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IdeaLand  作者: 中川のたり
2/23

序幕

彼は雨に濡れていた。


荒涼としたむき出しの地面の上で、膝をつき頭を垂れて。

まるで咎人が神殿で頭を垂れるように。

彼の体には鎖と楔が幾つも打ち込まれその姿勢を強いられていた。

どれほどの時間が流れただろう、鋭敏すぎる意識は時間の流れを遅らせその体を苛む激痛を儘伝えてくる。


「恨めしいか」


ふと声がした。

その声は轟々と降りしきる雨の中、不思議とクリアに彼まで届く。

が、彼は答えない、反応すらしない。

ずっと頭を垂れぬかるんだ地面を見続ける。


「妬ましいか」


「憎いか」


「忌々しいか」


「悔しいか」


「さもしいか」


声のみの問答は続く。

しかし彼はそのどれにも反応せずじっと頭を垂れるのみ、

その間も彼の体は絶えず苛められおびただしい量の血が地に流れ吸い込まれていく。


延々と問答は続き、悠久の時が流れた。

依然として問答に彼が反応することはなく問答もやむことはなく地は流れ続ける。

すでに彼の周囲には血溜まりを通り越し血の泉ができている。

この重く冷たい雨と彼の血が成した泉の中で彼は頭を垂れていた。


「苦しいか」


顔を伏せたままの彼は何も答えない。


「切ないか」


悲痛な顔で、悲壮な目で


「恥ずかしいか」


ただひたすらに血と雨を長し続け


「厭わしいか」


その言葉の何にも反応しないと非常に強い忍耐力を持つ声の主でも諦めを自覚したそのとき


「寂しいか」


ぴくりと、ほんの僅かだが彼の方が動いた。


「寂しいのか?」


彼は動かない、しかし声の主には実感があった。

微かに彼の目に何か写ったのだ、過去の何かか、現在の何かか。

いずれにせよ何も写さない彼の瞳によぎる何か。

その変化だけで声の主は十分だった。

それだけで十分、隙間から入り込んだ彼女は……愕然した。


「っ、お、お前は、う、うらんでいないのか?」




声の主には彼がなぜここのいるのか知らない。

彼女が自我をもってから多くの者をこの荒涼の地で見てきた。

彼らがどこから来てどこに行くのか不明だ。

気づくと彼らはこの地にいる。

彼らはその痛みと苦しみに絶叫しながら己の心を苛む感情を吐き出し続け、そして、消える。

彼女はそんな彼らの割れた心の隙間から過去を覗き込んでいた。

犯罪を犯したものがいれば殺されたものもいる、共通しているのは凄惨な最後を遂げたという一点のみ。

彼女にとって彼もそんな者の一人だとそう思っていた。

「くるしいか」

いつものように言葉を投げ掛ける。

負の感情に支配された彼らはすぐに反応する、すぐにその心のうちを晒し、心の隙間を広げる。

そうやって広がればあとは彼女の思う壺、入り込み過去を暴く。

長い時と何もないこの世界ではそれのみが彼女の楽しみでありライフワークであった。



この人間は何も反応を示さない。


心の隙間を探してもどこにも見つからない。

こういった人間は今までにもいた、心が壊れていて心が死んでいてもう何もない。

体しか残ってない伽藍の人だ、ほっておいても時期に消える。

しかし彼はいっこうに消えなかった。

今までと違う、それだけで彼女の好奇心は満たされた。

延々と投げ掛ける問答、そのすべてに反応せず、しかし消えない彼。

問答は続く、彼は答えない、続く、答えない。

悠久を過ごしてきた彼女ですらこの普遍の環境は少し堪えた。

もう変わらないのかとすら考えた。

「寂しいか」

それは、那由多を一人で過ごす彼女の無意識の内に吐露された心情だったかもしれない


ぴくりと、反応した。


見間違えてはない、反応した。

その証拠に彼の心の隙が開いた。


にやりと、彼女は笑う。


やっと彼の過去を、人生を、感情を暴くことができる。

入り込んだ隙間が小さかったからか、もたらされる情報の少なく大雑把なもの。

