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プロローグ&第一章 竜の土地

――これは、竜騎兵にございます。

――りゅーきへい?

――はい。未知の世界へ民を導く、偉大なる我々の先導者……皇祖アンセルム様ももとはこの竜騎兵団の一員だったのです。当時まだ発明されたばかりの銃を背にさし、森も草原も凍れる大地も馬ひとつで駆け抜ける。彼は当時北方では最大の竜騎兵団を組織し、大官の暴政にあえいでいたタルトゥを救ったのです。その勇猛さから、東の国ではいまでもわが国の兵が本物の竜を駆っているという話が信じられているとか。

――しってる。パパにおしえてもらったからな。でもこれはどうみてもちがうぞ。いろんな色が塗ってあって、まるでお菓子みたいだ。

――はは、食べてはいけませんよ、お姫さま。なりは確かに違いますが、この《車》が竜騎兵であるゆえんはそれだけではありません。これはですね、革命者なのです。

――かくめいしゃ? なんだ、それ?

――新しい世界を発見して、みなに分け与えるものです。アンセルムさまが圧政を打ち破り民に新しい土地を与えることができたのも、銃という革命者をつねに傍らに置いていたから。それまでこの世で一番速いものは鳥でした。どんな韋駄天といえどヒトの足ではとうていかなわない。だけど銃は、その何十倍もの速度で宙を駆け抜けたのです。その瞬間、いまだ手付かずだった世界が目前に開けてきた。その時確かに時代は変わったのです。まったく新しい場所に踏み出る果敢さ、それが革命者には必要……そして、この《ドラグーン》にはそれができると、私は信じています。

――……こんなちっちゃいのが?

――これはまだミニアチュアです。おまけにまだ開発途中。速さは到底銃ヴァルネにはかないません。それでも、いつかこの車が弾丸たまと同じ速さで人を運ぶことを願っています。そのとき、この国はまた新たな世界を切り開くことができるでしょう。そしてこの車が普及するとき、その世界は民へ分け与えられる。私はただ、この国の繁栄にほんのすこしだけ貢献できれば、と思うだけなのです。

――うう、むずかしい……なにいってるのかゼンゼンわかんない。

――はは、そうでしたか。申し訳ありません。今はわからなくて結構です。ただ……おこがましいことを承知で申し上げます。お姫さま、革命者になりなされ。ただの王女さまでいるより、ずっと楽しいですよ。お会いして確信しました。貴方にはその素質がある。ほら、私の顔をご覧ください。これが、幸せな人間の顔というものなのです。アイリさまと話すことができて、私は今人生で一番「ほくほく」なのです。ぜひ、私だけでなく国民全員にこの顔をお与えください。そうすれば……

王女さまは世界で一番の幸せ者になることができるでしょう……


 神話


 むかしむかし。いちばんむかし。この世界がまだ生まれて、いくばくもない時代。

この世界はパンケーキの生地みたいにぐちゃぐちゃぼろぼろで、いったい何が何だがわからない状態だった。

 空も大地も、空気さえもない。ただ均質な、なにもかもが渾然一体となった、そんな世界で。

 最初に生まれたのは、熱だった。火山がすべてのはじまりだった(このときの熱は消えることなく、すべての生き物の体に残っている)

 溶岩の熱が泡を産み、空気が生まれ、空間が現われた。次に、その泡の中に、さまざまな生命が生まれては消え、生まれては消えを繰り返した。そうして強い生き物が残って行き、その最後に生まれたのが人間だった。

 あるとき、世界中の動物たちは集まった。この世界の未来について話し合うときが来たのだ。

熱のおかげでこの世界が生まれ、全ての生命も発展することができた。しかし、その熱のせいでいま、世界はとうとう完全に固まりかけている。泡は昔よりだいぶ大きくなってきたとはいえ、このまま生き物が増え続けるといずれ土地がたりなくなる。

 そこで相談して、種族の中でもっとも足の速い者を各方面に向かわせた。彼らは世界の果てに行き着いた後、その果てを押して、世界を広げるという大役を任された。そして、そこで新しく得た土地が、その種族に与えられることとなった。

 人間はといえば、頭はいいものの、足の速さでは他の種族に劣る。そこで大役を任されたのが、タルガドという少年だった。彼は人間の中でも頭抜けて足が速かっただけでなく、いくつもの岩山を上り、溶岩で足を切られてもひるまない、果敢な精神の持ち主だった。彼のおかげで、人間は空を支配する鳥や、海を支配する魚に劣らぬ、広大な領地を手に入れたのだ。

  彼の子孫は、のちにこの地の王となり、今に至るまで君臨し続けている。この地は、「タルガドの土地」という意味で、タルトゥと呼ばれている。

さて、この陣取り合戦でもっとも多くの土地を開拓したのが、竜だった。彼は縦横無尽天衣無縫に飛びまわり、世の果てをどんどん押し出して行った。

 しかし、彼は欲張りすぎた。すでに、世の果ては凝固しかけていた。それにもかかわらず飛び続けた彼は、あるとき自分がいくばくも進んでいないことに気が付いた。とうとう世界の果てに絡めとられ、動けなくなっていたのだ。彼は必死に引き戻そうとしたが無駄だった。彼はそのまま動けなくなり、地平線近くの夜空に輝く、ひときわ大きな星座になった。

 竜の種族は自らの強欲を咎め、彼が広げた土地のほとんどを、人間に引き渡すことにした。理性と知性のある人間なら、この土地を任せることができると。人間はその土地を受け取る代わりに、彼らに対し恩義を示すため竜をまつることにした。とある一族が祭祀をつかさどることになったが、彼らは婚姻によって次第にタルガドの一族と同化し、今では王族が祭祀を担当している。

 これが、タルトゥにおける竜神信仰のはじまりであり……


 タルトゥで行われる世界最大の《ドラグーン》レース、《建国記念杯》設立の、原動力となったのだった。



プロローグ 竜の土地


 その国が幸福かどうか。それをはかるにはまず市場を見るがいい。そう言ったのはどこの誰だったか。まず並べられている商品を見るがいい。理想的なのは国産、それもその土地の作物が多いこと。それらに混じって質のいい輸入品が必要なだけそろっていること。商品のチェックが終われば次は商人の顔を見るがいい。いかめしい顔つきをしているのは駄目だ。強張った笑顔で、必死に口先で売り文句を並べ立てるヤツが多いのもよくない。いいのは店の前に人が立っていないこと。奥のほうで椅子にけだるそうにもたれながらいまにも転寝にはいろうとしている、そんな主人が多いところがいい。その国の住民は焦らず怒らず欲がなく、栄光よりも小さな幸せを好む。だからその国では他のどこよりも耳かき屋が流行るだろう。商品がいい、商人もいい、それが確認できれば客の顔を見るまでもない、彼らは微笑んでいるだろう。彼らは足るを知っている。だからその国は王族も平民も、みな同じような風貌をしているだろう。

 さて、その格言からこの国の市場を眺めてみるとなかなかいい線を行っている国だと思われる。市場にはつやのある野菜であふれている。内陸に位置するので魚は川魚しか見当たらないが、代わりに肉屋は充実している。辺りのどんな小さな宿にでも入ってみるがいい、料理の味がこの上なくまろやかで、他の国と比べても段違いにおとなしいことがわかるだろう。肉が新鮮だから香辛料をあまり使う必要がないのだ。特にここで製造される骨付きハムは格別だ。

 そんな平和な国、タルトゥ王国。ここはその城下町、市場をまっすぐ北へ突っ切っていけば、大きな堀を隔てた向こうにいかめしい城が見える。もっとも、一重しかないというのは他の国に比べとても防御がゆるい。それほどこの国は戦乱に無縁の地なのだ。元来控えめな性格の国民はこう言うだろう、「あんたさんの国も素晴らしいが、この国も、まぁまぁいい国だと思うよ」

