がある者たちだ」
挑むように、試すように、信長はアダムベルトを見つめている。
「アダムベルト、貴様は帝国の被害者だ。このまま、自害者として世捨て人ととして生きるのも一つの人生だろう。だが、貴様には今、帝国と戦うという道ができたぞ。このまま怯えながら長い時を生きるのか、誇りをもって帝国と戦うか、貴様はどちらを選ぶ?」
帝国と戦う。……そんなこと、夢にも思わなかった。帝国という巨大な力の元で、帝国の生み出したルールで生きていく、それが当たり前だった。きっと、それはアダムベルトだけではない、帝国民の全てがそうだろう。誰も帝国に勝とうなどと思わなかった。とうてい不可能なのだ。
だが、彼らは違う。たった四人で砦を落とし、帝国に刃向かおうとしている。誰も想像しなかった、巨大な力に反逆しようとしている。
帝国でのルールに不満がなかったわけではない。次男と言うだけで、自分に合っている職を諦めねばならなかった。平民と言うだけで、貴族に逆らうことも許されず、自分よりも年下のなんの苦労も知らない若造にこき使われたり、暴力を振るわれたこともあった。きっと、彼だけではない、みんなが同じような経験をして、そして諦めてた想い。
「勝てるのか、帝国に」
「……ああ、俺を誰だと思っている」
ニタリと彼は笑った。その笑みは、まるで悪魔のようにも見える。
「俺は第六天魔王、織田信長。この大陸全てを支配する男だ」
織田信長は、宣言した。気負うでもなく、当然かのように。まっすぐに宣言した。根拠など一つもないにも関わらずに、その顔には自信に満ちあふれている。
その言葉を、信じたくなった。
「わかった、貴方の軍に俺も……私を入れてください」
帝国に勝てるとは今でも思わない。でも、この青年がどこまで行けるのか見たくなった。途方もない自信が本当に帝国を倒すのか、それとも途中で果てるのか。
「よく言った。歓迎しよう。アダムベルト……早速だが、お前に頼みたい仕事がある」
アダムベルトがこちら側に入るのを知ってたかのように、彼はスムーズに受け入れた。おそらく、彼が入ることを確信した上で誘ったのだろう。なんだか彼の思い通りになったようで癪と言えば癪である。
だが、アダムベルトは未だ知らない。後、数分もすればこの選択を少し後悔し始めることに。
「死ねぇ!」
部屋にはいると同時に、彼の顔の真横を矢が走った。頬に鋭い痛みを感じる。どうやらかすったようだ。背筋を冷たい汗が流れる。
自分の頬を切り裂いたのが矢だとわかったのは、後ろで何かが突き刺さった独特の音と、鬼の形相でこちらを睨みつけながら少女が弓を構えている。彼女の顔には見覚えがあった。
「リサ、辞めろ」
「止めるなオダ! こいつは、こいつは私のじいじの仇だ!」
つい昨日、ギルベルトが切り捨てた老人の近くにいた少女。口調からすれば孫娘になるのだろうか。その顔には見覚えがあった。今にも新しい矢をつがえそうな彼女に気圧され、後ろに下がる。憎悪の篭もった瞳に、思わず死を覚悟する。だが、
「辞めろと言った」
凶行を阻まんと、信長が二人の間に経った。それでも、リサは顔色一つ変えず、矢を話さない。
「なぜだ! そいつは人間だ、コボルトの敵だ! 違うのか!?」
「違う」
彼女の問いかけを、真っ向から否定した。怒りにふるえる彼女を、信長の冷静な瞳が見つめる。下手な言葉だと、自らのも貫かれそうな勢いだ。
だが、怯まない、少しでも怯めば、間違いなく貫かれる。本当のことを言えば心臓が早鐘を打ち、足は少し震えている。今すぐにでも悲鳴を上げそうだ。それでも、逃げない。
「勘違いするなリサ。俺たちの敵は人間ではない、帝国だ。俺たちの目的は帝国を倒すことで、人間を殺すことじゃない」
「それが、どう違うと言うんだ!」
「勘違いをするなと言ってるんだ。コボルトを支配し、理不尽を強いているのは帝国の仕組みであり、俺たちが倒すのはそれを良しとしている者たちだ」
ここだけはハッキリさせておかねばならない。戦争の目的、何が敵で、何を倒さねばならないのか。そこを蔑ろにすれば、待っているのは全てを殺し尽くさねば終わらぬ悲劇だ。そんな悲劇が、彼の知っている世界にも数多く存在していた。
