(Legend) 黒い宮殿
覚悟を決めてキバイはアラネンを後ろに隠した。
こんな所で盗賊に会うとは思っても見なかった。
言葉を失って退くキバイに、男達の後ろから身奇麗な女性が現われて
キバイとアラネンを上から下までしげしげと見定める。
困った顔に、少々笑いもエイムは含みながら、
「あーあ。なんて酷い格好をした奴がここへきたんだろうね。ここは世捨て人の来る場所じゃないんだよ。あんたたちかい。レツの知り合いは。名前を言ってみな」
年齢の解らない美しい女性の登場に驚いたものの
アラネンを守らなければと細い身体で見えないようにする。
「あなたがたは、ここで何をしていなさるのですか。私は僧侶でキバイと申します。この方はアラネン様。レツ殿・・は。何処においででございましょうか。礼を言わねば」
レツの名前を聞きレツの身を案じる。女盗賊にレツが殺されたのではと用心する。
「僧侶かい。まぁいいさね。親方に顔見世だけはしなよ。話はそれからだね」
エイムのあごが上がりこっちへ来いと言われてキバイは
横合いから切り殺されるのではと男達の間をアラネンを守って門をくぐり石壁の中に入った。
一方レツは、
固い岩丘を降りる頃には、細かな雪がちらちら舞い辺りの様子はがらりと変わった。
地中から六角形の石柱が無数に空を目指し力尽きて弓なりに地上に突き刺さっている。
「黒の宮殿・・か」その様を物語の名前になぞらせる。
黒い石柱の林の中に入ると寒さが和らいだ。
レツは背中の籠を下ろし身体中に巻きつけた毛皮の補修を始めた。
「さすがに厳しいの」と破れて穴の開いた皮に継ぎをあてがい貼り付けて帰りに備える。
背中の荷物をまとめ上げて複雑に入り組んだ石群の中を見回した。
「何もおらぬようだな」
右を見ても、左を見ても、上を見ても、
一抱えもある太さの石柱の束が、不規則に空に向かって伸び上がり
中途で突然ぶつりと切れている。
石柱の束を石柱が追いかけるようにまた地中から空を目指して
何かを掴み損ねた手のように広がって途切れてもいる。
ずんずんと黒い石柱群の中に入ると風は止んだ。
「何も、おらぬ?」
気配が何も無いのに黒い石の先端から、足元のぎざぎざの床から、ざわざわと声が聞こえる。
「何も、おらぬとはのう。笑止千万」
「目に見えぬものは在り得ないものか? 在り得ないとは存在しないものとなる、存在しないものならばなぜここに尋ねてくる理由がある? これだから人間と言う生き物は面白みが無い。その場に居なくてもそれは知りえないと思うか? 百里も千里も離れたところの出来事を誰も知らないと思うか? 誰も知らないことなどこの世にはあり得ない。ふざけた輩だ。人間と言うものは。名を名乗れ! 何処から参った。この小ざかしい者」
グワァーグワァーと一万羽の鳥が鳴いているように聞こえる声の後に、
たしなめるように張りのある若い声が答える。
「そのように矢継ぎ早に言われては答えようが無かろう」
「構わぬ。どうせたいした答えは持っては居らぬ」慇懃な物言いである。
声のヌシが口を閉じるとレツの周囲の全ての物音も消える。
会話をしていた相手の姿を求めて、
レツは左右前後に目を走らせるが虫一匹見つけられない。
何も見つけられずふてくされ、腹をくくってひとまず名乗る事にした。
「ティランマ・ニレウス、ルホリ国ユンカイ王を父に、母にフィスス・リー。二人の一子、トキナ・ダタライドウ・レツと申す!」
頭上の岩は柱が空を目掛け伸び上がり波のようにも見える。
レツの声は黒い岩に吸い込まれぷつりと途切れた。
先ほどの声は空耳であったと思い始めた頃、返事は返って来た。
「ふざけた名だな、この世に一つのものとは」
さっきとは別な声がレツの答えを嘲笑する。
「で、何ようじゃ」と、こちらは枯れ木のようなしわがれた声。
声の主は右上に居るように感じられ、レツは右上を見るが誰も居ない。
左上にも気配を感じ、左上を見ても黒石の波があるのみで、人影も動く物も無い。
