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僕とカグヤさんは、腰を落ち着けて話すため、僕の庭へと移動した。
あのままスバルの庭に座って話していてもよかったのだけど、初期状態にリセットされるだけにとどまらず、最終的には消えてしまう危険性もあるとカグヤさんは懸念していた。
仮に消えるとしても、中にいる僕たちまで一緒に消えてしまうというのは考えにくいものの、なにが起こるかはわからない。
念には念を入れておこう、ということのようだ。
「まず、私のことを話しておくわね。カナメくんが気づいているかはわからないけど、このリリアル・ガーデンには、おかしなことがたくさんある。私は今、それを調査しているのよ」
「調査……ですか」
「ええ。カナメくんは研究所の人から説明を受けてカプセルの中に入ったのよね?」
「研究所……ああ、あの施設はなにかの研究所だったんですね。だったら、そういうことになります」
「現実世界には二度と戻れない、というのも聞いてるわよね?」
「はい。それを承知で、リリアル・カプセルの中に入りました」
「なら、おかしいと思わない? いわば人をひとりカプセルに閉じ込めて、この世界に拘束しているようなものなのよ?」
「はぁ……」
「当然ながら、戻ってこないのを不審に思って、家族が捜索願を出す。それが普通じゃない? ひとり暮らしの人でないなら、だけど」
「なるほど……そうですね」
ここに来る前は、僕なんかいなくなっても構わないだろう、みたいな気持ちになっていたけど。
もし心の中ではいなくなってほしいと思っていても、実際に消えてしまったら探すのが当たり前だ。
なにか事件に巻き込まれた可能性も考えるだろうし。
家族が行動を起こさなかった場合でも、僕は高校に在籍しているのだから、登校しなければ無断欠席ということになる。
ずっと明るいせいで日にちの感覚は薄れているけど、僕がこの世界に来てから一週間以上の時間は経っているものと思われる。
友達と呼べるようなクラスメイトがいなかった僕ではあっても、無断欠席が続けば少なくとも担任の先生は心配するに違いない。
そして家に連絡を入れる。
家族が僕の不在を意図的に隠したりしない限り、その時点で僕がいないことは発覚する。
たとえ不在を隠したとしても、そのうち不審に思われるのは確実だ。
「町を見れば、たくさんの人がこの世界に来ているのはわかるわよね? あれだけたくさんの人が行方不明になれば、どう考えても警察沙汰になるわ」
「町の人がみんなNPCってことはありませんか?」
「それはないと思う。町の人にもいろいろと声をかけて調査していたから。素っ気ない返事しかしてくれない人も中にはいたけど、たいていはそれなりに話を聞いてくれた。自然な会話として成り立っていたわ。今現在の技術で、そこまで人工知能は進化していないと思うの」
「そうですか……」
この世界に入ったばかりの頃は、空を飛べてなんでもできることに喜び、浮かれまくっていた。
それからすぐ空を飛べなくなり、なにもできなくなったときには、完全に沈み込んでいた。
スバルと出会ってからは、一緒に過ごす時間が楽しくて、そのことだけで頭がいっぱいだった。
現実世界について考える余裕なんて、僕にはほとんどなかったのだ。
あれだけ文句をぶつけてきて、僕を嫌っていた優心でも、心配してくれたりするのかな?
いい成績が全然取れなくなった僕でも、お母さんは心配してくれたりするのかな?
今さらながらに、自分はあまりにも身勝手すぎる行動を取ったのではないかと、不安になってくる。
二度と戻れないのならば、考えるだけ無駄というものだろうけど。
……あれ? ちょっと待てよ?
ここは現実世界に嫌気が差し、生きる気力を失った人だけが来ることを許される場所だ。
気ままに空を飛べて、なんでも自由に創造できる能力も持っているのなら、カグヤさんだって楽しくて仕方がないだろう。
最初の頃の僕が、そうだったように。
そりゃあ、考えることは自由だし、疑問に思ったら行動を起こすのだって自由だけど。
なんでも好き勝手にできる世界で、夢を壊してしまうようなことをわざわざするものだろうか?