 もし、彼らにタルトゥが「最高」ではなく「まぁまぁ」である理由を聞いたら、こう返ってくるだろうか。

「ちょっと坊主どもがやんちゃすぎるのが玉にキズかな」

 そう言って、恥ずかしそうに笑うのだ。謙遜するふりをして、子供の元気さを自慢する。タルトゥの民のお茶目な一面だ。

 しかし――


そんな言葉も、最近はあまり冗談ではなくなってきた。平和な社会に生まれた、ほんの小さな綻び――


 突如、台車の上の色とりどりのパプリカが爆発したように飛び散った。

「いっけぇ! 俺のマシン!」

 ガキんちょ共があちこちから飛び出して売り物を踏んづけていく。汁が飛び散って、裾を濡らすのもかまわず縦横無尽に走り回る。その背中に商人たちの怒号が降りかかった。

「こんのクソガキゃァ! 車遊びもほどほどにせんかァ!」

 温厚なはずの彼らも、せっかくの売り物を台無しにされては頭に血が上ってしまう。しかし子供たちにひるんだ様子はみじんもない。リーダー格らしい背の高い少年が舌を出す。

「こんなテクニカルなコースわざわざ設定してるほうが悪いんだよ!」

 そう言って走り去る彼らの周囲を、まるでねずみのようにちょこまか動き回るものがあった。

 ミニチュアの車。かといって人が乗り込む車とはまったく形状が違う。ボディーはまるで草食哺乳類の頭のような鼻先の尖ったデザイン。空気流動も考慮された先鋭的な形をしている。

 子供たちの頭には、まるで獣の耳のようなヘッドバンド状の機械が付けられている。どうやらその機械で脳はを増幅し、指令を発してマシンを操作しているようだ。おかげで四方八方、マシンが細かく動き回って、大人たちは目で追うことすら難しい。

 まるでそれ自体生きているかのように走り回るマシン。彼らはそれをドラグーンと呼んでいた。

「大会ではどんなコースが設定されてるかわからないからな。今のうちにどんな場所でも通れるようにマシンを調教してやらなきゃ! 例えそれがケツみたいなちっこい穴でもな!」

「お前みたいにすぐ腹がピーピーになる奴のケツ穴なんざ、誰でも通れるわ!」

「何だとこの野郎!」

 汚らしい笑い声とともに走り去っていく彼ら。

「こら! 待たんかぁっ!」

 その背中を、果物売りの店主が追いかけようとする。しかし、その頭上から声が降ってきた。

「あハハ、ごめんよッ!」

 彼の坊主頭は、真上から踏んづけられた。市場のテントの屋根を伝って、別のガキ共が追走してきていたのだ。もちろんドラグーンも一緒に。

「ぐぉおおっ!?」

 脳天を貫く衝撃にふらつく店主。しかし、仮にも人を踏み台にした少年たちは悪びれる様子が全く無い。

「さっすが市場一の石頭! とっても乗りやすかったぜ! おっさんのハゲ頭じゃぁ、髪に足が絡まる心配も無いしな」

「でも逆にツルーンって滑らないように気をつけないと!」

 一団がどっと沸く。それを聞いて、近頃めっきり髪が少なくなった彼は気力をなくしてしまった。

「にゃろう……」

 店主は頭をさすりながら、立ち上がる。しかしその時、重大なことに気付いてしまった。

「な……無い! 俺がまるで荒野に咲く一輪の花のごとく大事にしていた俺の髪の毛が……たった三本、頂に大事に残していた俺の宝物が、全部……全部抜けちまってるじゃねーか!!」

 精魂込めて育てた売り物を台無しにされ、そして自分のプライドさえも踏みにじられ……絶望した彼は苦々しそうにため息をついた。

「まったく、あのオモチャが出てからというもの、慎みのないヤツが多くなったわ。あぁいう攻撃的なものばかりやってると頭が壊れて、並大抵の快楽じゃ我慢できなくなる。酒、女、賭け事……しまいには海外のアヘン屈で一生を終えることになる。あぁいう廃人は子供のころあんな遊びばっかりやっていたに違いないんだ。まったく……コモド・ヘッグといったか!」

 彼は潰れたマンダリンを手に取った。当然だが、もう売り物にならない。

「偉い研究者だか知らないが……えらいものを作ってくれたよ!」

 湧きあがる怒りにまかせて皮ごととかぶりつこうとする。が……

「うぼあっ!?」

 力が入りすぎたのかそのまま握りつぶしてしまい、顔にジュースの雨を受けてしまった。

「くそ……どれもこれも……みんな王宮のせいだ! 王が代わってから、いいことなんて全く無い! 税は高い、風紀は緩む……そしてなにより俺はハゲる! みんなみんな、王様のせいだ! いや……違う。何より悪いのは!」

 何か思い出した様子の彼は苦々しい顔をする。

「王女だ、王女がいけない……王にあんな美しい娘が出来てからというもの、もはや政治も儀式もそっちのけ! すべて家臣に丸投げとなっちゃ、ロクな国になるわけない! 傾国の美女とはこのことだよ! あぁ、先代の世が懐かしい……」

 そう言って彼は息子のほうを振り返る。まだ十歳にも満たないだろうか。ふっくらとした顔に黒縁の丸めがね。店の隅に座り込み黙々と本を読んでいる。

「我が息子シモンよ、こんな世の中だが、お前は……お前だけは、毒されてはならんぞ。大丈夫だとは思うが、さっきみたいな奴らとは関わるんじゃない。お前には私のなれなかった医者になってもらわなきゃならないからな。畑を耕すのは私だけで十分。お前は肥料をやるんじゃなくて、医療をやるんだ。なんちて」

 息子は本で顔を隠すようにして、無言でうなずいた。



 第一章 竜神国の姫


 タルトゥの創世神話を受け継ぐ王家は、例年建国記念日に大々的な祝祭を行ってきた。そのハイライトが、《世果ての行列》である。

 まず午前中に、王家の直系で最も若い御子が、竜の被りものを身につけた神官に続いて道を練り歩く。これは、竜神が開墾した世界に人間が定住したと言う神話に基づくもので、かれこれ千年は続けられている伝統の祭りだ。御子の後には、百花繚乱、あらゆる動物を模した仮面の行列が続き、まさに神話の世界に立ち返ったかのような壮麗な光景が繰り広げられる。そして午後には、国中から集められた韋駄天が街路を疾走する大徒競走会が催される。ここで最も早く駆け抜けた者が、この一年竜神の代理を務める神官となるのだ。

 しかし、《ドラグーン》が普及し始めた昨今、ここにオプションが入るようになった。より速く、より遠くへ。神話の根底にあるこのフロンティアスピリッツに、これほど合致した遊びはこれまで無かったのだ。今やドラグーンはこの国の神事に欠かせないものとなっている。この建国祭においても、ドラグーンレースは長距離走と並ぶ出し物になった。そして、ついに今年、前半の神事においてもドラグーンが国家の象徴として使用されるようになったのだ。

 今日は、その予行練習。実際の街路を使ってするわけには行かないので、今日はタルトゥ城内を使っての模擬パレードが予定されていた。

 諸外国の王の居城と比べ、タルトゥ城は規模としてはとてもコンパクトだ。もともと山城だったため、宮殿を中心に群小の建物を橋で連結した構造になっている。しかしそれゆえ建築家の腕が試される格好の場面であり、史上の名手たちの手が加わっていることで世界的に名高い。

 そのような稀代の名建築の合間を縫って、縦横無尽に遊歩道が敷設されている。その両側にも、古代遺跡から発掘されたレリーフ、お抱え芸術家の彫刻の名品(鉱石採取の際に発生した石材を使用)が並んでおり、まさに芸術の殿堂、といった趣だ。

