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モンスターペイシェント(4)

 九月十五日金曜日の早朝、ナラの樹が生い茂る玉川上水の沿道を散歩していた女性から、北多摩中央警察署に、玉川上水の中に、男の人が倒れているという通報があった。

 その場所は、小平市小川町、北多摩総合病院の西側にある公園に接する玉川上水の高さ80センチほどの柵の中で、その男は既に死亡していた。

 北多摩中央署の刑事課係長の南は、鑑識課員とともに、玉川上水から引き揚げた死体を、検視官と一緒に覗き込んだ。

 二十代から三十代前半の年齢と思われるその死体は、短パンにTシャツ姿で、首の周りに赤黒い太さ3センチ程の跡があった。

「絞殺のようです。出血するほどの吉川(よしかわ)(せん)も見られますね」

 検視官の言葉に、南も「殺しですね」と応じ、死体に向かって合掌した。

 死体は、身元が判明出来る物は、身に着けておらず、身元不明のまま三鷹の医大に、司法解剖のため搬送された。

 死体発見現場の玉川上水に沿った遊歩道や、接している公園を、鑑識とともに入念に調べた南たちは、公園の一角に複数の靴跡があるのを見つけ、靴底跡を採取した。さらに現場周辺への聞き込みにより、公園北側の道路に停まっている黒いワンボックスカーが昨夜からあったことも判明した。練馬ナンバーのその車は、窓にスモークフィルムが貼られ、車内は見えなかった。

 

 北多摩中央署には、捜査本部が設置され、警視庁刑事部と近隣警察署からの応援も入り、総勢三十人弱の捜査員が配置され、捜査が開始された。

 練馬ナンバーの黒いワンボックスカーの所有者は、西池袋在住の中内(なかうち)(ゆう)(すけ)と分かったが、西池袋四丁目のアパートには不在で、本人との連絡は取れなかった。

 レッカーで北多摩中央署に運ばれた車の中からは、二つ折りの財布とともに、中内祐輔の免許証、さらにはスマートフォンも残されていた。

 車内から採取された指紋は、死体の指紋と一致したことから、絞殺死体は中内祐輔三十二歳と特定された。さらに、公園から採取された靴跡の一部が、中内が履いていたスニーカーの靴底の紋様と一致したことから、中内祐輔は何者かに公園で、太さ3センチ程の長く比較的柔らかい物で首を絞められ殺害され、玉川上水の柵の中に遺棄されたと推定された。

 死亡推定時刻は、死後硬直情況から死後十時間から十二時間経過しているとされ、昨夜の七時から九時の間とされた。

 翌日の捜査会議では、単独の犯行なのか、複数犯なのかは分からないが、行きずりの犯行とは考えにくい。被害者の勤め先の割り出しから、職場、友人を含めた交友関係に、怨恨や金銭のもつれがなかったか。所謂、鑑取りを早急に進める事。そして被害者が、何故西池袋から小平市小川のあの公園に来たのか。土地勘があったのか、呼び出されたのか、待ち合わせ場所だったのかを調べていく上で、公園周辺の聞き込みを徹底するよう指示された。

さらに、参考情報として、被害者のスマートフォンに通常の通信アプリの他に、秘匿性の高い通信アプリもインストールされていた事が伝えられた上で、鑑取りにあたる捜査員たちに一か月以内の発着信履歴と通話履歴が配られたが、その件数は極めて少なかった。

南には、通話履歴を当たるように指示された。通話履歴は九件だったが、その相手は二件しかなく、その二件とも固定電話だった。

捜査会議が終わった後、南はそのうちの一件に電話を入れ、中内祐輔との関係を確認した。

 そこは西池袋の居酒屋で中内祐輔のバイト先だった。店長の森長と名乗る男は、中内の死亡を聞いて電話口で絶句した。そして、中内祐輔の緊急連絡先となっている山梨の実家に連絡を取ると言った。店長の森長によれば、中内は事件があった木曜日の夜は、バイトを休んだが、昨日も出てこなかったため心配していた、と話した。

 もう一件は、東亜製薬立川営業所と繋がった。

 製薬会社と聞いて、南は電話口でかけた電話番号を復唱したほどだった。電話に出た女性は、中内という名前には覚えが無いと言い、電話の近辺にいるらしい社員にも確認してくれたが、やはり知らないという答えだった。南は、通話履歴を確認した上で、先週の火曜日の午後五時過ぎと水曜日の午前十時半頃の二回『中内』という男から電話がなかったか、訊くと、電話口の女性から思わぬ答えが返って来た。それは

