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なんの不安も苦悩もない楽しい生活が続いていた、あるとき。
「俺さ、ちょっと冒険の旅に出ようと思うんだ」
唐突にスバルがそんなことを言い出した。
「えっ? 旅?」
「ああ。かなり遠いから、時間はかかるだろうけど、それでもチャレンジすることに決めたんだ」
いつものスバルからは考えられないような、真面目な調子の声だった。
「だったら、僕も一緒に行くよ!」
「いや、それはダメだ」
同行を申し出ると、即答で拒絶されてしまった。
僕が一緒では嫌だ、というわけではないだろう。
だとしたら、理由は遠いこと以外にありえない。
つまりスバルは、空を飛べない僕がいたら、いつ目的地に到着できるかわかったもんじゃない、と考えているのだ。
そう思うと悲しくなってくる。
やっぱり僕は、スバルのお荷物でしかないのか。
「おいおい、なに暗い顔してるんだ? 言っとくけどな、ひとりで旅に出るのは、俺自身の力で乗り越えないと意味のない旅だからだぞ?」
僕の思考なんてお見通しなのか、スバルはズバッと言ってのける。
「旅に出てるあいだ、カナメっちをひとりきりにしちまうのは心苦しいけどな。俺のわがままを許してほしい。戻ってきたら土産話を聞かせてやるからさ。耳にタコができるほどたっぷりと! だから覚悟して待ってな!」
「う……うん」
納得はできなかった。
でも、スバルのやりたいことを、僕が止めるわけにはいかない。それこそ、単なるわがままでしかない。
僕はスバルを快く……とまでは行かなかったけど、笑顔で送り出した。
なにやら言い知れぬ不安のようなものが胸の奥で渦巻いてはいた。
それでも、引き止めることなんてできはしなかった。
現実世界の時間感覚で、数日くらい経っただろうか。
スバルは戻ってこなかった。
どれくらい遠いのかはわからないけど、空を飛んで向かっているのに、そんなに時間がかかるものだろうか?
出発前、僕はスバルにいろいろと尋ねていた。
ただ、どこに行くのか、その目的地については絶対に口を割らなかった。
どうしてそこまで頑なに秘密にする必要があるのだろうか?
友達である僕をひとり残してまで向かう場所とは、はたしてどんなところなのだろうか?
疑問は次々と湧き上がってくるものの、それに答えてくれる人はいない。
僕はまた、ひとりぼっちに戻ってしまったのだ。
「……って、なにを考えてるんだ、僕は。土産話をするって言ってたじゃないか。スバルは必ず帰ってくる。僕は信じて待っていればいいんだ」
そう思ってどうにか気力を保とうとするも、そんなのは一時しのぎにしかならない。
僕は何度もスバルの庭へと足を運んだ。
お互いを知っていればいいだけなのか、仲よくなっていないとダメなのかはわからないけど、僕はスバルの庭を訪問することができたし、スバルも僕の庭までよく遊びに来てくれていた。
カギがかかっていないから、家の中に入ることも可能だ。この世界では、不法侵入の罪に問われる心配もない。
だけど、家の中にまでは入らなかった。
家はお互いの不可侵領域。そういう暗黙の了解となっていたからだ。
べつに家に入らなくても、スバルがいるかいないかは、外からでも容易にわかる。
もしいるなら、呼びかけたら出てきてくれるはずだ。
どうやら今はいないみたいだけど、もしもすでに旅から帰ってきていて、買い物などのために出かけているだけだとしたら、すぐに戻ってくる。
僕はスバルの庭に寝っ転がり、友人の帰りを待ってみることにした。
空を流れてゆく雲の姿を、いったいどれくらい数えただろうか。
いくら待っても一向に帰ってくる気配はない。
仕方なく、僕は自分の家へと戻った。
たぶんスバルは、帰ったら真っ先に僕に会いに来てくれる。それはまず間違いない。
ならば僕は、部屋でひたすらベッドに突っ伏し、ひとりきりという寂しさを少しでも忘れるために、なるべく長い時間眠って待っていればいい。
そしてスバルが戻ってきた暁には、たっぷり土産話を聞くんだ。
スバルは疲れてるだろうから、まずは休みなよ、と提案して。
起きたらそれこそ寝る暇もないほど、何時間でも話し続けてもらおう。
僕をひとりきりにした罰ってことで、話すのをやめたがっても許さない。僕が満足するまで、長旅の話をしてもらうんだ。
そんなことを考えながら、僕はベッドにくるまり、友人のいないつまらない時間をただただ無駄に費やしていた。
「どうして帰ってこないんだ、スバル……」
自分を騙し騙し待ち続けるのにも限界があった。
「よし! もう一度、スバルの庭に押しかけよう! もし帰っていたら許してやるけど。そうじゃなかったら、そのまま家の中にまで押し入って、やり場のないこの怒りをスバルの家具とかにでもぶつけよう!」
いきり立って自分の家から出る。
目指すはスバルの家。
移動する先を思い浮かべて庭にあるアーチをくぐると、その場所までワープできる。
町の中や誰かの庭だけに限られているみたいだけど、そうやって一瞬で行きたいところまでたどり着くことが可能だ。
怒りで足を踏み鳴らしながら、いつもくぐっているアーチを通り抜け、通い慣れた友人の庭へとワープする。
僕の目の前には、スバルが創造した庭と家が待ち構えている……はずだった。
「あれ? なんだこれ……?」
そこに、スバルの庭と家はなかった。
代わりに、芝生だけが生えたような狭い空間と、木造の小屋だけが見える。他には空と雲しかない。
この光景は記憶にある。
リリアル・ガーデンに来て一番初めに見た景色、まさにそのままだった。
あのときは、そこは僕の庭で、自由に庭や家を創造し、拡張させていくことができたけど。
ここはスバルの庭なのに。
持ち主であるスバルはいない。
スバルが生活していた痕跡すらない。
「どういうことだ……?」
スバルが戻ってきて、庭や家の創造を一旦リセットして、やり直そうとしている。
そんな可能性もないとは言いきれない。
でもそれならば、どうしてスバルはここにいないのだろうか?
スバルが旅立つ際に感じた言い知れぬ不安――ベッドに寝っ転がって待っているあいだも感じ続けていた不安は、これ以上ないほど大きく膨れ上がり、今にも爆発してしまいそうだった。
呆然と立ち尽くすことしかできない僕。
その背後に、人影が迫っていた。
「どうやら、消えてしまったみたいね」
冷たく、僕の心を貫く声。
振り向いた僕の瞳に映ったのは、ポニーテールの髪を揺らめかせる女の子の姿だった。