 しかし、その中はいま大変なことになっていた。

「おおおおおっ! いいぞ、ぶち破れ《ヴァルネ》!」

 一人の少女が茂みから勢い良く飛び出した。頭からレンガの舗装に飛び込んで、くるりとスカートを翻し一回転。立ち上がったところを迎えるように、赤色のマシンが彼女の頭上を追い越していく。木の枝を伝って走ってきたらしいそのマシンは、着地するとスムーズな動きで彼女の足元へ滑り込んできた。

「ふーッ、格好かっきぃーっ! いいぞ《ヴァルネ》! まるで白馬の王子様みたいに凛々しいお迎えだ!」

 金の長髪の上には、ドラグーン操作のための脳波増幅機械――いわゆる《カム》が装着されて、まるで獣の耳のようだ。その外見に違わず、まるで野生動物のように俊敏な動きで彼女は障害物を乗り越えていく。

 少し遅れて、今度はバキバキと服を引っ掛かかる音が茂みの中から聞こえる。やっとのことで抜け出したのは、燕尾服を身につけた二人の少年だ。彼らもまた、《カム》を頭に搭載している。

「くっそ、姫ちー、なんつームチャなショートカットしやがるんだ! とんだお転婆姫だぜ! そこが姫ちーの可愛いところでもあるんだけど!」

「こんなデタラメな走行、もはやショートカットとはいえないのですよ! アイリさまはただ走りたいところを走っているだけ、ブリザートさんも真っ青なのです、後は草木ひとつ残らない! まぁ、そこがアイリさまの微笑ましいところなのですけど!」

 しばらくして、こちらの二人にもマシンが追いついてくる。それぞれ青とオレンジの塗装が施されたボディーが、少女のマシンを追って路面を滑っていく。

 それにさらに遅れて……十数秒。仰々しい衣装を身につけた大人たちが、ヒィヒィ息を切らしながら道を歩いてきた。その胸に刺繍された紋は、彼らが城に仕える家臣たちであることを示している。

「ちょ、ちょっと王女様、祭りの練習はどうされたのですか、王女サマ~ッ!」

 家臣たちのかすれ声に少女は振り返ると、さも当然といわんばかりに、にひ、と無邪気な笑みをうかべる。

「あきた!」

 そう、この少女こそ、タルトゥの王の長女にして唯一の子息……すなわち、第一王女にして皇位継承者、アイリ・アールストレイムその人なのだ。

 誰もが目を奪われずにはいられないほど見目麗しい彼女。この国の誰よりも気高い血筋を持ち合わせて生まれた彼女。そんなタルトゥでは知らぬもののない存在はまた、重度のドラグーン狂としても名高かった。いい意味でも、悪い意味でも。

 一つで庶民の家が何軒も買えてしまうほどの傑作群の前をマシンが疾駆していく。美の迷宮と呼ばれるこの道。だだっぴろい直線と不規則なカーブが交互に連なるこの街路はレースに最適だ、とはアイリの言。しかし毎日のように走り回っているせいで地面はデコボコ、彫像の台座にはマシンの激突痕が残っている。

 家臣たちは、彼女がいつ目測を誤ってレリーフを破壊するか、気が気でない。というよりそもそも、このパレードは神官扮する竜神に若い王族が付き従うというコンセプト。なので……

「王女様が先頭になってしまっては、リハーサルの意味がないではありませんかぁ~っ!」

 家臣たちが望むことは一つ。早くアイリが大人の教養を身につけること。気品ある所作でこのギャラリーの中をゆっくりと歩きながら、時折吸い込まれるように巨匠たちの筆致に目を凝らし恍惚のため息をつく、そんな日がやってくることだ……一部を除いては。

「くぅう~ッ! しびれるぜ姫ちー! 今日は一段と圧力が違うじゃねぇか! カーブにぐいぐい入ってくるぜ! 俺っちのヤべぇメーターがビンビン振り切れまくりでなんかもうヤベぇ! ヤベぇとしか言いようがねぇぜ!」

「あぁ、ますますアグレッシブなのです! 自分なんかの走りと比べたらまるで月鼈の差……」

 彼女の後ろを追う影二つ。さきほどの少年たちだ。ともに自分のマシンを操縦し、彼女としのぎを削っている。二人とも黒い燕尾服を着ているのだが、そんな格好で全力疾走して暑くはないのだろうか。

「熱いさ! だけどこのバトルフィールドに溢れている熱気に比べたらこの厚着もまるでドライアイスを身に纏っているみたいだぜ!」

「このアツさは人を燃え立たせるのです! 立ち止まるよりも全力疾走したほうがずっと楽! 現実世界の常識をこのサンクチュアリーに当てはめては駄目なのです!」

 とても愉快なこの二人、ともにアールストレーム家に代々仕えてきた臣下の家系で、幼いころから彼女の従者として生活をともにしてきた。

 赤髪にサンバイザー、なかなかの美形だが真っ赤なニキビと「俺っち」口調が残念な彼はアウグスト。童顔の上にねずみ色の髪がふわりと乗り、背伸びした口調がたまに痛いショタっ子くんがアラン。彼らはアイリがドラグーンを走らせるときには常に帯同し、レースの相手をすることが常となっていた。

 彼らはとある恩義があって、幼いころからずっと彼女のそばに仕えてきたという「骨の髄まで王女様の従者」な二人である。なので、《手合わせ》の回数も他の家臣と比べて群を抜いている。今や、彼女に負けず劣らずのドラグーンフリークだ。