「中村さんという方から、二回かかってきましたが、中内さんという方からはかかってきていません」だった。

 南は礼を言って電話を切った。中内は偽名で電話をしている。何故だ。それも製薬会社に。

 南は、捜査本部長の署長と、上司の刑事課長に状況を報告し、東亜製薬立川営業所に聞き取りに出向くことになった。


 西池袋四丁目の中内祐輔のアパートの部屋に捜索に入ったのは、国分寺署からの応援捜査員として派遣された石山田刑事と若手の刑事の二人だった。

 1DKの部屋は、若い男の一人暮らしらしく、乱雑に物が置かれ、ペットボトルや缶ビールの空が散らかっていた。煙草は吸っていないようだった。

 山梨から上京した家族の立会いの下、パソコンを含め、いくつかを参考品として持ち帰る事にしたが、二人の刑事が奇異に感じた物は、参考品の中ではなく、壁に掛けられたハンガーに吊るされたスーツと警察官の冬服らしき上下の制服だった。

「被害者は、アルバイトで生計を立てていたと家族は言っていたな」

石山田がスーツを見て言った。

「バイトをしながら就職活動していたのかも知れませんよ。それより、この警官の制服ですが、被害者のコレクションでしょうか。係長、どう思います?」

若い刑事は石山田に顔を向けた。

「分からない………が」

 石山田には、被害者のスマートフォンに、秘匿性の高い通信アプリがインストールされていた、という捜査会議での話が頭に(よぎ)った。しかし、被害者の家族のいる前では、その(よぎ)った想像は口には出来なかった。

 石山田は、若い刑事に壁に吊るされたスーツと制服を写真に撮るよう指示した。


 スマホの履歴から、中内とのメールのやり取りが最も多かったのは、中内と同じ居酒屋でバイトをしている雨宮(あめみや)(いさお)という専門学校生だった。

 店長の森長とともに刑事の聴取を受けた雨宮は、中内が二週続けて木曜のバイトを休んで、多摩に用事で行かなければならない、と言っていた事は記憶しているが、何の用件なのかは知らないし、まして誰と会うのかは、全く知らないと話した。刑事の(小平市周辺に中内さんの知り合いはいないか)との質問に、雨宮は「……」とほんの暫く考えたが、「知らないです」と首を捻った。

店長の森長は、中内には過去何回かバイト料の前借を含め、金を貸したことがあると証言した。中内は何が原因なのか分からないが、金に困っていた時期が時々あったが、遅いか早いかの時期ずれはあっても必ず返済はしていた、と話した。


 南は、三連休の明けた火曜日、東亜製薬の立川営業所を訪れた。

 東亜製薬立川営業所は、JR立川駅の北口から徒歩六、七分のビルの七階にあった。

「係長、このビルには東亜製薬以外にも製薬会社が入っているんですね」

若い刑事がビルエントランスに掲げられた会社案内を見て言った。

「そうだな。四階にはホープ製薬が入っている」

南も案内板を見て呟くように答えた。

 予め訪問することを伝えていた南たちは、小さなミーティングルームに案内され、机を挟んで中年の所長と女子事務員が座った。

南が、先週金曜日に発生した殺人事件の被害者が、ここ東亜製薬に先々週二回にわたり電話をしている事、そして二回とも偽名で電話をしていた事を話すと、二人は顔を強張らせた。