「この男にもお前のように家族がいる。この男を殺せば、その家族は悲しむんだぞ」
まっすぐにその瞳を見つめて、問う。
「リサ、お前はお前と同じ悲しみを誰かに味会わせたいのか? 自分と同じ悲しみを、帝国の人間全員に強いるのか?」
リサは、言葉を失った。自分の身の中に未だに燃え盛っている激しい憎悪の怒りと深い悲しみの感情。これがあるからこそ、彼女は帝国と戦えるのだ。
だがそれを、その想いを全ての人間に強いるのか。
「それは……それは……っ」
何かを堪えるようにリサは言葉を吐いた。彼女とてわかっているのだ、憎しみの連鎖を断ち切ることが大事なのだと。だがらとて、奪われた者の怒りを、悲しみを、嘆きを簡単に忘れることもできない。故に、苦しい。
結局、言葉を紡ぐことも出来ないまま、リサは弓を降ろすと。逃げるように無言で部屋から出ていった。少なくとも殺されることはないとわかり、ホッと胸をなで下ろすアダムベルト。
「勘違いするなよ、お前は許されたわけじゃない」
刃を突きつけるように厳しく、静かな怒気を滲ませて、信長は告げる。
「リサだけではない。多くのコボルトの民が彼女と同じように思っている。帝国とそれを良しとしている人間たちに」
振り返り、アダムベルトを見る瞳には怒りも悲しみもなかった。ただ、事実を突きつける。
「この俺の目の前ならば、助けてやる。だが、俺がいない場所ではいつ殺されても文句が言えない……その自分の立場を忘れないことだ」
「は、はい」
彼には、そう答えることが精一杯であった。
二日目の夜は、恐ろしいほどに静かだった。信長は司令室で一人、地図とにらみ合いをしている。
アダムベルトの翻訳により多くの情報が得られた。この砦においてある武器や装備、食料やベッド数等々、あらかたの情報を得た。
この砦はあくまでも駐屯地とでも言うべき場所で、兵士たちは一時的にこの砦に住み、任期が終われば帰っていく。彼らの家は一つの街と組み合わせっている中央砦に存在していること。そして、ここから中央砦に向かうには3週間ほどかかること。
単純計算で余裕は6週間。
信長は現在の状況で攻めるつもりはなかった。兵士の質だけならば、呂布とモードレッドを有するこちら側に分があるだろう。だが、圧倒的に数が足りない。昨晩のような手段が何度も通用することもないだろう。
「オダ、いるか?」
ノックと共に顔を覗かせたのは、タケルだった。彼には昨晩の戦いが終わってすぐ、それを伝えるために村に向かってもらっていた。さすがに疲れが顔に見える。
「タケルか、今日はご苦労様だったな」
「流石にコボルトの俺でも往復は疲れたよ」
最初は笑っていたタケルだったが、すぐに神妙な顔つきへと戻る。
「リサから話を聞いたよ。人間を仲間にしたんだって」
「お前も不服か?」
信長の問いかけに、タケルは肯定とも否定ともいわなかった。ただ、返答に困っているいるような、そんな顔を浮かべる。
「不満がないと言えば嘘になる。けど、オダ、君が言うことも正しい。だから、俺は賛成する」
リサが受け入れようとしても受け入れられなかったことを、彼はあっさりと言った。
「ずいぶんと、素直なんだな」
きっと、タケルもそうたやすく受け入れているわけでも、怒りが収まったわけでもないのだろう。だが、表情からはそれを感じさせないほどに、彼は大人であった。
「そうでもないさ。もしオダが許すのならば、一番にでも殺しに行くよ。それはしないのは、君のことを信頼してるからさ」
信長はふと、疑問を感じた。タケルが彼を信頼してくれているのはわかる。事実、こうして付いてきてくれいるからだ。だが、その理由がわからない。彼とは昨日、出会ったばかりで親しい関係とはとてもじゃないがいえない。それなのになぜ、この青年は自分に対してここまで信用を寄せるのか。
「なぜ、出会ったばかりの俺をそこまで信用するんだ?」
彼の問いかけに、タケルは少し驚きを表す。唐突と言えば唐突な質問であったし、そんなことを聞かれるとも思ってなかったのかもしれない。
