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1話「異世界での出会い」

 気づいたら、森の中にいた。――――そう、表現するしかなかった。


「なんだよ、ここは……」


 あたりを見回しながら、青年は戸惑いの声を上げる。彼は確か、先ほどまで自分の部屋にいたはずなのに、今は見知らぬ土地だ。


「なんだよ、なんなんだよ」


 苛立ちが声に滲む。ジャージにTシャツ一枚という完全に部屋着だ。しかも、裸足。おおよそ外に出る格好ではない。最も、彼は外に出ることなどほとんどないが。

 不安を消すために辺りを見回す。木の生えかたには法則性はなく、木もまっすぐではなく曲がりくねっている。日本ではあまりみられない原初の森だ。

 どうしてこんな場所にいるのかは、わからなかった。彼はいつもどおり、目が覚めてからパソコンをつけていつもやってるオンラインゲームに没頭していた。急に眠気を感じて、目を覚ましたらこんな場所にいた。


「くそ、何なんだよ本当に……痛っ!」


 足に激痛が走る。見てみれば棘の生えたイバラのような植物を踏んづけていた。針は細くて長いが固いために彼の足の裏を用意に貫通したらしい。


「なんなんだよもう!」


 傷口から悪戦苦闘して刺さった針を引き抜くと、その場に座り込む。状況が改善しないことは理解していたが、彼の心がもう限界だったのだ。


「わけがわかんねぇ」


 つぶやくように悪態をついて、空を見上げる。頭上は巨大な木の葉によって遮られて空は見えなかったが、木々の影が涼しくて心地の良い空間を作っている。風で揺れる木の葉からこぼれる光は、幻想的で思わず心が奪われた。

 ガサリと後ろで音がした。釣られて振り返って、彼は思わず言葉を失った。


 イノシシがいた。それも、2メートルは超えようかという巨大なものが。


 いや、イノシシなのだろうか。彼が知っているイノシシとは姿かたちが似ているだけで違う。茶色の毛皮で背骨にそって濃い毛がラインを弾いてる。口から生えている牙はマンモスを思わせるかのように巨大で、芸術品のように綺麗な曲線を描いている。大きさだけではなく、姿も彼の知っているものとは似ているようで全く違う。


「な、なんだよこれ」


 よく見れみれば、背中に数本の矢が刺さり、そこから血が流れている。巨体に似合わないほど小さな目は真っ赤に充血しており、一目見て興奮……というよりも怒っているのが見て取れた。出会い方としては最悪のタイミングではなかろうか。

 本来、猛獣に出会った場合は視線を逸らしたり、背中を見せるのは御法度だと言われている。彼ももちろん知っていた。だが、只でさえ混乱していた頭に、突発的な出来事が重なり、とてもじゃないが冷静に判断する余裕はなかった。


「う、うわぁあああああ!」


 情けない叫び声をあげながら彼は背中を向けて走り出した。それが決め手になったのか、イノシシも低いうなり声を上げて彼を追いかける。残念なことに敵と認識されたようだ。最初こそ体のせいで鈍重だが、徐々にそのスピードは上がっていく。森に歩きなれていない、そもそも運動すら得意でない青年と森を知り尽くしている猛獣とでは勝負にはならない。10メートルほどあいていた距離はすぐに詰められてしまう。


 だが、幸運が彼を手助けした。


 森の地面は決して平らではない。巨大な木の根がや複雑に絡んだツタが複雑に絡み合い、ゆっくり歩くだけでも大変なのだ。そこを、考えずに走れば結果が見えている。出っ張った木の幹へと足が引っ掛かり、足先が嫌な音を立てて挫く。不格好に倒れ込むものの、なんとか腕を交差させて顔だけは守った。偶然にも、真横に倒れたことでイノシシは目標を見失い彼を素通りしていく。


(た、助かった……?)


