03話 22歳 剣士(男)
かつてのクラスメイトから仮想現実装置のモニターを頼まれた。身体の機能が不自由な人に対する新たなアプローチとしてデータが欲しいそうだ。
頻繁に道場へ付き添ってもらっている彼女にかける手間を考えればお安いものだった。最近になって近所の剣術道場へと行く習慣が出来たが、何せ時間だけは大量にある。
母親に言わせると「豪華な拷問器具みたい」な外見の装置が自室へと搬入され、専門業者によって設定が施された。予め必要な情報は入れてあるとのことだったので、設置に立ち会ってくれた彼女の手を借りて装置へと腰掛ける。
頭にヘルメットのような物が被さり、「じゃあ始めるね」という彼女の声と共に浮遊感に襲われた。
直後、脳髄に突き刺さるような痛みを覚える。反射的に鼻の上を手で覆い、刺激を遮断した。
すわ装置の不具合かと思ったが仮想現実装置が痛みを感じないように作られているのは大前提のはずだ。ならばこれは己の身体の勘違いであろうと思い至った。
そろりそろりと手をずらし、脳が数年ぶりに届いた情報を処理し始める。
光が滲む。
差すような刺激がビリビリと頭に響いた。
次第に光になれ、薄目を開けて少しずつ外界の色を取り入れる。
まず目に入ったのは緑、続いて青。
草原と青空だと認識するのに時間がかかった。
上天には燦燦と輝く太陽が浮かんでいる。全てが匂い立ち、生命の輝きを放っているようにも感じた。
仮想現実がここまでの世界だとは思っていなかった。最近の科学技術も来るところまで来たのだと思わざるを得ない。
二度と拝むことの適わぬと思っていた鮮やかな色彩が広がっていた。濃淡のある緑、ところどろこに咲く花の赤や黄、空の青に点を打つような白い雲。
視覚というのは、こんなにも激しく心を動かすものだったろうか。数年前まで当然のように受け入れていたはずなのに、情報量の多さに混乱しそうになる。
たっぷりと視覚に慣れた後で、やっと自分の姿を確認した。身長は現実と同じくらい、触った感じ目鼻の位置も大きく変わっていないようだ。
だが、元の世界では無かったものがある。やや慎ましやかではあるが触った感じ筋肉では無さそうだ。仮想現実では性別すらも変えることが出来るという話は聞いたことがある。
それどころか犬や鳥にだってなることが出来るというのだから性別など些細な問題かもしれない。きっとモニターの枠が女性用のものしか無かったのだろう。
せめて一言欲しかったが、文句を言うのは贅沢と言うものだ。こんなにも素晴らしい世界を体験できるのだから。
衣装も身体に合わせたようなスカート姿だった。踝まであるようなロングスカートだがミニでなかったことに胸をなでおろした。
手には白木の杖を持っている。手で握り込めるくらいの太さで、まっすぐにシュッと伸びた1m弱の長さの杖だ。上部には拳よりもふた周りほど小さい飾り石が輝いている。何かの宝石なのか赤い光を反射させていた。
どうみても魔法使いのする格好だった。
確か剣士のキャラクターだと聞いていたのだが性別のこともあるし、もしかして間違えたのだろうか。それならばログアウトして設定をやり直してもらわないといけない。
メニューを呼び出すと中空にコンソール画面が表示された。SFで見るような光景だが、ゲーム中だから出来る機能だろう。コンソール画面を操作してログアウトの項目を探すと、それとは別にキャラクター情報というのが目に入った。
念の為に、確認しておこう。
キャラクター情報の画面を開くと、画面中に斜め上から見た自分の姿が表示された。自分で確認した通りの白い服を着て、手には杖を持っている。
その顔は最後に現実世界の鏡で見たものよりも大人っぽくなっているが、自分の顔で間違いなかった。皮肉にも衣装にぴったりと合っている女顔だった。
画面内にはキャラクター名称や職業などが表示されている。ここに表示されている情報を信じるなら、確かに聞いたとおり職業は剣士となっていた。
装備品の項目には「服:マジカル稽古着」と表示されている。説明文もあったので見てみると「魔法使いっぽい見た目の稽古着」と書いてある。マジカル要素は見た目だけらしい。
ついでに武器も見てみると「武器:マジックソード」という表示だった。
説明文は「仕込マジカルステッキにて御座候」
ふざけているとしか思えない。
仕込み杖なのだろう、手に持った杖を良く調べてみると杖の中に日本刀が仕込まれていた。巧みに隠された鯉口を切って刀身を抜き出す。
スッと音も無く抜ける刀身は、緑の中に凍えるような冷たい輝きを放っていた。雫を一滴落としたように潤んだ刀身はひきこまれる程に美しい。
芸術品としても一級品だろう。こんなものまで再現できるのか、最近の科学技術には恐れ入る。
ヒュッと片手で軽く振り感触を確かめた。悪くない。手になじむ感じがある。納刀を行い元の杖の状態に戻してこの場所から動くことにした。