だが、その少量の情報の端に触れただけで彼女は読み取るのを拒否した。

多くの人々を暴いてきた彼女は自分の性格が世に言う通常な人間と比較し螺曲がり形成されているという自覚がある。

彼女にとって螺曲がった世界こそが通常の世界でそれが普遍の世界。

彼の記憶もそういう螺曲がりの世界の話だった。


ただ、彼女の通常を越えた酷い螺曲がり方をしていただけで。



彼女が最初に読み取れたのは彼の過去の世界の過去の世界。

つまりは彼がこの世界に来る前の前の世界。

彼はその頃はまだ世の普通の範疇の子供だった。

学生だった彼はすでに就職していた恋人に浮気をされて離別。

その後なんとか立ち直った彼はその過去を忘れようとするかのようにがむしゃらに就職。

みるみる頭角を表した彼はチームリーダーとして幾つもの実績をあげたった数年で支部を任されるようになった。

そして支部を任されるようになったその年のクリスマスの夜。


ストーカーと化した過去の恋人により殺害される。


ここまでは彼女の世界の通常の範疇だった。

今までの彼らが恋愛についてあまり多くの情報を持っていなかったたまに少し興味深げではあったが。

問題はその後。

前の前の世界での死後彼が受けた辱しめもそういったことに純情な彼女にとってちょっぴり通常の外に出そうだったが

前の世界の出来事が彼女にとっては耐えがたい情報だった。


幸せだったのだ、彼は。

非常に抽象的で大体のことしか読み取れなかったが彼は幸せだったのだ。

殺される最期の最後の時ですら、彼は幸せだったのだ。


理解できないものをおそれるのは誰も皆同じ。


長く一緒に過ごし暴力を受け戦い敵の攻撃を一身にうけ苦難を乗り越え愛され苦境を乗り越え愛し血ヘドを吐くような特訓を受けて仲間の為にと呪印を刻み離れ裏切られて謗りを受けて石打にされ罵倒され今まで信頼してきた人に殺されかけてまた裏切られて殺されて。

それでも彼はだれも恨まなかった。

割れた隙間から触れた心にはぽっかり穴が空いていたけれどその外枠を作っていたのは幸せの感情だった。


どうして、何をすればこんないびつな心の形になるのか。


彼女は恐怖した、怒りをぶちまけるならいい、恨みに任せて憎むならいい、それが人間、それが生き物。

ならば彼はなんなのか

幸せで心の外枠を作り心の芯にあったはずの負の感情を抉って捨てて残ったのは なんだ

これでは人と呼べるのか。

「っ、お、お前は、う、うらんでいないのか?」

恐怖だった。

負の感情を切り捨てた人間、それは人間と呼べるのか。

その執着のなさ

「お前は、、、菩薩にでもなるつもりかっ」

彼の瞳からポツリ

雨とは明らかに違うー血の涙がこぼれた。





「俺は、逃げたんだ」


血の泉に落ちた血の涙は、しかし泉に混ざることなく妖しくそれだけ光っている。


「守れた」


光ったまま、沈んでいく


「抱え込んだ人に裏切られた」


深く深く、その泉の底まで


「愛した」


コツンと聞こえるはずもない音が聞こえる


「彼女は、最初から僕を利用していた」


それは涙が血の泉の底にたどり着いた音


「愛されて」


荒れ果てた地は血を多く吸い、不幸の苗床となる


「愛し、愛され」


涙の種は地面に沈み


「守り、守られ」


ゆっくりと不幸を溜め


「信じ、信じられ」


たっぷりと不幸を溜め込んだそれは


「でも」


ゆっくりとその芽をひらかせる


「俺は」


地面に吸われた血をすべて吸いとって


「拒絶された」


泉の血をすべて吸いとって


「拒絶された嫌われた弾かれた石を投げつけられ罵倒され罵られ殺されかけて痛め付けられて何度も何度も本当に何度も何度もなんどもなんどもなんどもなんども死にかけて死んで生き返って抉られ削られボロボロになって優しくされて落とされて愛した人に信じた人に救った人に助けた人に好きな人に触れた人に抱き締めた人に笑顔を向けた人にーーー殺されて」