疑念は口から飛び出していた。
「カグヤさん、あなたはどうして、そんなことを考えて調査なんてしてるんですか?」
僕の瞳をじっと見据え、カグヤさんはしばし間を置いてから、こう答えた。
「実はね、私は最初から目的を持ってこの世界に来たの。正規の方法……と言っていいのかしら、研究所の人に直接会って説明を聞いてカプセルに入った、ってわけじゃないのよ」
どういうことなのか、よくわからずに呆然とするだけの僕に対して、カグヤさんはゆっくりと丁寧に語ってくれた。
カグヤさんは、リリアル・ガーデンのシステムを開発している研究者の娘なのだという。
とはいえ、この世界のことについて詳しく知っていたわけではなく、リリアル・カプセルを勝手に使ったらしい。
仮面の人が操作しないと動かせないんじゃないかとも思ったけど、スイッチはカプセルのハッチのすぐ脇にあって、起動させてすぐに自分でハッチを閉じることで対処できたようだ。
「イレギュラーなやり方だから問題が出ないとも限らなかったし、もしなにかトラブルが起きたりしたら命の保障はなかったかもしれないけどね」
そう言って肩をすくめるカグヤさんに、僕は尋ねてみた。
「そこまでして、どうしてこの世界に来たんですか?」
一瞬考え込む素振りを見せたカグヤさんだったけど、覚悟を決めた様子でその理由を答えてくれた。
「お父さんが殺人犯かもしれないからよ」
「殺人犯!?」
思わず声が裏返ってしまう。
そんな僕の前で、カグヤさんは淡々とした調子で語る。
簡単に誰でも入ってくることができるというわけではないものの、噂が流れていて、ネット上にあるサイトによって導かれる。
ということは、それなりに多くの人がこのリリアル・ガーデンの世界に来ていると考えられる。
僕がこの世界に足を踏み入れたあとでもそうだ。
人が増えていくだけでは、いつかは飽和状態となり、溢れ出してしまう。
例えばオンラインゲームの場合だったら、サーバーがいっぱいになって入れなくなるのと同義だろうか。
その場合、オンラインゲームの運営側は通常、サーバーを増やすことで対応する。
だけどリリアル・ガーデンでは、なにかしらの対策がなされているような気配はない。
確かに人は増えている。
人数が多いため把握はできていないみたいだけど、町の中には新たな顔ぶれが常に増えていると、調査を続けてきたカグヤさんは確信している。
そして、この世界に来てから聞いた話だと前置きし、彼女はこんなことを言い放った。
「人が増えすぎると、誰かが強制的に『卒業』させられる。そんな噂が、町の中でちらほらとだけど出回っていたのよ」
卒業――。
普通なら、学校のすべての課程を修了することを示す。
他にも、アイドルグループなんかを卒業するという表現もあったりはするけど。
カグヤさんが言っているのは、そういった意味とは異なっていた。
この世界から卒業する。
それはすなわち、死ぬこと――消えてなくなってしまうことだったのだ。
「といっても、確証があるわけじゃないけどね。ただ、実際に消えてしまった人がいるのは事実みたいなの。だからこそ、私は調査して回っているのよ」
「じゃあ、スバルは……」
「ええ、『卒業』させられたとみて、まず間違いないと思うわ」
☆☆☆☆☆
その後、僕はカグヤさんからさらに細かく話を聞いた。
リリアル・ガーデンのことは、カグヤさんも現実世界で噂話として聞いたらしい。そこで気になったのだという。
なぜなら、仕事で研究・開発をしている父親の会話から、その『リリアル・ガーデン』という名前がこぼれ落ちたことがあったからだ。
父親はとても多忙な身のようで、ほとんど家にも帰ってこない。
帰ってきたときには疲れたからと言ってすぐに部屋にこもってしまう。
カグヤさんが声をかけても、忙しいからまた今度な、と軽くあしらわれるだけだった。
話が聞けないのなら、自分で調べるまでだ。そう考えたカグヤさんは、出勤していく父親を尾行した。
カグヤさんは父親の勤める会社の名前も場所も知らなかった。
それも今考えれば怪しい部分のひとつだ。
尾行によって研究所にまではたどり着けたものの、受付の人に父親との面会を申し出ても、それはできませんの一点張り。
門前払いを食ったカグヤさんだったけど、諦めたりはしなかった。
一旦外に出て、裏口からの侵入を試みたのだ。
「随分と思いきったことをしましたね。なんというか……おてんばなんですね、カグヤさんって」
「うるさいわね! 黙って聞いてなさい!」
無用心にも開いているドアを発見したカグヤさんは、研究所内へと侵入する。
