02
こじんまりとした『カフェ』と書かれたお店。美味しい飲み物やちょっとした食べ物を楽しむところ。つまりウノさんが美味しいものを出してくれるところ。もうちょっとお客さんが来ても良さそうなのに、きっと場所が良くない。ウノさんはビジンだし、料理も上手だ。
「こんにちはー」
「あら、コルくーん」
「く」と「ん」の間の伸ばし方がなんともウノさんっぽくて、さっきまでの考え事が一気にふわふわした気持ちに包まれる。ウノさんはほわほわした綺麗なお姉さん、大人の女性なのだ。
「えっと、整備に来ました、あとお届け物です」
「これはこれは。どうもありがとー」
コルくんだけで来たんだね、何か飲み物入れるよ、とウノさん。何を飲むかと聞かれたのでハーブティーを頼んだ。ちょっと大人の味がするけれど、ジュースと言うよりもカッコいい。ウノさんがちょっとニッコリしたのは何故だろう。
「インデちゃん、ハーブティーお願いね」
ウノさんがカウンターの向こうへ伝える。「インデちゃん」というのは、ここに住んでいる『オトマタ』だ。とてもかしこい。歯車だけで組んだ小さいオトマタは歩くだけだし、コアを組み込んだオトマタでも重いものを運んだり、人を乗せたり、そういう簡単な動き(仕事)しかできない。人型を含め生き物のような形のオトマタを造る人もいるけれど決して生き物っぽくは見えない。
それに比べてインデちゃんはびっくりするくらいかしこいのだ。喋ることはできないけれどウノさんの言っていることが分かるし、ハーブティーも作れる。先が丸い太い柱のような身体で、足は車輪で、手はちゃんと二本あって、物をつかんだりできる。顔のような部分もある。背の高さはウノさんと同じくらい。
「インデちゃんはとっても頭が良いんだよ」とウノさんは言うが、工房で働いていて機械技師を目指すコルにはインデちゃんが不思議でならなかった。コアを使っているのかどうか分からないし、そもそも人の言葉をどうやって考えているのか分からない。もっと機能が隠されているような気さえする。中に人が入っているんじゃないかと思ったこともあるけれど、いくら調べてもそんなことはなかった。(ウノさんの許可を得てあれこれ手を尽くしたが、固い身体は継ぎ目がないような不思議な造りになっていてほとんど仕組みが分からなかった。くすぐっても効かないし、自分が寝てしまうまで近くで見張っていても中にいそうな人は出てこなかった。)
どこでインデちゃんと出会ったのかとウノさん聞いたこともある。するとウノさんは店の奥から大事そうに一冊の本を持ってきて、不思議な話をしてくれた。
* * * *
それは絵本のような本だった。字もあるけれど挿絵がある。分厚くてしっかりした作りをしていた。本の素材は貴重だし作るのに手間がかかるから、この辺りでも本を持っている人は中々いない。薄い素材に物事を記録しておくのはあのカンリトウの人たちくらいだろう。
「この女の子はね、ゼンマイの天使の欠片を探しているのです」
ウノさんが指差したのはフードをかぶった小さな女の子。視界の開けた見たことのない景色の中で、確かに何か探しているようだった。
「天使って、何ですか?」
「翼の生えた機械のことだと思うんだけど、あんまり詳しく書いていないんだよね」
ページをめくって淡い風景を指でなぞって
「この地面に生えたツンツンしたのは何だろうねー。金属の部品は昔からあったんだねえ」
とウノさんは続ける。
「昔って、…あれ?」
コルはその時ぼんやりと口が動いたが、「お、鋭いねコルくん!」とウノさんが拾った。
昔? この本に書かれて(あるいは描かれて)いるのは自分たちのいる世界とは多分違う。でも昔のことなのだろうか? それに、違うと言い切れないような変な繋がりを感じた。散らばっている金属部品が例えばそれだ。
『昔々、女の子はゼンマイの天使の欠片を探していました。
天使は世界の決まり事を作る偉い存在に怒られてしまって、バラバラになったのです。
ある時、女の子のところへ別の世界から来た者がありました…』
