05話 23歳 アルバイト(男)
年を一つ重ねて、自分の少し周囲が変わってきているのだと気付いた。
父親は転職した先の会社で夜遅くまで働いているし、母は庭の草花の植え替えをするのだと忙しそうにしている。同級生は自分の部署に新人が入ってきたのだと嬉しそうに語っていた。
道場の先生だけは変わらずに剣術を教えてくれているが、きっといつかは結婚をしたりするだろうしずっといつまでも同じではないだろう。
今まで気付いていなかっただけで、誰にでも変化がある。自分もずっと同じままでは居られないはずだ。人は変わらなければいけない。
丁度、その時エムエーというゲームを同級生に紹介して貰って特別枠で遊んでいたのだが、とある理由で目立ってしまいゲーム中では妙に顔が売れてしまっていた。
別段、それで困ったことは無いのだがゲームを紹介してくれた同級生経由で、どうせなら運営会社のスタッフとしてアルバイトをしないかと誘われた。
週に何回か決められた時間にログインをしてゲームをしてればいいらしいので、果たしてそれが仕事になるのか疑問ではあるが教えて貰った報酬は時給に換算してもそう悪くない金額だった。
一応、両親しも相談してみたところ快諾されたので同級生に働く旨を伝えて貰って正式に契約を結んだ。採用の理由については気になって何度か聞いたのだが運営会社の人は「客寄せパンダ」としか答えてくれなかった。
経緯はとにかく思わぬところから社会復帰を果たすことになった。
大きく時間を取られるわけではないが、それでも道場に来られない時間帯が出来たので「アルバイトを始めました」と、通っている道場の先生に報告した。
意外な言葉に虚を突かれたのか一瞬の沈黙の後、先生は「そうか」とだけ応えた。先生は道場ではいつも端的にしかものを言わないので、こちらから勝手に説明を行うと「それは目出度いな」と言って喜んでくれた。
「では、何か祝いを渡さなくてはいけないな。次に会う時までには用意しておこう」
「いいえ、そんな悪いですよ」
「教え子が気を使うでない」
先生はいつものように「カカカッ」と笑う。いつもカラっと爽やかな雰囲気を纏った先生は俺を教え子と呼ぶ。それほど年齢も離れていないと思うのだが、頼りになる姉が出来たようで嬉しい。
ゲームの話になったので、ついでに前から気になったことも聞いてみることにした。
「そういえば、ひとつ伺っても宜しいですか」
「どうした、何でも言ってみなさい」
「先生はエムエーの中では小さい女の子の姿ですが、あれは身体の大きい相手と戦う修行でしょうか。あと口調も特徴的な……のじゃー、でしたっけ。あれはどういう意味が」
最近、ゲームの中で先生と一緒に遊んでいるので、気になっていたのだ。
返事の代わりにピシリ、と。空気が割れる音を確かに聞いた。
「あ……っ……かっ……」
「先生、どうかされましたか」
一色即発のただならぬ緊張感が周囲に立ち込めている。何が起きたのか分からないが、その根源は先生から生み出されているのに間違いないようだ。
「いったい、いつから……気づいていたんだ」
「最初からですが、なぜでしょう」
見えぬが、難しい顔をしてこちらを睨みつけているだろうという気配がした。
「見た目が……全然違うではないか」
ポツリ、蛇口から一滴の水が垂れるように言葉が零れる。
「どうして分かったと言うのだ。あんなドレスで金髪で小さくて、現実の私とは似ても似つかない可愛らしい姿を見て、分かるはずが無いだろう」
堰を切ったように言葉があふれ出てくる。
先生が絞り出したような声で一気にまくし立てるが、そんなことが気になっていたらしい。
「現実の見た目の違いは、見たことが無いから分かりません」
「そ、それはそうだが」
「それに声が一緒でした」
「っ!」
先生が溜め息と共に「声か……」と呟いた。
「バレないように作っていたのだがな」
これは目が見えぬからこそ気付けたのかもしれないが、多少の声色を変えたくらいでは人の持つ特徴は無くならない。先生もゲームの中ではアニメっぽい感じの声で話していたが根本の声は一緒だった。てっきり外見に合わせた声にしているのだと思っていた。
「では、ずっと私と知っていてエムエーで一緒に行動していたというのか」
「そうですが」
「……」
なぜか分からぬが先生は黙り込んでしまった。今のは言ってはいけなかったのかと、何か悪いことをしたような気になってしまう。
