5話「決意の剣」
タケルが奮闘し、呂布とモードレッドが敵を蹂躙している中、信長はなにをしているのか。
(上手く潜入できたか。モードレッドたちのお陰だな)
信長は、砦の本体とも言える居館に入っていた。アダムベルトから聞いた情報が正しければ、ここにある場所があるはずなのだ。そこにたどり着くことが彼の目的である。
居館の中は慌ただしく兵士たちが走り回っている。おそらくは外に行る呂布たちが暴れ周っているからだろう。しかし、誰一人として信長の存在に気づいていない。
(僕の目論見も、上手いこと行ってるみたいだな)
そう、全ては彼の狙い通りだった。
今、この城内にいるものは、外で暴れている三人の対処に追われている。特に呂布とモードレッドの二人は普通の兵士では相手にならないだろう。この城にいる実力者がでてきても、勝てるかどうか怪しいのだ。そんな二人が暴れ回れば、城内は対応でつきっきりになる。
そこに、つけ込む隙が生まれる。
信長が身につけている鎧は、先ほどギルベルトの部下が着けていた鎧を奪ったものである。混乱に包まれている城内では鎧の中身まで確認する余裕はない。混乱に乗じて城内に侵入できた時点で、彼の目論見はほぼ達成したも同然だった。
(後は、その部屋を見つけだせば……!)
信長は兜を深く被り、可能な限り顔が見えないようにしてから、目的の場所へと急ぐのであった。
「何だ、何が起こっているのだ!」
砦の主、リーヌス・フォン・アイブリンガーは怒りをぶちまけるように叫んだ。頭頂部まで綺麗に禿げ上がった髪と、濃い眉毛が特徴的な男だ。そんな彼の叫びに答えるものは誰もいなかった。
数刻前、突如起こった反乱は彼にとって予想外の出来事であった。確かにこの植民地領で大規模な魔法が確認されたのは事実だが、大したことはないと高をくくっていたのもある。それがまさか、この砦を攻められることになるとは、思いもしなかったのだ。
「どうして、よりにもよって私の代に……!」
リーヌスはそれほど身分の高くない貴族だ。父は最も低い爵位の男爵であり、残り少ない財産を切り詰めて使っていく、そんな数多くいる貧乏貴族の一つだ。
だが、10年前の銀十字遠征、結果的には惨敗で終わった遠征で彼の父が数少ない武勲を上げて殉職したことにより、その働きを評価され、彼は城伯の位を賜ったのだ。
都市から離れた植民地領とはいえ、一つの城の主。このまま何事もせず終えれば安定した老後を送れるはずだった。
なのに、よりにもよって彼が城主をしている時に限って反乱が起こったのだ。実に百年ぶりになる出来事だ。
「くそ、何が起こっているんだ! 誰でもいいから早く報告しろ!」
苛立ちをぶつけるように叫ぶも、誰も答えはしない。本来であれば、扉の向こう側で見張りをしているはずの兵士さえも、このドタバタでどこかに行っている。
「あいつら、この騒ぎが収まったらもう一度、最初から根性を鍛えなおしてやる!」
怒りを机にぶつけながら、頭を抱える。彼の脳内に浮かんでいるのはいかにしてこのことを上に、このコボルトの植民地領を管理している辺境伯に伝えるか、であった。
反乱、そんな言葉はこの植民地領では縁遠いはずであった。帝都から最も遠く、植民地にされてから一度も争いらしい争いも起きてなかった比較的平和な地。
「どうしてよりにもよって私の時に……!」
下手をすれば城伯という爵位まで取り上げられ、再び最下層の男爵まで下げられる。再び残り少ない財産を切り詰める生活に戻らなければならないのだ。それだけは、なんとしても阻止したかった。
すでにカスルテンを向かわせている。彼は生粋の軍人家系の出身だ。幼い頃から英才教育された生粋の戦士である。彼の槍裁きに勝てる人間はおそらくこの城にはいないだろう。すぐにこの反乱を収めるはずだ。
最大の問題はその後のことだ。今からそのことを考えるだけで頭が痛くなる。
「余計な仕事が増える、これだから耳付きどもは嫌いなんだ」
吐き捨てるように言った彼の耳に、ドアをノックする音が聞こえる。ようやく報告に来たのか、と胸の中で一人毒ずく。
「入れ」
憮然とした言葉に応えて、その兵士は入ってきた。この部屋に入るのは初めてなのか、様子をうかがうようにキョロキョロとあたりを見回している。
リーヌスは明らかに聞こえるように舌打ちをした。部屋に入れば最初に行うのは敬礼と所属と名前を言うことだ。そんなこともわからない兵士がいるのか、と呆れる。
「あの、ここがリーヌス・フォン・アイブリンガー様の部屋ですか……?」
「そんなこともわからずにノックしたのか!」
「はぁ、すいません……」
覇気のない返答に余計に苛立ちが募る。こんな兵士が現場にいてはほかの者たちの気力を削ぐ。彼も鍛え直す必要があるようだ。
「さっさと名前と所属を言え!」
怒り心頭のリーヌスに答えるようにその兵士は兜を不慣れな手つきではずした。最初見えたのは黒髪、それに、違和感を感じる。何故ならば、帝国の人間の多くは金髪か茶髪であり、黒というのは非常に珍しいからだ。
(まて、俺の部下に黒髪はいたか……?)
