02話 22歳 無職(男)
窓から差す陽の光に手をかざすと、掌に暖かさを感じる。
温度が伝える明かるさは、しかし己の双眸に眩しさを届けない。
眼前には薄ぼんやりと赤暗い色が広がるばかりである。
ねぼけた頭で視力が落ち始めたのは何歳頃からだったろうかと思い返す。
高校3年生の夏は、朝食を摂りながら自宅の庭を見ていたように思う。
母親が丁寧に面倒を見ている花壇では、季節ごとに何かしらの花が様々な色を咲き誇っていた。
最近ではリュウゼツランを植えたのだと楽しげに話しているのを聞いた。
数十年に一度しか咲かない花を育てるとは、肉親ながら酔狂なものだと感心する。
しかし数十年に一度でも花が咲くのであれば良い方なのかもしれない。
今後、二度と咲くことも無い花を見続けるよりは。
初めに視界に違和感があった頃は、受験勉強の詰めすぎだと思っていた。当時、ラジオの深夜放送を聞きながら夜も遅くまで机にしがみついていたからだ。寝起きに目の前が白くぼんやり霞むのを寝不足からくるものだと思い込んだ。これほどまでに受験勉強に勤しんでいるのだぞ、と見当違いな優越感さえ持った。
市販の目薬を購入しその場だけの爽快な気分を味わっていたが、目の霞む頻度がどんどんと早まって行った。目をこすっても目薬を差しても白い霞が取れぬようになり、おかしいと思って医者に行ったときには手遅れだった。
「そのうちに全く見えなくなるでしょう」
無慈悲に告げる眼科医の言葉どおり、どんどんと物が見えなくなり学校に通うのも困難になった。受験勉強を続けることも出来ず、大学進学は諦めざるを得なかった。大学に入るどころか、今は風呂に入るのさえ人の手助けが必要なのだ。
学校側のお情けもあり、何とか卒業だけはさせて貰えることが出来たが、今は何もしていない無職だ。就労意欲も無いからニートというやつかもしれない。
障碍者を支援する団体の人に点字を教えてくれる学校へ行くことも勧められたが、勉強というものに対しての意欲がなくなってしまった。
完全に見えなくなると分かってすぐの頃は父が勤めていた会社を辞めたりして家の中も少し荒れた。今は落ち着いたのか両親ともに気を使って無理に何かしろは言わないがこのままで良いとも思っていないだろう。
毎日寝ているか起きていてもラジオを聞き流しているだけの生活だった。動かないから筋肉は衰え、自分で触っても枯れ木のような身体になっていくのが分かった。
食事も料理が見えないと味が半分くらいしか分からないのだと気がついた。人間、食べ物は半分は視覚で味わっているのだ。食事量も減った。
外に出ないから身の回りにも気を使わなくなり髪の毛も伸びっ放しになっていく。髪が背中にまでかかるようになり、流石に何か言われるかと思ったが母親は「女の子みたいね」と軽い声で笑うばかりだった。
自宅に引きこもってから数年が経ったある日の夕食で父親がこんな話をした。
「近所に武術の道場が出来たようだ、空き地に立派な日本家屋が建っていた」
「まあ、柔道か何かかしら」
「それが珍しいことに剣術と杖術らしい」
その話に耳を傾けながら、盲人向けに作られた縁の大い皿を口に当てて味噌汁を飲む。頭の中ではある映画のことを思い出していた。
昔、お笑い芸人が監督した名作映画のリメイクで、盲人の剣客が筋骨隆々の悪人共を事も無げに切り捨てる様が男心をくすぐる内容だった。創作であることは理解しているが、もしかすると自分でも扱えるようになるかも知れない。
「父さん、僕でもその道場に通えるかな」
父親は無気力に過ごしていた息子が突然意欲を見せたことに驚いていたが、すぐに道場へ向かって直接聞いてきてくれた。母親は「危ないわよ」と少しだけ反対していたが、最終的には「怪我だけはしないでね」と許してくれた。
問題の道場側も「何時でも来てください」という返答だったので、すんなりと事が進んだ。
近所とはいえ、いざ久しぶりの外出と気合を入れて準備を行う。
高校時代の友人が、未だに気遣って週に1回電話をしてくれて僅かながら交流が残っていたので、もし時間があれば連れて行って欲しいと頼むと電話口で涙声で喜ばれた。
今更ながら友人に恵まれていたのだと痛感する。週末になるのを待って友人に手を引いてもらい道場を訪ねた。
「初めまして、父より話があったとは思いますが、本日よりお世話になります」
