人類の希望――四人の勇者たち
グランナレフ王国、その王都にそびえるグランナレフ城――かつてこの世界に記録上初めて転生者が現れた地にして、そしてその者によって築かれたとされる伝説の城。
その伝説に惹かれたためか、はたまた運命の導きか。以降も数々の転生者がこの地を訪れ、転生者のもたらす様々な恩恵を受けて繁栄を築いてきた。
まさに転生者の歴史そのものというべきこの地は、今未曾有の熱狂に包まれていた。
城の麓に広がる城下町、その中心を貫く石畳の大通りは、壮麗な城を背景に、多くの人々が押し寄せ、大通りを歩む四人組の一党にあらん限りの声に想いを乗せて声援を送る。
「勇者様あああああああっ‼」
「人類の希望はお前たちに任せたぞおおおおっ‼」
「魔王を倒してくれえええっ‼」
大気が震えるほどの歓声と激励を受けながら、一党は人々の声に手を振って応える。
その一党の一人、銀髪の少女が「すごい……」とエメラルドの瞳をわずかに見開き、小さく呟いた。
少し年季の入った深い紺の帽子をかぶり、同じ色合いの長いローブ。地味な装いとそのあどけなさから見習い魔法使いの印象を漂わせていた。しかし、その身に宿る魔力量は桁外れで、察する者がいれば思わず息を呑んだことだろう。
少女は帽子の端をそっと持ち上げて、感心したように言葉を継いだ。
「ほんとうにすごい熱狂ですね。こんなに多くの人見たことありません」
「それだけ期待されているということだ」
人の背丈の半分ほどしかない小人族の青年が硬い表情を崩さず答えた。その小さな背中には、二刀流の剣士である彼の二振りの剣が交差して背負われていた。その身の丈に対してあまりに長く、常人が背負えば滑稽にも映りかねない二振りの剣――だが、歴戦の彼が身につけると、不思議なほど自然に収まって見えた。
ほーっと眺める少女を「アリシア」とたしなめるように小人族の男が言う。
「他人事ではないぞ。その期待の先にお前もいるのだから」
「ふふ。それを言うならあなたもですよ、ヒースさん」
小人族のヒースが照れ隠しのように不器用にふんと鼻を鳴らした。口にするまでもない、彼の態度がそう言っていた。
「これまでの旅で我々も有名になりましたからね。――見てください。人々の顔に期待はあっても不安はない。いいことです」
黒を基調とした法衣を身にまとう長身の青年――タリクが穏やかな顔で人々の姿を静かに見渡しながら言う。
手には、黒檀の短杖。先端には円環があしらわれており、それは聖職者の証であると同時に、循環と永劫を象徴する意匠だった。
同じ円環の意匠が施された金環のネックレスが、彼の首元に静かに輝いている。それは位階の高い聖職者にのみ授けられる聖具であり、質素な装いの中にあって、ひときわ神聖な光を放っていた。
その神に仕える忠実な僕である彼の種族はエルフ。髪の間から覗く、少し長く伸びた耳がその証だ。長い寿命を持つ種族である彼らの見た目は若々しくともその実年齢は人の数倍は長い。
実際、この一党の中で最年長であり、年の功ということもあってか、彼の所作には自然と品格と落ち着きが滲んでいた。
人々の表情を見つめる彼の瞳には、慈愛が宿っていた――だが、次の瞬間、そこにかすかな影が差す。
続く言葉は、周囲に聞かれることを避けるよう、ごく低く、仲間だけが拾える声量に抑えられていた。
「逆に言えば、もし私たちが敗北すれば、人々は絶望に落ちるでしょう。ゆえにこの戦いは負けられません。無論、私たちも負けるつもりは毛頭ありませんが、その意味を心にとめておくべきでしょうね」
アリシアも真面目な顔つきでタリクの言葉に頷いた。わずかに空気が引き締まる。そして、タリクはしめやかに言葉を結んだ。
「この一戦の勝敗が、運命そのものを左右する。そう思えば……これは、博打ですね」
「おい」
眉をひそめたヒースが即座に反応した。
「今、博打なんて言うな。真面目なつもりでもギャンブル中毒者に言われると調子が狂う」
その一言にアリシアが思わず小さく吹き出し、すまし顔だったタリクは聖職者らしからぬ茶目っ気を滲ませて朗らかに笑った。
「いやあ、そう言った方がかっこいいかなと思いまして」
「今更格好もなにもあるか。有り金すべてを失って負け帰ったお前の姿を何度見たことか」
「いやはや、その節はお見苦しいところをお見せしました。ですが、あれは信者との交流であり、そして貧しき者への寄付なのです。少なくとも私はそう信じています」
お約束事の言い訳にヒースが大きなため息をつく。
「いつも言っているがな。その理屈、ほかの神官には通用しないぞ。――まったく、なんでお前みたいなのが、坊主になったのだか」
ふふと笑いながら、アリシアが一党の先頭を歩く青年に目を向けた。
引き締まった細身の体躯に、真っすぐな眼差しと爽やかな笑顔。アレスは、威厳と穏やかさを併せ持つ好青年の姿そのままに、人々の声援に手を振って応えている。
絶望の象徴たる魔王に挑むというのに、彼の顔には怯えも焦りもなく、むしろ澄んだ表情に揺るぎない決意と希望の光を宿している。人々に安心と希望を与える佇まいだった。