ウノさんの声と話し方はふわふわしているのに、その時は話に吸い込まれるような感じがした。
コルは本の見せるイメージと自分の想像するイメージが交わる中ではっきり見えたような気がしたその存在に、すっかり魅了されてしまったのだ。工房で翼を貰って、その世界の決まり事へ挑んだという、別の世界から来た存在。
まだ誰も地面を離れる機械など造れていないこの世界でコルが工房に弟子入りしたのは、実はこの話を聞いた後だった。
「それでね、このフードの女の子がどうにも他人とは思えないの」
ウノさんは一度コルをじっと見て、ちょっと悩むような顔をして、少し恥ずかしそうな顔も一瞬して、それから言った。
「笑わないでねー? 絶対そんなことないと思うんだけど、この女の子は私なんじゃないかって。この本に描かれているのは私が小さい時のことなんじゃないかって」
そうかもしれない。時間と空間がどこか曖昧で、しかし妙に親近感のある本の中の不思議な世界。登場人物。その不思議さが絶妙で、まだ難しいことは分からないコルにも直感と相違ない説得力で迫った。
「あ、インデちゃんのことだったよね。インデちゃんは私が小さいころからずっと一緒にいるんだよ。あれこれ思い出せるくらいの昔から、ずっと一緒なの」
それからウノさんは嬉しそうにインデちゃんとの日々を話してくれた。
* * * * *
「コルくん、ハーブティーできたよー」
「あ、はい」
受け取りに行こうとしたらお客様だから座っていてと言われた。
角が無いように加工された円柱金属の小さな椅子が薄く加工された小さなテーブルに二つずつ置いてある。装飾の少ない家の中は金属の素材色とコアからエネルギーを引っ張ってきて光る見慣れた照明の光でどうしても同じような印象になってしまうけれど、ウノさんのお店は色々な小物で綺麗に飾ってある。
コトン、と薄く優しい色のついたハーブティーの丸い水面が視界に入り、揺れた。
「ごゆっくり。機械のお仕事は急がなくていいからね」
ウノさんがニコッと笑うので、照れて目をそらしてしまったコルはハーブティーに手を伸ばし口を付けた。
インデちゃんが気を利かせてくれていたので、「熱っ」とならなくて済んだコルだが本人は気付いていないようだ。
最初に飲んだ時は少し苦いと思っていたハーブティー、今では美味しく飲めるようになった。ウノさん(とインデちゃん)が味を調整してくれているのかもしれない。すーっと気分が落ち着き、少し大人になったような気分になる。ユウガという気分だ。飲みながら時々ウノさんの方を見たけれど、何か読んだり、インデちゃんに話しかけたり、ぼーっとしたりしていた。
「ウノさん」
「はい?」
そろそろハーブティーを飲み終える辺りでコルは飲みながら考えていたことを少し勇気を出して聞いてみることにした。
「ウノさんは、この世界が何か変だって思ったこと…ないですか?」
ウノさんはしばらく表情を変えずにコルを見ていた。妙な空気は何秒続いたのか数えられない。
「うん、ある」
とウノさんは目を閉じて言った。少し口元が笑っているように見える。
「コルくんもあるんだね。変、か。もうちょっと教えてほしいなー。先に私が喋ってもいいよー」
「えっと、僕から喋ります」
コルはまず一安心した。何を言っているのと言われたらどうしようかと思った。それから嬉しくなった。他でもないウノさんが自分(と同じ年くらいの何人かの友達)と同じようなことを考えているかもしれないのだ。
「んーと、僕の友達とも時々話したことがあって、」
今自分たちが住んでいる世界はどこか窮屈な、閉じた世界である気がすること。上手く説明できないがこの世界にあるものが時々中途半端というか、解明できない部分があること。そんな疑問を大人たちが気にしていないように思えること。
上手くまとまらないなりにそのようなことを話して、最後にここ最近気になっていることを話した。中心部の一番下の方、つまり中央部の辺りから“嫌な感じ”をうっすらと受けることがあるのだ。