 しかし、そう簡単に終わるほど、相手も甘くはなかった。一瞬だけ目標を見失って驚くも、すぐに青年を見つけると再び牙を付きだし襲い掛かってくる。


「勘弁してくれよ!」


 すぐに立ち上がって逃げようとするも、先ほどひねった足が激痛を発し、思わずその場に倒れ込む。すでにイノシシは走り出し、その鋭利な牙が彼を捕らえている。どう考えても絶望的な状況に、青年は顔を青ざめた。


「く、来るな! うわぁああああああ!」


 叫んで手を振ることしかできない。それが情けない格好だという考えが浮かぶ余裕もない。ただ、死にたくないという感情だけが体を動かす。それでも止まらない相手に、死を想像したとき、


「顔を下げろ!」


 凛とした声が森に響く。反射的に言葉に従い、その場に伏せる。同時に、目の前に一人の少女が舞い降りる。


 その姿に、目を奪われた。


 最初に視界に入ってきたのは美しい黒髪。長い髪を後ろで一纏めにしている。アイヌを思わせる民族衣装に身を包んだ少女は、少し釣り目の瞳はまっすぐに前を見据え、朱に塗られた弓に矢をつがえて力の限り引き絞っている。


 少女の凛とした佇まいが、まるで一つの芸術品のように思えた。


「はぁっ!」


 短い気合いの言葉と共に矢は解き放たれ、風を引き裂くヒュンという音を響かせ、空を切る。トス、という短い音と同時に矢はイノシシの眉間へと突き刺さった。


 一瞬ですべてが終わった。


 眉間に深々と矢が刺さったイノシシは意地で数歩進むも、そのまま力を失い真横に倒れた。イノシシが完全に動きを止めたのを確認してから、少女は身にまとっていた緊張感を解く。

 ゆっくりとイノシシに近づき腰を落とすと、十字を切り弔う。そして、最期に青年の方に向き直った。先ほどまでの芸術だと感じさせるような美しさを持った表情ではなく、人間味あふれる怒りの形相だ。


「森の中になんの装備も持たずに入るなんてあなた死ぬ気!」


 ただでさえ釣り目がちの瞳をさらにつり上げて詰め寄られた。いきなり現れた少女、それもそれなりの美人に詰め寄られ、混乱していた頭が余計にこんがらがり、思わず顔が熱くなる。何か言おうとするも、至近距離にまで迫った顔をみると言葉を失ってしまう。


「い、いや、僕は気づいたらここにいて……」


 怒りに満ちた瞳に戸惑いながらも、なんとかどもりながらそう答える。この瞳は苦手だな、と青年は心のなかでつぶやく。


 ―――青年は”あるもの”に気付く。


 少女の顔、その頭の上に見慣れないものがついているのだ。ピンと真上を向いているそれは、彼女の感情に反応しているのか、ピコピコと動いている。ふさふさと毛の生えたどんな動物もついている音を拾う感覚器。しかもその形を言葉にするのならば、


 犬耳。


 視線を動かしてみれば、スカートの後ろからも黒くて先端だけが白いふさふさとした尻尾が落ち着きなく左右に振られている。そういえば、犬は警戒するときも尻尾をふるんだっけかとどうでもいいことを思い出した。


「犬、耳……?」


 思わずつぶやいてしまった言葉。だが、言葉に少女は表情を一変させる。


「狗じゃない! 誇り高き狼よ!!」


 ただでさえ赤かった表情を怒りによってさらに赤くし、少女は青年の首に手を伸ばして締め上げた。とっさのことに防御することもできずに、なすがままに首を絞められて呼吸が止まる。ミシミシと嫌な音が首から聞こえ、ゾっとした。


(な、なんだこの……バカ力!?)


 自分よりも頭一つ小さいはずなのに、ぎりぎりと締め上げられて足が浮く。軽々と青年を持ち上げるという、その見た目からは想像できないような力に驚くものの、悲鳴も上げれずにうめくことしかできない。


「だいたい貴方、コボルトでもないし何者よ!」


 答えたいのは山々なのだが、首を絞められていてはなにも答えられない。足をバタバタさせるも、どうやら彼女は気づいていないようだ。


「それにその見慣れない格好は……えっ?」


 フッと、首を締め上げていた力が抜けた。鈍い音をたてて尻を打つが、痛みを感じている余裕はない。ようやく苦しみから解放されて、咳込みながら必死に空気を肺に送る。対して、先ほど真で怒りの表情を浮かべていた少女は、今度は戸惑いの顔を浮かべながら青年の姿を窺っている。