ここは野原のど真ん中だ。遠くに街らしいものが見えるから、そこまで行けば誰かいるだろう。久しぶりに「見る」光景というのも楽しみながら行けば退屈はしないに違いない。
雲が動く、鳥が飛ぶ、風が吹く。目まぐるしく変わる、目に映る全て。こんなにも変化に富んだ情報を今まで認識すらしていなかったのだろうか。
その情報量に少々、酔いそうになりながらも街まで歩いて行く。30分も歩かないうちに大きな壁に囲まれた街へと到着した。現実ではないから当然なのだが疲れは感じないようだ。
壁に沿って歩いて行くとやがて門が見えてきた。西洋風の鎧を着た門番らしき人が槍を持って立っている。
「あの、入っても大丈夫ですか?」
「はい。ここは武術の街ですが、どうぞごゆっくりお過ごしください」
ゲームの内容については武術と魔術で戦うくらいしか聞いていなかったが、好きなように過ごせばいいと聞いている。ビシっと立ったまま武術の街だと教えてくれたが、恐らく魔術の街もあるのだろう。
通されるままに街の中へと進むと、立ち並ぶ建物がすぐに見える。ヨーロッパっぽい感じの雰囲気の建物が立ち並ぶ通りはメインストリートになっているようで、飲食店に服飾品、雑貨や魔術っぽい雰囲気の店など、各種店舗が軒を並べている。
人通りもそこそこあり、ぶつかる程ではないが和気あいあいとした雰囲気が街中から漂っている。それらの看板を見上げながら道を進むと武具を扱うらしい看板を出した店の前に人だかりが出来ていた。
その中から歳若い少女の声が聞こえてくる。
「嫌じゃ。おぬしには渡さん」
「ロリババアのロールプレイかよ、おっさん」
「おっさんではないのじゃ!」
近づいて騒ぎの中心を見てみると、豪奢な鎧を着込んだ男が小さい女の子と言い争っていた。可愛らしいドレスを着た女の子の手には1mを超えそうな巨大な西洋剣が握られており、そのデザインの精巧さから値打ち物なのだろうと推測できる。
「だから魔法使いのお前がもってても仕方ねえから、俺が買ってやるって言ってんだろ」
「誰も頼んでないのじゃ!」
「あーもう、のじゃのじゃ煩ぇな!」
「だったら、さっさとどこかに行くがよい! 失せるのじゃ!」
今見た限りの情報では、どうやら男が女の子から西洋剣を買い取ろうと話を持ちかけているようだ。だが女の子は売る気がないようで、話がこじれているのだろう。
周囲を囲んでみている人たちもゲームのプレイヤーなのだろうが誰も止めたりしようとはしない。見ている限り理不尽な話をしているのは鎧を着た男の方なのであるが、女の子がどれだけ拒否しても譲ろうとしなかった。
流石に見かねて「ちょっと」と言いながら前に出ると、ざわっと囲んでいた人壁が分かれて道が出来た。
「あん、何だお前。コイツの知り合いか」
「……」
当事者二人に見つめられて言葉に詰ってしまう。さらには周囲からも視線が集まってくる。目が見えるというのは、相手からも見られているのが如実に分かってしまう。
十数人の視線に晒されながら、ぎこちなく身体を動かして二人に近づいた。
「その子は、嫌がっているんだから止めたほうがいいんじゃないかな」
ありきたりな台詞しか出てこない。男の方も、そんな台詞を聞かされるとは思ってなかったのか鼻白んだようだったが、すぐに睨み返してきた。
「お前には関係ないだろ、すっこんでろ」
正論ではある。だが、ここで言われたとおり引っ込んでは出てきた意味が無い。
「その、女の人には優しくしたほうが、良いんじゃないかと」
「黙れよ」
つまらない言葉を続けて言われたのが気に障ったのか、男は完全にこちらに向き直って凄んで見せた。しゃらん、と音を立てて牛刀のような剣を抜いて目の前をちらつかせて見せる。
後から知った知識では、男の持っている武器はブロードソードを言うらしい。
「ここは武術の街だぜ、物を言いたいならガチンコで決めるって決まってんだよ」
武術の街だから魔法使いは割に合わない目に遭っても我慢しろということらしい。それが嫌なら勝負して白黒を決めるルールがあるようだ。
確かプレイヤー同士で闘う機能があると聞いていたので、そのことだろう。
「わかりました。お相手しましょう」
「あ?」
勝負を持ちかけられたので受けて立ったのだが、男がぽかんと口を開けて固まってしまった。直後、口を開けたままゲラゲラと笑い始める。
「知らねえのか、街中のPvPは近距離だけだ。魔術側が武術側に勝てるわけがねえ!」
何を言っているのか良く分からないが、魔法使いには分の悪い勝負になるようだ。見た目で判断したのかもしれないが剣士であるこちらにとってデメリットにはならない。
周りで見ていた野次馬の一人が「そいつはプロメ流の3段もってるんだ、やめときな」と言ってきた。聞いたことの無い流派だが、ゲーム内で独自の武術の流派が存在しているという話も聞いている。きっとその中の一つだろう。
「やってやってもいいけどよ、お前が負けたらどうするんだ」
「何でも言うことを聞きますよ」