「はじめまして。お話は伺っている。ご子息と伺っていたが、ご息女であったか」
母に似た顔立ちで昔から女顔だったのは自覚していた。
家を出るときに友人も「私より可愛いかも」と言っていたが、可愛いのは冗談にしても見間違える程度には女性にみえるようだ。帰ったら母に髪の毛を切ってもらおうと心に決める。
「髪は伸びていますが息子です」
「おや、それは申し訳ない」
「いいえ、今は見た目は関係ありませんから」
道場主はなるほど、と言って笑った。喋り方と同じで「カカカッ」という古臭い笑い方だった。
折角、綺麗な声なのに勿体無いなと思った。
◆
22歳 会社員(女)
高校時代の友人と久しぶりに外出した。
彼は病気で光を失い自宅に篭りきりになってしまっていたが、それでもこちらから連絡は取り続けていた。
そんな彼が数年ぶりに「外に出たい」と言ってくれたのだ。それも私に頼んできてくれた。こんなに嬉しいことはない。
思わず電話口で泣いてしまうほど取り乱してしまった。
落ち着いた後に話しを聞くと、彼の家の近所に剣術の道場が新しく出来たらしい。
どのような経緯があったのか分からないが、そこの生徒として通うことが決まったので、彼の家から道場まで連れて行って欲しいという話だった。
両親には頼まないのかとも思ったが、疑問を口にするより前に「そろそろ親離れしないと」と理由を教えてくれた。彼の中の葛藤がどれほどの物か窺い知ることは出来ないが、やる気になっているのに水を差すつもりも無い。
日時を約束して電話を切り、自分の口がにやけていることに気づいた。
高校時代、私は彼に微かな恋心を抱いていた。
彼は顔立ちが女の子みたいで周りからも「可愛い」と言われてはいたが、そんな女の子にありがちなファン心理とは私の気持ちは一線を画していたと思う。
当時のクラスメイトだった男子生徒で、名うてのチャラ男がいた。学校の内外を問わないでガールフレンドを作っては別れるのを繰り返しているという噂だった。
そのチャラ男に対しての評判は決して良くなかったが、それでも引っかかる女子には事欠かないようで教室内で他の男子生徒に卑猥な自慢話をしている姿を良く見かけた。
ある時、チャラ男が何を思ったのか私に粉をかけてきたことがある。前の日にガールフレンドと別れていたようで、次のターゲットに私を選んだらしい。
何を物好きな奴もいるものだと呆れ帰って適当にあしらっていたのだが、チャラ男はそれが気に入らなかったらしく急に激昂して私の手を掴んできた。
「なあ、俺が付き合ってやるって言ってんだろ」
「別に頼んでないでしょ」
物好きなのではなくて頭が茹ってしまっているのだろう。話が通じなかった。目の前で怒鳴るチャラ男は怖いし、掴まれた手は痛いしで泣きそうになってしまった。その時だ。
私に伸ばされたチャラ男の腕を掴む、別の手が現れた。クラスのマスコットくらいにしか思っていなかった女の子みたいな彼だった。
彼は全然怖くない顔で「嫌がってるよ」とチャラ男に言った。
直後、周囲にいた他の女子生徒から援護射撃で「そうよそうよ」「かわいそー」「チャラ男サイテー」という非難の声が次々に上がり、流石に不利を悟ったのかチャラ男は退散した。
残された私の元に援護射撃をした女子達が集まり口々に心配する声をかけてくれたが、それらは耳に入っていなかった。
私を助けてくれた彼に、私の意識は釘付けになってしまっていた。なまじ顔立ちが可愛らしい分、そのときの立ち振る舞いの男らしさが際立っていたように感じた。
その時から、今に至るまで。彼が進学を諦めて家から出なくなった今でも。私の気持ちは続いている。
約束の当日、彼の家まで行って呼び鈴を鳴らして暫くすると玄関のドアが開かれた。何度か挨拶をしたことがある彼のお母さんが玄関をあけて「あら、綺麗になったわねぇ」と微笑んだ。すみません、お化粧パワーです。
見えないと知りつつも、いつもより気合を入れてしまったのを見透かされたようで恥ずかしくなる。
「今日はよろしくお願いします」とお母さんが私に頭を下げた。慌てて「私の方こそ」とか良く分からないことを口走ってしまった。
お母さんが上品に笑って視線を家の中に移す。そこに立っていた人を見て「お姉さんが居たんだっけ」と思ってしまった。
暫くじっとその女性を見つめて、それが彼だと気づいた。記憶の中の彼よりも背が伸びている。髪の毛も伸びている。だから気づかなかったというのは言い訳になるだろうか。
