09話 23歳 不肖の弟子(男)
正義のヒーローのように現れた師匠は、あっという間にすべてを解決して「家まで送ろう」と言う。
迂闊に怒りに身を任せたことを怒られるかもしれないと思ったが、それを見透かしたように「よくやった」と褒められた。
「お説教はもちろんするが、それは道場でやろう」
「しかし褒められる理由もありませんが」
「何を言っている」
師匠が立ち止まり頭を両手で抑えて固定した。
「女性を守るために強者に立ち向かったのだ、それを褒めずに何を褒める」
「はい」
「それはそれとして説教はするがな」
お説教をされるらしいが、それでも師匠に叱られるのは嫌ではなかった。
後日、道場に行ったときに渡すつもりだったが丁度良かったので同級生を家の前まで送り届けたタイミングで今日の買い物の目的だった袋の中身を差し出す。
「これは?」
「いつもお世話になっているお礼です」
手に収まるほどの小箱を渡す。
今までアルバイトで働いたお金から実家に食費などを入れていたが、その残りはずっと貯金していた。それがある程度まで溜まったので近しい人に感謝の気持ちを伝えようと思ったのだ。
自らの思い付きであるが、道場に通うことになって家に引きこもる生活が変わった。厳しく優しい師匠として鍛えてくれた。またゲーム中では年齢の近い姉のように一緒に遊んでくれる。この人のおかげで生活を変えることが出来たのだ。
この程度で足りるとは思えないが、気持ちとして。
「開けても良いのかな」
「はい」
当初、実用的なものを選ぼうとして道場で使える手触りの良いスポーツタオルを選ぼうと同級生に相談したのだが、「贈り物に手布を渡すと縁を切りたいという意味になる」と教えてもらったので、急遽取りやめた。社会的なマナーについては全く無知だったのでありがたい限りである。
贈り物をちゃんと選ぼうとすると中々に難しく「櫛」は「苦と死」なのでダメ。刃物も縁切りを連想させるからダメ。陶器やガラスは壊れ物だからダメ。気にすると何も選べなくなるのではないかと思えるほどだった。
同級生は一通りダメなものを言った後で、「でも櫛は”苦しくても死ぬまで一緒にいる”というプロポーズの贈り物になることがあるし、刃物は”未来を切り開く”という意味がある」とも言う。「転じて良い意味になるものもあるから、結局気持ち次第だよね」と実も蓋もない言葉で締めくくった。
色々と迷いに迷って、選んだ箱の中身は香水だ。目の見えぬ自分が装飾品をお選ぶことは出来ぬと思い、他の感覚で選ぶことの出来るものにした。耳、鼻、舌では嗅覚に一番自信があったので単純ではあるが香水にした次第だ。
同級生にそういったところ、「うーん……勘違いしないかな……」と苦しげな声を漏らしていたが、理由も添えて渡したら良いだろう。という結論になった。どういう謂れがあるのか分からないが、なにか良くない意味合いが含まれるのかもしれない。
師匠の現実の背格好を未だに知らぬが、声と性格のイメージで香りを選んだ。すっきりとした清涼感のある香りだ。
「これは……香水か?」
「はい、私が決めた香りなので、お気に召すか分かりませんが」
スンスンと鼻を鳴らす音がした。直後、スッと静かに足音が遠ざかる。
「師匠?」
「私は……そんなに汗臭かったか?」
神妙な声で聞かれてしまった。なるほど、これは確かに勘違いされてしまうものだったのかもしれない。
「いいえ違うのです」と誤解を解くために師匠に香水を選んだ経緯を説明した。しつこく「本当か?」「臭くないんだな?」と確認されたが最終的には納得してくれた。
「今までに使ったことはないが、後で風呂に入ったら使わせてもらおう」
どうやら気に入ってくれたようなので一安心である。それを見ていた同級生が「その香水は汗と混ざった方が良い匂いになるんですよ」と師匠にアドバイスした。見繕ってもらった中から選んでいたので知らなかったことだが、そこまで見越して一緒に選んでくれたらしい。
「そ、そうなのか」
「今、ちょっとつけて見ませんか」
「今か!?」
同級生がいつもより幾分嬉しそうに師匠に話しかけている。今まで直接的な接点がなかったので、どこかよそよそしい距離を感じていたが、今日はグイグイ攻めていくようだ。
「今まで使ったことがないんですよね。使い方だけ、ちょっとだけですよ」
