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秘剣・鶏鳴  作者:
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01話

 草原に男が立っている。その周囲には霧が立ち込めて1m先も見えない。

 僅かに陽が昇り始めた時刻、男の踏みしめる草から水粒が滴り落ちてピンっと葉が持ち上がる。

 男のいるそこは、本来は背の低い草が生え揃っているだけの平原であるが、明け方に決まって濃霧が発生する。

 木の一本も生えていないだだっ広い平原に、男が仁王立ちしている。

 柔道着の袖を無くしたような衣装に、短い髪にハチマキを巻きまんじりとして動かない。


 やがて霧の中を何者かが歩く音が聞こえてきた。

 雫のついた草を踏みしめるキュッキュという音を鳴らしながら近づく。

 姿は見えないが音は聞こえる。恐らくもう10mも離れていないだろう。


 男は未だに立ったまま動かない。音のする方向を見つめている。

 しかし、足音の主はそれ以上近づくことを拒否するように踏みとどまった。

 明確に意思を持って、その距離で止まっている。


 男は初めて表情を変えた。足を止めるのが早すぎる。まさかこちらに気づいたわけではあるまい。

 だがしかし、これから相対する相手を考えれば、それくらいの芸当はやってのけるかもしれない。

 何しろ、相手は魔法使いだ。


「そこの方」


 男の思惑に応えるかのように、霧の向こうから声が聞こえた。

 女の声だ。目的としていた人物に違いない。


「何か御用でしょうか」


 こちらの思惑など、既に知っているのだろうに目的を聞いてくる。

 腕を組み、胸を反らして声を張り上げた。


「一手、お手合わせ願いたい」


 男は決闘をするためにこの場所で待っていた。

 朝、相手がこの時間に通ることを調べ上げ、霧の中で耳を澄ませて近づいてくるのを待っていたのだ。


「今、ここででしょうか」

「そうだ」


 ◆

 28歳 格闘家(男)