部屋を見つけて入ってみると、そこにはリリアル・カプセルがあった。
ハッチが開けられていて、無人の状態。カグヤさんはカプセルの中に首を突っ込み、隅々にわたって観察してみた。
それがなんのための機械なのか知らなかったカグヤさんには、「謎の機械がある、なんだろうこれは」という興味が湧き上がっていた。
ただ、明かりがまったくないわけではないとはいえ、やけに薄暗い部屋だったため、視線を巡らせてみてもよくわからない。
どうするべきか思案しているところで、不意に人の足音が聞こえてきた。
カグヤさんは慌ててカプセルの中から首を引き抜いた。
その際、カグヤさんの長いポニーテールの髪の毛がハッチとカプセルの隙間に引っかかってしまった。
結構な量の髪が挟まっていたようで、痛みで声を上げそうになりながらも、どうにか抜き取ることに成功、すぐさま物陰に隠れた。
部屋に入ってきた人物は、部屋の奥辺りまで進んでいき、なにやら話し始めた。
その内容は、リリアル・ガーデンについての説明だった。
ドアから入ってきた人はひとりだけだったはずだ。それなのに今話している声はふたり分になっている。
とすると、この部屋には最初から人がいたことになる。
危なかった。部屋が薄暗くて助かった、といったところか。
ともかく、あのカプセルがなんなのか興味のあったカグヤさんは、身を潜めながら説明を聞き続けた。
光が足りないせいで姿はほとんど見えなかったけど、声を聞く限りでは説明を受けている側もどうやら男性で、それもかなり若い印象だった。
やがて説明が終わりそうな気配を感じ、カグヤさんは部屋を飛び出した。
薄暗い廊下には、いくつものドアが並んでいた。
そのうちのひとつを開けて部屋に侵入したカグヤさんは、先ほどと同じようなカプセルを見つけ、勝手に起動するに至ったようだ。
リリアル・ガーデンの世界に入ったあと、町の人から話を聞いているうちに、『卒業』についても知った。
『卒業』によって本当にその人が消されてしまう――すなわち、本当に殺されてしまうのかは、よくわかっていない。
それでも、なにかしらの怪しげなことに、カグヤさんの父親が関わっているのは、まず疑いようもない。
なにをやっているのか、突き止めないと。
それが娘である自分の義務だとばかりに、カグヤさんはこの世界についての調査を本格的に開始した。
カグヤさんが僕に近づいてきたのは、単純に気になったからだった。
この世界にいて悩んで沈み込むなんて、ありえるとは思えなかったのだ。
なんでも自由になるはずの世界で、空を飛ぶこともできず、ダメダメな状態になって意気消沈する。
そんなの、この世界の存在意義に反している。
なんらかの意図があってそうなっているのかもしれない。
だったら、この世界の謎を解き明かす手がかりになるのではないか。
カグヤさんはそう推測した。
それなのに、僕自身はまったく気力のない様子だった。
当初は協力を仰ぎたいと考えていたものの、こんな感じでは役に立つはずもない。
なにか情報がつかめる可能性を見い出し、期待し始めていた頃だったため、カグヤさんはついつい感情的になってしまった。
カグヤさんは、そのあとも気になって僕をマークしていたのだという。
スバルの庭に現れたのも、僕を追ってきただけのことだった。
「僕をマークしていたって……ストーカーですか?」
「ち……違うわよ! それに、ずっと隠れて見てたわけじゃないから! いろいろな場所を調査してたし。……結局、なにも見つからなかったけど」
カグヤさんは急に真面目な顔に変わって、こんな提案をしてきた。
「もしかしたら危険があるかもしれないけど……。カナメくん、私に協力しなさい」
「僕を信用してくれる……ってことですか?」
「というか、なにもできないあなたなら、私に反抗なんてできないと思うから。要するに、犬になりなさい、ってことね」
「犬って……。それは、いくらなんでもひどいのでは……」
「そうね、一応拒否権は与えてあげるわ。ただし拒否した場合、おそらく友人は戻ってこないと思うから、孤独に包まれたあなたは、ひとり寂しく膝を抱えたまま一生を終えることになるわね。それでもいいの?」
こんな言い方では、ほとんど脅迫のような気もするけど。
少し考えた末、僕は意を決して答えた。
「わかりました、協力します」
「ありがとう!」
カグヤさんが、ぱーっと明るい笑顔を輝かせる。
「でも、犬扱いはやめてくださいね」
「…………ちっ」
僕が念のためつけ加えたお願いには、舌打ちが返ってきた。
この人、ほんとに僕のことを犬にするつもりだったのか!?