「なら負けたらここで外装を取れ。全裸のSSを掲示板にアップしてやるよ」
「いいですよ」
即答すると周囲からどよめきが広がった。
ボディビルダーのような筋肉美があるわけでもなし、こんなひょろひょろな男の裸など見ても気持ち悪いだけだろう。ただ恥ずかしいだけで負けても失うものは無い。
杖を左手に持って相対すると目の前にウィンドウが出てきた。
《PvPに招待されました。許可しますか。Yes/No》
Yesを選択すると男の近くに立っていた少女の姿が消える。男と自分だけがいる、光の壁に囲まれた即席の決闘場が出来上がっていた。
光の壁の向こうに、うっすらと街の住人がいるのがわかった。他の人たちを追い出しただけで場所は変わっていないようだ。
空中にカウントダウンの数字が浮かび上がった。
3...2...1...0
ゼロになると同時に男が飛び掛ってきた。大きく振るったブロードソードが光を反射して煌く。
プロメ流という流派のことは知らないが先手必勝の技があるのだろう。3段がどれほどの実力なのか分からないものの、男はそれほどの手練ではないようだと判断した。動きが視えすぎる。
更に男が見ている場所も手に取るように分かる。狙っているのは頭に一撃だ。
けれど遅い。
半歩、右足を移動させる。体の重心を少しだけずらして左足を後ろに引いた。直後にブロードソードが何も無い空間を切る。
何某流の3段というのは嘘ではないようで、振り下ろされた巨大な剣は宙空でピタリと止められていた。大した膂力だ。
「くっ」
苦しげな表情を見せて男が睨みつけてきた。まさか避けられると思っていたかったのだろう。格下だと馬鹿にしていた魔法使い相手に侮辱された怒りで冷静さを欠いているのだと分かる。
男が再び剣を振り上げるよりも早く、地面の上を滑るように3歩下がって男と距離をとった。男は今にも飛びかからんと、剣を上段に構えタイミングを計っている。
右手に持ったままだった杖を左手に持ち替えた。握るのは隠された鯉口の横、親指をかけて抜刀できる位置。
「だああああああっ!」
男が叫び声をあげながら突っ込んできた。助走を加えて剣を振り下ろす勢いを増そうというのだろう。確かに当たれば一撃必殺の剣となるに違いない剣だ。
しかし遅い。
左足を踏み出しながら仕込マジカルステッキを握った左手の拳をヘソの正面へと移動させる。合掌するように右手を重ね、左手の親指で鯉口を切った。
次いで右足を前に出しながら左手だけをその場に置いて身体を前進させる。自然、左手で握った仕込マジカルステッキの鞘部分が身体の移動に合わせてズレて白刃が姿を現した。
男の振り下ろす大剣は止まらない。
だが遅い。
男の横を通り過ぎると同時に、左手をねじりこむように一気に腰まで移動させる。自ずと身体が開き、溜めこまれた勢いから弾けるように刀身が飛びだした。
その刃の襲いかかる先はガラ空きの男の胴体。吸い込まれるように刃が腹の肉を割いて刀身を臓腑へと潜らせる。
振り抜いた刀は背骨の硬さも感じさせずに男の身体を通り抜け、その身は真一文字に二分された。
視線は動かさぬまま振り抜いた刀を腰だめに構えると、男の上半身のみがぐらりと揺れ、半回転してから地面へと落ちた。
男が立ち上がらぬのを確認してから構えた刀の血振りを行い、鞘へと収める。
一息をついた。
視覚が戻ってから情報量の多さに戸惑っていたが、理由がやっと分かった。全てを一度に見過ぎてしまっているのが原因だ。
信じられぬと目で語る男の顔を見ながらも、光を失って消えていく壁の向こうからこちらを見ている人々の顔が確認できる。見られていることに敏感になるのと同様、見ることも器用になったらしい。
「お前……名前はなんだ」
倒れた男が空気が漏れる声を吐き出しながら話しかけてきた。視点が定まっていないのを見れば、既に視界は失っているのだろう。
見慣れぬ居合の技だからこそ、何をされたか分からぬうちに倒れているのだ。粗野で野蛮な態度ではあったが、武人として己の技の名前を知りたいに違いあるまい。せめて技の名前を知りたいという気持ちは分かる。
別段、隠し立てするようなことではない、と思って質問に答えることにした。
「間近落引と言います」
抜刀よりも足運びに重点を置いており、名の通り「引っ張られて落ちるように」一瞬で近づいて斬る技だ。脚の動きを学ぶ為の基本技として制定されているが、基本故に重要な動きとなっている。
足を動かしても上半身が全くブレないので、今先程まで刃の届かぬ位置に居た敵が瞬く間に眼前に迫っているように見えるのだから、初見では何が起きたのかすら知覚することは叶わぬだろう。
「マジカル……くいん……?」
さもありなんと一人で得心しているのを他所に、倒れた男の耳にイマイチ届かなかった技名は盛大に聞き間違えられていた。
本人の知らぬところで謎の美魔女マジカルクイーンの噂が広まるのにそれほど時間は掛からなかったのだが、それを知るのは大分あとになってからだった。