「……うん、使い方だけ……ちょっとだけ……」
押し切られた師匠が無抵抗になった。
「つけるポイントはうなじとか手首とか、色々あるんですけど慣れないうちは空中にシュッと一吹きして、その中をくぐるくらいが良いですよ」
「そ、そうか。案外簡単だな」
「服につくと色が変わっちゃう場合もあるんで、香水をつけてから服を着ると服の中から匂いがしてセクシーな感じになります」
「なるほど……」
それから色々とレクチャーと続いていき、最終的に香水をつけさせることに成功していた。
「ほら、自分で選んだんだから感想いわなきゃ」
今は香水をつけた師匠が近い距離まで戻ってきて感想を求められている。
視力を失ってから見た目の補正が無くなったのか味覚が鈍くなった。しかし代わりに嗅覚は鋭くなったと思っている。今まで気にならなかった匂いに敏感に気づくようになったのだ。
店で嗅いだものとは異なる香りが師匠から漂うのが分かる。汗と混ざって香りが変わったのだろう。店で嗅いだよりも良い香りになっている気がする。
「ど、どうだ」
「……良い匂いです」
「んなっ」
言葉を詰らせた師匠が一気に距離を離した。
「人をからかうんじゃない!」
別にからかったわけではないが、誉めてダメなら何と言えばよかったのだろう。
距離を取った師匠は取り乱した様子で「大体だな、MAでもイベントに参加しろと言っておいて何だあれは」と言いがかりに近い非難を始めた。
「佐々木小次郎だと思っていたのに最後は雷の魔法を使ってきたぞ。あんなもの普通にやって勝てるはずがないだろう」
「でも倒してましたよね。さすが師匠です」
どういうわけか師匠は「私の力だけでは勝てなかったさ」と照れているような言葉になる。
ドラゴン討伐イベントで用意したキャラクターは巌流・佐々木小次郎だった。体力が減ってくると攻撃パターンが変わって3m近い剣に雷を落として雷撃を飛ばしてくるようになる。
そこまで体力を減らしたプレイヤーは師匠だけだったが、他のプレイヤーが体験したら「無理ゲー」と呼ばれていたことだろう。ほぼ攻略が不可能なレベルに調節してあったが、師匠ならば勝てると思っていた。
「しかもその後に100人で軍隊を組んだ奴らに、獲物を横取りしたと難癖付けられて囲まれたではないか」
「そこまでは流石に想定外です」
「軽くいなしてやったがな」
プレイヤー100人よりもドラゴンの方が手ごわかったようだ。
「しかしまあ、良い物を貰ったから許してやろう」
見えなくても、しっかりと笑っている顔が浮かぶ。
師匠に先導してもらいながら自宅へと送ってもらい、母の勧める茶を断って師匠は帰宅していった。
25歳 人呼んで師匠(女)
街中で見かけた弟子とその友人がゴロツキに絡まれているのを見かけて見守っていたが、それなりに弟子の活躍を見られたので満足して助けに入った。
やはり見た目は女性のようなのに凛々しく夕日に染まる横顔がはっとするほどに美しいと思わせる。
鍛え方の足りない元気だけのいい若者を適当にあしらった後で家まで送っていくと弟子が贈り物をくれた。
女らしいものを貰ったのは祖母が存命だったころ以来であり、ましてや香水などという女子力ランクの高い位置に属するものは手に取るのも初めてだった。
その場で試しにつけさせられ、あまつさえ匂いも嗅がれるという恥辱を味わったが、その気持ちは純粋に嬉しく大事にしようと心から思った。
あぁでもたまには使わないと気に入らないと思われるかもしれないから使うのも忘れないように、いい匂いだって言ってくれたしうへへ。心の中に変な声が漏れる。
いい気分になって帰宅し風呂にでも入ってもらった香水をもう一度付け直して、弟子からもらった香りに包まれて眠ろうかと思っていたところで電話が鳴った。
『先生、今日のあいつらですが』
「もう出たのか」
『はい、一人がある政治家の息子でして。お恥ずかしい限りです』
「構わん、こっちに来るんだな」
『はい、急ぎこちらからも何人か向かわせて』
「いらんよ、そろそろ生徒を増やしておこうと思っていたところだ」
『では所轄には夜間稽古と伝えておきます』
「話が早くて助かる」
ふふんと鼻で笑って電話を切る。香水をつけるのはまだ後になりそうだ。
大勢の前で恥をかかされた若者が考えることはいつだって変わらない。復讐である。