黒髪はその色が縁起が悪いとされ、さらに非常に珍しいこともあって差別されることが多い。少なくとも部下にいれば目立つので本人がよほど上手く隠さなければ、知らないと言うことはあり得ない。
冷たい汗が、背中を伝う。ありえない、そんなはずはない、と心の中で繰り返しながらも、リーヌスはその兵士の次の言葉を待つ。
「反乱軍所属、織田信長です」
彼の心情を理解しているかのように、氷の笑みを浮かべてその男は答えた。自分の顔から血の気が消えるのを感じる。
「バカな、どうやってここに……!」
「どの兵士も表の騒ぎにかかりっきりで、あんたのことなんか誰も気にしてはいないさ」
信長はゆっくりと剣を引き抜いた。シャランと独特の音を響かせて白銀の刃が姿を現す。ギルベルトの鎧は全てタケルに譲ったが、これだけは彼からいただいたものだ。
だが、対してリーヌスは口の端をひきつらせながらも、笑い声をあげる。怪訝そうに見つめる信長に対して、強気な言葉で返す。
「無駄だ、すでに我が砦精鋭のカスルテンが向かっているし、時期にギルベルトも戻る。そうすれば表で暴れている奴らなど、すぐに討ち取ってくれるわ!」
自信満々にそう宣言したリーヌスに、信長は最初、呆気にとられたかのようにきょとんとしていたが、その言葉の意味を理解すると今度は堪えきれないように吹き出した。
「な、何がおかしい!」
目の前で笑っている相手にリーヌスは激怒する。自分の言葉を馬鹿にされたようなものだ、誰だって不愉快に思うだろう。そんな彼に対して、信長はもう一度、剣を見せる。
「よく見ろ、この剣に見覚えはないか」
今度は、リーヌスが怪訝な顔をする番であった。目を細めて、彼は信長が持っている剣の塚を見つめる。そして、そこに刻まれている家紋を見つめ、驚愕で目を見開いた。
「そ、その家紋は!」
「ああ、そうだ。あんたがさっき言ってたギルベルトのものだ。あの男はすでに我が手で討ち取った」
信じられない、否、信じたくなかった言葉を聞いて、その顔が驚愕と恐怖で崩れて歪む。その姿を見て、ギルベルトはあれでもこの砦の中では相当な手だれだったのだと信長は理解する。
「馬鹿な、ギルベルトが……討たれた……」
「カスルテンかどうかはしらんが、先ほどまた誰かが討たれたようだな」
「ありえん、カスルテンもギルベルトもわが砦随一の手だれだ、そう簡単に討ち取られるわけがない!」
リーヌスのわめきにも近い言葉を、信長は一笑に付した。
「砦で一番だかなんだか知らないが、俺の仲間を侮るなよ。あの二人は異世界の英雄だ、平和ボケした貴様等と同じだと思うな」
「異世界、まさか、おまえ等は……!」
「そうだ、異世界人、とでも言わせてもらおうかな」
信長の言葉を聞いて、リーヌスもようやく理解した。自分たちが相手にしている者が何者なのかを。
「すでにギルベルト、カスルテンは討った。残るのは後一人だけだ」
剣を再び構え直す。対して、リーヌスは慌てふためく。顔面を蒼白んして、狼狽え、恐怖する。
「ま、待て! 砦は明け渡す、金だってやる、できることは何でもする! だから命は……命だけは助けてくれ!!」
もはや、自分の爵位がどうだと言ってる場合ではなかった。例えどのような汚名を情けない姿を晒してでも、生き延びることだけを考えなければならない。
椅子から転げ落ちるように離れると、その場で地面に頭を擦りつける。まるで土下座のような姿を、信長は侮蔑の視線を向けて見下す。
「だめだ」
信長はその醜態を晒してでもすがりつこうとした希望を奪い去った。リーヌスの顔が絶望に染まる。
「なぜだ、おまえ等の目的はこの砦じゃないのか!」
「それもある、だがそれだけじゃない」
信長は冷静さを保つように自分に言い聞かせ、努めて静かに答える。
