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翌日の放課後、僕は学校帰りに目的地へと直行した。
目的地というのはもちろん、昨日プリントアウトした地図に示されていた場所だ。
高い壁に挟まれた道を、僕は地図を見ながらゆっくりと歩いている。
路地は入り組んでいる上、急勾配の坂が多く、階段になっている場所も頻繁に目の前に現れる。
そんな道中を、僕は意外と楽しんでいた。
僕が住んでいるのと同じ市内ではあっても、この辺りは普段まったく足を運ばない地域。
ふらふらと歩いているだけでも、新鮮な雰囲気が感じられる。
知らない世界にワープしてしまったかのような感覚にさえ陥るほどだった。
基本的に毎日学校が終わったらまっすぐ家に帰って部屋に引きこもり、出かけるのは夕飯の買い出しくらいという生活を少し改めて、散歩でもするべきなのかな。
そんなことを考えつつ、入り組んだ路地を行く。
「なんだか、宝探しみたいで楽しな」
無意識に独り言が口から飛び出していく。
宝探しなんて考えると、意外とテンションが上がってくるから不思議なものだ。
どうでもいいけど、細くて入り組んでいる上にこんなにも階段だらけなんて、この近辺に暮らしている人にとっては不便なんじゃないだろうか?
普通に使われている道だろうに、まったく人通りがないのは、実は誰も住んでいないゴーストタウンだからだったりして?
……そんなわけないか。
階段になっている細い道なんて、そうそう通ろうとは思わないってだけだろう。
きっと近くに大通りがあって、ほとんどの人はそっちを使っているのだ。そうに違いない。
と、余計なことを考えているうちに、目的地付近まで到達していた。
だいたい、地図を持っているのだから、近くに大通りがあるかどうかなんて一発でわかるじゃないか。
確認してみると、大通りに出るには結構歩かなくてはならず、近くとは言えない距離になってしまうみたいだけど。
この界隈の道路事情なんて、僕には関係のないことだ。
ともかく、地図に描かれた赤い×印を目指す。
「ここだ」
細い通路を抜けた先、完全に行き止まりになっているこの場所が、宝探しのゴールだった。
「なにもないな……」
道の左右も突き当たりも、単なる壁でしかない。
壁の向こうに木々がちらほらと見えているものの、それ以外はよくわからない。
地図によれば、それぞれ住宅の敷地になっているはずだから、壁というよりは塀と呼ぶべきなのかもしれない。
どちらにしても、今僕の目の前に立ちはだかっているのは、背の高いコンクリートの塊以外の何物でもなかった。
「こんな場所に、宝なんてあるわけないよな……って、もともと宝探しじゃないし!」
自分で自分にツッコミを入れる。
なにバカなことをやっているのやら。
随分と静かな場所だし、誰かに見られたり聞かれたりしていた心配はないだろうけど。
……というのが誤った認識だと知ったのは、それからしばらく経ったあとのことだった。
ひとまず僕は、突き当たりの壁を調べてみることにした。
地図に赤い×印で示されているのは、この場所に間違いないからだ。
なにも見つけられなければ、わざわざ地図をプリントアウトしてまで来た意味がない。
もっとも、意味がなくてもさして問題はない。
その場合は、散歩を楽しんだとでも考えればいいだけだ。
そんな軽い気持ちで、壁に手を当て、優しく撫でてみると……。
「あれ?」
ぐにゃっ。
なぜか一瞬、柔らかい感触が手のひらを押し返してきた。
と思った刹那、目の前が真っ白になる。
「…………!?」
なにが起こったのかはわからない。
ただ、網膜にはなにも映り込んでこない。
そのまま、ぐにゃっとした感覚は全身に及び、僕を覆い尽くす。
そして意識は徐々に薄れゆき、最終的にはプツリと途切れてしまった。
☆☆☆☆☆
目覚めると、周囲は薄暗い空間に変わっていた。
どうやら結構な広さがある部屋のようだ。
僕はその部屋の隅に置かれたベッドの上に横たわっていた。
懸命に記憶を掘り起こす。
目の前が真っ白になったあと、全身をぐにゃっとしたなにかが覆い尽くし、意識が遠のいていった。
真っ白と感じたのは、強烈な光だろう。
そうやって目をくらませたのち、柔らかい物体で包み込まれた。素材はわからないけど、大きめなマットなどに違いない。
意識が薄れていったのは、睡眠薬的ななにかの影響だと思われる。マットにでも染み込ませていたのだろうか。
つまり僕は、何者かによってさらわれた、ということになる。
身をよじってみても、べつに縛りつけられたりはしていなかった。
のそのそと上半身を起こし、床に足をついて立ち上がる。
靴は履いていない。軽く探してみたものの、見当たらなかった。
自分の服装を改めて確認すると、学校指定の制服のままだった。
学校帰りに直行した僕は、肩にかけるタイプの通学カバンを身につけていたはずだ。あれはどこに行ってしまったのだろう?