「この服、たしかにあまり見ない生地だけど……でも、こんななよなよした奴が……?」


 ゆっくりと少女は膝を折ると目線を青年に会わせる。まっすぐに見つめる黒い瞳は、おもわずドキリとさせるほど綺麗な色をしていた。


「ねぇ、貴方はひょっとして異世界からやってきたの?」

「異、世界?」

「そう、気づいたら知らない場所にいたとか、そういうの」


 彼女のまるで縋るような言葉に、青年は戸惑いながらも頷く。すると、少女の瞳が大きく見開いた。


「見つけた! ようやく、最後の一人を!」


 少女が顔が満開の笑みを浮かべると歓喜の声を上げた。彼女の言ってる意味が理解できない青年は、ただただキョトンとしている。


「最後の、一人って、なんのこと?」


 話についていけない青年が思わす言った言葉で、少女はようやく平常心を取り戻す。どうやらこれでまともな会話ができると胸をなでおろす。


「とりあえず、事情は村に帰ったら話すわ。とりあえず私についてきて」


 手が差し伸べられた。考えてみれば、女の子の手を握るのはいつぶりだろうか。ずっと部屋に閉じこもってばかりだったので思い出せない。少し恥ずかしく思いながらも手を掴み、立ち上がった。


「自己紹介がまだだったわね。私の名前はリサ、これからよろしくね」

「あ、えっと僕は……」


 自らを名乗ろうとした青年を、リサと名乗った少女は手で制して止める。


「大丈夫、貴方の名前は知っているわ」

「え……?」


 青年とリサはここで初めて出会ったはずだ。それなのに”知っている”とはどういうことなのか。


「名前を知ってるって?」

「もちろんよ、センゴク時代に現れたダイロクテン魔王」


 まるで謳うように彼女はその名前を呼んだ。


「オダ・ノブナガ。それが、貴方の名前でしょう?」

「え?」


 オダ・ノブナガ……織田信長のことだろうか?


 もちろん、その名前は知っている。しかし、当然のことだが青年の名前は違う。少なくとも戦国時代を生きていた記憶はない。彼はれっきとして現代人だ。


「僕は織田信長では……」


 急いで否定しようとするが、リサと名乗った少女は手を伸ばして彼の手を掴んだ。暖かい温もりと柔らかい肌の感触が彼の思考を奪う。


「ついてきて、私の村に案内して上げる!」

「え、ちょ……」


 有無を言わさずに引っ張ろうとする。母親ですらない、女の子の手、それもとても柔らかい。再び顔に熱が集まり、真っ赤になっているのが自分でも分かった。情けないことだが、それだけでなにもいえなくなる。


「あ、ちょっと待ってね」


 手を掴んだまま、リサは何かを思い出したように足を止めると、額に矢を受けて絶命したイノシシへと向かう。地面に横たわっているイノシシに右手を伸ばすと、


「よいしょ」


 こともなげに2メートルはあろうかという巨体を片手で持ち上げて肩に担いだ。目の前で起こったありえない光景に思わず言葉を失ってしまう青年。そんな彼に気付かないまま、リサは眩しい笑顔を浮かべる。


「じゃ、行こっか」


 彼女の無邪気な笑顔の前に、青年は何もいえなくなるのだった。




 彼女に導かれて連れてこられたのは小さな村だった。木造で作られた質素な家が数件並んでいる。


「みんな、ただいまー!」


 リサが入り口で大きな声で帰りを伝えると、声に反応して、村人たちが作業を止めて顔を上げる。入口らしき小さな門をくぐって村に入ると、狩りとってきたイノシシを置いた。


「リサ、帰ってきたのか!」


 真っ先に彼女に近づいてきたのは一人の青年。彼女と同じく黒髪で、目尻がよく見ているが、兄弟だろうか? 彼もまた、リサと同じく犬耳と尻尾を生やしており、走りに合わせて揺れている。


「兄さん! 今、帰ったよ!」


 彼に対してうれしそうに腕を広げて迎える。離れてしまった手が少し名残惜しい。だが、近づいてきた犬耳の青年は一瞬で顔を険しくすると、


「この、馬鹿娘っ!」


 返ってきたのは熱い包容ではなく真上から振り落とされたゲンコツであった。鈍い音がその威力を物語っており、思わず青年は顔を顰めた。小さな悲鳴と共に頭を抱えてリサはその場に蹲る。どうやら、そうとうな痛みらしい。