割れた声が聞こえなくなるとそこいらには黒い六角形の岩ばかり。
突如レツの真上から声が降ってくる。
「汚いなりだな。朽ちた枯れ木がぼろ布をまとって立っている。フェッ、フェッ」
レツに答える間も与えずに別な声が邪魔をする。
動物がいっせいに吼えたらこんな声になるだろうと思われる。
「フェッ、フェッ、フェッ」
どこからか、間違いなくたくさんの目がレツを見ている。
気配はそこかしこにある、見回すレツの目は声の持ち主の影さえ見ることが出来ない。
「尋ねたいことがある」ひとしきり下品な笑い声が止むのをレツは待った。
相手が見えていなくてもどうでも良くなった。恐らく物の怪の類だと思うことにした。
「小ざかしい! 礼儀も知らぬ若造じゃな。ひねりつぶしてしまえ!」
レツの気持ちが伝わったのか、雷鳴のごとく言葉が響き渡る。
「言うてみよ」雷鳴の声を無視して若い張りのある声。
レツはその若い声に従うことにした。
「真実を司る者。定めを守り操る者・・・とは。あなた方のことか?」
まずは姿の見えない怪しい者たちの素性を知らねばならない。
「そうだ」若い声は柔らかい声で何の躊躇もなく答える。
「そうだ!」別な所から横槍のように声が飛ぶ。
「そうではない。それは正しく無いぞ。われらは人ではないのだ」
最初の一万羽の鳥の声の持ち主。
「言っても無駄だ。今日を生きて、明日には死ぬ生き物にどう説明する? あいや無駄だな」
風の中の古木のきしみが言葉を発している。
この声は耳を塞ぎたくなるくらいに酷い。
「そなたらの・・・我等を・・呼ぶ名である。何とでも呼ぶが良い。何とでも名前をつけるが良い」
若い張りのある声は退屈な押し問答に飽きている。
「ならば、時を司る者に尋ねる。運命の糸を操る方法を教えたまえ。我は人間であるが故、操ることが出来ぬ。なら。ほんの少しでよい運命を変えてくれ」
レツは百戦錬磨の古老と話をしている気分になった。古老ほど頑固で融通の利かない者は無い。
「たわけが! このたわけ! 捻り潰そうか? か弱くて短い命の生き物よ。戯け者」
レツの言葉に怒っているのか、
心の中を読まれたのか、瞬時に声の主の怒りで世界が真っ暗になる。
「もそっと、あの者と話をさせてくれ」若い声がぼそりとつぶやく。
「つぶせ! つぶせ!」
怒りが伝播してどこかに居る見えぬ者たちが手をあげて、
口からつばを飛ばしてわめいている。
「運命を変えて欲しいのか・・その・・トキナよ。よくわからぬが。生きて死ぬのはそなたらの運命である。瞬きほども変えられぬが、それを変えよとは大層な事。では言うて見よ、その訳を言うて見よ」
淡々と言う若い声にわめいた声が嵐の速さで通り抜け静まる。
大木と大木が重なりあいそこへ小枝が挟まりもがくような声が言った。
「お前らは、地上に這いつくばって死ぬまで、その場所からは動くことは出来ぬ。偉そうにぶよぶよと肥え太り繁殖してはいるが。また、うごめく虫共の腹に収まり土に還る。それが運命じゃ」
苛立ちは見えぬ者だけにあるのではない。
レツも心の底から腹立たしさが湧き上がっていたが爆発させるほど愚かではない。
しかし、かなりぞんざいな物言いにはなる。
「死して土に返ることなど恐れぬ。肉や血が虫の腹に納まろうともそれも由。だがそなたらの意図を読み予言するものが私のそばには居る。我は予言など信じぬ。だが信じぬわけに行かぬことがあまりある。それは予言する者の意志ではなく空から降る詔。すなわちそなた等の意図するもの」
言葉に苛立ちが出ては居ないか気にはなったが、
レツから声を荒げて挑んだのではないと開き直る。
「我等の心を読めるものはいない。だがわれ等の心はそこいらにある。われ等の言葉に耳を傾けて、古い昔話に一人ここまでたどり着いた生き物が居た。われ等の意志、我等が作った道を辿りここまでやってきたが、それももう、土になり風に舞って。姿を変えている」
若い張りのある声は昔を懐かしみ、遠くを見ているように話している。