黒き狂信者の侵略
穏やかな精霊界に、突如として不穏な風が吹き荒れた。
澄み渡っていた空気は赤黒く濁り、何もないはずの空間に、禍々しい亀裂が走る。
裂け目は呻くように広がり、闇の深淵から黒き裂け目が口を開けた。
そこから、腐臭を纏ったアンデッドの群れが、怒涛のごとく精霊界へとなだれ込む。
その中心に、一際豪奢な装束を纏った死者の魔法使い――リッチーが、骸の王者のごとく立っていた。
彼は身の丈ほどある長さの杖を高く掲げ、闇色の光を纏わせながら、号令を轟かせる。
『焔を解き放て――黒焔‼』
杖の先端が脈打つように輝き、黒き炎が空間を裂いて噴き上がる。
その炎は精霊界の清らかな自然を容赦なく焼き尽くし、命の気配を煤に変えていく。
スケルトンたちは狂気に満ちた笑い声を上げながら、火矢を無秩序に放ち、精霊たちは混乱と恐怖に包まれた。
『我が王は精霊どもの生贄を欲しておられる!お前たち、一匹残らず捉えよ!殺してはならん!それが王のご意向であるがゆえに!』
リッチーの声は空間を震わせるほどに高らかで、狂気と忠誠が混ざり合っていた。
すると、怯えた小さな精霊たちが彼のもとへと集まり、震える声で訴える。
「やめて……ひどいの、やめて」
「熱いの、嫌い……怖いの、嫌い……」
リッチーは骨と皮ばかりの顔に、歪んだ喜色を浮かべて嗤った。
『おお、愚かな精霊どもが自ら来るとは――殊勝なる心意気よ!その意志、我が王もお喜びになろう!丁重に捉えよ!傷一つ、つけるでない!』
その時――地を這う木の蔓が、突如としてリッチーの足元を絡め取った。
ぎりぎりと軋む音を立てながら、蔓は彼の骸の体を締め上げる。
怒りに満ちた巨木の精霊、トレントが姿を現し、根を振りかぶる。
その樹皮に刻まれた皺は、怒りの形相を浮かべていた。
「邪悪で下等なるアンデッドよ……!ここはお前たちの穢してよい場所ではない!――去れ!さもなくば、原型を留めぬほどに叩き潰す!」
その声は、森の怒りそのものだった。
だが、リッチーは一瞬沈黙し、次いで嗤う。
『私が……下等?この私が……?』
怒りが黒炎のように彼の内から噴き上がった。
『ふざけるなああ‼ このトレント風情がぁ‼』
リッチーの身を黒き焔が包み、蔓を焼き尽くす。
炎は音もなく蔓を灰に変え、トレントが苦悶の声を漏らす。
「ぐっ……!」
それでもトレントは怯まず、根を振り下ろそうとした。
だが――
その一撃は、見えざる結界に弾かれ、空を裂くだけに終わる。
『燃え尽きろ――獄炎‼』
リッチーの杖が闇色に輝き、地獄の焔がトレントを包み込む。
悲鳴すら飲み込むほどの業火。燃え盛る炎がその巨体を舐め尽くし、やがて灰となって崩れ落ちた。
リッチーは、無残に散ったトレントの灰を踏みつけながら、冷笑を浮かべる。
『だが、許すとしよう。所詮は精霊――生まれ持った半端な力に胡坐をかき、流れに身を任せ、人間ごときに従うだけの意志薄弱な愚物には、私の格など測れるはずもない』
そして、彼はゆっくりと跪いた。
その姿は、狂気と忠誠が混ざり合った異形の礼節。
『ああ、我が王よ……!どうかお許しください!あなたのご意向に背き、愚かな一匹を殺してしまいました……!』
やがて、リッチーは『さて』と呟きながら立ち上がり、檻へと視線を向ける。
アンデッドたちが用意した鉄の檻の中で、精霊たちは怯え、身を寄せ合いながら小刻みに震えていた。
『おお、おとなしくしていたか。有象無象の精霊どもといえど、物わかりのよい者は嫌いではない』
リッチーは檻の前に屈み、顔を近づける。
その瞳は、獲物を値踏みする捕食者のそれだった。
『だが……まだいるだろう。言え。仲間の居場所はどこだ』
『わからない……知らない……!』
精霊が必死に首を振ると、リッチーは身も凍るような息を吐き、声を低くしてすごんだ。
『早く言え。私の気は長くない。言わぬとお前もあのトレントと同じように消し炭に――』
精霊の首を掴もうとしたその手が、空を切った。
リッチーの目が見開かれる。
次の瞬間、檻の中の精霊たちの姿が、煙のようにかき消えた。