「痛ぁ……。なにするのよ兄さん!」

「それはこっちの台詞だ馬鹿! あれほど森に入るなと言っただろ、憲兵に見つかったらどうする!」

「そう簡単に見つからないわよ」


 リサのその言葉に兄と呼ばれた青年は手で顔を覆う。どうやら、彼女に相当困らされているようだ。


「今が大事な時期だとおまえだってわかっているだろう。お前の軽率な行動が、村を危険に晒すことになるんだぞ」


 兄からの説教に彼女はとても不満そうだ。最初にみた芸術品のような美しさはそこにはなく、むしろ年相応の女の子らしい姿。


「それくらい、分かっているわよ」

「いいや、お前は全然わかっていない!」

「待って、わかったからちょっと待ってよ!」


 再び拳を握った姿を見て、頭を抱え慌ててリサは離れる。そこで、ようやく兄は彼女の隣に並んでいる男に気づいた。


「おいリサ、その横にいる男は……?」


 彼の目の色が変わる。さきほどまでは妹を叱る兄の愛の篭もった瞳だったが、今回はまるで敵を見るような目に変わっている。


(あ、これすごい勘違いしてるんじゃあ……)


 おそらく、最愛の妹に変な虫がついたみたいな。だが、そんな兄の様子の変化に気づかないまま、リサは興奮状態で答える。


「私ついに見つけたの! 最後の一人を!」

「最後の一人って、まさか!」


 兄の言葉に、リサは自信満々に頷いた。


「そう彼こそが救国英雄の最後の一人、オダ・ノブナガよ!」


 彼女の言葉に、その場にいた村人にどよめきが起こる。またか、彼は心の中で嘆息する。先ほどもそうだが、なぜだか分からないが彼女、否、今は彼女らは自分のことを織田信長だと思っているらしい。織田信長という名前に、心当たりがないわけではない。しかし、それは自分がオンラインゲームで使っているハンドルネームだ。だが、どうしてその名前で呼ばれるのかはわからない。


「本当に、この人がオダ・ノブナガなのか?」

「あ、いや自分は……」

「間違いないわ。この見たことない生地の服がなによりも証拠よ!」


 先ほどからこれである。彼の言葉はどうやらリサには届かないようで、彼女の中ではも織田信長で決定しているようだ。彼女の言葉に反応するように周囲のどよめきも大きくなる。衆意から視線を向けられて、居心地が悪い。できる事なら、人の目の少ない場所に逃げたかった。


「すいません、とりあえずどこか落ち着いた場所で話したいんですけど……」


 一秒でも早くこの場を去りたい。とりあえず勝手に盛り上がって話ができそうにないリサではなく、比較的冷静と思われる兄のほうに言った。


「ああ、そうだなとりあえず俺たちもあんたのことを知りたいし、ひとまず長老のところへ行こう。あそこなら大丈夫だろう」

「私、先に長老に伝えてくる!」


 嬉しそうに書けていく彼女の後ろ姿を見ながら、本当に犬みたいだな、と本人が聞けば激怒しそうなことを考える。


「では、案内するんで、ついてきてください。オダさん」


 人のよさそうな、犬耳の青年に案内されたのは、村の中でもひときわ大きく、そして古い家だった。中に入れば最初に見えるのは大きな囲炉裏で、周囲を数人が囲っている。


「よく来て下さいました、異界の英雄様。どうぞ、そこにお座り下さい」


 中心に座っている老人、白い髭を仙人のように長くのばし、腰は曲がり、手足はほぼ骨のように細い。顔に刻まれた深いシワは、彼の人生を物語っているようだ。

 促されるまま、ちょうど老人の真正面になるように座る。疑われない程度に瞳を動かし、周囲の人物を観察する。

 髪の色、というよりも体毛というべきか。三種類あるようだ。リサと同じ黒髪がもっとも多く、全体の6割ほどいる。次いで多いのが薄茶で3割ほど、そして最後に灰色が1割ほど、と言ったところか。