「姫ちーのマシンはレスダウンフォースセッティング、直線に強い! ラストの直線でぶっちぎられる前に俺っちの《フェドマ》がこの立体カーブで決めてやるぜ!」

「アランにだって……意地があります! 《アヴァカン》のトルクは凡百のマシンとは違う! すぐ息切れする直線重視のマシンよりこの角度は断然有利!」

 外側と内側、それぞれがオーバーテイクを狙ってアイリのマシンに迫ってくる。

「だ・れ・が」

 アイリは口許をゆがめた。

「行かせるかァ!」

「おわッ!?」

 二人はぞっとした。

「ノンブレーキ!?」

 アイリのマシンは壁を何度も掠めながらも最短距離でカーブを切り抜けようとする。

「オラオラオラァ!」

 激突するたび、大地はぐらぐらと揺れ、名作たちもぶるぶると身震いする。

「お、王女様、おやめください! このままでは我が王家が世界に誇る名品の数々が……」

 そうわめく家臣たちもこのスピードでは追いつけるわけがない。

「お、おい、お前ら、アウグスト! アラン! 王女様をお止めしろ!」

 へばりこんだ者が声を嗄らしながら叫ぶ。しかし……

「うっわーさすが姫ちーイカれてるぜ! 断然面白ェ!」

「さすがアイリさまぁ……っ。はうん……なんだか興奮してきます……」

 使い物にならない。家臣たちが覚悟を決める間もなくあちこちで彫像がヘドバンを始め、台座が割れる破砕音。

「あぁ……王女様……」

 がくりとひざをつく面々。

結局彼女は一瞬もトップを譲ることなくコーナーを回りきった。あとは、ゴールまで一直線。後ろとの差を考えると、もう一位は確定したようなもの。

「あぁ、よかった……幸い本体に傷はない…………ありがたや、ありがたや……」

 涙を浮かべる家臣たち。しかし……

「まだまだァ! 終わってないぜぇ!」

王女様の無慈悲な宣告。

「例え一人旅でも、オレは決して手を抜いたりはしねぇ! ここからは自分との、時間との戦いだ! 行くぞヴァルネ!」

 カムの耳に手をやりながら叫ぶ。

「変・形!」

 言葉とともに、ウイングがまるで生きているかのようにぐにゃりと曲がって、後ろに倒れていく。それだけではない。ボディー全体がまるで生きているかのように形を変える。

「形状記憶素材を利用した、今日初お目見えの新機構だ! ストレートでは自動変形し限りなくダウンフォースを減らす! 天駆けるような走りだぜ!」

「なんかよくわからんがすげぇぜ! 行けぇ! 姫ちー!」

「そんな簡単に速くなるならもうすでに誰かがやってると思いますけど、とにかくがんばって! アイリさま!」

「もうなんかやめてくれ! いやな予感しかしない!」

 家臣たちのわめき声も耳に入らないのか聞こえないふりをしているのか。彼女は少年向け作品よろしく喉が潰れそうなほどの声で叫ぶ。

「ペガサス! ラニング! スペース! デベロプメン! ドラッグドラグーン! スカイハイ!!」

 よくも噛まずに言えたものだという感想はさておき、マシンは一気に加速し、加速して……

「あれ?」

ふわりと、浮いた。マシンバランスがまだ不安定だったのだ。

「うおぉおーつ! すげぇ! ヴァルネが本当にペガサスになった!」

「よ、喜んでいる場合ではありません、前、まえ!」

「え?」

 家臣の声に、前に向き直ってから気付く。行き止まり、いや直角コーナーだ。しかしこのままでは曲がり切れない。マシンも、そしてアイリ自身も。向かう先、王家の象徴である彫像《皇祖アンセルムの戴冠》。その後ろは眺望を透かしたステンドグラスになっていて、もし突き破ればとうとうと流れるテア河へまっさかさまだ。

「それだけで国が一つ買える位のお宝が……じゃなくて姫様危ない!」

 家臣の本音が漏れかけた、それがアイリの注意を遅らせた。爪先が引っかかってバランスを崩す。このままではマシンもろとも……

「うわ、わーっ!?」

 像を蹴倒しながら、頭からダイブ。気が付けば、身体は宙にあった。ガラスが割れるバリバリという音が遅れて耳に入ってくる。身体にふっと乗っかってくる、重力。その中でも、彼女はもがき、手を伸ばした。

「ヴァルネ! 落ちるなぁっ!」

 その声に、重なるように。

「姫ちーッ!」

「アイリさまぁ!」

 アウグストとアラン。二人が突進する。余計なことは考えず、ただ彼女を助けることを優先。踏み場を選ぶ余裕などない。ほぼ同時にアンセルム像を踏み台にし、ばきばきと砕きながら身を乗り出す。

 アウグストは右足、アランは左足。アイリの身体をそれぞれ掴んで、

「ふんぬをッ!」

「うにゃぁっ!」

なんとか踏みとどまった。

「はぁ……は……」

「あぁ……あぁあ……び、びっくりさせないでくださいなのです……」

 二人が息を切らしていると、下向きにぶら下がったアイリがほっとした声色で、

「よ、よかった……本当に……」

 心から安堵した表情を浮かべた。

「怖かった……だけどと……守り抜いたぞ!」

「「え?」」

 彼女はさかさまのままVサイン。その手にしっかり、ヴァルネを握り締めて。そして何度も愛機に頬ずりする。

「あぁ~ん、心配させるなよこの~! まったく手のかかる奴だなお前は! そこが可愛いトコでもあるんだけど! あぁもうこの小悪魔!」

その様子を、二人はわなわな震えながら見下ろしていた。

「……いっそこのまま……落としちゃいますか」

 アランのつぶやきが、あまり冗談に聞こえないアウグストだった。


 タルトゥ、いや、この世界全土の子供に圧倒的な人気を誇るドラグーン。

 その発祥はタルトゥである。今から三十年前、機械仕掛で重いものを輸送する、いわゆる《車》の機構は日進月歩を続けていたが、未だ人力の足踏みやペダルの回転に動力を頼らざるを得ない状態だった。

 その人力車を駆使して、旧都の地下を発掘する者がいた。コモド・ヘッグ。王宮付きの考古学者兼科学者だ。書物に記される以前の、国家のおぼろげな姿を捜し求めて、今までの手掘りでは到達できなかった岩盤の下まで掘削を行おうとしていた。

 このように、彼はタルトゥで岩を掘る大多数の人間と異なり、宝石で一攫千金を狙っていたわけではない。しかし、思いもがけず、世界で最も稀有な宝石を発見することになる。

 言うまでもなく、竜眼石である。

 その石には、周囲の物体を圧したり、浮き上げたり、力をおよぼす性質があることがすぐにわかった。そして磁石と違うところは、増幅された人間の脳波に反応し、人間の意志によって動かすことが可能であると言うことだ。

 しかし、それを実用化するには、様々な障害が付きまとった。まず、出力がそれほど強くないこと。石ころほどのものを動かすくらいのことは難なくできるものの、例えば人間自身を輸送するともなればひとつの石では足りない。さらに、その脳波による操作という特徴は、巨大な機構を精確に操作するためには不安定な部分が多い。対象を正確に動かすには集中が必要であり、もし疲労でそれが途切れた場合、いとも簡単に制御不能になってしまうのだ。

 このような理由で、竜眼石は当初、その神秘性とは裏腹に実用性の極めて低いものと受け止められた。しかし、博物館や美術館の檻の中へ送り込まれる寸前の竜眼石は、とあるホビーの出現によって再び脚光を浴びることとなる。

 言うまでもなく、ドラグーンである。

 植物の繊維を利用したプラスチックによる、軽く強度のあるボディー。ギアを使った単純な機構は、竜眼石に見違えるようなスピードを与えることを可能にした。

 さらに操作性の面でも、例えマシンの操作がおぼつかなく、クラッシュを繰り返しても、コース上にあるマシンを操作するだけなので基本的に人体に危害が加わらない。

 こうして、竜眼石は、ホビーにその利用価値を見出されることとなった。

 ドラグーンは小さい上大量生産ラインが確立し価格が下落した。市場にも次第に、菓子類と一緒に、ドラグーンのパッケージを扱う店が増加した。こうなると、ドラグーンが世界中で空前のブームを巻き起こすのにそう時間はかからなかった。

 今や鉱山事業とともに、この《ドラグーン》はタルトゥの基幹産業となっており、国の安定に一役買っているのだ。


「まさに竜に護られた国、か……確かに魅力的だが……」

 書記官がペンを走らせる音がカリカリと響き渡る。紅いカーテンに彩られた豪奢な応接間。そこに、三人の人影が円卓を囲んで座っていた。

「今の俺たち……《ナルヴァ共和国》に、他所をちょっかいを出す余力なんてあるか? 俺たちはまだ政権の基盤すら固まっていないんだし」

「そーそー、それに、散々他の王国がウチの革命をぼーがいしてきたって言うのに、タルトゥはよゆーなことに知らん顔。大儀のない出兵は、諸外国に干渉の口実を与えてしまうかもよー? キミにしては、理性的じゃないんじゃない《大統領》サマ?」

 がらがら声と、幼い声。二人が次々目の前の《大統領》に話しかける。二人の忠告にほだされるのでも、受け流すのでもなく、彼はふ、と鼻を鳴らした。

「革命成って以来……数多の政権が入れ替わり立ち代り現われたケド……みんなチュート半端にいらないことして、チュート半端に去っていった……どうしてだかわかる?」

 ローストビーフをナイフでガリガリと削りながら、時おりその刃先をうっとりと眺める。

「満足したからだ……この国を変えたい、良くしたいといっておきながら、本当は自分が目的。ナンバーワンの肩書きを手に入れて内心ご満悦だから、あとは守りに入って自滅する。結局はこの国の内側だけ、自分の内側だけを見ているから。その点……」