「昨日、一人の男が死んだ」
彼の腕の中で、未来を託して冷たくなった男がいた。あのとき感じた命の熱さを、それが失われた冷たさを、忘れることはきっとできないだろう。
「昨日だけではない、これまで多くのコボルトたちの血が流れた。おまえ等、帝国の手によって」
この地で、いやきっとこの帝国全土で起こっているであろう、ごくありふれた悲劇。
「その悲しみを、その苦しみを、その怒りを、誰かが責任をもたなければならない」
「わ、私が命令したわけではない、部下が勝手に行ったことだ!!」
私ではない、とリーヌスは体全体を震わせ、命乞いをする。その姿はまるで泣き叫んでいるブタのように見えて、不快感が沸き上がる。怒りを押さえ込もうとして、奥歯が軋む。
「黙れ……っ!」
感情そのものを言葉にしたかのような声に、思わず体が大きく跳ねる。信長は怒りを瞳に宿し、見下ろしている。
「貴様のその無関心さが、これまで多くのコボルトたちの無益な虐殺を肯定してきたのだ。それが、他でもない貴様自身の罪だ!」
自分の腕の中で冷たくなっていった老人がいた。父親の痛いにしがみつき、泣いている子供がいた。その悲劇を知らないと言って見てこなかった、知ろうともしなかった。それが今日までのコボルトたちの悲しみに繋がったのだ。
「だから、お前には罪を償ってもらう……いま、ここで!」
脱いでいた兜を再び被る。剣を腰辺りに地面と平行に構えた。剣の柄のそこに右手を当てて、全体中が剣先に乗るようにする。
リーヌスはその姿を見て慌てて立ち上がり後ろに下がるが、すぐに壁にぶつかってしまう。絶望に支配された表情が、信長を見つめる。
「やめろ、来るな……来るなぁ!!」
「う、わぁあああああああああああ!!」
必至の命乞いを、信長は絶叫を持ってかき消した。ただ、まっすぐに突撃する。
リーヌスは周囲の物を手当たり次第に投げるも、鎧を着ている信長を怯ませることもできない。最後は恐怖から目を逸らすかのように背中を向ける。
「あああああああああああああああっ!」
ズダン、とリーヌスの体が壁に打ち付けられる音と同時に、手のひらから剣が肉を貫く鈍い感覚が伝わる。剣が完全に止まったのを確認してから、信長はゆっくりと手を離し、後ろへと下がった。
「かっ……たすけ……助けて……」
壁に剣で打ち付けられたリーヌスは、必死に手を動かして剣を抜こうとする。だが、手の届かぬ場所に突き刺さった剣を引き抜くことはかなわず、動くたびに傷口から血が流れ出る。
最後の力を振り絞って全身を動かし、剣を壁から引き抜く。だが、自分の体から引き抜くことはできないまま、床を濡らしていた己の血に足を滑らせて床へと倒れ込んだ。残りわずかの命の力を振り絞ったがため、すでに息も絶え絶えだ。
最後の力を振り絞って、彼は信長へと手を伸ばす。
「た、たすけ……」
リーヌスは、そこで息絶えた。伸ばした手は力を失い、パタリと床に落ちる。
「死んだ……いや、違う」
僕が殺したんだ。
足から全身へと震えが走った。力が抜けて膝をつき、震えを押さえ込むように両腕で体を抱きしめる。それでも、震えはまったく止むことはない。
「覚悟した…した、はずなのにっ!」
彼がこの砦の大将を討ち取るのに理由は二つあった。一つはこれからコボルトたちを率いて戦うためには、何らかの実績を残しておかなければならないこと。自らが動かねば誰もついこくることはない。
そしてもう一つ、覚悟を決めること。人と戦うということは、これからも何人という敵や味方を自分の手で殺していくことになる。だからこそ、まずは自分の手を汚さなければならなかった。
人を殺しておくことに慣れてなければ、自分だけではなく、自分についてきてくれる者たちまで犠牲にするかもしれない。だからこそ、彼は”処女”を捨てなければならなかったのだ。
