転生者、黒淵深志――見知らぬ仮面②
「君が!本当の魔王だったのか!」
黒淵は口元をわずかに歪める。笑みとは違う、感情の空洞がちらついた。
「いや。俺はただの転生者だ」
指先が動いた瞬間、地面が不気味に震える。
腐臭とともに無数のアンデッドが地を割って現れ、四方から勇者たちを包囲する。
その体躯はただの骸とは異なり、魔力に強化された異形の兵隊。
黒淵は雑談でも始めるかのような口調で、まるで退屈を紛らわせるかのように言った。「魔王は死んだ。お前たちが殺したんだ。人類の勝利だよ。それは間違いない」
黒淵は淡々と告げながら、周囲に蠢くアンデッドへと瘴気を送り込んだ。
その腐った兵たちの身体がさらに膨れ上がり、眼窩に不気味な紅が灯る。異常に強化されたアンデッドの兵士たちが一斉に襲い掛かった。
だがアレスは一歩も退かない。
雷神の力が剣に宿り、稲光のように奔る。次の瞬間――
「《バアル》!」
雷鳴が裂け、雷光が奔り、アレスを中心に爆発的な衝撃波が広がった。
無数のアンデッドが焼き払われ、炭のように崩れ落ちる。
生まれた空間へ、アレスが疾風のごとく踏み込み、黒淵へと肉薄する。
一閃――雷光を纏った剣が唸り、黒淵の胸元を狙って振り下ろされる。
しかし、黒淵はそれをいなし、冷静に刃を受けた。
金属音が弾け、黒淵は闇の靄のような魔力が逆巻かせる。
そして黒淵はふいに一歩後退し――
そのまま自身の身体を闇に溶かすように、姿を消した。
「逃がすか!」
アレスがすぐさま追撃し、闇の渦へと踏み込む。
しかしその瞬間、地面が歪み、周囲の影が膨張する。
無数のアンデッドが闇の中から這い上がる。怨嗟の声を上げて、本能のままにアレスへと群がっていく。
「くそっ!」
だが強化されているとはいっても所詮は骸の群れ。
ヒースが二剣で切り裂き、アリシアが氷の魔法で足止めし、タリクの祈りによりアンデッドたちは次々に消滅していく。
しかし――
黒淵の姿がどこにも見当たらない。
空間の奥を探る一行が、ふと気配に気づく。
背後から――詠唱の声。
「――堕落の檻」
濃密な瘴気が瞬く間に広がり、空気の質が変わった。
吐息が重くなり、膝に力が入らなくなる。
アレスが膝を折り、そのまま崩れ落ちる。
立ち上がろうとするも、手足が鉛のように重く――力が、入らない。
仲間たちも次々に倒れこみ、呻く。
そこへ畳みかけるように、黒淵の声が降りる。
「地に縛れ――影縫い《かげぬい》」
勇者たちの影が、地面に釘付けされるように引き裂かれ、動きを封じ込められた。
その空間に響くのは、微かな苦悶の吐息と、影を縫いつける闇の囁きだけだった。
「ぐっ……!」
アレスが呻く。
黒淵がゆっくりと彼らの方へ歩み寄る。
言葉の調子は軽いが、その裏に滲む絶対者の冷ややかさが空間をさらに圧迫する。
「ようやく捕まえたよ。まったく――手こずらせてくれる」
一拍置いて、皮肉を滲ませる。
「さすがは勇者。人類の最高戦力。……正直、二度と戦いたくないもんだ」
その台詞とは裏腹に、この一連の戦いは終始黒淵のペース。それどころか余裕すら残っていた。
「グレイブさん……!」
アリシアが声を絞り出す。拘束されたまま、潤んだ瞳で黒淵を見つめる。
「私は……あなたが悪いことをする人だとは思えません! どうしてこんなことを……!」
黒淵が一度だけ目を閉じ、ふっと笑う。だがその笑みには熱がない。
「泣きそうな顔するなよ、アリシア。俺の方が泣きたくなる――結構、ショックだったよ。あの炎、危うく殺されるかと思った」
冗談めかした声色に笑いが混じり、言葉でアリシアの心を抉る。
笑いながらも凍った目で、黒淵は感情の起伏すら手放したように、平坦な声で続ける。
「勝手にやって、勝手に終わらせるさ。お前たちはいくらでも俺を恨んでいい。その権利くらいはある」
「……これからどうするつもりだ」
アレスの問いに、黒淵はしばし宙を見つめ、答える。
「それを説明する意味もないんだが、そうだな。まあ、今となっては少し教えてもいいか」
その口調はあくまでも軽く、まるで世間話の延長だった。
「周囲一帯の人々を皆殺しにして、この国そのものを滅ぼす。跡形もない荒野に変えた後、少しばかり感傷に浸って終わりだ。簡単だろう?」
「……‼」
冷え切った空気がさらに凍る。
だが黒淵は続ける。冷静に、静かに――それが決定した事実であるかのように。
「それ以上するつもりもないし、それ以下でもない。際限なく破壊と殺戮を行った歴代の一部転生者の所業に比べれば、多少はましだと思うんだがな」
そして、自嘲を含んだ笑みが、口の端にわずかに滲んだ。
「――ってだからなんだって話か。それはそうだ。無駄なことを言った。我ながら半端者だよ、まったく」
黒淵の言葉が空間に沈み込んだ瞬間、タリクの声が震えた。
「あなたは……なにも思わないのですか……?まるで他人事のように……おかしいでしょう……!国を滅ぼすことに、この国の人々の多くを死に追いやることに何の罪悪感も、痛みも感じないというのですか……?」
その声には、怒りよりも哀しみが滲んでいた。痛切な糾弾に、しかし黒淵はあっさりと頷いた。
「思うな。だけど、仕方ない。この国が嫌いなんだ。どうしてもな。可能な限り、犠牲がでないように手を尽くすが――しかしまあ死んでもらう他ないだろうな。神のような全知全能でない俺の限界だ」
「……なぜ、そんな……!あなたは……!狂っている……!」
タリクは、声を絞り出すように言った。
だが黒淵は、肩をすくめて軽く笑った。その笑みには、開き直りでも、勝利の誇りでもない。ただ、壊れかけた人間が最後に残した、乾いた感情の残滓があった。
「ははは。確かに。一応言っておくと、まともな人間は転生者にならない。俺の経験則だ」
感情が欠落した声色で、黒淵は言葉を続ける。
「大丈夫だ。お前たちはすぐに殺したりはしない。なんなら命乞い次第では助けてやってもいい。まあ、今は時間がないからただ少しだけ眠ってもらう必要はあるが――」
その言葉が終わるか否かの瞬間――
カッ、と空間がまばゆい光に満たされた。
まるで夜を裂く稲妻のように、純白の奔流が黒淵を包み、黒淵は咄嗟に腕で視界を覆う。
光が収まり、闇が戻った頃には――そこにいたはずの勇者たちの姿は、どこにもなかった。
あたりは静まり返り、焼け焦げた空気が空間に残されている。
黒淵は目を細め、肩をすくめるように息を吐いた。
「……精霊王イリス、か」
遠くを眺めながら、苦笑めいたため息が漏れる。
「相変わらず隠れることと逃げることは得意なようだ――やれやれ。そう簡単にいかないか」