 食べる分だけ削り終えたことを確認すると、ナイフの刃先を二人に向けてピッと差し出した。

「僕は飢えているから。ひとつの国の椅子で満足なんてしない。恐れず、迷わず、ダイナミックに。もっと外に目を向けなければ、この国はいつまでたっても内乱状態だ……」

「「…………」」

 言い切られた二人は、ぐっと押し黙る。それは彼の揺るぎない瞳に気圧されたからか、それとも……

目の前の血の滴るサーロインに涎をたらしているだけなのか……

 むしゃむしゃくちゃくちゃという音が響き渡る。あまり行儀のいい食い方ではない。このことが、彼らが成り上がって間もない庶民であることが見て取れる。

「うめぇなぁ……うめぇ。世界一料理の上手な国家元首様だわ」

「にぐっ……にグじゅうで、ちっそくしそう……しわわせ……」

「僕は焼くだけだ。肉がいいんだよ」

 ぶっきらぼうな謙遜を聞いてか聞かずか、ものすごい勢いで食べ続ける二人をみて、《大統領》はふっと微笑んだ。

「ひさしぶりの休暇なのに僕の料理が食べたいなんて、物好きがいるもんだ……」

「バカ言え、食欲は人間の三大欲求のひとつだぞ!」

「ごはんひとつで百年の恋もさめたりフットーしたり!」

 あっという間に放り込むと、二人は同時にぐったりと椅子にもたれかかった。

「喰っちまった……」

「欲におぼれた……」

 倦怠の中に、取り返しの付かないような悲愴感が漂う。《大統領》は苦笑した。

「愚か者め、おかわりはないぞ? これから命運をかけたバトルをするんだ、気抜けした奴は幹部であっても除名ものだからな。作戦の完遂まではおあずけ、だ」

「ふーい」

「あーい……」

「「「…………」」」

 続きが無いと知るや、沈黙。どうやら、彼らが意地汚いからだけではないようだ。

「《次》までに、俺たちはここに戻ってこれるのかな……」

「バ……っ。そんな……こと」

 まるで銃のシリンダーが回転するように。次々と、次々と。《お上》が循環してくれたおかげで、自分たちは政権の中枢であるこの部屋に座ることが出来ている。だからこそ。

 また《次》がないとは、誰も断言できない。しかし……

「ない」

 二人の不安を払拭するように《大統領》は好戦的な笑みを浮かべた。

「断言するさ。僕たちは、この国の伝説になる」

 ゴッと鈍い音がして、ナイフが机に突き立てられる。

「俺たちは混迷の政界を救い出した功労者として大歓声のなか凱旋する。三人の銅像が街の中心に立てられ、寒いときは雪をかぶり、熱いときは打ち水をされ、ずっとずっと、絶えることなく残り続けるんだ」

「生きている間に……ボクたちはそれを見ることができる?」

「あぁ」

 彼はにやりと笑った。

「そのために……タルトゥを叩く。これは避けられない。すべての人民の、そして、僕たちの未来が、これからも途切れることなく続くために……」


 アイリたちが白に戻ると、城の正門が仰々しい音を立てて開いた。城下町まで響くその声は、市民にはまるで竜の鳴き声のようだといわれている。

 一匹の蟻も通すまじというような物々しい警護、それが一斉にサァと引いていく。この城に来てすぐの頃はアイリも「すっげー!」と観光地にでも来たかのように驚いたものだが、今となってはもうすっかり慣れてしまった。入り口で一斉に頭を下げて「お帰りなさいませ!」と叫ぶ何十人もの使用人の顔も、今はほとんど一致する。そしてその頭たちに、

「おう、帰ったぞ! わざわざごくろーさん!」

 鷹揚に声をかけるだけの肝も手に入れた。

 しかし、その奥。劇場のエントランスかと見まごう階段。そして天まで抜けてくような大規模の吹き抜けを目にするとき彼女はわれに返るのだ。

「あぁ、オレって王女なんだよな……」

 ステンドグラスから降り注ぐ光を浴びながら、彼女の父親――タルトゥ国王、アルフォンス5世が手を広げて待ち構えている。

「あぁ……あぁあ! おかえり! アイリ!」

 金糸でくまなく装飾された服を纏った、巨躯。それをゆっさゆさと揺らしながら、彼女目指して一直線に突き進んでくる。

「あああぁーーん! アイリアイリアイリケガはなかったかーーーーーーーーーーぃ!」

 彼女は反射的に、とったりの要領で父親の手をはっしと掴むと、そのまま遠心力を利用してぐい、とぶんなげた。

「あ、ゴメン親父っ! 手加減忘れたっ!」

 うぁああという声とともにステンドグラスを突き破るこの国の最高権力者。それを見て、使用人たちは驚きもしない。彼女がこの城に来てからというもの、その光景は日常茶飯事だからだ。ただ、自分の上に国王が落ちてこないか身構えるのみ。まるでファールボール扱い。

 数分後、彼は足を引きずりながら現われた。何度も、ぶつぶつとつぶやきながら。

「アイリ、あいりぃ……無事でよかったよ……」

 アイリが思わず「打たれ強い奴だなぁ……」とこぼしたので、近くにいた「じい」がひっぱたく。彼女はむしゃくしゃを振り払うようにこほん、と一つ咳をして父親の手を取る。

「親父……ごめん。何かどでかい肉塊が突進してくるからスモウ・レスラーかと思って技をかけちまったぜ。霜降りステーキにタルタルソースかけて食べるなんて罰当たりなことしてる親父が100%悪いことは明白なんだけど、オレももう15歳だしそろそろ相手の気持ちを汲んで要領よく物事を進める練習をしなければならないな。謝るよ。本当にゴメン」

「アイリ、もしかしなくても私をバカにしてるな? でもよかった。またお前をこの手で抱きしめることができて……アイリが帰ってくるまで、心配で何回血へどを吐いたことか……」

「お前朝食のときもいたじゃねえかよ!」

 腕にすがって頬ずりしようとするとする父親をずるずると引きずる。それでもなかなか彼は離そうとしない。

「私にとってアイリに会えない半日など、一万光年を無為に過ごしたのと等しいのだよ……本当に怪我はないかい? お前の抗いきれない圧倒的な魅力に狂わされた卑猥な猿がお前につきまとっているんじゃないかと心配で……」

 アイリはうんざりした表情で答える。

「実はそうなんだ。信じられないほどうっとうしい奴がいる。今まさに、オレの目の前に……」

 国王は突然「なぬぅ!」と古風な叫び声を上げる。

「あぁ……心配していたことがついに起きてしまった! えぇいどこじゃ我が娘にまとわりつく猥褻な輩は! 騎士どもは何をしている! 今すぐその無恥な男を捜し出し、この城からつまみ出せぃ!」

 こうして、国王様は「いえっさ!」と一斉に叫んだ騎士たちによって城の外へ放り出されてしまいました。

 うわなにをするわしはこくおうじゃぞあいりあいりたすけてくれという声を遠くに聞きながら、タルトゥ王国第一皇女アイリはあーあと呆れ顔。

「まったく、暑苦しいのは見た目だけにしろよな……」

「まぁそうおっしゃいますな。アルフォンスも寂しかったのです。たった一人の愛娘なのですからな」

 そう彼女に声をかけるのは家令のフェルセン。国王とは幼馴染で、彼の信頼を得て王女の身辺の世話を任されている。

「まったく、オレにはわかんねぇや。どうしてこう簡単に他人に依存できるんだ。何をするにも他人がいないと落ち着かない。人として弱くなっていくばかりじゃないか。男らしくない」

「まことに結構な御意見で。でもアイリさまももう子供ではないのです、そろそろご自分の魅力にお気づきになったほうがよろしいかと。でないと知らずのうちに幾多の殿方を傷つけることになりかねませんぞ」

 確かに容姿だけ見れば、アイリには非の打ち所がない。

 宝石のようなきらめきを放つその瞳、その上に彩を添える長いまつげ。さらにはまるでガラス細工のような透き通った輝きを見せるブロンド、それは今まさに蜜が流れ出しているように艶めいている。通の人間はその耳を挙げるかもしれない。小さくも大きくもなく、何の用もないのに耳打ちしたくなるほどかわいらしい。着やせするタイプで胸はあまり主張しないが、腰のくびれは一級品。彼女をソファの横に置いてそっと抱き寄せることを夢想しない男性はいないだろう。通常美人というものは人をひきつけると同時に、いくぶん非人間的で近づきがたい印象を与えるものだ。しかし、彼女の印象は正反対。誰もが無防備に気を許してしまいそうな親しみやすさがある。かといって誘われるがまま近づくのは飛んで火に入る夏の虫。一言二言話すうちにどつぼにハマって、彼女の父親のような症状に至る宮中の者あまたとの噂も。