かつての偉人にあやかって授けられた称号――『勇者』。その名を冠するこの青年の名はアレスといった。
何も初めから勇者だったわけではない。
どこにでもあるような平凡な家庭に生まれ、平凡な村で育ったただの少年だった。物語で読んだ伝説の勇者にあこがれて剣を振り回していたことはあったが、ただそれだけのこと。どこにでもいるような子供の遊びの域を超えず育っていった。
やがて、戦いの才を見込まれ、村の外に出る仕事を任されるようになった彼は、数奇な巡り合わせの中で仲間と出会い、旅を始め、世界各地を巡って幾多の試練を越えてきた。
行く先々で強大な魔物に立ち向かい、命を賭して人々を救い続けたその歩みに心打たれなかった者はいない。
信頼する仲間とともに、誰かのために戦い続けるアレスの背に人々はこれ以上ない希望を見たのだった。
そして今――アレスたちは魔王討伐の時を迎えるに至った。
人々の応援の列が途切れた合間を見て、アリシアが「アレスさん」と声をかけた。
「勝ちたいですね」
「ああ」
その短くも力強い答えにほかの面々も同様に力強く頷きを返す。仲間との間に余計な励ましは不要だった。不安なんて微塵もない。自分たちならばできる。その思いはみな同じだった。
その時だった。ふいにアレスの視界の端に見知った男の顔が映った。
「ちょっと待っていてくれないか」
仲間に断って、アレスは人々の注意を惹かないように気配を消して飛び出した。気を利かしたアリシアに隠密の魔法をかけてもらったこともあって、少し群衆から外れた場所にいた男に近づくのは容易にすんだ。
「やあ、グレイブ」
アレスが声をかけると、グレイブと呼ばれた男が「アレスさん」と少し驚いたような顔を見せた。
黒髪黒目の地味な身なりをした目立たぬ姿の男。脱力しきったような彼の陰気な声はこの熱狂と対照的で、彼の周囲だけ不思議と別世界にいるかのような感覚をアレスは受けた。
「ここで会えるとは思わなかった。もしかして見送りに来てくれたのか?」
「見送りに……まあ、そんなところですね。少し顔を見ておこうと思いまして」
そして少しだけ頬の端を歪めて、
「それで来たら、まさかあの勇者様にわざわざ直接お話に来られるとは。思いもよりませんでしたよ」
「勇者様はやめてくれよ。正直苦手なんだ」
とアレスは苦笑した。
「俺も君に会えるとは思わなかった。本当にいつもいいタイミングで顔を出す。――ラダ火山のドラゴン退治のことを覚えているか?あの時、君が弱点である逆鱗の位置を教えてくれたから九死に一生得て、勝つことができたんだ」
「そんなこともありましたね。でも、アレスさんの力があってこそですよ。私のような普通の人間にはその情報があったところでどうにもできません」
「そんなこと言うなよ。けど、今思えば本当にいろいろあったな。失われた宝玉のありかや山賊の根城の情報を教えてくれたり、物資が不足していた先で現れては格安で譲ってくれたり。キーエルの町で魔物の大群に襲われて死にかけたことも懐かしい気がする」
「ありましたね。お互いよくここまで生きていたものです」
どこか懐かしむように遠い目をしてしみじみと言うグレイブにアレスが愉快そうに笑った。
「どれも君のおかげで助かった――今回は相手があの魔王だ。正直、どれほど厳しい戦いになるかわからない。何かいい情報はもっていないか?君なら、何か知っていることがあるんじゃないかと思ってね」
グレイブは首を振った。
「……いえ、特には。今回の戦いで私からできることはありません」
少しの間、沈黙の時間があってふとグレイブが尋ねた。
「魔王はどんな相手かご存知ですか?」
アレスは目を瞬かせる。
「いや、知らない。分かるのはただ一つ――転生者ということだ」
「付け加えるならば」とタリクが姿を見せた。
「魔に連なる獣を操るということです。人とは相容れない血に飢えた獣を統率する魔の王、最悪の魔王と人は呼びます」
「転生者はその性質次第で福にも禍にもなります。世界を混乱の極致に陥れた魔物の力はまさに災厄そのもの。その犠牲は、歴史上でも群を抜いて多いです」
アリシアが憂い顔で言う。
「だが、それもこの戦いで決着がつく。俺たちが勝てば、世界に平和が訪れる。違うか?」
「違わないとも。この戦いに世界の命運がかかっているんだ」
ヒースの言葉にアレスが力強く応じる。アレスの力強く握りしめられた拳に仲間たちが手を重ねた。
「いい仲間に巡り会えましたね、アレスさん」
とグレイブはしみじみと言う。アレスが少し照れ臭い笑みを浮かべると、グレイブが寂しさに苦味を帯びた顔で、
「転生者の魔王にそういった人はいなかったのでしょう」
と誰に聞かせるでもないような口調で言った。
アレスたちは不思議そうな顔をした。魔王を憎むものがほとんどのこの世の中において、物寂しく憐れむような言い方が意外だったのだ。
その真意を問うより先にグレイブが言う。
「私から言えるのはただ一つです。――どうか……ご無事で」