「今晩、エムエーに来なさい」
震える声でそれだけ言うと「今日はお終いだ」と言って一緒に来ていた同級生を呼びに行ってしまった。
こんなことは初めてだ。きっと何か怒らせることを言ってしまったのだ。と思い落ち込んで同級生に手を引いてもらって家まで連れて帰って貰った。同級生は気にしすぎではないかと言っていたが、エムエーに行ったらすぐに謝ろうと思う。
晩御飯を食べた後、自室に置いてある機械からエムエーの世界へと移動する。いつも先生がいる街の広場へ行くと、ほぼ同時に先生がやってきた。
「ここでは人目につく。草原のエリアに行くのじゃ」
「はい、先生……あの」
「話は後なのじゃ」
取りつく島も無い。黙って先生の後をついて歩き、何の会話も無く草原へと到着した。
周囲に誰もいない場所であることを確認すると、こちらに向き直って「さて」と口を開く。
「渡すものがあるのじゃ」
「は、破門状でしょうか」
「なぜそうなるのじゃっ!?」
ビクビクしながら尋ねたら逆に驚かれた。
てっきり怒りを買っていたと思ったのだが、同級生の言っていた通り考えすぎだったようだ。喋り方について気にしていたように見えたが、ゲーム中ではいつも通りの話し方だった。
「現実では分からぬ故、こちらでの伝授となる。我が流派に伝わる秘剣、鶏鳴を授けるのじゃ」
どうやら祝いの品を渡すと言っていた件でのお呼び出しだったようだ。アルバイトを始めただけで秘剣を授けられるのは大それている気がする。
「秘剣など、そのような大切なものを頂くわけには」
「構わんのじゃ。元々流派には秘剣など無かったが、祖父が気まぐれに作りだした秘剣が三十、奥義が二十、他にも口伝やら直伝やら秘奥義やらが合わせて五十八もある。これはその中の一つ、秘剣の中でも初歩の初歩なのじゃ」
まるで必殺技のバーゲンセールのような言い方だが、数が多ければ価値が安いと言うわけでもないだろう、きっと大事なものには違いない。心して受け取りたいと思う。
1mほどの間を開けて先生と対峙する。
「ひとつ、尋ねるのじゃ」
「はい」
「朝が訪れる瞬間を見たことはあるか」
少しだけ思案して、中学生の頃に友人と初日の出を見に行ったのを思い出した。
「はい、一度だけ」
「それはどのような光景だったのじゃ」
「段々と空が白み始めて、山間から現れた光がカッと顔を照らしました」
「それでは、見たのは夜が明ける前と夜が明けた後じゃな」
それでは夜が明ける瞬間、朝になる合間を見てはおらぬのだと先生が言う。
「ですが、それはほんの一瞬も無い時間だけの出来事では」
それを見ろと言うのは、光の速さを認識しろと言うのに等しい。そもそも、この会話にどんな意味があるのか。やはり禅問答なのかと思い始めたところで先生がニヤリと笑った。
「つまり鶏鳴はそういう剣じゃ」
それだけ言うと先生は口をつぐみ、何も無い空間から日本刀を取りだした。これは特別な技術ではなくゲーム内で与えられた機能の一つだ。
取りだした長物をドレスについている革ベルトの左腰の間に差しこむと、こちらに相対して左手で握り込む。その刀の角度は、こちらの視線に合わせて柄頭を眉間を狙うように保たれている。刀身の長さを把握させない技術だ。
先生の右手がそっと柄に添えられたのを見た。それから一度も瞬きはしなかったはずだ。
「人は朝の訪れを認識できない」
だが、目の前には日本刀の切っ先が突き付けられていた。
「鶏鳴によって朝を知る」
つまり鶏が鳴く時には既に朝は訪れている。気付いた頃には既に斬られている、ということらしい。
「これからも精進せいよ」
先生は「カカカッ」と笑ってすぐに口を手で押さえた。
気まずそうにこちらをチラリと見て慌てた声で説明を始める。
「この口調は祖父を真似ているだけで」
「のじゃー、もですか」
「そちらは祖母の真似で……変だと思うか」
先生はきっと祖父母になついていたのだと思い、微笑ましくなって素直に答えた。
「可愛らしいと思います」
「っ!」
可愛いと言われたことに傷ついたのか、涙目になって「のじゃぁあああああああああ」と叫びながら先生はログアウトしてしまった。
また次に会った時に謝らないといけなくなった。女性相手に不用意なことは言わない方が良さそうだ、とこの年齢になって初めて学んだ。