 だが、数多く並んでいる獣人の中で二人だけ異彩を放っている二人がいた。どちらも長老と呼ばれている老人の後ろに座っている。


 一人は鋭い眼光をもち真っ赤に燃える赤い髪が獅子のたてがみのように雄々しく広げている男性だ。おとなしく座っているものの、こちらに興味津々に見つめており、今にも立ち上がりそうだ。

 対して隣に座っている男性は物静かで、瞳を閉じて瞑想しているようにも見える。だが、その体は非常に大きく、青年のふた周り以上はありそうだ。こちらは金色の鎧を着ており、頭にはクジャクの羽をあしらった冠を付けている。


 この二人だけは周りにいる人々のように耳が生えてはいない。おそらく、リサが言っていた自分より先にきたという人物は彼らの事なのかもしれない。


「初めまして、織田信長さま。ワシがこの村をの長をやあっておるマオじゃ。周りからは長老と呼ばれておる」


 マオと名乗った老人は、笑った。人なつっこい嫌みのない笑顔は、自然と彼を安心させる不思議な力を持っている。思わず、緊張感が解れる。


「タケル、これまでの案内ご苦労であった」


 マオのねぎらいの言葉に、タケルと呼ばされた先ほどの青年はお辞儀を一つすると外にでていく。瞳でそれを確認してから、用意されていた質素な座布団に腰を下ろす。

 しかし、状況としては先ほどと何も変わらない。人数こそ減ったものの、注目されている。この居心地の悪さはきっと好きになれないだろう。


「突然の召還に驚かれておいででしょう。しかし、偶然にもリサが通りがかったのは重畳でした」


 低い声だが、威圧感はない。まるでこちらをすべて受け入れてくれるような、そんな安心感がある。青年は祖父・祖母にあったことはないが、きっとこんな人なのではないか、と感じた。


「ここは、どこなんですか? それに、僕のことを信長って」

「貴方が今、居られるのは”エルデ”と呼ばれる大陸です」

「エルデ……?」


 聞いたことがない地名だ。少なくとも日本ではないだろう。外国でもなさそうだが。


「分からぬのも無理はございません。ここは貴方の居られた世界とは別の世界なのです」

「別の世界?」


 そうです、とマオは頷いた。正直なところ、にわかには信じ難い話ではある。だが、先ほどの巨大なイノシシ、それに耳としっぽが生えた人間たちをみると、とてもじゃないが嘘とは思えない。嘘をつくにしても、こんな大がかりな嘘を自分につく必要性がない。


「そうです。貴方が住んで居られた世界から、私たちが救国英雄として召還したのです」


 一気にでてきた新しいワードに頭がこんがらがる。召喚したということは、この老人が自分をこの世界に呼んできたようだが。とりあえずわからないことを片っ端から聞いていくしかない。


「救国英雄?」


 青年の言葉に、マオはゆっくりと頷いた。


「我々は危機に瀕しているのです。種族として、絶滅するかしないかの瀬戸際に立たされているのです」


 急に出てきた物騒な言葉に驚く。種族として絶滅とは穏やかな話ではない、いったいどういう事なのか。マオはその疑問に答える様にゆっくりと言葉を紡いだ。


「今、このエルデ大陸は人間の作った白銀帝国によって支配されております。そして、その白銀帝国により、我々コボルトを初めとする多くの亜人が、虐げられているのです」


 彼の話に同調するように周りを囲んでいる人々の顔が沈痛なものへと変わっていく。


「本来、我らコボルトは森に生きる民。しかし、帝国による力の支配により我々は森に入ることを禁止され、農奴として扱われるようになったのです。逆らえば容赦なく殺され、逆らわずとも酷使され続ける」


 つい先ほどまで、朗らかな笑みを浮かべていたマオが表情が段々と曇っていく。顔に刻まれている深い皺は、これまでの苦労の証なのだろうか。


「このままでは、我ら亜人は帝国によって滅ぼされてしまう。それを阻止するためには亜人を救うための英雄が必要なのです」

「それで、選ばれたのが僕だと?」


 老人は重々しく頷いた。


「オダ・ノブナガ。ニホンの歴史において天下統一の直前まで手を伸ばしたセンゴク時代に名を残した名将」

「なぜ、異世界のことをそこまで?」


 青年の疑問に、彼は一つの本を取り出す。相当使い込まれているのか、表紙の絵は擦り切れて題名が読みづらい。その本をリサに渡すと、彼女が手元まで持って着れくれる。


「これは……日本史の教科書?」


 今にも分解寸前の状態で、中身も外に負けないほど色あせ、抜け落ちているページも多くみられる。だが、カラフルな内容と写真は学校でよく見られる教科書だ。擦り切れていて読みにくいが、しっかりと日本史と書かれている。