「コルくんの言うこと、全部じゃないかもしれないけれど良く分かるよ」
ウノさんはそう言って続けた。自分が過去に見せた本からも、そんな疑問を肯定する勇気が生まれることがあると。
「コルくんはずーっとずーっと遠くまで出かけたことはある?」
「はい、前に行けるところまで行ってみました」
そこには壁があった。友達と確かめに行ったのだ。何度か無人の建物や持ってきた寝袋で寝ることを繰り返し、数日かけてひたすら進んでいくと、遠くの遠くに薄っすらと壁が見えた。高さは分からなかった。目で見えるずーっと先まで壁が高く聳えているのだ。壁のふもとまではたどり着くことができなかったが、それが世界の端っこであることは大人に聞いても説明してくれた。
色々と納得はいかなかったけれど存在だけは本当なのだ。世界のすべての方角には壁がある。
「私は機械屋さんじゃないから難しいことは分からないけど、コアのこともちょっと考えたことがあるの」
この世界の様々な場面で活躍する『コア』にはやはりどこか納得のいかない部分があった。近くの建物が顔を向け、弧状階段が集まる世界の中心部には大きな空洞がある。下の方の層にはこの世界を管理する建物の一つがあり、コアはそこから貰う。その建物、カンリトウ(管理棟)の人たちがいつも真面目で頭が固そうなのはさておき、コルにはどうしても管理棟でコアが作られているようには思えなかった。機械屋であるコルや工房の人間から見てもコアの仕組みはほとんど分からなかったからだ。コアをいくつも繋げるように使って一定以上のエネルギーを生み出そうとすると失敗するというこれまた不思議な仕組みもそうだが、オトマタとの関係も難しい。
コルはなるべくウノさんに分かる言葉で(と言ってもウノさんはほんわかした雰囲気とは裏腹に賢い人のようで、すぐに呑み込んでくれた)その辺りの自分の考えを述べた。
「ふむー、コルくんは賢いね」
と褒めてくれたウノさんは、ちらっとインデちゃんの方を見た。インデちゃんはカウンターの奥でじっと二人の話を聞いていた。もちろん喋れないので話に入ってくることはないが、聞いているよという感じでウノさんの方を見返した。
「インデちゃんもコアで動いているはずなんだよねー」
でも、と続ける。
「それじゃあ、いつからコアはあったことになるのかな」
前に見せてもらったあの本のこと、コアのこと、この世界のこと。ゆっくりと二人で確かめ合うような時間にコルはとても充実していた。同じくらいの年の男の子や女の子とこういう話をすることもあるけれど、何人かを除いて深いところまでは話せない。みんな思い思いに喋りたいことを喋るからかもしれない。ウノさんは聞くときはとことん聴いてくれる。大人の女性だからだ。
「ねえコルくん」
「はい?」
一通り話し終えたと思った時、ウノさんはコルに思いがけないことを言った。
「私と調べてみよっか?」
「え?」
調べる、ウノさんと。
「なんだか納得のいかないことを突き止めてみない? あ、インデちゃんも一緒にね」
「は、はい!」
ジワリとその意味が理解できてくると、ぞわっと一気にワクワクし始めた。まるで冒険が始まるような、そんな予感のする言葉。この世界は何だか狭い気がしていて、既に知っていることが多いように思えた。でももっと重い、大きい、深い、何かが隠されている気がしていた。それを子供の勘違いと終わらせたくなかった。きっとそういうことだったんだ。
「やった、嬉しい」
ウノさんが眩しい笑顔を見せる。でも絶対に自分の方が嬉しい自信のあるコルは気持ちを抑えて聞いた。
「えっと、まず何からしましょう」
「んーとね、コルくん」
ウノさんは今度は真面目な顔を作って見せる。
「まず私にていねい語を使うのをやめよう!」
コルは目をぱちぱちさせた。
「私も半分子どもみたいなものだし、なにより私たちはたった今から調査隊だよ! どっちが偉いなんて無いからね!」
前半はちょっと小さめの声で、後半はワクワクしたような声で、ウノさんは言いながら片手を伸ばしコルに握手を求めた。