 そう。今、ここでなければならない。

 この霧の中、視界の利かない中であるからこそ自分に勝機があると見込んでいた。

 相手は魔法使い。何をしてくるか分からないが、こちらが見えなければ手の出しようもあるまい。

 至近距離まで近づいてしまえばこちらのものだ。

 無手だが、己が拳こそが鍛え上げた最強の武器である。当たりさえすれば一撃で屠る自信があった。


「わかりました。私は得物を使いますが」

「心得ている、問題ない」

「……」


 相手は魔法使い。魔法の杖や怪しげな薬を使うであろうことは承知の上だ。

 今までに決闘を申し込んだ者達も、何をされたか分からぬうちに倒されている。

 彼らが口をそろえて言うには、「見えぬ」「分からぬ」「気づけば死んでいた」の三拍子だ。


 戦った経験のある者を探して話を聞いてもさっぱりと分からぬ。

 唯一分かるのは、殺され方が鋭利な刃物で一刀両断にされたような殺され方であることだけ。

 ならば相手も同条件、魔法や妙な道具を使うことのできぬ濃霧の中でなら、対等以上の勝負が出来ると思ったのだ。

 卑怯だと言うならばそう呼べばいい。だが元より格闘家同士の戦いではない。

 格闘家と魔法使い、十分にハンデはあるはずだ。それに自分に不利だと思うなら勝負を受けない手もある。

 今、この条件で勝負を受けた以上、それは対等な勝負となる。そう自分を納得させた。

 それに負けたところで失うものは、お互いにほとんど無い。

 ここは安全に存分に殺し合いの出来るゲームの中なのだから。


 MA(エムエー)は、武術<Martial Arts>と魔術<Magical Arts>の頭文字を取った名前のゲームだ。

 俗に仮想現実(VR)と呼ばれる近未来的なテクノロジーにより実現された装置を使って、五感の疑似体験することを可能にしたタイトルの中のひとつである。

 その名の通り、ゲーム内には古今東西の武術家が存在している。

 テレビで見るような屈強なレスラー、一子相伝の槍術、誰も知らないような格闘術。

 いったい誰が最強なのか、その名を求めて日々(しのぎ)を削っている。

 噂ではデジタルデータで復元された宮本武蔵や李書文もゲーム内のどこかにいるらしい。


 そしてもう一つ。名前に入っている魔術だ。

 武術の方は腕に覚えのある。鍛錬を重ねた強者が楽しめるようになっている。

 だが、それだけでは人口が少なすぎる。

 いかに実践を持って修行を行うことが出来たとしても、それを求める需要が少ない。

 そこで武術を用いない、魔術が登場する。


 武術の達人に、ずぶの素人が勝つ。そのカタルシス。

 竜巻を起こすような大規模な魔術は用意されていないが、人間の拳で殴る程度の威力を持った石礫。

 剣を振ったような斬戟を放つ真空の風。地面から飛び出す土の槍。

 どれも現実ではありえない攻撃だが、ゲーム内では比較的ポピュラーなものがそろえられた。

 かくして、武術の達人と素人の魔法使いは比較的対等となるようにバランス調整された世界で、武術家と魔法使いは互いに殺し合いを楽しむに至った。


 当初、この技術はレスキュー隊などの特殊な環境下で命のやり取りを行う訓練をする為に開発されていた。

 消防士、山岳救助、海難救助、など。実際には危険すぎて訓練を行うことの出来ない環境を再現する為、網膜や鼓膜、皮膚を介さない体験を得ることの出来る技術が求められていた。