「貴女が、中村と名乗った人物からの電話を受けたということで間違いないでしょうか」

女子事務員は「はい」と頷いた。

「それで、お聞きしたい事は、その人物はどんな用件でかけてきたのか、なのですが、いかがですか?」と南は手帳を開いた。

「先週、電話をいただいてから思い出してみたんですけど、用件と言うか、社員への取次ぎだったように思います」

「どなたへの取次ぎだったのかは覚えていますか?」

「確か、国松さんだったと思います」

「国松さん……」手帳に書き留めた。

「この地域を担当しているMRで、私の部下です」所長だった。

「用件は聞かずに、取り次いだだけですね」

「はい」

「その中村と名乗った男は、名前しか言わなかった?」

「いえ、北多摩総合病院の関係者だと言っていたと思います。それで用件まで聞きませんでした」

 偽名だけでなく、製薬会社が受け入れやすい病院の名前で身元も偽って、国松という社員に電話をかけてきた。中内祐輔の目的は、一体何だったのか。南は、首を捻った。

「その国松さんという方は、貴女が取り次いだ電話を受けたんですか」

「夕方でしたが、ちょうど国松さんが戻って来ていたので取り次ぎました」

「二回とも国松さんは電話に出たんですか」

「はい、次の日は午前中でしたが、国松さんはここに居ましたから取り次ぎました」

「その中村という男以外には、国松さんにはかかってきていませんか?」

「その後ですか……、日にちは忘れましたが、万永製薬の方から一度だけかかってきました」

「万永製薬?」

「ちょっと待って下さい」と女性事務員は言って席を外すと、電話のメモ帳らしき物を手に戻って来た。

(まん)(えい)製薬の『うつぎ』という方でしたが、この時は、国松は外勤に出ていたので、取次ぎ出来ませんでした」と話した。

「そうですか、分かりました。国松さんは、今日いらっしゃいますか」

「はい、今日は所員全員出社していますから」所長が答えた。

「ここにお呼びいただけますか」

 南の要請に、所長は女性事務員に呼んでくるように指示した。

 所長と女性事務員と入れ替わりに、国松がミーティングルームに入った。緊張した顔付の国松は、名刺を南たちに渡して向かい側に座った。

 国松重隆は、東亜製薬に十六年在職、五年前に東北支店から東京支店立川営業所に異動してきたMRだった。

 南は、中内祐輔が殺害された事件の話をした上で、その中内が身元を偽り、中村という偽名を使って国松に電話をしてきたが、どんな用件だったのか訊いた。

 国松は、中内という男は勿論知らないし、電話をかけてきた北多摩総合病院の中村という名前も初めて聞く名前だった、と言った上で、中村と名乗った男は、病院の駐車場で発生した、車が傷つけられた事件の件での問い合わせだった、と答えた。

 南は腑に落ちなかった。中内は偽名まで使って、何故そんな事件の事を訊いてきたのか、しかも何故国松に訊いてきたのか。

「国松さんは、北多摩総合病院とは関係があるんですか」

「私の担当している病院です。そこの病院の駐車場で、先日車が傷つけられる事件があったんです」

「……中内さんは、国松さんの会社と、あなたのお名前をどこで知ったんでしょう。心当たりはありませんか」

「全くありません。気味が悪いです」国松の眉間に皺が寄った。

「中内さんは、次の日も偽名であなたに電話をかけてきていますが、その用件は?」

「同じでした」

「同じですか。二度も同じことを訊いてきたんですか」

「二回目は、不審者を見なかったか、と訊いてきましたから、犯人かどうか分からないが、年配の男性を見たと答えました」

 南には、この電話の内容が、中内が殺害される原因や、きっかけになったとは思えなかった。中内は、誰かに依頼されて病院の駐車場の事件の調査をしていたのかも知れないが、それにしても偽名を使う理由が思い浮かばなかった。南は、念の為、駐車場の事件を調べてみる必要があると考えた。

 

 捜査本部に戻った南は、事件現場周辺の地取り捜査の状況を、担当の捜査員たちから確認した。

 事件の目撃者はいなかったが、先週の何曜日か不明だがサラリーマン風の若い男が、一人で事件のあった公園に長い時間座っていたという話が聞けた。北多摩総合病院への聞き取りでは、何の情報も得られなかった。

 南は、捜査本部の置かれている二階の会議室から、一階の地域課へ下りた。それは、九月五日火曜日に、北多摩総合病院の駐車場で発生した、車が傷つけられるという器物損壊事件の確認の為だった。

 事件の調書によれば、発生時刻は、九月五日火曜日午後一時五分から一時三十分の間。公園に隣接する病院西側の駐車場の最も西側の列の四台、そこから北に三台分のスペースを空けてもう一台の合計五台が、被害に遭ったと図入りで記載されていた。そして写真付きで各被害車の特徴も記載されていた。三台は、釘のような物で傷つけられた深く鋭い傷のようで、一台は同じような傷に加え少し時間が経過したような太い傷がドアにつけられていた。残りの一台は、鋭利な物という印象よりも、力任せに何かで傷つけたような、太く深い傷が大きくドアにつけられていた。

 被害者の五人の住所と連絡先を手帳に書き写した南は、『空木健介』という名前を書いて(うつぎ)と呟いて、東亜製薬での聞き取りで書き留めた(万永製薬:うつぎ)と見比べた。

 地域課を出た南は、そのまま署を出て北多摩総合病院へ向かい、病院事務部を訪れた。

 中内祐輔にも、中村という人物にも事務部長も、担当職員も知らない、心当たりも無いと言った。それは南の予想した事であり、落胆は無かった。駐車場での事件に関して、病院として調査はしているのか、という南の問いに、担当職員の吉岡は、目撃者捜しの貼り紙はしているが、それ以外は何もしていないと、申し訳なさそうに答えた。