彼の眼前で一つの木になる


「でも」


木は一つ脈動すると


「それは誰が悪いという訳じゃない」


枝に一つの実をつぼみをつける


「俺が自分でしたことなんだ」


つぼみの前で彼が微笑んだ


「俺が望んで俺がなし得た、俺の功績」


つぼみは一つ震えると


「俺はなし得た、俺の望んだことを」


急速にその花を開かせる


「最後まで愛され続けることは、なかったけれど」


世界のどこを見ても見つからないような見事な花をつけると


「最後まで愛し続けることは、できた」


それが目的ではないように


「確かに最期は辛かったけど」


急速にその花を枯らし、葉を枯らし


「俺は幸せだった」


全ての血からで実を成らす


「もういいんだ」


実は遅々とした速度で成長する


「消える」


早く早く成れとと実が自ら急かしているように


「伽藍の心も」


ふるふると震えながら少しずつ大きくなっていく


「存在ごと消す、そうゆう呪い、そういう処刑だもの」


足りない、彼の血だけでは。ここにきて彼は消えようとしている。さらなる力を。


「怖いなあ」


実は根を通し世界を食らう


「怖くない」


少しずつ端から少しずつ


「辛いなあ」


世界という概念、その膨大な力を


「辛くない」


削り抉り噛み潰し吸収する


「死にたく……」


もっと、早く。もっと、沢山と。


「だめだ、だめだよなあ」


早くハヤク早くはやく早く


「……死ななきゃ」


抉り潰し噛みつき噛み千切り削り奪い削ぎ砕き溶かしすすり


「皆が、そう……のぞんっ でっ」


大きく大きく大きく大きく大きく大きく多く多く多く多く多く多く


「死ななきゃ……死にたくない……呪っちゃ、ダメだっ。呪わない、けど、死にたくない、死にたく、なかったっ」


実が弾けるまで大きく大きく大きく大きく


「ひ、とりでっ 皆に恨まれたままっ 死んだりなんか 一人でっ死にたくなんか、ない……」


いそげいそげいそげいそげいそげいそげいそげいそげいそげ


「……それでも」


われろわれろわれろわれろわれろわれろわれろわれろわれろ


「俺は」


パキンと鎖を砕く音が響く

清浄な音、贖罪の響き

楔が光の粒子になって溶ける、消えるのだ。

彼の体は姿を変え現世での最期の姿ー首を切られる前の目も当てられぬ様に変わる

まさにぼろ雑巾、あらゆるところから骨が飛び出し執拗に苛めぬかれたその体は罪の鎖と罰の楔から解き放たれその身が倒れ


「しあわせだったよ」




臥し……







「赦さない」






影が放たれた

世界から光がなくなるほどの影。

おどろおどろしくぬかるんだ

一度はまれば逃げられないような混沌の影。

ありとあらゆる欲とありとあらゆる負の感情が入り交じりいっそそれはそう

純粋。



「離さない」



闇の中に光が生まれた、飲まれた光が浮かび上がってきた。

半球場の光のドームの中にいるのは全身ずたぼろの彼の姿、慈悲と慈母の力に包まれ神の御元に旅立とうとしている。

もしこのまま御元に旅立てば神は言うだろう、大儀であった、休めと。

その万物を包み込む清廉な光で彼のすべてを浄化しそして……また使うのだ、彼を。

神の駒として、再利用するのだ。


こ ん な に 優 し く 不 器 用 で 愛 し い こ の 彼 を !!!


「許しはしない許しはしない許しはしない許しはしない許しはしない許しはしない!!!!!」


闇が形を作る、髪はその暗黒、肌は反転しどこまでも白く、妖艶な朱色の目と唇

身を包むのはまた暗黒のドレス。

絶世の美女だった、見るものが皆その引力に逆らえないような麗しと妖しの姫。

その目は爛々と煌めき伸ばした手は光を掴む。

やんわりと触れることのできない光の結界、まるで存在しないかのように掴むことができない。

(しかし、そこに、この私と同じ次元にあるのならば。犯し尽くしてくれる)

彼女の指揮の元膨れ上がった暗黒の闇は光を覆いそして

光 を 食 ら う

「喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ喰らえ!」

彼が旅立つ前に、

彼が諦める前に、

彼が二度も、死ぬ前に、


「行かせるものか、なるものか!渡してなるものか、慈悲深い神の元へなど!」


ブチブチと分厚い布が引きちぎられるような音、光と闇がせめぎ合う。

喰らい、浄化し、侵し、除去し、壊し、創る

苛烈な光とそれすら飲み込もうとする闇の応酬

一際大きな破壊の音


「ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああ!!!」


光の領域に闇が侵入する、白磁の肌は光に刻まれ朱色に染まる。

その細い手で愚直にも彼に手を伸ばす、来いと届けと。

それは闇の本質、奪取こそが闇の本懐。

そう、だから、彼女は奪うのだ。

半身が切り刻まれようが片手が千切られ闇へ戻ろうともそれは止まらない、

相手が誰であろうと、譲れない、

愛しい彼を、この手で。

奪って魅せよう。


(あぁ、愛しい人よ。)


這いずるように結界の中をすすみ彼の元へたどり着く、その安息の表情。

神による救い、浄化の光をうけ消えかかったその心


「ユウト、私は貴方を貴方の言う幸せなんかにさせない」


彼のわずかに心の残る体を抱き締め無垢で純粋な顔で


「ユウト、貴方は私のもの。」


顔を引き寄せ


「ユウト、私は貴方をーー」


深く深く口付けをした。


シナセナイ(ハナサナイ)

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