元より徒党を組んで女性に無礼を働くようなゴロツキであるならば少しのあいだ檻に入れられたところで反省など期待すべくもない。
電話をよこした気の利いた警察官ならば拘留中に「町の道場の主である」くらいはそれとなく言っているはずだ。
「さて、どんな手でくるか」
一番最悪のパターンは上空からミサイルで爆撃されることだ。これは私でもどうしようもない。
戦車の砲弾やロケットランチャーなら着弾前に逃げるくらいは出来るかもしれない。
鉄砲? 人を馬鹿にするにもほどがある。
家の中で一番高価なVRのマシンを床下にしまってしまえば、後は特に金目のものもない。
若いのは気が短いから今夜中には来るだろうと思っていたが、思っていたよりも早くその時はきた。
玄関に車のライトが向けられ光源にはブルドーザーと様々な獲物を持った土木作業員風の男たちが並んでいる。
阿呆なのか、テレビドラマの見過ぎだろう。
その正面に立つ若者はにやにやと下卑た笑みを浮かべ、恐怖に襲われ取り乱す私の顔を楽しみにしているように見える。
政治家の息子と言っていたか、息のかかった工事会社から人を連れてきたのだろう。時間外勤務もご苦労なことだ。
せいぜい道場を更地にして私を凌辱して鬱憤を晴らそうといったところか。若いくせにスケールが小さい。
「まぁなんだ。中に入りなさい」
玄関を開けてやれば案外大人しく道場の中まで入ってきた。人様の家屋を壊すつもりだというのに随分と理性的なものだ。
もしかすると脅すだけで壊すつもりは無かったのかもしれない。ますますがっかりだ。
ぐるりと周りを取り囲み、鼻に大きな絆創膏を貼った男が前に進み出る。
「お、お前……っぜっ全部っ! びゅ、ぶっ殺してやる!」
「人間の言葉を覚えてから出直してこい」
「ひぎれあええええええ!!」
少し煽っただけの言葉が癇に障ったらしく奇声とも絶叫ともつかない雄叫びを上げて飛びかかってきた。
同時に取り囲んでいた土木作業員風の男たちと取り巻きの若者も木槌や木刀をもって殴り掛かる。
どうやら殺すつもりはあったらしい。
馬鹿正直に真正面から突っ込んできた鼻絆創膏の一撃を半身でかわし、がら空きの背中に裏拳を入れる。
私のいた場所に倒れこむ鼻絆創膏に殴り掛かろうとしていた男たちが一瞬戸う、その隙に手近にいるボンクラの木刀を奪い手首を狙って打ち下ろした。
次いで周囲にいる連中も関節を狙って叩いてやると、ものの数分で静かになる。人を襲うつもりならばもう少し人選を考えなかったのか。
大勢で一人を狙うから互いに邪魔しあってろくに動けなくなるのだ阿呆め。
強かに打ち付けられた箇所を抑えうずくまる連中を置いて道場の入り口まで行くと鍵を閉めてチェーンをつける。
他の扉も念入りに戸締りをすれば容易には逃げ出せない。
うずくまる男どもの前に立ち、おほんと咳をして営業用の笑みを浮かべて宣言をした。
「ようこそ入門生諸君。これから夜間稽古を始めるが、近所迷惑になるのでくれぐれも大きな声は出さないように気を付けるように」
「な、なにを……」
苦痛と不安に苛まれる顔を浮かべた一人が口を開いたが、そいつの腕を取って肩の関節を外す。
「ぎぁあ……―――――! ――! ――!」
「静かにしろと言っただろう」
人の話を聞かない愚か者がいたので喉を抑えて声が出ないように声帯を止める。
「発言の前に『押忍、失礼します』をつけるように」
「……」
「……」
「……」
「返事はどうした」
慌てた一同から返ってきた返事の声が大きかったので、少し痛めに関節を戻した。
「力というのは見せつけたり人を傷つけるのではなく、世のため人の為に使うのだと教えてやる。その為に今からお前ら全員に痛みを教えるから全員諦めるように」
「言ってることが……」
「あん?」
「お、押忍っ、失礼します! その……言ってることが……矛盾していると……思います……」
「傷はつけない。骨も折らない。見えるようなへまはしない」
「は……」
「ほかに質問は?」
「……」
「では始めよう」
次の日の午後には全員が体験入会書に住所氏名を書いて帰っていった。
金はとらないが恐怖感からしばらくは足繁く通うだろう。幼いながら見ていて覚えた祖父式の体験入門コースは時代を超えて通用することが証明された。
しばらく忙しくなりそうだ。