「被害に遭われた方たちが、独自に調べているかも知れませんが、私たちは警察にお任せしていますから」吉岡は付け加えた。


 翌日の捜査会議で、集められた捜査情報が全捜査員に伝達された。

 現場周辺の地取り捜査の班からは、先々週の日にちは不明ながら、昼頃サラリーマン風の男が、一人で一時間近く公園にいたこと。黒いワンボックスカーが、先々週の木曜日の夕方にも、公園北側の道路に停まっていたことが報告された。

 被害者、中内祐輔の周辺捜査、鑑取り捜査の班からは、中内は二週続けて木曜日のバイトを休んで、多摩に行くと言っていたが、その用件は全く不明であること。さらに中内は、バイト先の店長からバイト料の前借りも含めて、何回か金を借りていた。ただ返済はされていたことも報告された。

 続いて、中内のアパートの部屋の捜索に当たった刑事が立ち上がり、部屋に吊るされていたスーツと警察官の制服らしき服に違和感があったとして、その写真を掲げて見せた。そして、中内のスマホに、秘匿性の高い通信アプリがインストールされていた事と合わせて考えると、被害者である中内祐輔は、闇バイトの特殊詐欺に関わっていたことも考えられるのではないか、と報告された。

 聞いていた本部長である署長が、腕組みを解いた。

 「……被害者の中内祐輔は、特殊詐欺絡みで小平市周辺に来たことがあるかも知れない、ということですか。……、北多摩中央署のみならず、西署と東署に特殊詐欺被害、若しくは未遂情報がなかったか調べるように」と指示した。

 会議室のざわめきが収まった頃、南が手を挙げ、立ち上がった。

 南は、中内祐輔の携帯電話の発着信履歴の中に、偽名で通話をしていた先が存在していたこと。その相手は東亜製薬の国松重隆という、北多摩総合病院を担当しているMRだったこと。そして電話の用件は、国松重隆によれば、北多摩総合病院駐車場で九月五日火曜日に発生した車が傷つけられるという器物損壊事件についてだった、と報告された。最後に、南自身の見解として、被害者である中内が、どこで東亜製薬の国松重隆を知り、何故身元も名前も偽って電話をかけたのか、加えてその用件も中内とは全く無関係な事だったことを考えると、これらを明らかにすることで、事件解決の糸口が見えてくるのではないかと、話した。

 刑事課長が立ち上がった。

「南係長の情報は、被害者が自らコンタクトを取っているということで、大変重要な情報だと思う。東亜製薬の国松重隆という人物との接点を徹底的に調べて欲しい。それと、その病院の駐車場の事件が、中内殺害に関係しているかどうか分からないが、中内祐輔のスマホのカメラ画像に、九月五日の日付で車の傷ついた写真が残されていた。何の写真か分からなかったが、もしかしたらその件に関係している写真かも知れない。国松への電話の用件も病院駐車場の事件だったことも考えあわせれば、その器物損壊事件について関連を洗い出して欲しい」

 刑事課長の指示を最後に、会議は終了し、捜査員たちは解散した。


 解散する捜査員の中で、中内のアパートの部屋の捜索に当たった刑事が、南に近寄り話し掛けた。

「南さん、私の知り合いの男が、その病院駐車場であった事件の被害者の一人のようです」

「え、石山田さんのお知り合いが……。その方のお名前は?」

空木(うつぎ)です。空木健介と云って、私と高校の同級生で、今は国分寺で、探偵事務所を開いて調査の仕事をしています」

南は、『うつぎ』と聞いて、手帳を開いた。

「空木健介、間違いなく被害者の一人ですね。お知り合いだったんですか」

そう言いながら南は、この空木という人物が、東亜製薬の国松に電話をした『うつぎ』と同一人物なのだろうかと、手帳に再び目を落とした。

「もし何でしたら、私から空木に、何か情報を持っているか、訊いてみましょうか?」

「……いえ、私から訊かせていただきます。ありがとうございます」

「空木から何か訊ければいいですね。ところで、応援捜査の私が口出しするのは、差し出がましいことかも知れませんが、中内から国松にかけてきた電話の用件ですが、本当なのでしょうか」

「……分かりません。分かりませんが、病院の駐車場での事件が、何かカギを握っているような気がします。中内と国松の接点があるような気がします」


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