視線を巡らせてみれば、部屋の反対側にドアが見える。
そのドアの近くに、なにやら見慣れない楕円形の立体……楕円体という名前だっただろうか、ラグビーボールに近い形の物体が存在しているようだった。
薄暗くてここからでよくわからないけど、あれはいったいなんだ?
というか、あまりにも薄暗くて気味が悪い。
あの物体の中とか陰とかに、なにか得体の知れないものが隠れていたりして?
なんとなく、気配らしきものが感じられなくもないような……。
いやいやいや、そんなわけないって。
なに変な妄想してるんだ、僕は!
怖いなんて思い始めたら、余計に怖くなってしまうじゃないか。
それにしても、僕はこれから、どうなってしまうんだ?
もしさらわれてきたのだとしたら、あまり気分のいい結末が待っているとも思えないけど……。
様々な思考や疑問が頭を駆け巡っていたそのとき、ドアが開いてひとりの人物が入ってきた。
それによって、もっと大きな疑問が発生することになる。
「ご気分はいかがですか?」
部屋に入ってきたのは、スーツ姿の男性だった。
その男性はまっすぐ僕に近づいてきて声をかけた。
顔はわからない。
なぜなら男性は、吸い込まれそうなほど真っ黒く塗られた、怪しげに笑っている仮面をつけていたからだ。
声や体型から男性だというのは間違いない。でもそれ以外は謎だらけと言える。
どうして仮面なんてつけてるんだ?
それ以前に、ここはどこなんだ?
僕をどうするつもりなんだ?
訊きたいことは次々と湧き上がってきたけど、まずは男性の質問に答えておく。
「いきなりこんな場所に無理矢理連れてこられて、気分がいいわけないでしょ?」
嫌味を多分に含んだ文句の言葉をぶつけると、仮面の男は微かに笑い声をこぼす。
「それはそうですね、失礼しました。ですが、肩の力は抜いてくださって結構です。あなたに危害を加えたりするつもりは一切ありません」
「信用できませんけどね。そんな仮面をつけたような人の言うことなんて」
「すみません。私は職務上、顔をお見せできない立場ですので、ご了承いただきたく存じます」
そう言って頭を下げる仮面の男。
声の調子だけで判断するなら、誠実そうな物言いではあるのだけど、どう考えても怪しすぎる。
嘲笑しているようにも見える変な仮面をつけているし。
僕が怪訝な表情をしていることに気づいたのだろう、
「とりあえず、こちらの用件をお話します。まずは聞いてみてください」
と早口で言い終え、仮面の男は有無を言わさず語り始めてしまった。
その話を要約すると、こういうことのようだ。
ここはとある施設で、リリアル・ガーデンという擬似世界を作り上げる研究をしている。
この男性は施設に勤める研究者のひとりで、今回、僕が被験者として選ばれた。
被験者の選出は、リリアル・ガーデンのサイトへのアクセスによって行われた。
サイトで出された質問の数々は心理学的見地に基づいて作られたもので、その結果として判別できるのは、人生に疲れて諦めている人や、未来に絶望しているような人だった。
エラー表示で一日置いて再接続を要求したのは、本気度を試すため。
再接続をしてきた人にだけ地図を示し、本当にそこを訪れるかどうかで本気なのかを確認する。
そして、実際にあの行き止まりの場所までたどり着き、壁に隠してあるスイッチに気づいた人を、こうしてこの施設へと連行しているのだという。
壁に触ったときの、ぐにゃっとした感覚は、そのスイッチだったのだろう。
リリアル・ガーデンとは、『Re-Real Garden』という造語。直訳すれば、再現実の庭となる。
自分だけの庭を作って別の人生を開始する、すなわち新たな現実を再現する、という意味になっている。
どうやら彼らは、擬似世界での生活を実現させるための実験を行っているらしい。
その被験者となったのが、この僕だったのだ。
「ここにある『リリアル・カプセル』に入ることで、リリアル・ガーデンの世界へと行けるようになっています」
男性は、ドアの横にあった楕円体の装置を指差しながら、説明を加える。
