魔法使いアリシア
やがて――光は収まった。
周囲一帯は荒野と化していた。グランナレフ城の影すら残っていない。大地は抉れ、焼け、ただの更地となっていた。
グレイブの生み出したアンデッドはもういない。無限に湧き出た闇すらなく、跡形もなく、消え果てていた。
荒野の中心でグレイブは一人立ち尽くしていた。
闇が晴れ、黄昏に染まった空が広がる。
グレイブは肩で息をしながら周囲を見渡した。
何も残ってはいない。凄まじい破壊が大地を丸ごと削り、乾ききった風が吹きすさぶ。
ふいに咳き込み、押さえた手から血が溢れた。
何度も咳き込むたび、こぼれた血が大地を赤黒く染める。
「……」
無言で流れる血を見つめ、グレイブは口元を拭う。
不死といえども、その大魔法のあまりに大きすぎるエネルギーの負荷に自身の身体が耐えられなかった。四肢こそ残されていたが、皮膚はいたるところが破け、絶え間ない激痛がグレイブを襲う。
再生の力はもう失われ、流れ続ける血が、彼の命を刻一刻と削っていく。
「……死んだか」
乾いた呟きをグレイブは一人漏らす。
勝者の出す声の響きとしては虚しくありすぎた。
しかし、直後、微かな生命の気配に、グレイブは顔を上げた。
「……」
深く息を吐き、その気配へ歩み寄る。
「あの魔法を受けてまだ、息があるとはな……」
ばらばらに倒れるアレスたち四人の前に辿り着き、グレイブは静かに呟いた。
「……竜王の加護、か」
手の甲から消えゆく加護の残滓。それが彼らの命を繋ぎとめたのだと理解する。
だが、彼らは気を失い、抵抗する力はない。なら――
――とどめを刺すだけだ。
グレイブが歩き始めたその時だった。
アリシアが立ち上がったのだった。
グレイブは眼を見開いた。
あの破滅の魔法を受け身体が残っているだけでも奇跡。竜王の加護も気休めにもならない。周囲一帯を荒野に変えた力はグレイブを残してあらゆる生物は死に絶えるはずだ。
にも拘わらず――アリシアは立っていた。
全身血だらけ。右目は血に染まり閉じられ、左腕は力なく垂れ下がり、足は震え、立つだけで精一杯。
それでも、その眼光だけは鋭く燃えていた。
グレイブは驚きを収め、静かに笑う。
「いい闘志だな」
アリシアは無言で杖を構える。
「よく生きていた。――だが、そうか」
アリシアの魔力量が極端に減っていることを見て取り、グレイブは納得したように頷く。
「衝撃を受ける瞬間、お前の魔力を一気に解き放って相殺した――そういうことか」
「……違います」
「違う?」
アリシアは震える声で、それでもはっきりと言った。
「私だけの力ではありません。タリクさんが死力を尽くして防いだから。アレスさんが身を挺して守ったから。ヒースさんが最後まで私の前に立っていたから。私は……立ち上がれたんです……!」
激しい言葉を吐き、アリシアは己を責めるように言う。
「そうやっていつも守られてきたんです……!弱い、私は……!」
胸を抑えるようにうつむいたアリシアが顔を上げて言う。
「だから――!」
アリシアは杖を握りしめ、叫ぶ。その語気に自分の感情をありったけのせて。
「今度は私の番です!この命ある限り!アレスさんたちを私が守る!なにがあっても!絶対にです‼」
アリシアの杖から紅蓮の炎が生まれる。
割れた大地からも火が立ち昇り、アリシアの決意に呼応するように燃え盛った。
「…………」
その宣言を黙って聞いていたグレイブが、静かに口を開く。
「一応、言っておくが、アリシア」
足元に闇を広げながら、穏やかな声で。
「俺はお前を弱いと思ったことはない」
目を見張るアリシア。続けてグレイブは言う。
