絶望の闇波、されど勇者の心は折れず
仲間たちが驚愕で目を見開く。
現れたのは、中位死霊――彷徨う影の刈人。半透明の身体にぼろきれを纏い、大鎌を携えた気配の薄い幽霊がヒースに致命の一撃を与えた。
不吉な光を帯びた大鎌。その鋭い刃の先端から、赤い血が滴り落ちる。
ヒースが呻き、血の塊を吐き出す。
「ヒースさん!」
悲鳴のような声を上げ、アリシアが魔法を放つ。
――氷霜の剣。
魔法によって作られた五本の氷の剣が空を裂き、ゴースト・リーパーの身体を穿つ。
幽霊は声もなく、霧のように崩れ、大鎌とともに消滅した。
自由を取り戻したヒースに、タリクがすかさず駆け寄って治癒の術を施す。
「癒しの光よ!超回復‼」
タリクのかざした右手から聖なる光がヒースの身体を包み込み、傷を癒していく。
死に瀕していたヒースの顔色が、徐々に生気を取り戻す。
「……助かった!」
ヒースがゆっくりと立ち上がる。
その視線の先には、闇より湧き出す無数のアンデッド。
闇から際限なく現れた亡者たちが傷つき弱ったヒースたちを死に引きずり込もうと手を伸ばす。
「緋焔の奔流‼」
空を飛び、遥か上空からアリシアが魔炎を放つ。灼熱の炎が地上に降り注いでアンデッドの群れを焼き払い、その残骸が灰となって空を舞う。
アリシアは振り返り、焦燥を滲ませた声を投げかける。
「大丈夫ですか⁉」
空飛ぶアリシアをわずかに見上げ、口元の血をぬぐいながらヒースが答える。
「心配するな。少し油断しただけだ。次はない」
アリシアは安堵の笑みを浮かべ、「よかったです」と言うと、再び炎を操り戦場へと意識を戻す。
タリクが回復の術を続けながら、肩をすくめた。
「頼みますよ。本当にひやひやしましたからね」
「ぬかせ。この程度、いつものことだろ――」
その瞬間、ヒースの笑みが凍りついた。
なぜか――闇より這い出た巨大な黒い手がすぐそこに迫っていたのだ。
――悪魔の右手。
アンデッドの群れに紛れ、音もなく息を潜めていた呪詛の具現。それが獲物を前にして歓喜するかのように強烈な死の意志を振りまく。
ヒースの回復に集中していたタリクが、反応の遅れに顔を歪めながら結界を張ろうとする。
だが、その表情が語っていた――間に合わない。
「させません‼」
死の気配を断ち切るような鋭い声が空間を裂いた。
その声の主は精霊王イリス。彼女は光の奔流を纏って、ヒースたちの前へと躍り出ると、すかさず結界を展開する。
闇と光が激突し、空間が軋む。
凄まじい闇の力に、光の結界が悲鳴のような音を立てる。
「くっ……!」
イリスが苦しげに息を漏らす。
「加勢します!」
タリクが術式を重ね、結界に力を注ぎ込む。
光がさらに輝きを増し、悪魔の右手は結界に阻まれてついに消滅した。
その様子に、ユーゲルが舌打ちをした。
『仕留めそこなったか。しぶとい小僧だ』
そう言いながらも、ユーゲルの肩は愉快そうに揺れていた。
それは、アレスたちを敵としてすら認識していない者の余裕――まるで、退屈な遊戯の延長に過ぎないとでも言いたげな態度だった。
その間にもユーゲルの周囲に渦巻く闇の魔力はさらに濃密さを増し、地を這うように広がっていく。地の底から湧き上がるアンデッドが、怨嗟の声を重ねながら辺りを埋め尽くし、屍竜が低く唸り声を上げて、アレスたちを見下ろす。
闇は弱まるどころか、より深く、より暗く、空気そのものを染め上げていく。
イリスは喉を鳴らし、つばを飲み込む。
あまりに巨大な闇の力――その圧に、思わず気圧される。
「《バアル》‼」
アレスの剣が輝きを放ち、雷撃が闇を裂くように走る。
その閃光はアンデッドを焼き尽くし、一直線にユーゲルへと向かう――
だが、触れる寸前で弾かれた。
まるで見えない壁に阻まれたかのように、雷は霧散する。
『無駄だ。私にお前たちの攻撃は通らない』
「なんだと……?」
イリスが険しい顔で問いかける。
「それは――あなたが隠し持つその力のためですか……!」
『ほう、気づいたか。さすがは精霊王。目だけは確かなようだ』
ユーゲルは満足げに笑みを浮かべ、懐から一つの宝玉を取り出す。
それは、光を飲み込むような深淵の黒に染まった宝玉。
彼はそれを高く掲げ、誇らしげに言い放つ。
『見よ!これこそが我が王より与えられた力だ!』
宝玉を中心に闇の魔力が渦を巻き、波のように周囲へと広がっていく。
その力に呼応するように、ドラゴンの傷がみるみる癒え、その身体はより巨大に、より禍々しく変貌し、咆哮を轟かせる。
『無限に湧き上がる闇の力が我らを強化し、お前たちの魔法もすべて無に帰す――理解したか。彼我の実力差を。お前たちに勝ち目はない。万が一にもな』
ユーゲルの哄笑が、闇の中に響き渡る。
それは、圧倒的な力を持つ者にしか許されない傲慢。
絶対の響きをもって、力なき者を絶望へと突き落とす――死の宣告。
だが――ここにいるのは、魔王を討ち果たした者たちだった。
「アレス。奴をどう思う?」
ヒースが静かに問いかける。
その声には、怒りも焦りもない。ただ、確かな信念が宿っていた。
アレスは一瞬だけユーゲルを見据え、短く答える。
「強いね。だけど――」
その瞳に宿る光が、闇を拒むように鋭く輝いた。
「魔王ほどじゃない」
その言葉に、仲間たちが無言で、しかし力強く頷いた。
『……今、なんと言った?』
ユーゲルの声が低く唸る。信じがたい言葉に、耳を疑ったのだろう。
アレスは一歩踏み出し、剣を構える。
その刃に雷光が奔り、空気が震える。
彼の声が、雷鳴のように闇を裂いた。
「勝つ!そう言ったんだ‼」
闇がざわめき、空間が軋む。怒りの奔流が世界を揺らす。
そして、静寂を破るように、ユーゲルの哄笑が爆ぜた。
『くっくっく……ははははははははっ‼』
その笑いは狂気を孕んでいた。
『笑わせてくれる。この力を前に、勝つと?あまりの力の差に、理解が追い付かないのか。それとも気でも触れたのか』
笑いを収めたユーゲルの声。それが怒気とともに一気に爆発する。
『ふざけるなあああああああああああああっ‼』
大気が震え、地が軋む。怒りが世界そのものを揺るがす。
『我が王の力を侮辱するに等しい言葉であるぞ‼いくら身の程を弁えぬ勇者どもといえど、決して許されることではない‼その罪、万死に値する‼』
「だからどうした‼俺たちは死なない‼ここで負けるわけにはいかないんだ‼」
『貴様あああああああああああああああああああっ‼』
怒声が爆ぜ、闇が咆哮する。だが、アレスは一歩も退かない。