「この中に入ってハッチを閉じると、体のほうは一種の仮死状態となります。その瞬間、あなたの意識は、私どもが作り上げたリリアル・ガーデンの世界へと転送されます。それによって、あなたは新たな世界での新しい生活を手に入れることができるのです」
「え~っと……。仮死状態になるってのは、なんだか怖いです」
「安全性は確保されていますので、安心してください。生命維持装置のようなものだと、お考えくださって結構です」
「そうなんですか。でも、そういうのって膨大な費用がかかるんじゃないんですか?」
「いえ、お金は一銭もいただきません。リリアル・ガーデンでのあなたの行動は、研究材料としてデータ収集させていただきますので、それが対価ということになります」
「はぁ……」
納得したような返事をしたものの、あまりにも現実離れした内容に、僕の思考は全然追いついていなかった。
そんな僕を置き去りにして、仮面越しの説明は続く。
「先ほども申し上げたとおり、この装置によって、あなたの意識はリリアル・ガーデンへと転送されます。
リリアル・ガーデンでは、すべての人に翼が生え、空を自由に飛ぶことができます。
世界全体も、被験者たち……ゲームっぽいメージに合わせてプレイヤーと呼ぶことにしますが、みなさんの意思で自由に構築が可能です。
いわば、なんでもできる世界と言えますね」
「被験者たち? ということは、僕以外にも人がいるんですか?」
「ええ、そうです。といっても、べつに他人と関わる必要はありません。なにをするかも、どう生活していくかも、すべてあなたの自由です」
「自由……」
それは甘美な響きだった。
「リリアル・ガーデンでは、食欲や睡眠欲も抑制されます。
食べ物や飲み物は存在していて、味も現実世界と同様に感じられますが、単なる嗜好品扱いですので、飲食しなくても死ぬようなことはありません。
また、睡眠を取る必要もありません。もちろん、寝ないと疲れるなんてこともありません」
「なるほど」
「ただ、同様に性欲も感じません。
他の人もおりますので、男性・女性の区別はありますが、実質的にはカプセル内にいるため、結婚ですとか性交渉ですとか、そういったことはできない仕様になっているのです。
基本的になんでも自由な世界ですが、性欲を満たすような行動はまったくできないようになっていると思ってください」
「そうですか」
自由に生活できるといっても、本当にやりたい放題なわけではない、ということか。
もとより人とのつき合いが苦手な僕には、あまり関係のない話かもしれないけど。
「以上、リリアル・ガーデンについての解説は、理解していただけましたか?」
「はい」
素直に答える。
「では、最後の質問です。リリアル・ガーデンへ行かれますか?」
再び即答で『はい』と言おうとする僕を、男性は手で制する。
「おっと、言い忘れていました」
「……なんですか?」
「一度リリアル・ガーデンに行くと、こちらの世界には戻ってこられません」
「えっ!?」
「それを踏まえた上で、もう一度質問致します。リリアル・ガーデンへ行かれますか?」
この世界に戻ってこられない。
つまり、ずっとリリアル・ガーデンという世界で生きていくことになる。
はたして、それでいいのだろうか?
僕は今、つまらない生活を送っている。
学校に行ってはいるけど、成績も上がらないし、友達もいないし、目的などなにもない。
家に帰れば帰ったで、妹の優心から文句を言われたり嫌味を言われたりの日々。
クズだのゴミだのとまで言われ、汚らわしい物体扱いをされているのだから、兄としての威厳は崩れ、完全に見下されている状態だ。
優心としては、こんな兄ならいないほうがマシだと思っているだろう。
お母さんだって、僕にはすでに期待なんてしていないはずだ。
となると、僕はただ食費や光熱費などを食うだけの邪魔者でしかない。
高校に通うための教育費だって、随分と家計を圧迫しているに違いない。
そう考えると、僕なんていなくてもいい……いや、むしろいなくなってほしい存在だと言える。
家に帰らなくたって、問題にはならない。それどころか、家計にとっては大助かりだ。
なぜだか胸がやけに痛く、息苦しいような気持ちを感じてはいたけど。
僕はハッキリと答えた。
「はい! リリアル・ガーデンに行きます!」