「時折、あなた方の世界の書物がこの世界に落ちてくるのです。落ちてきたものを研究することで、我々は貴方の世界を知るのです」


 しかし、ならばどうして自分のような存在が呼ばれてしまったのか、それが分からない。青年は戦国時代とは無縁の存在であるし、そもそも織田信長とはなんの繋がりも持っていない。いや、実は一つだけあるのだ。だが、それは本当に馬鹿馬鹿しくて、繋がりとも呼べるのか分からないものだ。


「どうして帝国は亜人を、虐げるのですか?」


 マオの話の中で唯一理解できなかったこと。少なくとも、コボルトが根絶やしにされると感じるほどなのだ。並大抵のことではない。青年の言葉に老齢のコボルトは苦々しい思い出を思い出すように答える。


「……”劣悪民族排除法”。それが、すべての元凶なのです」

「劣悪民族排除法?」


 今より150年以上も昔、白銀帝国皇帝アーデベルト・フォン・カイザー2世の時代に生み出された、亜人にとっての悪法。同じ人間でありながらヒト族を最も高貴で優れている種族とし、それ以外すべての民族を汚れた民族として隔離し、管理するべきと言う法律である。この法律の下にコボルトをはじめとする亜人は人間の手によって虐げられてきた。


「この法律により、森の賢者と呼ばれた我々は森を追われ、今では畑を耕し、この地を支配する領主が決めた重い税を強いられているのです」


 今の自分たちの置かれいる状況が悔しいのだろう。マオの手は堅く握られ、彼の心情を表すかのように小さく震えている。いや、彼だけではない。この場にいる全員が、マオと同じように悔しげに唇を噛みしめ、無念さでその体を震わせている。


「我らコボルトは、森に住み、木の実を採り、狩猟して生きる民族。なのに、今となっては森の中の生活を知らずに死んでいく者もいる。このままでは、我らは本当に滅んでしまう……だからこそ、禁じられている禁忌を犯してまで貴方をお呼びしたのです」

「禁忌?」


 青年の言葉に、彼は頷いた。


「先ほどの書物もそうですが、この世界は異世界との繋がりがあります。その繋がりに魔力をそそぎ込むことでいせ界から救国英雄として召還することが可能なのです」


 ただし、と彼は続ける。


「異世界の人物を呼び寄せるのは非常に危険な行為なのです。その人物によっては、世界をさらなる混沌を招くかもしれません。それ故に、この地では召喚魔法は禁忌として封印されてきたのです」


 だが、裏を返せばマオは禁忌を犯してまで自分を召還したということだ。帝国に逆らってまでも。


「どうして、そこまでして……」

「コボルトの未来を作るために」


 息を飲んだ。


 先ほどまで優しい老人のようだった顔とはうってかわり、鋭い眼光と引き締められた口。そこには、揺るがぬ決意を決めた男の顔があった。


(この人は、本気だ……)


 たとえ、何を犯しても、未来を切り開こうとする強い意志。衰えた老人の体のどこに、それほどまでの力が残っているのか。ただただ、青年は圧倒される。


「オダ・ノブナガ様。突然の召還の上、このような願いを貴方に託すのは不躾であるのは承知。ですが」


 マオはゆっくりと手を突き、額を地面に当てる。土下座、これも書物で習ったのだろうが。彼に会わせるように周りの男もたちも同じように頭を下げていく。


「我らを、コボルトの民をお救い下さい」


 切実な願い。その思いの強さに、ただただ、圧倒される。


 自分が信長ではないと、どうして言えようか。


 言えば、きっと彼らは落胆する。彼らの失意の顔を見れるほど、彼は冷酷ではなかった。そして、真実を伝えられるほど勇敢でもなかった。


「少し、だけ……考えさせて下さい」


 そう答えることだけで、精一杯だった。

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