 しかし、彼女はどこ吹く風だ。

「オレみたいながさつな女に簡単に惚れてしまうような奴は根性が弱いんだよ根性が! 軟派な男が増えただけだ、オレがどうこうって話じゃない!」

「やっぱりそう返されますよね……まったく、そういう問題ではないのに」

 ため息をつくフェルセン。さらに説教を加えようとしたとき、重いの軽いの、二つの足音が聞こえてきた。

「あー、耳が痛ぇ。まったく、姫ちーのせいでとんだとばっちりだぜ……」

 と言って近づいてきたのはアウグスト。その後ろに隠れるようにしてアランが身を小さくして震えている。彼女を助けた直後、顔を真っ赤にした家臣たちに呼びつけられた二人。アイリのお色直しの最中にも延々説教を受けてきたのだが、よほどきつく叱られたのだろうか。フェルセンはため息をつきながら尋ねた。

「どうですか? たっぷり絞られてきましたか?」

「絞られるも何も……俺っちたちは悪くないからな。頑として譲らなかったから、向こうも観念して釈放してくれたぜ」

「怖かったです、幽鬼のごときあの形相……はう」

 安堵のため息をつくアラン。その頭をアウグストが右腕でわしゃわしゃ撫でる。

「俺っちたちは姫様をお守りしてるんだ。あんな像を守ってるんじゃねぇ」

「アランたちの主はアイリ様であって、お前らじゃないって言ってやったのです」

「うんうん。それでこそお前らだよ」

 アイリが手を組んで深くうなずく。

「お前らがいなかったらオレも無茶はしないさ。二人が守ってくれるから好き放題できる。今日だってそうだ。助けてくれるって、わかってたから全力でヴァルネを掴みに行けた。お前らがいるだけでまったく死ぬ気がしない。感謝してるぜ」

「俺っちのほうは生きた気がしなかったけどな……」

「アイリさまは、いいかげん自覚を持ったほうがいいと思います」

「お二方もです!」

 フェルセンの口から発せられた衝撃波に二人は後ろ向きに倒れこむ。

「姫様がクラッシュする寸前に散々アジっていたのはどなたか? 新機構をテストもせずいきなり実戦で披露。これ以上のフラグはありません。その時点で気付いてお止めするべきだった。護衛だけではない、姫様を『監督』するのがあなた方の仕事。ゆめゆめお忘れなさるな」

 従者二人は目を泳がせる。

「で、でもレース中だぜ? せっかく姫ちーがラストスパートをかけようって時に水を差すのは……」

「コース上は神聖不可侵なのです……無粋なまねをしてはダメなのですよ?」

 フェルセンの頭が、ぶちりと音を立てた。

「喝ぁああああっ!」

 フェルセンの咆哮に二人は吹っ飛ぶ。

「まず、そのドラグーンバカをやめなされ! この主にしてこのしもべ! どんどん症状が悪化していくばかりですぞ! これからしばらくは……そうです、最低一ヶ月はドラグーンを一切やらないように! 禁止です! 三人とも!」

 この発言には三人とも「え~っ!」の三重奏。

「そんなぁ! フェルセンはオレを殺す気か!」

「ドラグーンは俺っちの血肉なのに……それを取られたら骨と皮しか残らないじゃないか!」

「人間は熱がないと生きていけないのです! ドラグーンがないと寒くて凍え死んでしまうのですよ!」

「かーッ!」

 フェルセンは頭から湯気を吹き出す。

「いいですか? 貴方たちはもう15歳でしょう? いい年して、いつまでもそんなオモチャに夢中になって、恥ずかしくないのですかッ!」

 一瞬、空気が凍りつく。三人とも青ざめたような顔色。

「お前……それを言ったらいけないだろう……」

「一番デリケートなところをナイフでえぐりやがって……」

「血も涙もない奴なのです……」

 そう言って、三人身を寄せ合いぶるぶると震える。

「あんたら本当に仲が宜しいようで本当に結構なことですな……」

 フェルセンがさらに説教を加えようとしたその時、窓際で王様が「ひゃぁあああああっ!」と狂ったような叫び声を上げるのが聞こえた。すぐにアイリが駆け寄っていく。

「どうした親父……親バカが過ぎてとうとう本物のバカになっちまったか?」

 そう冗談めかして問いかけた彼女の瞳に、黒い影が映った。窓の向こう。点々と。

「何だ……アレ? 鳥……?」

 そんなわけない。あんな大きな鳥がいるか。鉄の羽と鉄の尾を持った鳥がいるというのか。大きな砲をぶら下げた、空を飛ぶ艦隊。快晴だったはずの空を埋め尽くす、黒、黒。

「あ……あぁ! アンセルム様のたたりだ! 像を壊してしまったから、バチが当たったんだぁ! あぁ、お許しください! せめてアイリと私だけは助けてェエ……」

 錯乱する王をよそにフェルセンは声を張り上げる。

「敵襲だーっ! 早く伝声管に連絡を!」

「なんなんだよあいつら! なんで船が浮いてるんだ?」

 アイリが何度も首を横に振りながら問いかける。従者の二人も窓際に駆けつけ、唖然とした表情。フェルセンは後ろから威嚇するように睨み付ける。

「どのような仕組みかはわかりません。しかし、あの紋章は……」

 ぎりり、と歯軋りする。

「共和国の標……」


 タルトゥの北方に位置する大国、ナルヴァ。長年幾多の諸侯を率いてきた王政が崩壊したのはちょうど六年前だ。贅沢にふける王族。貴族院の優越の濫用により、平民の出した法案をことごとく潰す貴族たち。不満がじわじわ高まっているところに追い討ちをかけるような干ばつ、大凶作。これが決定的だった。地主の蜂起をきっかけに全土に反乱は広がり、一ヶ月もしないうちに王政は崩壊、戦線を主導した幹部らによって共和制が宣言された。

 しかし、新生共和国も王政の残党、諸外国の干渉に悩まされ続け、政権はとても不安定だった。幹部同士が互いに責任を押し付けあっては大統領をコロコロ変えるという有様。そんな状況で他国の侵攻に打って出るなどありえない。王城の人間は誰もがそう思っていた。

 だから、まさか宣戦布告もなしに、首都に軍が乗り込んでくるなど予想できるはずもない。城内は上を下への大混乱だ。

 あの《飛空船》が一体どういう仕組みをしているのか、王室付きの学者でも遠目では全く理解できなかった。ドラグーンの飛行形態のように滑空するのではない。大きな風を掻き回す円形の櫂のようなものがいくつも付いていて、それが回転することで浮力を保っているのかもしれない。

大きなクジラのように悠々と宙を航行するそれは、畑に着陸したかと思うと、まるであぶくでも吐き出すように兵を下ろしていく。あっという間に市中は人の海。抵抗する術もない市民を尻目に、薄汚い緑の軍服が城を包囲した。