「なんで、か。……それはな、オダさん、貴方が俺のじいさんの死を悲しんでくれたからだ」
次に意表を突かれたのは、信長の方だった。
「葬式の時、貴方はじいさんの死を心から悲しんでいてくれた、涙こそ見せてなかったけど、顔を見ればわかった」
老人を送り出す姿を見つめながら、彼が浮かべていたのは、悲しみ。胸を張り裂きそうな深い感情を必死に堪えているような、そんな顔。
「オダさん、貴方はじいさんの死を我がことのように悲しんで、コボルトたちの為に立ち上がってくれた。それに対して、俺が出来ることはあまりにも少ない」
だから、と彼は穏やかな顔で、まっすぐに信長を見つめながら、答える。
「俺は貴方を信じる。じいさんの為に悲しんでくれた、そんな優しい心を持っている貴方のことを、俺は信じます」
信じる、そんな言葉を言われたのは何年ぶりだったのか、あるいは初めてだったのか。まだ信長はなにも結果を残していない。それなのに、タケルは彼を信じるのだという。
「俺はまだ、彼の死に報いたわけではない。まだなにも、報いちゃいない」
信長の心を小さな痛みが走る。自分を守るためだけに散っていった誇り高き老人。彼の死に報いるだけの戦果をまだあげていない。少なくとも、彼はまだそうだと思っていない。
唇をかみ、視線が下がる。タケルの小を直視することが出来ない。彼は最大限の信頼を自分に置いているというのに、自分がしたことは彼の祖父を奪っただけだ。罪悪感が胸を締め付ける。
「ああ、それでいい、オダさん」
だが、帰ってきたのは穏やかな声と是という返答であった。思わず、顔を上げる。そこには、信長をまっすぐに見つめるタケルの姿があった。
「俺が貴方を信用するのは、じいさんの死に報いたからじゃない。”報いようとする”から、信頼するんだ」
信長という男のその”在りかた”を、タケルは信じるに値する、そう言った。すでに彼の血はその殆どが汗で流れ落ちてしまい、こびり付いた少量だけしか残っていない。けれど、彼はマオという老人の死を忘れることはないだろう。その胸に刻みつけながらも、問い続けているのだ。
自分は彼の死に報いたか、と。
マオに聞かせてもらった織田信長とはまったく別人のようにも思える。だが、だからこそ彼は信長を信頼するに値する男だと思ったのだ。
「貴方がどこまでいけるかはわからない。でも、貴方になら俺の命を預けることができると感じた。ついていきたいと思った。だから……」
タケルはゆっくりと拳を突き出した。
「俺を英雄にしてくれ」
決意の言葉だった。
マオが願ったコボルトの未来、それを受け継ごうとする織田信長。ならば、自分もその力になりたい。そのために英雄が必要というのならば、自らがならねばならない。たとえ、その先にどれほど過酷な戦いが待っていようとも。
タケルの言葉を、信長は受け止めた。信長だけではない、彼の決意を。自分に預けられた命を。
「信長、だ」
「え?」
「織田は俺の姓だ。名前は信長だ。敬称も必要ない、呼び捨てでいい」
「だけど……」
タケルが困惑する。確かに二人の年齢は近いかもしれないが、それでも信長は総大将とも呼べる存在、それを呼び捨てて良いものかと。
対して信長は拳を握るとタケルの突き出した拳をコツ、と叩いた。
「タケル、俺たちに上下関係は必要ない。俺はコボルトの同志であって支配者ではない。違うか?」
彼の言葉にタケルは少し虚をつかれたような顔をするも、フッと笑った。
「そうだな。俺たちは仲間だ、そこに上下関係はいらない、だな」
互いに笑顔を浮かべて見つめあう。それは、信頼を預けあった証。これから対等に歩んでいく仲間であるということの確認。
「頼むぞ、”コボルトの英雄”タケル」
「あんたもな、”救国の英雄”ノブナガ」
後の時代、英雄と並び称されることになる二人、織田信長とタケル。彼らはこの夜から強い信頼に結ばれることになる。
この出会いが二人の運命を大きく変えることになろうとは、二人はまだ知らない。ただ、月だけが彼らの行く末を見守るように静かに見つめているだけだった。