「し、しっかりしろよ! こんなことで、こんなことで!」
自分の体に活を入れる。まだ、終わりではない。彼にはまだやらなければならないことがある。ふらつく足で遺体に近づいて、剣を掴む。足で遺体を押さえつけて引き抜く。血と肉が絡まる生々しい音に、思わず顔を背ける。
今度はその刃を、遺体の首に当てた。剣先には鞘を当てて、全体重が刃先に乗るようにする。後は、力を込めるだけだ。
肉が切れる音は、自分の叫び声でかき消した。
ブチブチ、という生々しい音と堅い肉を着るような感触、そして骨を砕く音が響き、首は切断できた。切断した首の数少ない髪を掴む。持ち上げると、残っていた血が音を立てて流れ落ちる。こみ上げてくる吐き気をなんとか食い止めながら、甲を脱いで隠すように入れる。
「後は、最後の仕上げだけだ」
満身創痍の心を抱えながら、青年は織田信長の伝説を始めるべく歩き出す。
砦内部の戦闘は膠着状態に陥っていた。
膠着状態、といっても名ばかりで、モードレッド、呂布の二名の前に兵士たちは完全に萎縮してしまいる。挑もうなどと言う愚か者は皆無で、で獅子に食われる直前のうさぎのように怯えている。
「つまんねぇ……」
対して、モードレッドは完全にやる気を削がれており、鎧すら加除して馬に全体重を預けている。対して呂布は警戒を解いてはいないが、彼ももう戦いにならないことは理解していた。
「どうする 俺は虐殺は好みじゃないんだ」
モードレッドの問いかけにも呂布は答えない。ただ、無言で周囲を威圧している。その真面目な姿にため息をつく。完全に興は削がれていた。少しでも楽しめる相手がいればいいと思っていたが、どうやらその願いは叶いそうにもない。
膠着を乱したのは、第三者の声であった。
「そこまでだ!!」
頭上より響いた声に、その場にいた全員が声のした方向へと顔を向ける。見上げると、砦の窓から身を乗りだしている男がいる。
「あれは、信長か……!」
その場にいる全員の視線を集めながら、信長は喉を振り絞って大声を出す。
「我が名は織田信長、この世界に召還されし英雄なり。貴様等の大将の男の首は我が討ち取った! これ以上、無駄な抵抗はやめて降伏せよ!」
手に持っていた首を見えるように掲げれば、真下にいう兵士たちから動揺の声が上がる。信長は今こそが最大の踏ん張り時だと力を込めて叫ぶ。
「降伏したものは命を保証しよう。だが、降伏しないものには決して容赦はしない。貴様等の大将と同じ末路を辿ると知れ」
首をつかんでいた手を離す。その首はまっすぐに下に落ちると地面に落ちて鈍い音を立てて跳ねる。それは、逆らった者の行く末を暗示しているようで、兵士たちは言葉を失う。
完全に戦意を失っている兵士たちへ、信長は絶対零度の冷たさで言い放つ。
「選べ。ここれで誇り高き死を選ぶのか、それとも一時の恥を飲んで生き残るのか」
果たして、誰が最初だったのか。兵士たちは我先にと手に持っている剣を捨て、その場にひざまづく。剣が地面に打ちつけられる音が鳴り響き、まるで歓声のように信長が勝利したことを称えていく。
全身へと打ちつけられるような騒音にその身を震わせながら、静かに信長は眼下にひれ伏していく兵士たちを見つめる。
(これで、もう俺は逃げることはできなくなった)
コボルトを虐げる帝国に対する反乱、それを指揮した。そして、そのために人を殺した。もう引き返すことはできない。後は、最後まで走りきることしかできない。つい昨日まで引きこもりだった青年が、どこまで行けるかなんて、彼自身でさえもわかるはずもなかった。
(だったら、やるだけやってやるさ……どんな結果になったって!)
全身の震えをこれからくる戦いへの武者震いだと言い聞かせながら、少年は今、織田信長となった。