 国の研究機関と諸々のレスキュー部隊、それに大手ゲーム会社連盟が一丸となって開発を行った。

 その成果として得られた擬似世界は十二分に要件を満たした。

 だがゲーム業界が革新的なその技術を持ち帰った結果、皮肉なことに出来上がったのは人と人が殺しあうゲームだった。


 サービス開始から数年、まるで現実と見紛う程のリアリティを追求した仮想現実は新たなる世界として受け入れられた。

 擬似生命と分かっていても、命の絡む真剣勝負では現実の訓練では得られない緊張感が生まれる。

 そこで得られる経験は千回繰り返す訓練よりも遥かに濃密だ。

 当初こそ殺し合い等野蛮であると批判されたものだが、今となっては過去の話。

 かえって”殺される側”の気持ちを学ぶ場として活用されている。

 また、あまりにも”殺す側”に拘る者については然るべき所へ報告され、現実世界での凶行を未然に防ぐことに役立っている。

 快楽殺人者が野放しになるよりは、一箇所に集めたほうが管理しやすいのだ。


 そして霧越しに対面している魔法使いの話になる。姿は見えぬが、声のする場所にいるはずだ。

 当初、その魔法使いは高次レベルの風の魔法を使うのだと思われていた。

 だが同じ魔法を使う者達がこれを否定した。曰く、そんな強力な風の魔法は無い。

 次にゲーム内の不正改造や、未知のバグを利用した所謂チート行為を働いているとの噂が立った。

 しかしこれも公式アナウンスで「現在、ゲーム内で不正行為は存在しない」と否定された。

 ならば、何かゲーム内で用意されている魔法の道具であろうと結論がでた。

 あまりにも決闘のバランスを崩すようなものは無いはずだが、しかし可能性はそこにしかない。


 今は一面の霧、視界など無いに等しい。音こそ聞こえはするが、手榴弾でも持っていない限りは知らぬ間に殺されることは無いはずだ。

 魔法使いのキャラクターを使用している知り合いに話を聞いたが、魔法を使うには対象の指定と詠唱が必要となるらしい。

 詠唱は道具として入手できる魔方陣で代用可能だが、対象の指定は目で見なければどうしようもない。

 見えぬこと、これが己の勝利条件だ。その為の場所、その為の時間。ここで勝負をする一瞬に賭けたのだ。

 霧に向こうにいる魔法使いに挑んで散っていった者は数十人を超える。

 現役の軍人、古流柔術の使い手、そして同じ魔法使い。

 様々な者が挑み、無残に散って行った。その誰もが口々に「あの魔法使いとは戦いたくない」と言う。


 なればこそ、この自分こそが挑むべき相手である。

 目を凝らして眼前の霧を睨む。そこにいるのは分かっているのだ、後は魔術を使わせる前に拳を叩きこむ。それだけだ。

 乱れそうになる呼吸を抑え、耳を澄ませて相手の位置を探る。

 霧と同じような白い静寂が支配する中で、ほんの一瞬だけカサリと草を踏む音がした。

 すぐ近くだ、ほんの一足を踏み出せば拳の届く位置から音がする。

 何時の間に近づいていたのか、その距離は3mにも満たない。

 魔術を使ったのか音も立てずに接近していたようだが、気を抜いたのかほんの僅かに音を立てた。

 それが命取りだ、逃げようとも既に遅い。必撃の一打を放っている。

 音の発生した場所の中空、おそらく腹部があるであろう場所へと拳を叩きこんだ。


 これで勝負は決まった。

 魔術とは、なるほど確かに面白いものだ。ゲーム内とは言え、鍛錬を積まずとも力を手にできる。

 だがしかし、真の強さとは積み重ねた鍛錬の結果にのみ現れるものだ。

 いかに不可思議な道具を使おうとも、己が体、己が拳、己が力のみが最後に物をいう。

 霧で見えぬとも、その相手に渾身の一撃を放つことが出来るのがその証拠だ。

 そう思っていた。


 放った拳は、何もない空間を振りぬいていた。


「……な」


 直後、背中から熱い塊が入ってくる。

 両肩のすぐ下をまっすぐに冷たい物が走る。

 熱くて冷たいそれは引っ掛かりもせずに、するりと胸の位置から通り抜けた。


「あ……」


 体が両断されたのだと気付いたときには、体は分離して宙を舞っていた。

 視界が回る。地面に立ったままの腹から下が見える。後頭部から地面に叩き付けれた。


 肺を切られているので声が出せない。

 口だけがパクパクと動くが、何を言いたかったのかは自分でも分からない。

 びゅう、と風が吹いた。

 霧が払われ、自分を両断した相手の姿が現れた。

 3歩と離れていない距離に立っている魔法使いを見た瞬間、驚愕した。


 最初は関係ない別人が偶然そこに立っていたのかと思ったが、すぐにそんなはずはないと思い直した。

 白いブラウスに、プリーツのある白いロングスカート。対照的に腰まで伸びた髪の毛だけが艶のある黒。

 白い服に拘りがあるのかもしれない。左手には真っ直ぐに長い杖を持っていた。

 腕の細くてか弱い、女の魔法使いだ。

 相変わらず声は出ないが、声の出る状態だったとしても何も言えなかっただろう。

 すぐ横で、人が半分になっているというのに、それを行ったのが自分であるというのに、

 彼女の目はまるで自分を見ていなかった。


 事前に特徴を調べてはいたが、実際に見るのは初めてだった。

 美人だという話も確かにあったが強さには関係ないものだと話半分に聞いていた。

 大きく切れ目の瞳、スッと通った鼻筋。胸が無ければ美少年にも見えただろう中性的な美貌。

 潤んだような瞳で、ただ霧が払われた草原を見つめている。視界が開けたから見ているだけだと言うかのように。

 自分の存在など、最初から無いかのように。


 確かに今、自分は魔法使いに挑みその結果敗北した。

 だがどうだ、自分は両断され地に伏しているというのに、魔法使いはまるで何も無かったような涼しい顔をしている。

 しかも倒した相手の姿を見ようともしないではないか。

 自分のみが必死になっているようで、みっともなく思えて男は涙がこぼれそうになったが切断された身体は硬直しそれも適わない。

 自分はもうすぐゲームのシステムに従い「死亡」状態となるだろう。そうすれば自動で町まで移動させられるはずだ。

 両断された身体は元の通りに戻り、かすり傷の一つもない状態になるだろう。


 何も出来ぬまま魔法使いと戦った者達の話を思い返していた。

 戦ったもの達は皆、一様に「二度と戦いたくない」と言っていた。なるほど、その通りだと思った。

 女の魔法使いではない。正しく魔女だ。人の心など一欠けらも持ち合わせては居まい。

 これではまるで、ただ自分が勝手に燃える炎に突っ込んで死んでいっただけの虫ケラのようではないか。

 その惨めさに再戦を挑もうという気持ちは全く生まれなかった。

 あまりにも無情だった。


 やがて男の姿はゲームのシステムによって淡い光に包まれ、吹き付けた風に飛ばされるように霧散した。


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