黒き狂信者の侵略②
「……!」
周囲を見渡すリッチーの視線が、遠くの影を捉える。
そこには、妖精――フェリリアがいた。
彼女は檻の鍵を開け、精霊たちを逃がしていたのだ。
「森の奥へ急ぎなさい!イリス様が来られるまで、決して姿を現してはなりません!」
蜘蛛の子を散らすように、精霊たちは森の闇へと消えていく。
リッチーは空を掴んだ自らの手を見つめ、それからフェリリアへとゆっくりと視線を移した。
『貴様……風の精霊――シルフか。私を欺くとは、高度な幻術だな。だが――』
「暴風の刃!」
フェリリアの杖が風を裂いた瞬間、空気が唸りを上げる。
無数の風の刃が、嵐のようにリッチーたちへと襲いかかった。
骨が砕け、スケルトンの身体が粉々に散る。
腐肉を纏ったグールは、刃の奔流に切り刻まれ、原型を失って崩れ落ちる。
風の精霊の怒りが形となって、敵を容赦なく薙ぎ払っていく。
だが――
リッチーは腕をひと振りしただけだった。
その動作は、まるで煩わしい埃を払うかのように軽い。
次の瞬間、風の刃は霧のように消え失せ、空気は静寂を取り戻す。
『それだけか。その程度の力で、私に歯向かうつもりか?』
その声には、嘲りと退屈が滲んでいた。
フェリリアは小さくつばを飲み込む。
わずかな交戦の中で、彼女は痛感する――自分がリッチーと比べ、いかに格下であるかを。
「……どうやってここに?」
『どうやって、だと?』
リッチーは心底愉快そうに、口元を歪ませる。
その笑みはやがて、空気を震わせるほどの邪悪な笑声へと変わった。
フェリリアは杖を突きつけ、怒りを込めて問いただす。
「なにがおかしい……!」
『ならば問おう。なぜこの精霊界が不可侵の聖域だと錯覚していた?』
「……!」
リッチーが一歩、地を踏みしめる。
その足元から黒い炎が噴き上がり、草木を焼き焦がしていく。
炎は音もなく広がり、まるで森そのものが悲鳴を上げるように揺らいだ。
『我が王の力を持ってすれば実に容易いことだ。貴様らがいかな小賢しい術でこの地を隠そうとも、我が王の前には無意味に等しい』
「ありえない……!いくら転生者でも――」
フェリリアの声が震える。
その言葉に、リッチーは再び笑声を放った。
『なぜそう思った!誰が決めた!』
両手を大きく広げ高らかにリッチーは言った。
『すべて幻想だ!妄想だ!貴様らのな!』
そして、リッチーが呪文を唱える。
『召喚・低位死霊!』
闇が広がり、無数のアンデッドが地の底から這い出す。
腐肉を纏ったグール、骨だけのスケルトン、様々な亡者たちが汚れた産声を上げ、森の空気を濁らせる。
『黒焔‼』
リッチーが杖を振りかざすと、黒い炎が咆哮のように森へと放たれた。
「なっ……!」
フェリリアが驚愕の声を上げるが、止める間もなく、黒焔は森を飲み込む。
炎は木々を焼き尽くし、枝葉は悲鳴のような音を立てて崩れ落ちる。
リッチーは号令をかけた。
『森ごとを燃やせ‼精霊どもをいぶりだすのだ!』
弓を持ったスケルトンたちが火矢を放ち、空を赤く染める。
残るアンデッドたちは、呻き声を上げながら森の奥へとなだれ込み、精霊を探し始めた。
「やめてえええええええええええええええっ‼」
フェリリアの絶叫が風を呼び、炎を巻き上げ、アンデッドを切り裂く。彼女の魔風が火矢を吹き消し、骸を弾き飛ばす。しかし、炎はなおも森を貪り、枝葉を焦がしながら広がっていく。
リッチーは狂気に満ちた笑い声を響かせた。
『はははははは‼ いいぞ、その悲鳴!我が王に聞かせてやりたいほどだ!……だが、背中ががら空きだぞ?』
「……⁈」
フェリリアの足首を、腐った手が掴む。グールが眼窩に底知れぬ憎悪と欲望を宿し、歪んだ笑みを浮かべていた。
次の瞬間、スケルトンが彼女の背に覆いかぶさる。フェリリアは振り払おうとするが、もう遅かった。アンデッドたちは次々と彼女の身体を押さえつけ、黒い泥のように絡みついてくる。
彼女の叫びは、炎のざわめきにかき消されながらも、苦痛と恐怖に満ちていた。リッチーはその声に酔いしれ、笑い続ける。
『殺すなよ。その精霊は我が王への極上の献上品となるのだからな』
「イリス、様……!」
フェリリアは目をぎゅっと閉じ、涙を一筋、頬に伝わせた。祈るように、誰かの名を呼びながら。
『聖風の恩寵!』
天から吹き降ろすような聖なる風が、さっと森を駆け抜ける。黒く燃え上がっていた炎は一瞬で鎮まり、風がアンデッドたちに触れた瞬間、腐肉は崩れ、骨は砕け、浄化の光に包まれながら風に溶けて消えた。
「フェリリア‼」
その声とともに、フェリリアの身体を優しく抱き上げる影が現れる。精霊王イリスが、静かに微笑みながら彼女を包み込んだ。
「イリス様……!」
フェリリアは安堵の笑みを浮かべ、力尽きるように気を失う。
イリスはその身体を魔法の風に乗せ、森の奥へと運びながら、一人残されたリッチーに、鋭く、険しい眼差しを向けた。
風は静まり、炎は消え、そして――決戦の気配が、森に満ちていく。