「王様! ナルヴァが通告をしてきました! 降伏しなければ、五千人の軍勢で一気に城を攻め落とす……と! 回答までの時間は……一時間!」

「ぐぅう……っ」

 王の額から脂汗が垂れている。付き人の少女がせっせと布でふき取ろうとするが、もうどうにも止まらないので今は呆然と彼の顔を見つめるのみ。

「落ち着け……こういうときこそ落ち着きが必要だ……焦って判断を誤ってしまっては、元も子もない」

 王の言葉に、家臣たちはうなずいた。

「そうですね、慎重にいかないと……」

「国を揺るがす事態……迂闊に物事は進められない……!」

「慎重に……慎重に……」

「慎重に……!」

 頭を悩ませていると、部屋に伝令が飛び込んできた。

「王様ァ!」

「何だ! 落ち着けと言っているだろう!」

「共和国の軍が総攻撃を始めました!!」

 城内に戦慄が走る。

「ど……どうして!? まだ期限までは時間があるはず……」

「だって……だってもうとっくに一時間過ぎてますよ!?」

「何だとぉオ!!?」

 王も家臣も、あまりに熟考しすぎて時間を忘れてしまったようだ。

「兵士すらも、誰も気付かなかったというのか!」

「いや……気付いてたんですけど、皆さんがあまりにも考え込んでいるので、声をかけづらくて……」

「なんでこんなときに変な気を使ってるんだよ!」

 王は玉座に座り込みふるふると身を振るわせた。瞳を閉じ――しばし沈思する。そしてしばらく黙り込んだ後……何かを吹っ切れたように、「がっはっは」と呵呵大笑した。

「ええい、もう良い! こうなったら徹底抗戦だ! 私にも……私にも古に蛮族を退けたアンセルムの血が流れている! もはや私は迷わない!」

 家臣たちが一斉に顔を見合わせた。おそらく全員がこう思っているだろう――「お前が言うな」、と。そんなことには気付かず、王は声を上げる。

「兵に伝達せよ、徹底抗戦だ、敵を一人残らず蹴散らし、タルトゥを護りぬけ、と!」

「王様ァ!」

 別の伝令が飛び込んできた。

「何じゃぁ!」

「城門が破られました! すでに城の敷地内に敵軍が!」

「な……なんだと、いくらなんでも早すぎるだろう!?」

「だって、王様椅子の上で一時間も考え込んでいましたよ!」

 王は玉座ごと後ろに引っ繰り返った。

「誰か途中で起こしてくれよ!」

「だって、あまりにも真剣そうで……」

「えぇいもうみなまで言うな!」

 王宮の中庭にはすでに、鈍く光るよろいを身に纏った大軍が、一斉に押し寄せてきている。

「おいぃ! もうちょっと頑張れよ!」

 窓から双眼鏡で外を眺めながらアイリは叫ばずにはいられない。まるで洪水に押し流されるように、タルトゥの兵士は次々と敵軍に蹴散らされていく。王は玉座の上で頭を抱えた。

「ううぅ……我が軍がこれほどまでに脆弱だったとは……」

「わが国も平和に慣れすぎたのですな、王。王族や家臣の浮ついた雰囲気が兵に伝染したのやも知れません。何度も城内組織の引き締めを進言したというのに……」

 なかなか辛口のフェルセン。

「王、ご決断を。この城はもう持ちません。築城時に掘削された用水路があります。そこから脱出を」

 フェルセンはアイリの家令であり、他の家臣よりも位は比較的低い。しかし、同年代ということもあって、王とは幼いころからともに生活してきた親友でもある。ちょうど、アイリとふたりの従者との関係と同じだ。発言力は小さくない。しかし、この日の王はかたくなだった。

「アイリ……お前は逃げなさい。私は最後まで戦うから……」

「親父!」

 アイリは王のもとへ駆け寄っていく。王は大きな手のひらで彼女の柔らかな髪を撫で回す。

「この城は先祖代々受け継いできた大事な城だ。こんなにあっけなく、手放しては顔向けが出来ない。大丈夫だ。私は勝つ。でも……万が一のことがあればこの国はお前のものだ。この国にあるすべての富を、お前にやろう」

「そんな……ダメだよぉおおおぉお!」

 王は思わず目を見張った。いつもの粗暴なアイリはどこへやら。双眸から絶えず流れ落ちる雫はまるで水晶のように透き通り、濡れる頬ははちきれそうなぐらい紅い。

「親……お父様! そんなの嫌だ! 例えどんな富を手に入れることができても、おやじ……お父様がいないなんて意味がない! 今まで冷たくして本当にゴメンな…………ぁ間違えた、さい! ごめんなさい! 本当はお父様がいないとお、私……なにもできないの……」

「そうかそうだよなはっはっは大丈夫冗談だ冗談私がアイリを置いていくわけないだろ本気にしたのかかわいいなもうしょうがない奴だ安心しろ安心しろっ! 別に共和国のアリンコどもが怖いわけじゃないがこれ以上娘を不安がらせるのは父親失格だからなはっはっはっはっはっはっはっは!」

「お父様ぁ! ありがとう! 私うれしい!」

 王のひざに顔を押し付けながら、アイリは見えないようにぐっと拳を握り締めた。

「王様も内心けっこうビビってたんだな……」

「ま、ハナから腰抜かして逃げ出さないだけまだガッツがあるのです……」

 アランはポケットに手を突っ込みながら、中の目薬とチークを所在無げにもてあそんだ。


 フェルセンの導きによって、王族は地下通路への入り口のある時計塔へと向かった。

「追いつかれる前に無事到着できたらいいのですが……」

 張り詰めた雰囲気の中でも、アイリは飄々としている。

「用水路かぁ~行くの久しぶりだなぁ、ちっちゃいころよく遊んだろ」

「忘れるわけないだろ、かけっこしてたらいきなり雨水が流れ込んできて。あん時はビビったぜ」

「昔からアイリさまの好奇心は災厄を呼びまくりなのです。たまにはお守りするほうの身にもなって欲しいのです」

「さっき言ったろ? 逆だよ。お前らがいるから、普通ならしり込みしてしまうようなことまで安心してできるんだ。だから、これからもよろしくな。……済まないが、これからさらに迷惑かけるだろう」

そう言ってはにかむ。

「え……」

 アランは思わず目を逸らしてしまった。

「姫ちー……」

 アウグストは視線を外さない。逸らしたい気持ちをぐっと堪えながら見つめる。そしてぶるぶると肩を震わせた。

「大丈夫だッ、姫ちー!」

 がしっと彼女の手を握る。アイリはきょとんとした視線を返す。

「確かに俺っちが姫ちーの従者になってから、面倒なことも正直たくさんあった。勘弁してほしいって、何度思ったか。でもな、今の俺は好きで姫ちーのそばにいるんだ。どんな面倒なことでも、一緒に背負って一緒に乗り越えたいんだ! それだけは忘れないでくれ!」

「……ああ」

 アイリは苦笑する。

「アランも……アランもなのです!」

 アランもぴょんぴょん飛び跳ねながら挙手する。

「アイリさまはかっこいいです! アイリさまを見てると……憧れで胸がチーズみたいにとろけるのです! だからぜんぜん辛くないのです! 遊ぶより寝るよりアイリさまといるほうがずっと楽しくて楽なのです! もっともアイリさまと遊んだり寝たりできたらさらに最高なのです!」

「ありがとう。だけどお前ももう赤ん坊じゃないんだ。ひとりで寝ないとダメだぞ?」

「アランは同い年なのですよ! もっとアダルティな意味なのですよ!」

 けたけた笑いながらぐりぐりとアランの頭に手を押し付けるアイリ。アランは目じりに涙を浮かべながら叫んだ。

「だから、どんな場所にもお供すると言いたいのです!」

 必死な様子を察してか、アイリの手が止まる。アウグストはアランの気持ちを代弁するように言葉を続けた。

「こいつはホンキだぜ……もちろん、俺っちも。俺たちが生きてられるのは、姫さんのおかげだ。俺っちたちは、姫さんのためなら何でも出来る。それだけは譲れるわけねぇ」

 アウグストとシモンは、今でこそ王宮を自由に歩くことが出来るほどの叙階をされているが、生まれは平民、いや、それ以下といえよう。

というより、彼らはそもそも罪人だった。

 タルトゥの豊富な鉱石資源を求めて、今でも密入国と密輸を繰り返す集団は数多い。以前、政府は繰り返される盗掘に対し後手に回ることが多かったが、およそ二十年前、フェルセンの強い進言により、軍を利用して一世摘発に乗り出した。その時、多くの密輸団とともに拘束されたのが、まだ幼かったアウグストとアランだった。