「あ、うん。久しぶり」
「うん、久しぶり」
「背、伸びたね」
「そうかな」
「髪の毛も長いし、私よりも可愛いかも」
数年ぶりに会う彼は、率直に言って更に美人になっていた。ふざけんなである。会社の仕事で目にクマができて肌も荒れてしまっている私とは比べ物にならない。隣に立つのが恥ずかしいとさえ思ってしまった。
それでも私の腕を掴んで彼が隣に立つと、いい年をして胸の鼓動が高鳴ってしまう。彼が掴んでいる私の二の腕がプニプニなのがバレているだろうかと変な緊張感を味わいながら彼の家を出発した。
道中は特に会話らしい会話もなかった。私にそんな余裕がなかったのもあるし、彼にそんな余裕がなかったのもある。やはり、何も見えない状態で外に出るというのは恐怖感が強いようだ。
「車きてる」とか「そこ段差あるから」とか最低限の発言のみで目的の道場へと到着してしまった。私の腕から手が離れる感触に少しだけ寂しさを感じる。大丈夫、まだ帰りもあるし、次回だって同伴すればいいのだと自分に言い聞かせた。
剣術の道場と聞いていたので道場主は高齢のお爺さんとばかり思っていたが、出てきたのは歳若い女性だった。私と同じか少し上くらいの年齢だろう。
艶のある黒い髪の毛、気の強そうな瞳は輝き活力に満ちている。凛とした雰囲気を漂わせる美人だった。華があるとはこういう人を言うのだろう。彼の目が見えなくて良かったと少しだけ思ってしまい自己嫌悪に陥る。
彼と道場主はこれからのことを暫くの間話し合い、その日はそれで終わりとなった。
これ以降も何度も付き添って道場へと行っているが、彼に才能があったのか先生の教え方が上手かったのか、とても目が見えていないとは思えぬような剣捌きを身に着けているようだった。
汗の飛沫を輝かせながら剣を振るう彼は、矢張り男らしくて格好いいのだ。
もう引き籠っていたいた頃の彼では無いのだと強く感じる。彼はもう前を向いて歩き始めた。ならば私の出来ることは手を引いて歩くことだけではないはずだ。
勤め先の職権をこれでもかと乱用することを決めた。
「仮想現実装置に於ける障碍者向けの新たな活用手段の模索」
そのモニターに彼を推薦した。
事故で腕をなくした人が無いはずの腕の痛みを訴えることがある。幻肢痛と言うらしい。
ならば目や鼻、耳など肉体としてのハードウェアが不全であっても、脳が正常であれば認識は可能であるはずだ。
肉体と精神の齟齬を解消する為、仮想現実の世界で十全な肉体を得る。
メリットデメリットどちらも考えられたが、まずはやってみようということになった。
希望者のみを対象として社員の身内で募集したところそれなりに希望者がいた。釣りやゴルフなどの比較的のんびりしたゲームはすぐに枠が埋まったのだが、互いに殺しあうMAという野蛮なゲームは、なかなか対象者が見つからなかったところだ。
剣術の腕前の生かしどころもあれば、今後も道場通いを続けるだろう。延いては私が同伴に呼ばれる回数も増えるに違いない。打算と下心で彼へのプレゼントを手配する処理を進める。
ゲーム中のキャラクターは通常の購入者とは異なり管理側が作成するゲストキャラクターだった為、キャラクターデザインも私に一任された。
こういったゲームに手を出すのは初めてだったが、その自由度たるや最近のアイドルからクロマニヨン人までおよそ人類であればどのような外見であっても再現できると言ってしまっても差支えが無い。
一応、彼の見た目を尊重するようにデザインを進めて行ったのだが、少しだけ悪戯心が芽生えた。剣術道場の黒髪乙女に手取り足取り教わっている姿を思い出して嫉妬心を覚えたというのも少なからずある。
モデルベースを女性に変更した。顔立ちは元の彼のままだったが、何の違和感も無かった。むしろこんな美人が実在するわけ無いだろと言ってしまいそうなくらいな完璧さだった。こんちくしょうである。
ゲストキャラクターは購入者と違って服装などの見た目を変更できない。期間限定でプロレスラーや格闘家の有名人を招くイベントを行っている為、分かりやすい姿で居てもらう必要があるのだ。まぁ、所詮ゲームだしこのくらいはいいだろう。
デザイン作業は深夜にまで及び、サービス残業と言う名の茶目っ気が暴走した。清楚なスカート姿で戦う魔女剣士の誕生である。
バストサイズだけは女の意地で私よりも小さくした。