「お前の仲間も、そう思っているはずだ」
アリシアが目を潤ませる。その言葉が心からの声だと知って。
しかし――その相手は、倒さなければならない敵という悲しみが胸を満たして。
アリシアは涙を拭うことなく、燃える瞳でグレイブを睨み返し、詠唱を行う。
「濁りなき原初の炎よ。神をも焼き尽くす灼熱の炎よ。汝の炎は、暗き闇を照らし、善悪の区別なく触れるすべてを燃やす純然たる力の象徴。されば、我は求む、汝の力を!この混沌の闇を打ち祓う炎神の焔を!我を糧として、ここに荒ぶる力を我に委ねたまえ――」
アリシアの周囲に魔法陣が無数に展開し、炎が空へ、大地へ、奔流のように広がって、美しくも荒々しく舞い散る。
「……光なき深淵に潜む冥府の闇。空しく木霊する亡者たちの怨嗟。循環する呪詛、終わりえぬ苦痛の連鎖。救いなき地獄の影よ。形なき魂の叫びよ。顕現せよ。その悪意を、呪いをもって現世に残滓に過ぎぬ汝らの爪痕を今ここで刻め――」
グレイブの詠唱とともに彼の足元に闇が生まれ、広がる。どこまでも深く、暗い闇が炎を飲み込もうと空に手を伸ばす。
「炎神の灼滅界‼」
「……深淵の地獄」
二つの世界が衝突した。
炎が闇を焼き、闇が炎を呑み、互いを滅ぼそうと咆哮する。
アリシアは炎の化身のように輝き、グレイブは闇の王としてその光を受け止める。
「放て《バースト》‼」
無数の魔法陣から灼熱の奔流が放たれ、視界を埋め尽くす炎が闇へ襲いかかる。
闇もまた牙を剥き、炎へと食らいつく。
爆ぜる火花が空を染め、大地を抉る。
神話のような規格外の魔法戦。互いに複雑に絡み合い、乱れるように無数の炎と闇が食らいあう様は地獄のごとき凄惨な光景だった。
すべてを解き放ち、死力を尽くしてアリシアは炎を操り、絶え間ない攻撃を繰り出す。
その炎をグレイブは生み出した闇で迎え撃つ。
己のすべてを燃やし尽くすような輝きを放つアリシア。
それを闇の中からグレイブは眩しそうに眼を細めて見つめる。
アレスたちと様々な冒険をしてきたアリシア。得意とする炎の魔法であらゆる魔物を討伐してきた彼女の二つ名は――『赤滅の魔女』。この戦いはその二つ名を飾る最後の戦いにふさわしいものだった。
「炎神の鉄槌‼」
アリシアの叫びとともに天空から巨大な炎が現れる。それは太陽のようであり、しかし、それ以上の熱量をもって、遠く離れた大地をもその熱で焦がす。
「死神の右手」
闇より現れた巨大な骨の手が炎へと伸びていく。
それはあらゆる生の輝きを憎む奈落の死神の憎悪そのもの。
触れた命のことごとくを握りつぶしてきた右手は、凄まじい瘴気を纏って、その炎に手を伸ばす。
ぶつかり合う炎と闇。空気が震えるほどの衝撃があたりに広がる。
「っ……く……!」
「……」
「――あああああああああああああああああっ‼」
アリシアの叫びとともに炎がより大きく燃え上がる。拮抗した炎と闇は、その瞬間をもって、天秤が傾き、死神の右手は耐えきれず、炎に飲まれて打ち砕かれた。
炎がグレイブの目の前に迫る。飲み込もうとしたその瞬間。
グレイブの目前で炎がかき消える。
同時に、アリシアが地面に手をついた。
大量に汗を流し、肩で息をしながら、定まらない目に戦意をともして、グレイブをにらむ。
しかし、すでに戦う力は残されていない。
あの一撃で彼女の魔力は完全に尽きていた。
息を切らし、それでも立ち上がろうとアリシアは足掻く。
「どうして……私は……」
悔しさと無力感が混ざった声が、かすれた息とともに漏れた。
アリシアの瞳に涙が滲み、視界が揺らぐ。
そのまま糸が切れたように意識が途切れ、地面へ崩れ落ちた。