 アウグストは、一家の食い扶持のために幼くして採掘に加担していた。一団は表向き曲芸団を装っていたので、彼は道化役としてうまく一団の不信さをカモフラージュするのに役立っていた。一方、アランは密輸団の幹部の息子だった。自身は直接仕事には関わっていなかったものの、生まれつき愛らしい容姿に恵まれた彼は団員に愛され、一団の「ビッグ・サン」といて精神的支柱の役割を果たしていた。その裏では、幼くして阿片をたしなみ、無邪気に口から白い息を吐き出していたという。

 徹底的な追跡によって一団は一網打尽、百を超える人間が牢屋送りになった。団員には例外なく厳罰が下されることとなっていた。岩を掘るよりもはるかに過酷な刑罰が。

 しかし、判決の前日、事件に関する新聞記事が偶然アイリの目に入った、それがきっかけだった。

 彼女が彼らに目をつけたのは、単なる哀れみからでも、また正義心からでもなかった。

「こいつら……なんか、おもしろそうなやつらだな! こいつらといっしょにいると、楽しそうだ!」

 それは王族にありがちな単なる気まぐれだったのか、それとも尊い血がなしえた慧眼だったのか。理由はともかく、二人は王宮に招かれ、従者として働くこととなったのだ。

「あのときアイリさまがアランやアウグストを見つけてくれたのは、何か運命だったのですよ。こうなったら、その運命にとことん乗っかるだけなのです」

 アウグストはうんうんとうなずく。

「そうだ、こういうのはなんて言うんだ……同じ穴のムジナ?」

「呉越同舟なのです」

「おかしいだろなんか!」

「とにかく、姫ちーがどこに行こうが、俺たちは付いていくぜ。覚悟しとけよ」

「そうなのです。どこまでもアイリさまを追いかけるのですよ。例え火の中水の中、アイリさまのスカートの中、なのです」

「オレのスカートの中にオレはいねぇ! あるのはパンツだけだ!」

「そっか……じゃあパンツの中まで、なのです! はぁはぁ!」

「はぁはぁ言うんじゃねぇよ! なに爽やかに発情してんだよ!」

 べったりとくっついてくるアランを引き剥がしながらも、アイリは自然に笑みをこぼす。こんな状況でも自分のことを第一に考えてくれる仲間がいる。こっちが申し訳なくなるぐらい、励ましてくれる友達。

アウグスト、そしてアラン。こんなに出来のいい従者と出会えた事実。それだけで、自分が世界で一番幸せものだと宣言していいような気がする。それくらい、うれしい。

 アイリは衝動的にアランの首根っこごと抱え込む。そしてもう片方でアウグストを引っ張って、同じように抱きしめた。

「うおッ!?」

「あ、アイリさまっ?」

「お前らッ!! なんかもう、最高だっ! 絶対、生きてこの城に戻ってくるぞ!」

 アウグストはふるふると震えている。アランは目じりにうっすら涙。

「……おう、当たン前だ」

「……はい、アイリさま」

 アイリたちは走りに走って、とうとう時計塔へと続く渡り廊下へとさしかかる。しかし……

「間に合わない……かッ……!」

 すぐそこに軍が迫っているのが見える。このままでは時計塔に入る前に撃ち殺される。フェルセンが懐から小銃を取り出した。

「逃げ切ります! 皆様は走ることだけ考えて!」

 時計塔の地下に続く階段。その壁に入り口が隠されている。港へ続く通路へと繋がっていて、一度鉄扉を閉めてしまえばしばらく時間を稼ぐことができる。その間に逃げ切れるだろう。問題はこの渡り廊下だけ。切り抜けられるか。

「私の合図に従ってください! せーの!」

 銃声乱舞。蛮声応酬。回廊の石柱を盾にしてすこしずつ進むしかない。

「相手の銃はポンコツだ! 壁を貫く威力はない! 今のうちに走れる! 大丈夫、当たらない!」

《当たらない》それはもちろん可能性の話。だけど躊躇している暇はない。

 突進。かがんだままひたすら突進。フェルセンの照準は的確で、向かってくる相手を手前から順にしとめていく。

「タルトゥは銃で切り開かれた国、舐めてもらっては困りますぞ! 付け焼刃で粗製乱造の海外産との、年季の違いを見せ付けてやりましょう!」

 敵の中にも怖気づいたような雰囲気が広がっていく。その隙を突いて逃げ切りたい。

「姫ちー、もう少しだ! 大丈夫、撃たせやしないさ!」

「もう少しの辛抱なのです!」

 彼女はもう前しか見ない。ただひたすら足を動かすことを考える。目の前の扉が、どんどん近づいてくる。その時。

 ぞわっと寒気が襲った。間をおかずフェルセンの絶叫。

「伏せぇいッ!」

 頭のほんの数センチ上を弾丸が通り抜ける。がつんと空いた壁の穴の向こうから、軍勢の中でもひときわ目立つ、白馬に乗った騎士が目に入った。そして彼が掲げている銃の照準は、自分の前で身を屈めている、王の頭部に……

「親父ぃっ!」

 アイリは従者ふたりの手を振りほどいてダイブする。しぶきを上げる鮮血。

「姫ちーッ!」

 アイリの腹部から水道のように血が吹き出た。

「かっ………あぁっ……!」

 仰向けに横たわる。明らかに、意識を失いかけている。その間にもフェルセンは冷静だった。

「王を中へ! 早く!」

 がなりながら白馬の騎士に標準を合わせるが、相手の反応も早い。同時に発砲。フェルセンの肩から血柱が上がる。

「おっさん!」

「かまうな! 相討ちだ!」

 家令は顔をゆがめることもない。馬から転がり落ちる白の騎士を片目で捉えながら、もう一方で王を捉えながら扉に押し込んでいく。アランががくがく震えながらアイリを背負い、フェルセンはアウグストに肩を貸され……

 しかし、鈍い、衝撃がアイリたちを襲ったのは、次の瞬間だった。

「な……っ」

 まったくの不意打ちだった。足元ばかりに集中していたアイリたちにとっては。空を浮かぶ船から大砲が発射され、ちょうど橋の付け根に命中したのだ。粉塵、突風。吹き飛ばされるようにして塔に吸い込まれるアウグストとフェルセン。

「姫ちーッ!」

 ショックで何も見えない、聞こえない。ただかきわけるように手を伸ばそうとしたとき、後ろからフェルセンに首根っこをぐいと引っ張られた。

「あぁ、あぁああああっ! 姫ちー、姫ちー!」

 爆風に跳ね上げられ、アイリは宙を舞っていた。

 アランにはその光景が薄いセピア色にしか見えなかった。だけど、血の色だけは吐きそうになるほど鮮やか。アランは脳内で何度もコマンドを繰り返していた。あいりさまといっしょにとうのなかにとびこむ。あいりさまといっしょにとうのなかにとびこむ。自分の腕の中に彼女がいるという前提のまま、何度も何度も。そのコマンドのせいで方向転換が聞かない。身体が勝手に、自分だけ塔の中に逃げ込もうとしてしまう。

「や、嫌ぁ……」

 渡り廊下の外に放り出されていく彼女を捉えながら、何度も助けなきゃ助けなきゃと思うのに、自分の身体が言うことをきかない。とうのなかにとびこむ。とうのなかにとびこむ。あいりさま、あいりさまと……

「やだぁあああああああああ!」

 アランは絶叫しながら意識を失った。最後に見たのは、自分に向けて微笑みかけるように目を薄く開いたアイリの姿。崩れ行く瓦礫と霧のような血煙のなかに練りこまれ、アランの視界から、消えた。


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